20220630 ロシア兵捕虜と尹奉吉について
ロシア兵捕虜の墓
金沢野田山にロシア兵捕虜の墓碑が10基あります。「金沢のロシア人墓地 国境を越えた鎮魂の記録」(石川県ロシア協会1992年発行)によれば、奉天会戦(1905年2月~)で降伏したロシア将兵約6000人が金沢市内の勧業博物館(兼六園内)、第7連隊兵舎、広坂兵器支廠、小立野天徳院、大鋸谷機業工場、東西両別院、大乗寺、蛤坂妙慶寺、野町光 . . . 本文を読む
小松基地第2滑走路について 2022年6月
馳浩が「小松空港第2滑走路建設」を公約に掲げ、当選(3/13)してから急速に第2滑走路建設が加速している。小松基地滑走路(建設、増強)について、簡単に歴史的経過を確認しておこう。
1944年11月 小松基地滑走路完成(1500m×1700m)
1947年X月 滑走路補修(1720m×1500m)
1961年05月 2400m南北滑走 . . . 本文を読む
20220618 事故原因が「空間識失調」なら、戦闘機は廃棄処分に
6月2日、小松基地司令が小松市を訪問し、事故調査報告をおこなったが、そのときに提出された報告レポートはたったの3枚であり、小松基地は事故の原因について、うやむやにしようとしているようだ。
最終事故報告書
航空幕僚監部が発表した報道発表資料「小松基地所属F-15戦闘機の墜落に係る事故調査結果について」(2022/6/2 . . . 本文を読む
八田與一 「物語」から「歴史」へ 資料編(画像)3
ⓐ 地図(嘉南大圳の位置)
ⓑ 二〇一七年四月、八田與一像破壊報道
ⓒ 『のびゆく金沢』
ⓓ 『金沢偉人物語』
ⓔ 『91人の偉人たち』
ⓕ 自由社教科書、帝国書院教科書
ⓖ 小林よしのり「台湾論」(1~3)
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八田與一 「物語」から「歴史」へ 資料編(2)
目次(つづき)
(19)1968年 浅田喬二著『日本帝国主義と旧植民地地主制』
(20)1972年 許世楷著『日本統治下の台湾』
(21)1989年 古川勝三著『台湾を愛した日本人 八田與一の生涯』
(22)1997年 斎藤充功著『百年ダムを造った男』
(23)1997年 松田吉郎論文「興農倡和会について」「中島力男の聞き取り」
(24)1999 . . . 本文を読む
八田與一 「物語」から「歴史」へ 資料編(1)
目次
(1)1926年 頼懶雲著『秤』(『台湾抗日小説選』)
(2)1931年 蔡愁洞著『新興地の悲哀』(『台湾抗日小説選』)
(3)1926~36年『現代史資料21 台湾(一)農民運動』(みすず書房)
(4)1928年『台湾民報』(第194号、204号「よみがえる台湾文学」)
(5)1929年 矢内原忠雄著『帝国主義下の台湾』
(6)1929年 . . . 本文を読む
八田與一「物語」から「歴史」へ
【はじめに】
【総 論】八田與一「物語」から「歴史」へ
【論 考】①~⑯(略)
【あとがき】「與一物語」のウラには
【画像・資料】(略)
【資料リスト 1~31】(略)
【はじめに】
八田與一と烏山頭ダム建設に関する検証作業(二〇一一年)からすでに十年が過ぎた。その後も、八田與一の「偉人化」は留まるところを知らず、「雨期にはこう水、乾期には干ばつ…思うよ . . . 本文を読む
20220603 志賀原発訴訟の早期結審・判決を
原発問題で大きな大きな動きがあった。5月31日、北海道地裁は泊原発の運転差し止めを判決した。北海道内の住民ら約1200人が北海道電力を相手に、泊原発の廃炉を求めて、2011年11月に提訴し、10年かけて審理がおこなわれ、今回の判決に至った。
理由は、「(既存の)防潮堤の地盤に液状化が生じる可能性がないことを相当な資料によって裏付けてい . . . 本文を読む
20220603 小松基地第2滑走路建設を止めねばならない
今年3月、馳浩は石川県知事選挙の公約として、「小松空港(基地)の新滑走路建設による小松空港の民営化・空港周辺で北陸一大拠点づくり」を掲げて当選した。そして今朝(2022年6月3日)の朝刊には、「第2滑走路を優先検討―小松空港中期ビジョン」という見出しが躍っている。福村章と馳による戦争準備が始まった。
当会の見解は2018年2月16日 . . . 本文を読む