フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

つーか、ビリー・ミリガンも2014年まで存命だったのか

2017年09月02日 22時57分37秒 | 日記
先日ネットカフェに行ったときに、マンガの棚をぶらぶらしていて、ものすごく久しぶりに「多重人格探偵サイコ」を見かける。うわ、なっつかし。
まあぶっちゃけ言えば、あんまり好きな作品じゃないんだけどね。最初は好きで読んでたんだけども、なんつーかある程度まで読むとおなかいっぱいになる感じ。もうこれ以上いらないや、って感じで、パタッと読むのをやめて、以降は気にもならなくなった。最近まで連載してたんだよね、これ。
まあ、多重人格なんてのも、ビリー・ミリガンあたりからオカルトの方向で有名になって、一時期は実際の病気の実際とはかけ離れて有名になったりしましたよね。実際、オカルトの番組で取り上げられたのも見たことあるな。ま、「多重人格探偵サイコ」では、実際の病気がどうとかは全く関係がないが。
で、実際の病気の話をすれば、多重人格というのは精神科用語では「解離性同一障害」といって、あんまりない症例だ、というあたりは結構知られるようになってきましたね。研究肌の医師なら学術論文のために一応は寄ってくるってくらいのレベル。ちなみに「解離性同一症」というのが最新の正式名称。病気の分類として解離性同一症が属する「解離性障害群」が「解離症群」に名前が変わったので、これに合わせて日本語の表記が変わったわけ。解離性同一症の英語表記そのものは「dissociative identity disorder」で変わってないんだけどね。
で、ぬたりが過去に数年精神科関係の仕事をしたときには解離性同一症の方と会ったことはないし、書類の上でも見たことはない。ただし類似した症状の人には会ったことは何度かある。「自分は××という名前で、○○(戸籍上の本当の名前)ではない」という妄想を持った人ね。こっちはそれほど珍しいものでもない。
基本的には統合失調症の人の症状なんだけれども、こちらが「○○さんですね?」と聞くとたちまち不機嫌になり「違う。私は○○ではない。××だ。」と言う。解離性同一症の人が少なくとも二つのパーソナリティを持ち使い分けるのに対し、妄想の人はパーソナリティを使い分けることはなく、誰が名前を聞いても妄想の一つの名前を答える。そして本当の名前を言われると不機嫌になる。妄想の人物が誰かはそれこそ人によって違って、実際にはいないはずの兄弟だったり、なにやら才能がある人(小説家とか芸術家とかね)だったり、無駄に高貴っぽかったり可愛らしい名前を持っていたりする。
まあ、毎回書いてるけれども、統合失調症の妄想ってのは大概底が浅いもんで、内容を追いかけてもつまんないし意味もない。関係者がその妄想の背景にあるその人の生活上の問題点を探る足しにはなるかもしれないけども、別にそこを突かなくても医療や支援の道筋は立てられるしね。だから現場では妄想の中身なんかは追いかけないのが普通。
なんでそんな妄想に至るかと言えば、人によっても違うけれども、言いようのない不安感とか自分が自分でなくなったような感覚、身近な人が身近に感じられなくなる感覚、等々の統合失調症特有の感覚を、「実は自分はもっと凄い存在だ」とか「家族と言って身近にいる人物に親しみが持てないから、自分はこの家族の一員じゃない別人だ」とかの考えに至っていくってこと。まあ基本疲れた頭で考えることだから、内容は当然陳腐ではあるんだけども、それまでの人生で得た知識をそれなりにフル動員して(彼らだって不安から逃れようと必死なんだから)妄想を築いて行くわけだから、当然差は出てくるしそれなりのディテールも備えてくるわけなのさ。
ただ、個人差があって妄想の内容がみんな違うと言っても、大概の場合内容は陳腐だからね。てきとうにネットで話をしてるだけならネタにもなるが、実際の精神科医療や支援の現場ってのは、存外に盛り上がりはないもんでね。妄想の話なんか食傷気味でおもしろくもない、って感じでね。まあ、現実なんてのはそんなもんさ。
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