というわけで、ちょっと話が大きくなっちゃったので少し話をまとめる。尤も他人に対してどうこうという話をまとめるつもりはなくて、少し今回のことで自分のことが見えたような気もするので。
経緯を簡単に話せば、先日さださんが「30歳以下の方(自称の方含む)のためのコンサート」をやって、そのことであれこれ意見があったという次第。はい、そこのさださんに興味のない方、もうこれ以降は読まなくていいよ。わかんない世界の話だから。
まあ、久しぶりにぬたりはツイッターで意見を述べたわけだが、まあ、確かに暴走気味だったし悪し様に言いすぎたきらいはあるかもしれないね。そうは言っても正直な意見なんで撤回する気もないけど。
ツイッターの文章を書きながらつくづく思ったのは、ぬたりは最近、感覚がいわゆる「信者さん」に寄りつつあるなあ、という事。言ってみればさださんが行うことに「やっぱこいつは面白いわ」と気楽に話についていけてる自分がある。まあ、そのことにあまり金を落とさないのでえらそうに言えるわけでもないんだが。
これは、ぬたりがさださんから意図的に離れたことと無縁の話ではない。かつてさださんべったりだったとき、自分のファンとしての姿勢とさださんの考え方や行動へのギャップに悩んで、いっそのことってんでCDやライブのチェックも止めて、少し離れてさださんを見てみることにした。そんな感じでしばらくすると「色々と違うと思うことはあるけれども、やっぱりさださんって面白いわ」と思うようになってきた。それと同時に「趣味の一つを楽しむのに、わざわざ悩みの種を蒔くなんて数年前の俺ってバカだったなあ」という気持ちにもなった。
それ故に、さださんのやることに最近は気楽に「おお、相変わらずやってんなあ。愛い奴よのう」と見られるわけで、今回の、30歳以下の方(自称の方含む)のためのコンサートも「おお、相変わらずの冒険だぜ」と割と楽しく見ていた(チケットを買いはしなかったがね)。
要するに最近ぬたりは、さださんの行動を「肯定しようとする気持ち」が強い。そのほうが傍目で見ている分には気楽で面白いからね。この「肯定しようとする気持ち」は信者さんのそれとベクトル的には同じなんじゃないかなあ、と。
今回の件もそう。「30歳以下も何も、主催者が自称もOKと公式に言っている以上、来場者が不満を言う行為は正常」と言う意見は実際正しいと思う。その意見に異を唱えたぬたりは、確かにちょっとやり過ぎかもしれない。けれども「自称もOKというのはあくまで営業上の都合でやむを得ず、という形だろう」と言う風に肩を持っちゃう時点で意見的には信者さんのそれにかなり近い。そこを考え方の土台にすれば「そう言う風にやむを得ず入場を認められた人は、それ相応の覚悟があってもいいんじゃない(つーか、俺ならする)」という風に考えは行きつくわけでね。
そんな感じで、さださんとの距離感にしばらく悩んで、試行錯誤の後、さださんを気楽にとらえられるようになったぬたりとすると、今回の意見は「俺にも出来たんだから、あなたももっと気楽にさださんを楽しんだら?」と言う気持ちと「過去の俺の恥ずべき所業を思い出させるんじゃねえ!」という形で、若干暴走気味ではありましたね。暴走と言っても、偽らざる本心なので撤回する気はないですけどね。暴走気味だったのには他にも理由があるんですが、まあこれは語るまいよ(おい)
何にせよ、数年前に比べれば、気楽にさださんと向き合うことが出来るのは確かでね。次回作あたりはホントにオリジナルアルバム買おうかな? ダウンロードで買えば少しは安いんだろうけど、あのオッサン、ライナーノーツにも凝るんでCD買わなきゃいけないのがアレなんだけどなあ。
経緯を簡単に話せば、先日さださんが「30歳以下の方(自称の方含む)のためのコンサート」をやって、そのことであれこれ意見があったという次第。はい、そこのさださんに興味のない方、もうこれ以降は読まなくていいよ。わかんない世界の話だから。
まあ、久しぶりにぬたりはツイッターで意見を述べたわけだが、まあ、確かに暴走気味だったし悪し様に言いすぎたきらいはあるかもしれないね。そうは言っても正直な意見なんで撤回する気もないけど。
ツイッターの文章を書きながらつくづく思ったのは、ぬたりは最近、感覚がいわゆる「信者さん」に寄りつつあるなあ、という事。言ってみればさださんが行うことに「やっぱこいつは面白いわ」と気楽に話についていけてる自分がある。まあ、そのことにあまり金を落とさないのでえらそうに言えるわけでもないんだが。
これは、ぬたりがさださんから意図的に離れたことと無縁の話ではない。かつてさださんべったりだったとき、自分のファンとしての姿勢とさださんの考え方や行動へのギャップに悩んで、いっそのことってんでCDやライブのチェックも止めて、少し離れてさださんを見てみることにした。そんな感じでしばらくすると「色々と違うと思うことはあるけれども、やっぱりさださんって面白いわ」と思うようになってきた。それと同時に「趣味の一つを楽しむのに、わざわざ悩みの種を蒔くなんて数年前の俺ってバカだったなあ」という気持ちにもなった。
それ故に、さださんのやることに最近は気楽に「おお、相変わらずやってんなあ。愛い奴よのう」と見られるわけで、今回の、30歳以下の方(自称の方含む)のためのコンサートも「おお、相変わらずの冒険だぜ」と割と楽しく見ていた(チケットを買いはしなかったがね)。
要するに最近ぬたりは、さださんの行動を「肯定しようとする気持ち」が強い。そのほうが傍目で見ている分には気楽で面白いからね。この「肯定しようとする気持ち」は信者さんのそれとベクトル的には同じなんじゃないかなあ、と。
今回の件もそう。「30歳以下も何も、主催者が自称もOKと公式に言っている以上、来場者が不満を言う行為は正常」と言う意見は実際正しいと思う。その意見に異を唱えたぬたりは、確かにちょっとやり過ぎかもしれない。けれども「自称もOKというのはあくまで営業上の都合でやむを得ず、という形だろう」と言う風に肩を持っちゃう時点で意見的には信者さんのそれにかなり近い。そこを考え方の土台にすれば「そう言う風にやむを得ず入場を認められた人は、それ相応の覚悟があってもいいんじゃない(つーか、俺ならする)」という風に考えは行きつくわけでね。
そんな感じで、さださんとの距離感にしばらく悩んで、試行錯誤の後、さださんを気楽にとらえられるようになったぬたりとすると、今回の意見は「俺にも出来たんだから、あなたももっと気楽にさださんを楽しんだら?」と言う気持ちと「過去の俺の恥ずべき所業を思い出させるんじゃねえ!」という形で、若干暴走気味ではありましたね。暴走と言っても、偽らざる本心なので撤回する気はないですけどね。暴走気味だったのには他にも理由があるんですが、まあこれは語るまいよ(おい)
何にせよ、数年前に比べれば、気楽にさださんと向き合うことが出来るのは確かでね。次回作あたりはホントにオリジナルアルバム買おうかな? ダウンロードで買えば少しは安いんだろうけど、あのオッサン、ライナーノーツにも凝るんでCD買わなきゃいけないのがアレなんだけどなあ。
私もさださんから離れてるから、30歳以下のためのコンサートと聞いて、若い人だけが楽しめるものだと思っていましたよ♪
情報がないから、というかさださん情報を気にしてないからね。
そしたら、あれー?お仲間のみなさんが行ってる~と不思議に思ったわけで…(^_^;)
自称なら行く人は行くよね!
でも、もし普段チケットがとれなくてコンサートに行けない30歳以下の人がいれば、そっち優先にしてあげたいと思うけど。
実際のところ、チケットが余ったのかとかという情報も入らないので知りませんが(笑)
元の企画意図は「若い人にも聞いてもらいたい」だったとは思うんですが、そこを「いや、それじゃ客入んないし」と自称まで話を広げた人の功罪と功績相半ばってとこですかね。
今でもまだ完売じゃないみたいですよ。
だからと言う事情で自称を認めたのだろうと思いますが、認める前から、「絶対に行く!」と張り切っているファンをみて、私は田舎者でこんなライブハウス行ったこともなくキャパも知らずにそれは違うんじゃない?と思っていました。
ここは譲ろうよ!と
でも大きすぎるようでした。
若者と本当に向かい合いたいんだったら、かつて30才以上の為のコンサートをやったように、きっちりと30才以上は入れないという風にするべきだと思ったのです。
その結果ガラガラでも良いじゃないかと。
少なくても真正面から向き合うべきだと。
でもそんなこと大人の事情が許しませんよね。
しかも若旦那呼んで、盛り上げに力借りてるみたいなのがピューリタンとしては不満です。
さだまさしの偉大な力で勝負して欲しかった。
サプライズではなく、名古屋も、大阪も出るのですから
結果、若者に伝えたいことを伝えるのではなく単なるイベントの一つになっちゃった様に思います。
私はチャリティーコンサートも「長崎から 東北へ」と言うのなら、何故武道館でやるのか!聖地稲佐山でやるべきだと思う人なので・・・・・(意見には・・・・)
さださんの意図が読み取れなくなってきました。
ただ若者集めて盛り上がりたかっただけでは無いはずです。
まあ、仰るとおり功罪半々ならばこういうやり方の中からでもちゃんと若者にさだまさしが伝わっているかもしれませんね。伝わる人には伝わるし、伝わらない人にはいくら頑張っても伝わりませんからね。
信者ばかりが多数集まるだけでは違うなあと思っているわけです。
、
まあきっちり30歳以下に出来ない辺りも「歳を重ねる」という事なのかなあ、と。さださん本人も企画スタッフの皆さんも。どうしたって、会社の経営とか考えなきゃいけない立場と年だから、そんな無茶苦茶な冒険はやりたくてもできないんじゃないかと。最大限の妥協点だったんじゃないですかね? こう言っては何ですが、チケットが余っているのはむしろ良いことかと。行きたい人はみんな行ける、ってことだから、30歳以上が30歳以下を締めだしてしまう事態は避けられるってことですからね。可能性は低いですが、実際に足を運んだ30歳以下の方が興味を持ってもらうように願うしかないですね。そういう意味では、可能性はわずかでもやる意義はあるんじゃないかと。
今年のチャリティーが武道館なのは言われて今知りましたが、これも収益性のためでしょうね。募金を積めるためなんだからそれは正しいとは思いますが、やるんなら名前変えればいいのになあ。稲佐山でやるってだけで、有料なのに「長崎から」を匂わす、ってのは100歩譲って集客には効果あったと思うけど、その肝心の「長崎から東北へ」は2回しかやってなくて、ネームバリューもそんなにないから、名前引き継いでもあんまり意味はないと思うけどもなあ。
まあ、脇が甘いのは昔から変わらず、って感じてるのが偽らざるぬたりの心境ですね。あの人とその周りのやることって、昔からそうなんだもんなあ。
その「無いものねだり」の信者の閉塞感が嫌なんで、たぶん私はさだ本人はまだしも、ファンや信者は大嫌い、さだの周辺ワールドの雰囲気が大嫌い、なんだろうなあと。
ああ、例によって意見には個人差が(略
閉塞感は、確かに今のさださんの世界に触れると、どうしても鼻にはつくんですが、ぬたりはたまにさださんの世界に触れる程度、って感じですから、その閉塞感もため息ひとつつけばやり過ごせる範囲内ですね。「今のところ」。
「お前なら出来るのに、なんで大人の事情に流されるんだこの野郎!」と言える方が、さださんを高く評価してることにはなるのかな。
若い人にも聞いてほしいという気持ちは
わかる気がします。
NHKの若者限定のライブにも
若者以外が潜っていたけど
結構濃い内容だったし、20年以上経っても
そのライブにいた若者は
さだまさしのことや、歌われた歌を忘れないと思います。
その場所にいた方は、そういう貴重なチャンスを
奪っちゃった訳です。
さだまさしの意向はどうでも良くて
あたし、あたし
っていう人はミーハーなだけで
本当にファンなのかな。
私は、もー、ファンじゃないけど
おい)
私が私が、と出る姿勢は傍目には確かに見苦しいですけども、ファンとしてのあり方は人それぞれですからねえ。あんまり他人がどうこうは言えない部分もあるんですが、まあ、空気だけは読んでほしいですわ。はい。