AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

眼前にある音

2007年02月18日 | ノンジャンル
 ぶれてない・・・全くといっていいほどにぶれがない。オーディオに対する姿勢というか、オーディオの音に何を求めるのかという基本的なコンセプトとでも言うべき根本的なものにぶれがないのである。

 ぶれがないから、突き詰めていける。長い年月をかけて突き詰めた結果がひとつの「極み」とでも表現したい音、音楽となって表れる。今日はそういう思いを強くする体験をさせていただいた。

 今日は、先日のW氏邸でのOFF会のときに初めてお会いしたNaruさんのお宅にお邪魔したのである。その音は、ライブハウスの最前列、ミュージシャンの息使いがはっきり分かるようなポジションで聴く音をイメージさせる。音、楽器あるいはミュージシャンに肉迫するリアリティ度が桁はずれに高い。

 手を伸ばせば、触れられそうに感じられるほどのリアリティである。実体感ある音の厚みと、目の詰まった密度感が、極めて高いレベルで融合されている。その音の鮮烈さにしばし言葉を失う。

 Naruさんの音からは、「オーディオからどんな音を引き出したいのか」、それが極めて明確でしっかりしているということがひしひしと感じられる。そしてその目指す音を獲得するための、膨大な時間と労力を要する調整の真剣度合いが、鬼気迫るほどの迫力を感じさせる。

 「けっしておろそかにはしない」というエネルギー感がシステムの隅々にまで行き渡っている。

 この汲めども尽きないと思わせるようなエネルギーはどこから来るのであろうか?Naruさんはオーディオに限らず、全てのことに全力投球される方なのではないだろうか。いい加減なことは決してしない、あるいは出来ない方のような気がした。

 やはり「音は人なり」である。いくら車を最新式の高性能なものに替えても、ドライバーの腕がなければ、決していいタイムは出ないものである。

 私も、オーディオからどのような音を出したいのか。そのイメージをもう一度明確にする必要を切々と感じた。そこがぶれていると、道しるべのない暗い山道でさまようようなものだ。


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