アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20230713 金沢偕行社門内の笠石も―略奪論に新事実

2023年07月13日 | 歴史観(海石塔、鴻臚井碑)
20230713 金沢偕行社門内の笠石も―略奪論に新事実  銭屋五兵衛の隠れ墓と両墓制について調べていたら、『石川県史』第五編(1933/3/30)に、海石塔の写真を見つけた。写真に付けられている説明は下記のとおりである。 海石塔  夕顔亭から石橋を渡って瓢池の中洲に達する。それを日暮橋といふのは、眺望のよさに夕陽の舂(つ)くを忘れるとの意かも知れない。中洲の出鼻には、桜の木陰に海石塔が立 . . . 本文を読む
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20221214 秀吉の「朝鮮征伐」とはなにか

2022年12月15日 | 歴史観(海石塔、鴻臚井碑)
20221214 秀吉の「朝鮮征伐」とはなにか  明治期以降さまざまな文書で、兼六園の海石塔に秀吉の「朝鮮征伐(1592文禄、1597慶長)で略奪してきた石塔」との説明があり、その略奪行為を批判的にではなく、追認するような文脈で書かれている。そこで、秀吉の「朝鮮征伐」を理解するために、『朝鮮日々記を読む』(2000年)を読むことにした。そこには、翻刻された原文と解説・論文がいくつか収録されている . . . 本文を読む
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20221203 海石塔「略奪論」の背景を探る

2022年12月04日 | 歴史観(海石塔、鴻臚井碑)
20221203 海石塔「略奪論」の背景を探る  兼六園の海石塔が<朝鮮出兵時に加藤清正が略奪してきて、秀吉に献上し、その後前田利家に贈られた>という「略奪論」の資料が多数存在し(1975年『兼六園全史』など)、日清(朝)戦争直前の1892年の『金沢古蹟志』まで遡ることができたが、「(昔朝鮮陣の時、分捕にせしものと)旧伝に云ふ」資料はまだ見つかっていない。(注:旧伝=昔から言い伝えて . . . 本文を読む
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20221023 兼六園の海石塔について(続)

2022年10月27日 | 歴史観(海石塔、鴻臚井碑)
兼六園の海石塔について(続)  既報「兼六園の海石塔について」をまとめたあと、いくつかの資料が見つかった。とくに取り上げたいのは①奥野八幡神社七重塔の説明板(1958年)、②『特別名勝兼六園』(1997年)、③『きくざくら』8号(荒井外二論文1999年)、④同書18号(小島和夫論文2009年)、⑤「元は金沢城内の十三重塔?」(『北国新聞』2007/10/12)である。 (1)七重塔+海石塔=十 . . . 本文を読む
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20221016 兼六園の海石塔について

2022年10月16日 | 歴史観(海石塔、鴻臚井碑)
兼六園の海石塔について 「名園の落水」(室生犀星)  室生犀星は1925年発刊の『魚眠洞随筆』に収められている「名園の落水」のなかで、「池(注:瓢池)の中洲に海底石の龕(がん)塔が葉を落した枝垂(しだれ)桜を挿んで立つてゐる。それを見ながら横になつてゐると、滝の音とは違ふ落ち水のしたたりがお亭(おちん)の入口の方でした」、「これはいいなと思ひ、わたしは龕塔の方へ向けたからだを落水の方へゐなほした . . . 本文を読む
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20121227 鴻臚井碑の写真9枚

2012年12月27日 | 歴史観(海石塔、鴻臚井碑)
鴻臚井碑=713年、唐が渤海王を「渤海郡王」に冊封した事実を記録した石碑で、初め渤海領土(現中国遼寧省旅順市)に建てられていた。日露戦争で旅順を占領した日本軍によって日本に搬出され1908年、日本の皇居の庭園に置かれた。 . . . 本文を読む
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20121029 鴻臚井の碑を中国に返還せよ(加筆)

2012年10月29日 | 歴史観(海石塔、鴻臚井碑)
日本がロシアに勝利したからといって、中国(旅順)にある鴻臚井(こうろせい)碑を戦利品として持ち帰るなんて、とんでもない過ちである。しかも、その鴻臚井碑が皇居にあり、隔離・設置されているとは、罪に罪を重ねる行為ではないか。 . . . 本文を読む
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