不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20230720 好評!? 『野田山日記 甦えれ魂』

2023年07月20日 | 尹奉吉義士
好評!? 小説『野田山日記 甦えれ魂』  B6版、90頁、売価200円(送料140円)。  注文 郵便振替口座番号:00710-3-84795 口座名:アジアと小松  製本は手作業故、多少難あり。 友人・知人から、うれしい便りが届いた。 A:先日、 『野田山日記 甦えれ魂』届きました。さっそくありがとうございます。史実に基づく創作活動は大変な労力を必要とされますね。石川・富山両県ゆかりの人物が . . . 本文を読む
コメント

20230708 続々 石川県内の両墓制について

2023年07月08日 | 尹奉吉義士
続々 石川県内の両墓制について  西村某が遺骨のない墓に墓地使用許可を出したのは違法であると主張して、金沢市に住民監査請求をすると息巻いているので、当ブログ『アジアと小松』2022/7/8、7/24記事に続いて、石川県内の両墓制について調査した。 (1)銭屋五兵衛の隠れ墓  去る6月8日に、野田山墓地の銭屋五兵衛・隠れ墓を見てきた。墓全体が苔に覆われ、ただの石塊にしか見えず、説明の石柱がな . . . 本文を読む
コメント

20220926 上海爆弾事件前後の在上海日本人の動向

2022年09月26日 | 尹奉吉義士
20220926 上海爆弾事件前後の在上海日本人の動向  1932年の上海には3万人の日本人がおり、尹奉吉による4・29上海爆弾事件にたいしてどのような反応を示したのだろうかという疑問が浮かんできた。『上海爆弾事件後の尹奉吉』(2020年改訂版)の資料リストに挙げた『上海に生きた日本人』(陳祖恩著2010年)の100頁には、写真入りで上海爆弾事件について、概略が書かれ、238頁には「1930年代 . . . 本文を読む
コメント

20220724 続「両墓制」について

2022年07月24日 | 尹奉吉義士
20220724 続「両墓制」について  当ブログ「アジアと小松」(7/8)で、「両墓制(埋め墓、詣り墓)」についてレポートしたが、その後の調査で、金沢野田山墓地でも「両墓制」がごく自然に存在していることがわかった。 複数のお墓  野田山山頂近くに加賀藩初代藩主・前田利家(1599年没)の墓があり、そのふもとの桃雲寺(野田町)には、「高徳院殿贈従一位行亜相桃雲見公大居士(利家の戒名)」「慶長四 . . . 本文を読む
コメント

20220708 両墓制について

2022年07月08日 | 尹奉吉義士
2022/07/08 両墓制について  インターネット上に、尹奉吉殉国碑は遺骨が埋葬されていないので、墓ではない、だから遺骸や遺骨のない「墓」を墓地に建ててはならない、という主張が展開されている。遺骸や遺骨のない「墓」は墓ではないというならば、時が経ち、遺骸や遺骨が微生物によって分解され、土に戻れば、その墓には遺骸も遺骨もなくなるが、それを墓ではないと主張するのだろうか。  現実には、人々は遺骸 . . . 本文を読む
コメント

20220630 ロシア兵捕虜と尹奉吉について

2022年06月30日 | 尹奉吉義士
20220630 ロシア兵捕虜と尹奉吉について ロシア兵捕虜の墓  金沢野田山にロシア兵捕虜の墓碑が10基あります。「金沢のロシア人墓地 国境を越えた鎮魂の記録」(石川県ロシア協会1992年発行)によれば、奉天会戦(1905年2月~)で降伏したロシア将兵約6000人が金沢市内の勧業博物館(兼六園内)、第7連隊兵舎、広坂兵器支廠、小立野天徳院、大鋸谷機業工場、東西両別院、大乗寺、蛤坂妙慶寺、野町光 . . . 本文を読む
コメント

20211222 尹奉吉と日本ナショナリズム

2021年12月22日 | 尹奉吉義士
 尹奉吉と日本ナショナリズム  今年(2021年)は雪で、野田山での尹奉吉義士追悼会は中止になりました。  昨年(2020年)8月24日付『朝日新聞』のインタビュー記事で、Aさん(尹奉吉の研究者)は「私にはそれ(注:尹奉吉を顕彰)はできない。でも、あなた(在日朝鮮人)が彼を英雄として顕彰することは否定しない」と結んでいます。30年前に、尹奉吉暗葬碑の碑文を検討する会議で「義士」論争があり、それ . . . 本文を読む
コメント

20210928 尹奉吉、大阪衛戍刑務所の生活

2021年10月01日 | 尹奉吉義士
尹奉吉、大阪衛戍刑務所の生活  1932年11月18日に大阪衛戍刑務所に移監された尹奉吉は、そこでどんな拘禁生活を強いられていたのだろうか? 知人から、北原泰作著『の後裔 わが屈辱と抵抗の半生』(1975年刊、石川県立図書館蔵)を紹介され、その様子をうかがうことが出来た。  北原さんは1927年1月、岐阜歩兵第68連隊に入営し、同年11月の閲兵式で、軍隊内部の差別の存在と待遇の改善を昭 . . . 本文を読む
コメント

20210823 尹奉吉義士と在日の権利闘争

2021年08月23日 | 尹奉吉義士
20210823 尹奉吉義士と在日の権利闘争  1932年に尹奉吉義士が三小牛山で処刑され、遺体が野田山に暗葬にされ、1946年に発掘されたが、41年後の1987年8月、朴仁祚さん、辛基秀さんらによって、暗葬地の再調査がおこなわれた。翌1988年4月、その目で暗葬地を確認した尹奉吉義士の実弟尹南儀さんによって、韓国では殉国碑建設(1992年4月竣工)の準備が始まった。  1990年4月に朴仁祚 . . . 本文を読む
コメント

20201203尹奉吉暗葬地と刑務所墓地

2020年12月03日 | 尹奉吉義士
尹奉吉暗葬地と刑務所墓地  1982年の野田山墓地地図明細図には、「刑務所墓地」と書き込まれており、『1932年上海爆弾事件後の尹奉吉』(2020年版)で、「処刑後の尹奉吉の遺体を、…陸軍墓地と市民墓地の境目で、ひとびとが昇り降りする通路に暗葬したのである。しかも、陸軍墓地に隣接し、暗葬地から十数メートルのところに、刑死した人を葬るための刑務所墓地がありながら、敢えて暗葬に付した。…尹奉吉の遺体 . . . 本文を読む
コメント