用田元陸将はこのような日米の考え方の不整合性に戸惑い、動揺し、旧来の「日米一体となった南西の防衛」戦略から転換を模索しているようだ。用田元陸将のいわんとするところは何か、検証してみよう。
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1941年南部仏印侵略(7/23通告)にたいして米政府は日本資産凍結(7/26)を発表した。日本は石油・ゴム・スズ・屑鉄の軍事物資が止められたので止む無く戦争を始めたといっているが、そうではなく、以前の7月2日の御前会議で「情勢推移に伴う帝國國策要綱」で「南方進出の態勢を強化す」「帝國は本号達成のため対英米戦を辞さず」としていた。戦争への引き金は日本が引いたという歴史的事実を書き替えてはならない。 . . . 本文を読む
吉見義明さんが『東京裁判―性暴力関係資料』の原資料から割愛した南京事件性暴力関係は『極東国際軍事裁判速記録』(第1~10巻1968年発行)の中にあります。そしてその膨大な原資料の中から洞富雄さんが南京事件関係の原資料を抜萃して『日中戦争南京大残虐事件資料集』として1985年に発行しました。
その中から性被害に関する証言を筆耕しました。被害者側からの証言と加害者(日本人将兵)による証言に分けて、投稿します。 . . . 本文を読む
吉見義明さんが『東京裁判―性暴力関係資料』から割愛した南京事件性暴力関係は『極東国際軍事裁判速記録』(第1~10巻1968年発行)の中にあります。そしてその膨大な原資料の中から洞富雄さんが南京事件関係の原資料を抜萃して『日中戦争南京大残虐事件資料集』として1985年に発行しました。
その中から性被害に関する証言を抜萃しました。被害者側からの証言と加害者(日本人将兵)による証言の2回に分けて、投稿します。 . . . 本文を読む
昨年秋、『東京裁判 性暴力関係資料』を読み、原資料40点の筆耕を始めてから、半年以上かかって終了した。
スマラン事件や東京裁判の原資料のなかの日本人(兵)は、目を蔽いたくなるほどに醜く、筆耕作業の過程は自分自身の女性にたいする姿勢・態度を問いつづけるものであった。
かつて私の周辺でもレイプ事件(不同意の性的関係強要)が発生し、これにたいしてどれほど厳格であったか、また被害者にたいして真に誠実であったかを問いながらの筆耕作業になった。 . . . 本文を読む
前記の各地では仏蘭西人女子に対する陵辱行為も若干行はれました。ある夫人と14歳になるその妹とは強制的に数週間、約50名の日本兵と雑居させられ、その虐待と暴行を受けました。その1人は発狂しました。彼女達は2人ともその後処刑されました。 . . . 本文を読む
約50人が寝ていた此の小部屋で彼女等は恐るべき苦痛を忍従した。
此の小部屋から離れるのを厳重に監視され、妨げられた彼女等は50人の粗野な日本兵の思ふままであった。
昼となく夜となく、彼女等は次から次へと占領者全部の面前で各自の気まぐれを忍ばなければならなかった。 . . . 本文を読む
商業新聞(8/5北國、8/6北陸中日)は、現在新田原基地(宮崎県)に配備されている飛行教導群(F15戦闘機10機)を2016年に小松基地に移転すると報道している。飛行教導群は戦闘機訓練時に敵機役になる部隊で、空中戦闘能力を高めるために1981年に発足し、アグレッサー(仮想敵)部隊とも呼ばれている。 . . . 本文を読む
ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等(日本人等)が光安(Tienyen)に設けた慰安所(broth-el)へ一緒に行くやう強制しました。 . . . 本文を読む