おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

季節の感じ方

2019-09-20 11:16:05 | 日記

 台風の影響で、次の月曜日あたりが東北に影響があるらしい。せっかくの休日が大荒れの可能性が高いということは、今週の休みに続いてアウトドアは楽しめないではないか。そんなことなら、今日のうちに走ってこようと早めにカフェの準備を済ませ、1時間半ほどランニングすることにした。

 と言っても、クタクタになるまで走れないので、1時間ほど熱心に走り、そのあとは30分ほどかけて歩いたり走ったりしながら家に帰ってきた。湿度も低く、涼しい風が吹いているので、まだまだ走り足りないが、これ以上は仕事に差し支えるのだ。

 ところで、今朝の天気予報で、「あなたは季節の変化を何で感じますか」という質問を視聴者にしていた。結果は、一番多かった回答が「気温」で、二番目に多かったのが「日照時間」だった。妥当な答えとも思えるが、そういうものに季節の変化を強く感じるとしたら、なんだか寂しい気もした。

 毎日散歩に出ていると、野鳥の姿や目にする植物で季節の変わり目を感じることは多い。雲の形や空の色にも季節の変化は色濃く反映する。

 田んぼが黄色くなったり、柿の実が色づいたりといったことにも季節の変化を感じる。そうしたものに比べると、寒暖差などはあまり信用できないところがある。日照時間も、朝や夕方にしか感じることはできない。

 それでも「気温」と「日照時間」が1位と2位を占めるというのは、それだけ都市生活をする人の数が多いということなのだろう。考えてみれば、都会にいて季節を感じるのは、気温、日照時間のほかに、あとはショーウインドウのディスプレイとか、陳列している品物とかから感じることの方が多いのである。

 日本には四季があって素晴らしいと自慢していた日本人だが、近頃は人工的に作り出しているだけなのかもしれない。

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カメラをぶら下げて

2019-09-19 11:00:09 | 福島

 日に日に日が短くなり、朝の散歩に出る頃が薄暗くなって来た。起きるのも、薄暗いとどうしても布団から抜け出せない。よほど気合いを入れないと、散歩の時間がどんどん遅くなってしまうのだ。

 外が暗いので、カメラを持って行ってもどうせ大した写真は撮れないだろうと手ぶらで外に出ると、空いっぱいに羊雲が広がっていた。鉛色をした羊の群れが、顔を出したばかりの太陽で、次第に銀色に輝き出す。ああ、どこもかしこも秋だなあ。やっぱり手ぶらで出かけるのはよそうと、慌てて家の中に取って返し、カメラを首からぶら下げて出てくる。

 途中、お寺の前を通ると、小さな庭にサルスベリが紫色の花をつけていた。サルスベリといえば白かピンクなので、紫がかった色は珍しい。もしかしたら光線の具合で紫に見えるだけかもしれないが、写真以上に薄紫の花が咲く様子は、お寺の雰囲気に溶け込んでいた。

 昨日はカメラを持たずに出かけ、クルミの実がたくさんできているのを見かけ、「そろそろリスが出てくるんじゃないか」と話し合っていたら、すぐ目の前の生垣の上をチョロチョロとリスが走り去って行った。そういうことがあったからカメラを持って出たわけではないが、大体カメラを持って来た時というのは、リスが出てこないことが多い。

 道端にはドングリがたくさん転がっている。これから冬が来るまで、リスはドングリやらクルミやらをたっぷり蓄えるのだろう。

 出かけるときには暗くても、20分も歩けばすっかり明るくなる。丘の上に到着したときには、いつの間にやらすっきりと晴れていた。

 空き地を覆うアレチウリが小さな花を咲かせているが、サルスベリ同様、今が満開である。

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険しい道

2019-09-18 10:45:53 | 日記

 ふた月に一度の割合で、テーマに沿った作品を持ち寄って鑑賞するという会に参加している。昨日もカフェに作品を持ち寄り、ああだこうだとひと通り批評し合った後、最近の美術がいかに若者にとっては魅力がないかという話になった。会に参加している人の中に、専門学校で美術を教えている講師もいるので、今時の子供たちの関心について話が聞けるのだ。

 美術の世界は、どんな世界にも先駆けて前衛的な試行錯誤を繰り返して来た。その結果、便器をそのまま展示したり、キャンバスをカッターで切ってみたり、とにかく何でもありということになった。簡単に言ってしまえば、個人の思いを表現しさえすれば、手段を選ばないということである。

 そうした風潮は美術教育にも反映し、とにかく個性や感性こそ重要視する。だから、下手な絵もなければ失敗作ということもない。子供たちは自由にのびのびと素直に表現すれば良い、という理念だ。

 ところが、好きにできるということ、うまい下手がないということ、こうした自由というのは、実は子供にとっては何の面白味もないのである。サッカーの試合をして点を取っても取らなくても、個性さえ発揮していればOKということになれば、サッカーの面白さは半減する。そんな道に自分の将来を託そうと考える若者はいない。

 実は子供こそ、シビアで厳しい世界を求めている。白黒はっきりした世界を望むのは、大人ではなく若者である。オリンピック選手になりたいなら、競争のあまりない人気のないスポーツをやればいいと考えるのは、大人の打算だ。より高い評価を受けたいと思えば、それだけ厳しい道を選ばなければならない、ということを子供はよく知っている。

 近頃の子供が美術の世界より、アニメーションの世界に進みたがるというのは、人気と興行成績が大きな比重を占めるアニメーションという世界には、ひとりよがりなど通用しないシビアさがあるからである。そしてそうした世界ほど、世の中から受ける評価は高くなるのだ。

 若者とは反対に歳をとってくると、物事には灰色の方が多いこと、頑張る前に挫折がやってくること、他人の評価は水物であり、自分の幸福とは直結していないことを知る。険しい道をわざわざ行かなくても、情熱を燃やすことができる対象は、世の中にはたくさんあることを知る。

 

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雨のドライブ

2019-09-17 10:23:41 | 福島

 昨日は年に数回しかない、僕もタミちゃんも休日という1日だったので、前からどこかへ出かけようと話していた。ところが、朝から小雨模様で、天気予報を見ても1日止む気配はない。それでも家でじっとしているのは面白くないし、テオだって退屈だろうと、少しくらいの雨ならと出かけることにした。

 今は布引高原ではヒマワリ畑が満開だというが、低く雲が垂れ込めているので、高原に行っても視界は悪いだろう。当然山歩きなんてのは、予定から外さなければならない。近場でテオを連れて行きたいところと言えば、この夏連れて行けなかった猪苗代湖だと、とりあえず湖を目指すことにした。

 対岸辺りが布引高原になるが、思った通り雲の中だ。

 テオはこれだけの水を見るのが今回初めてになる。ドリは水が大好きで、猪苗代湖でもずいぶんと泳いだので、テオも水好きだったらいいなあと思っていたら、テオはまったく水を恐れることなく、ずんずんと湖の中に入って行った。

 と思ったら、ビックリして慌てて飛び出して来た。どうやらテオはただの平らな土地だと思ったらしく、普通に歩き出したらズッポリ水の中に入ったので、ビックリ仰天してしまったのだった。そのせいで、そのあとはいくら引っ張ろうと決して水辺に近寄ろうとはしなかった。

 残念ながら水遊びは、来年の夏まで持ち越しなのである。

 少しは水の少ない場所ならと、春になると桜並木で花見客でごった返す観音寺川に行った。看板によると、ここは断層によってできたとある。断層といえばNHKのブラタモリに出演しているタモリさんが、いつも断層ファンだと公言している。以前に猪苗代湖の回をやった時には、ここは紹介していなかったなと思いながら、テオを河岸をブラブラする。

 次は喜多方まで行ってみようということになって車を走らせていると、タミちゃんが腹が減ったので、途中で食べて行くという。喜多方の隣町の磐梯町の食堂で、ふたりでラーメンを食べる。わざわざ有名な喜多方ラーメンを食べずに、別のところでラーメンを食べてしまうところが安部家の流儀なのである。

 喜多方では、よくコマーシャルなどで使われる絶景ポイントに行ってみる。眼下に喜多方の町と田園が広がる風景だが、山がちの地方にこれだけで広々とした風景は珍しい。が、観光客を呼ぶためだろうか、以前にはなかっただろう「恋人坂」という看板が新設されていた。「恋人坂」だの「恋人岬」だの言うのは、日本中あちこちにあるのだ。せっかくの絶景なのに、どうしてこんなダサい名前をつけてしまったんだろう。これでは行ってみたいと思っていた人も、ちょっと引いてしまうのである。

 それよりも近くはソバ畑が広がり、蕎麦ロードの別名もあった。こちらの方がよほど実態を表しているのに、残念なことだ。

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遊び上手

2019-09-16 08:52:34 | 福島

 愛護センターから引き取って来たせいなのか、テオは人間に対しては警戒心が強い。その代わり、犬に対しては物凄くフレンドリーで、相手がどんなに大きかろうと、テオに対して鼻の頭にしわを寄せて唸り声をあげようと、そんなのはお構いなしと尻尾をフリフリ、相手の顔をペロペロと舐める得意のペロペロ攻撃をおみまいする。

 カフェ青い犬にやってくるお客さんの中には、ネットで調べて来る人が多いが、ドッグカフェと勘違いして犬連れで来る人がいる。「なかなか犬連れで行けるお店がなくって」と言うが、カフェ青い犬もお店のブログでは「ここはドッグカフェではありませんので、ケージなどをご用意ください」と明記している。

 ネット社会は便利かもしれないが、使い方はかなり荒っぽい。「ドッグカフェ 福島」と検索すると、「犬」と「カフェ」が店名に付くアトリエ・カフェ青い犬は、いつだって上位にランクインしてしまうのだ。

 あまりに最初からドッグカフェだと張り切って来られるお客さんには、電話で「ドッグカフェではないですけ大丈夫ですか」と断ると、水を差されたように電話越しでもガッカリするのがわかる。そういうのもあって直接連れて来た犬に対しては、大概は一応ドッグカフェではないことを断った上で、入ってもらうようにしている。

 ただ、犬好きのテオにとっては、またとない遊び相手の登場にテンションは上がる。「犬が苦手」と言う犬にも遊びに誘おうとペロペロ攻撃を仕掛ける。昨日来たミニチュアダックスもそんな1匹だったが、最後は自分からテオに向かってじゃれつき始め、飼い主さんが「うちのがこんなに他の犬と遊ぶなんて」とビックリしていた。「この犬は(テオのこと)、遊びに誘う天才犬だ」と感心していた。

 昨夜の散歩では、道路にいた猫に対してまで遊ぼうと誘いをかけていた。猫パンチが出るとさっと後ろへジャンプし、それがまた面白いらしい。シャー、ピョン、シャー、ピョンと、しばらく楽しんでいたが、いつまでも猫を困らせても可哀想なので、テオを引っ張って離れると、猫は猫で名残惜しそうに、きちんと座ってこちらを見つめていた。

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マラソン観戦

2019-09-15 12:04:37 | 日記

 来年に迫った東京オリンピックのマラソン代表を決めるマラソン大会があるというので、朝からカフェの準備で、掃除機をかけたり窓拭きをしたりしながら観戦した。

 今までオリンピック代表を選考する過程で、どうしてその選手が選ばれたのか、どうしてあの選手は落選したのか、その線引きが曖昧で必ずと言っていいほど一悶着あった。そこで今回は実力があり、しかも一発屋の選手を選考しないために、代表選考会に出るためには、それ以前の試合で結果を出すことが必要という基準を設け、今日の代表選考会で勝った選手の上位選手2名が内定という、誰が見ても文句を言わせないような仕組みを作った。

 僕らのような観戦する人間にとっては、以前にも増して真剣勝負が見られるとあって面白さは倍増するが、やっている選手たちにとってはより過酷さが増したようにも思えた。

 スポーツの勝負において、一番実力差通りの結果しか出にくいのはテニスだと聞いたことがある。たとえ力が拮抗していても、ほんのわずかの差で結果に大きな差が出るような試合構成になっているというのである。その点、サッカーや野球といったチーム競技は番狂わせが起きやすい。

 陸上では短距離の100メートルなどは、スタートに失敗した時点で勝敗が決まるし、日本人が得意なリレーは、バトンの失敗で番狂わせが起こったりする。そういう競技に比べれば、マラソンというのはおそらく一番実力通りの結果になりそうだ。

 が、今日のマラソン大会では、注目の上位4選手が誰も優勝できなかった。日本記録を立て続けに出した2選手は、両方とも2位以内に入れなかった、というのは、マラソンが番狂わせが起こりやすいというよりも、コンスタントに実力を発揮するのがいかに難しい競技かということだろう。

 

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アレチウリの花

2019-09-14 11:55:55 | 福島

 朝、気温は20度を下回っていた。念のために長袖の上着を着て出たが、霧が出ているせいかかなり肌寒い。

 昨日は中秋の名月で、まだ9月も半ばだというのに、日毎に秋が深まって行くのだ。今年はバカみたいに暑かったと思ったら、今度は長雨でちっとも夏をエンジョイできなかったというのもあって、本格的な秋の到来に「早く来すぎだよ」とツッコミ入れたくなってしまうのである。

 散歩の途中、空き地という空き地がアレチウリに覆われている光景を目にする。雑草として見逃してしまいそうだが、よく見るとアレチウリが満開の花を咲かせている。もっともあまりに小さいのでよく見ないと気がつかないが。

 名前にウリがつくだけあって、花の感じはキュウリなんかの花を小さく地味にした雰囲気がある。カナムグラ、貧乏カズラと並んで、厄介な三大雑草のひとつに数えられているが、葉っぱも花も星の形で、なかなか可愛い。

 我が家の家庭菜園の隅っこでもアレチウリが勢力を伸ばしているので、今朝は散歩の後に草刈りに出かけた。収穫が終わり枯れてしまったキュウリのための支柱を片付け、ネットを外し、バリバリと草を刈ってまわった。これからは冬の鍋料理のための野菜をいろいろ植える予定だ。

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絵に描いた餅

2019-09-13 12:15:11 | 福島

 政治には興味はないが、あまりに国民を小馬鹿にしたような発言をすると腹が立つ。たとえ、政治家本人は国民をバカにしたつもりもないにせよ、それが常識を疑うようなアイデアだったり、絵に描いた餅にすぎない約束だったりすると、ますます政治に対する興味は薄れて行く。

 安倍さんが内閣改造を行い、小泉進次郎さんが環境大臣になった。フットワークの軽いところを見せ、すぐに福島に飛んで来たのはいいが、環境省とは別に復興庁という東日本大震災に特化して設立した組織があるのだから、なんとなくスタンドプレーに見えてしまった。

 前環境大臣が、福島原発で溜まり続ける汚染水の処理方法が現実的にはないことから、海に流して希釈するしかないと発言したのを受け、小泉さんはそれを謝罪した。おまけに福島県内に発生した汚染土の後始末を、県外にするとも約束した。

 このニュースを見て、すぐに思い出したのは民主党が政権を握っていた時の鳩山さんの発言だ。沖縄の普天間基地を辺野古ではなく県外に移すと約束した。本人は真顔で考えがあると言いながら、結局最後の最後までなんのアイデアも打ち出さなかったのだ。

 福島原発に溜まり続ける汚染水を入れるタンクの寿命は、当初5年が限界と言われていた。が、すでに8年が経つ。汚染水は減るどころから、今もって毎日かなりの量が増え続けている。たとえ海に放出しなくても、いずれ容量の限界を超えて蓄えることが不可能になるか、タンクの寿命が来て破損箇所から染み出してしまうか、大きな災害がきてタンクごとひっくり返してしまうかといった心配はなくならない。

 福島県内で出た汚染土を県外に持ち出すというが、一体どこの地方が最終処分場に名乗りを挙げるだろう。仮に長野県に決まったとして、汚染土を陸路で全部運ぶというのだろうか。現実的にはいまだ住むことが不可能な福島原発の近くに集めるというのが、誰もが思いつく考えのように思う。

 将来、最終処分場に手をあげる自治体が出てくるかもしれない。が、それは原子力発電所を誘致した時と同じで、交付金だけをあてにした貧しい地方になるだろう。福島での失敗を、今度は他の自治体が繰り返すことになりはしないのだろうか。

 もし、政治家が本当に痛みを分かち合うというのなら、汚染水は東京湾に流し、汚染土はオリンピックの建設や埋立地に利用するのがいい、くらいのことは腹をくくって発言してもらいたい。

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キツネは親戚

2019-09-12 10:52:16 | 福島

 猛暑も一段落し、今日からすっかり秋らしくなるらしい。

 いつもなら午前中に買い出しに行くところを、夕べのうちに済ませておいたので、今朝は朝食後すぐにカフェの掃除をやった。今週は休みだった月曜日が大荒れの天気だったので、今日は少しでも走っておきたかったのだ。

 気温25度、湿度50%とランニングには最高のコンディションだ。汗をかいても、立ち止まるとすぐにヒンヤリとした風に汗は乾いて行く。長い時間は走れないので、とりあえず最初の30分は目一杯走り、そのあとは安達太良川の土手の上を、風に吹かれながら歩いたり走ったりした。

 空には台風が残していった雲の塊が、列をなして流れて行く。ああ、気持ちがいいなあとふと河川敷に目を落とすと、草刈りの終わった河原にキツネが1匹こちらを見ているのに気づいた。土手の上と下、距離にしたら10メートルほどだ。2週間ほど前にも河川敷でキツネらしき影を見かけたが、今日はすぐ目の前にいるので間違えようがない。その姿は北海道で見たキタキツネとおんなじだ。

 それにしても、そのニョロニョロした体型は、色さえ違えば我が家のテオそっくりなのである。犬の祖先が狼なのかキツネなのかハイエナなのかはわからないが、テオの場合はキツネの子孫なのは疑いないように思われる。

 あまりしげしげと見ていたからだろう。キツネは警戒するように近くの草むらにゴソゴソと入っていってしまった。

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制服の力

2019-09-11 12:00:17 | 福島

 一昨日には警察官が、この辺の事情を知っておきたいのでと訪問してきて、住所、氏名、年齢、職業を聞いていった。そして何かあった時にはこちらにと連絡先を知らせる用紙と、振り込め詐欺に関するチラシを数枚置いていった。

 家の前にパトカーが止まっていたし、我が家に来る前には隣で同じことをやっていたので、初めっから疑うことはなかったが、よく考えてみれば、警察官に似せた制服なんてのは簡単に手に入るだろう。パトカーだって、その気になればカッティングシートで警察のレタリングやツートーンのカラーリングを模して貼り付ければ、簡単には見破れないだろう。

 となると、やはり最初に訪問してきた時に、まずは警察手帳の提示をお願いすれば良かったなと後で思った。間違いなく警察官だとしても、「警察手帳で確認させてください」と言えば、「おっ、こいつはなかなか用心深いぞ」と感心してもらえたかもしれないのだ。

 昨日は、消防署から来たと言い、数年前の糸魚川の繁華街の火事によって法律が改正され、飲食店に消火器の設置か自動消火装置のついたコンロの設置が義務付けられたので確認したいと言ってきた。消火器の設置なんて面倒臭いので、「ちょうどコンロを買い換えるつもりでした」と言うと、「とりあえず確認させてください」と上がり込んできた。また、10月になったら改めて検査に伺いますと言って帰ったが、後で思い返せば、やはり身分証明書のようなものの提示を求めれば良かったかなと思った。

 詐欺に引っかからないようにと言うが、制服には案外コロリと騙されてしまう。最近、デカプリオ主演の詐欺映画を観たら、パイロットや医者の制服で次々に詐欺を行なっていた。とにかく人は制服には弱いのである。

 逆に制服には力もあって、ここで1日立ってなさいなんて仕事を言いつかったら、とても務まりそうもないが、警察官の制服だとか、バッキンガム宮殿の衛兵のような制服だとか、ガードマンの制服を着ると、人はなんなくやり遂げられるという。昔から立場は人を作ると言うが、おそらく制服の力がそうさせるのだろう。と思えば、学生服や会社員のスーツにも、そんな力が秘められているということだろう。

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