九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

安倍政権は「戦前」のはじまり      らくせき

2015年01月10日 09時39分14秒 | Weblog
何事にも始まりはあります。
先の戦争体験をもとに平和を大切にしてきた自民党政権。
今は転換点にきています。
それが「積極的平和」という平和の顔をかむっている点が
かろうじてイチジクの葉の役割をはたしています。

安倍政治の本質は沖縄県知事に対する態度によく表れています。
自分の気に入らないものに対する差別。
すくなくとも沖縄県民の意志を体現した人に対する非礼は政治家として失格。
「公」としての政治を「私」物化しています。





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新聞の片隅に載ったニュースから(182)   大西五郎

2015年01月09日 09時21分06秒 | Weblog
「NHK、政治家ネタ没」爆笑問題「TV局側、自粛」(15.1.8 朝日新聞)

お笑いコンビの爆笑問題が7日未明に放送されたTBSのラジオ番組「JUNK爆笑問題カーボーイ」で、NHKのお笑い番組に出演した際、事前に用意していた政治家に関するネタを局側に没にされたことを明らかにした。出演したのは3日に放送された「初笑い東西寄席2015」。爆笑問題はNHKアナウンサーとともに司会を務めた。
ラジオ番組によると、放送前に番組スタッフに対して、「ネタ見せ」をした際、政治家のネタについてすべて放送できないと判断されたという。
番組の中で田中裕二さんは「全部ダメって言うんだよな。あれは腹立ったな」と話した。大田光さんは「プロデューサーの人にもよるんだけど、自粛なんですよ。これは誤解してもらいたくないんですけど、政治的圧力は一切かかってない。テレビ局側の自粛っていうのはありますけど。問題を避けるための」と話し、田中さんは「色濃くなってるのは肌で感じるね」と応じた。
NHK広報部は朝日新聞の取材に、「放送にあたって娯楽番組の通常の打ち合わせを出演者と行ないましたが、打ち合わせの中身に関することについては、普段からお答えしていません」としている。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

自民党は安倍首相による衆議院解散の前日の11月20日に萩生田光一筆頭副幹事長(総裁特別補佐)と福井照報道局長名でNHKを含む在京テレビ局の編成局長、報道局長あてに公正な選挙報道を求める要請書を出しました。この要請書は出演者の発言回数や時間を公平にすることやテーマについても特定の出演者への意見が集中しないように公正を期すことなどを指摘しており、街頭インタビューについても偏った意見にならないようになどを求めています。
法政大学の水島宏明教授が選挙期間前後のテレビ局の報道を調査したところによりますと、今回の選挙報道では政治家の資料映像が減ったり、街頭インタビューをしない局が出るなど、申し入れが選挙報道に少なからぬ影響を与えていました(14年12月27日朝日新聞朝刊)。
またNHKでは昨年秋一部経営委員の交代が行なわれ、安倍人脈といわれる人が経営委員に就任したり、籾山勝人氏が新しい会長に就任しましたが、籾山氏は就任会見で「私の任務はボルトやナットを締め直すことだ」と述べ、「領土問題について今までの放送で十分かどうか検証したい」「国際放送では政府が右ということを左と言うわけにはいかない」と放送内容にも目を光らせることを宣言しました。
こうしたことがNHKの内部に必要以上に自粛するムードを作っていないでしょうか。
なお、この問題を報道した毎日新聞の記事では政治家のネタが取り除かれたことについて、爆笑問題が所属する事務所の太田光代社長は「NHKとの話し合いで、時間調整のためにネタの一部を落としただけだ」と話しているということですが、にわかには信じられない話です。芸能事務所としてはNHKのご機嫌を損なわないようにすることが必要だったのでしょう。
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反米保守さんへのお応え(1)  文科系

2015年01月08日 13時59分00秒 | Weblog
 反米保守さんに主として2つの事を述べたい。
 一つは、「アジア・太平洋戦争とその処理の問題に関わって」。
 もう一つは、現世界経済情勢とアベノミクスに関わる問題だ。
 まず今回は前者についてあつかい、過去エントリーを上げておく。ここに見ただけでも、これだけの国際法違反を重ねてしゃにむに「戦争?」までもって行った国が、その戦後処理についてよく国際法違反とかなんとかばかりを語れるもんだと、まず言いたい。戦勝国が裁いたとかおしつけ憲法とかはまー一応言えはするだろう。が、その前にとんでもない国際法違反を重ねた「アジア・太平洋戦争」を胸に手を当てて考えてみることが必要ではないか。でないと他国と上手く行くわけがない。アベの誤りの根源も全てここの理解に発していると思うから、今改めて過去エントリーを再掲する。なお、ここで言い足らない部分については、ここまで4回の連載を参照されたい。2010年11月15、16,17,18日に掲載してある。


【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編)
        2010年11月20日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 しゃにむに、密かに、不意打ち開戦

 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この(1941年11月)5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者(岩波新書「シリーズ日本近現代史10巻」のうち「第6巻 アジア・太平洋戦争」、第6巻の著者は吉田裕一橋大学大学院社会学研究科教授)は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
【『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』】
 

 「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく。
1「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』

2 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
 その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』 】
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琉球新報の社説      らくせき

2015年01月08日 09時40分54秒 | Weblog
安倍政権は県知事選と衆院選の県内選挙区で完敗した意味をよく理解できていないのではないか。そうとしか思えない振る舞いだ。
 サトウキビ交付金に関して県が上京中の翁長雄志知事と西川公也農相の面会を求めたのに対し、農林水産省はこれを断った。
 農水省は日程を理由としたが、農相はJA関係者の要請には応じ、自民党の地元国会議員が同行している。閣僚への面会では一般に与党議員が仲介し、知事らが同行することが多いが、翁長知事は呼ばれなかった。自民党側が排除した形だ。
 県の要請を断った農水省の対応は極めて遺憾であり、県民の代表たる知事に対する官庁の対応として問題含みだ。農相らは官邸の顔色をうかがっているのだろう。
 昨年末、就任あいさつで上京した翁長知事に対し、安倍晋三首相や菅義偉官房長官らは会わなかった。今回の対応もその延長線上にあるが、翁長知事への冷遇が県民感情をさらに悪化させている現実が首相らには分からないようだ。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を掲げて知事選で大勝した翁長氏との対話を拒むその姿勢は、その公約を支持した多くの沖縄の声を無視することにほかならない。民主主義の原点をも否定するような対応ではないか。
 安倍政権は新年度沖縄振興予算の減額を検討しているとも伝えられる。事実とすれば、基地と振興はリンクしないと強調してきた説明を自ら否定するものだ。政権方針に反対する沖縄を力で組み敷こうとする態度がにじむ。
 一方で自民党本部も、沖縄振興予算について議論する8日の沖縄振興調査会に翁長知事の出席を求めなかった。こちらも前県政時とは手のひらを返したような対応だ。
 党県連内には「衆院選でも反自民候補を支援した政敵に協力する必要はない」との声があるという。政党としての当然の論理、と言いたいようだが、政権党として、あまりに狭量な対応だ。権勢を誇示しようという思惑もちらつくが、地元益より党利党略を優先させるような対応では県民の支持は離れるだけだ。
 政権側の対話拒否について翁長知事は「あるがままの状況を県民や本土の方に見てもらい、考えてもらえればいい」と語った。安倍政権は知事冷遇への反発が広がる沖縄の民意を今こそ直視し、その非民主的な対応を恥じるべきだ。

安倍さんの一面がよくあらわれていると思います。東京の新聞は伝えていないでしょうから。






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「よたよたランナーの手記」(99) 10キロ行った  文科系

2015年01月08日 00時09分57秒 | 文芸作品
7日に30分×2回が、10キロまで行った。各30分いずれもが5キロ突破で、意外にあっさりと。念願の目標だったのだけど、意外に覚めている。間違いなく07年1月21日の西春マラソンから後では初めてのことなのに。以降は不整脈が2010年の手術までだんだん酷くなったからであり、これ以降12年秋まではランナー断念になっていたのだ。

 前半がきっかり5キロ。後半は5.03キロ。スピードメーターを見つつ、計画以上に判で押したようにきちんとやれた。最高速度はいずれも10.5キロと、そんなに無理せずにできた。ちなみに、この速度の最長15分間でも、心拍数は145~153だった。この心拍数も、走っているうちにおそらく145程度へと収束してくるはずである。73歳のこんな年寄りでも、8年ぶりの目標達成。いろいろ考えつつやれば出来るもんだと、振り返って感慨深い。これからさらにどこまで行くかと、もう先を見る気分になっているのも、自分ながら面白い。

 7日の中日新聞に、こんな記事が載っていた。
『100歳過ぎても 自立した生活を送る秘訣は』
 要約してみよう。慶応大・百寿総合研究センターが、こういう調査をしてきたという。
『調査は1992年から始め、これまでに東京都を中心に全国の百寿者八百人以上を対象に実施。面接やアンケートで生活習慣病などを聞いたほか、血液検査で健康状態もチェックした』
 その結果を要約すれば、こういうことになる。
『認知症が無く、自立した生活を送っている人は全体の2割』
『百五歳以上の人の大半は、百歳の時点で自立した生活が出来ていた』
 その他、糖尿病と動脈硬化が少ないのが特徴である。他には、肥満が禁物ということと、アディポネクチンとエイコサペンタエン酸という物質が鍵だとか。前者は脂肪細胞から分泌されると解説され、後者は青魚から摂れることで有名な物質である。
 性格的には、開放性、意志の強さ、外向性が鍵ということだった。

 べつにそれほど長生きがしたいわけではなく、僕は活動年齢をとにかく長くしたい。それで走っているとも言える。
 まーまーの体力がある高齢者には是非、当ブログ最近のこれをお読み願いたい。誰でも案外走れるようになるというのが僕の実感なのだ。走れれば、動脈硬化は心配なくなるし、糖尿病対策もばっちりである。
『「よたよたランナーの手記」(95) 走れるようになる方法(4、最終回) 2014年12月30日』
 例え走れるようにならなくとも時速7キロで30分歩けるようになれば、肥満にも健全な血管にも非常に良いのである。また、7キロで歩いていればやがてその最高心拍数がだんだん下がってきて走れるようになるというのが、73歳の僕の実体験、実感だ。歩くとか走るとかはとにかく、人間が大昔からやって来たこと。いくつになっても案外潜在力はキープしているものなのだと痛感するのである。
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「よたよたランナーの手記」(98) 「蹴り」の上達   文科系

2015年01月07日 10時40分01秒 | 文芸作品
 年末の外走りで気付き、改善を図っていた「蹴り」の強化が以降4回目にして早くも成果を現している。 10.5キロ時でもピッチが170歩で、その心拍も150近くに下がってきた。3年のブランク後に半信半疑でランニング再スタートをした12年秋には、7.5キロ時で走ってもこの心拍数だったことを振り返ると、なんか夢みたいに感じる。

 6日のジムが30分を4.5キロと5.0キロの合計9.5キロ。その最後15分ほどを10.5キロ時で楽に走っていた。蹴りを強めて走るとまだまだその筋肉が弱いと分かるのだが、それだけにこれの鍛え方次第で11キロ時30分も可能であろうかと、期待が膨らんでいる。いろんな努力や工夫の中からこんなことが見えてくる時は特に老人のスポーツも楽しさ極まりない。経験に基づいた知恵ならば、若者には負けないということだろう。

 さて、先月27日の1時間9.8キロ以降ここ4回は、力を蓄える期間と構えてきたが、そろそろ30分×2回で10キロという念願の目標に挑む時が来たようだ。プラス200メートルなのだが、4.9キロと5.1キロで達成という線が見えてきたように思う。あと1回、ちょっと長い11キロ時をやってから、この念願目標に挑もうと考えている。11キロ時の蹴りを十分体験しておけば、この挑戦でもアキレス腱を痛めないだろうと目論んでのこと。楽しみだな-!

  

 脳天気かつ頑迷な「日本美化」を通そうとする安倍政権。その強化で大変な新年になったが、今はグローバル時代、アベだって日本のことを日本だけでは決められないようにどんどんなっていく。苦闘している経済ひとつとってみても、アメリカ、EU、BRICS諸国との関係の中でしか明日は占えないからである。そしてまたいずれにせよ、世界の近い将来は日本のそれらも含めた国際金融横暴の規制無くては何も前向きには済んでいかないということも重なって来る。これは、EUが最も熱心に提起している問題だし、現物経済に頼るBRICS諸国はこれにどんどん乗っていくはずだ。つまり、日本がアメリカ流のやり方に従うだけではいずれ孤立していく。もっとも、そんな孤立に至らない布石も安倍政権はどんどん打っているはずだ。TPPを遅らせたり。ポピュリズム・ポーズ半分かも知れないが去年の春闘あたりから「内部留保で賃上げをしてくれ」と大音声していたり。麻生の「守銭奴」発言まで出て来たり。この発言、背後の財務省の半ば本音であることは確かだろう。賃金所得が増えなければ税金は決して増えないのであるから。

 こんなことから、ここの次の書評、内容要約などは是非お読み願いたい。第一が、『「アジア力の世紀」の要約と書評 2014年05月08日』。この著作はアメリカ、EU、BRICS諸国全ての近未来を見つつ日本の将来を見つめようとした労作である。ついで、最近の『米金融独占は世界の食肉、医療、穀物にも及ぶということ』全6回。これは、ドルが基軸通貨から滑り落ちそうな衰えつつあるアメリカの最後の足掻きであるが、決して上手くは行かないと確信する。今のアメリカを見れば、嘘の理由で開戦まで持っていったイラク戦争後の大混乱、惨劇からすっかり世界で信用を落としているし、貧困者が多い超格差社会に加えて、トリクルダウン説が嘘っぱちだとは世界の誰でもが分かるようになっているからだ。天網恢々疎に押して漏らさず。
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2015年元日の新聞の社説を読んで    大西五郎

2015年01月07日 09時32分39秒 | Weblog
2015年元日の新聞各紙の社説は今年が第二次世界大戦終結70周年にあたることから、日本が世界とどう向き合うべきかが論じられていました。
朝日・毎日・中日・日経は世界における歴史の流れに沿って周辺諸国とどう付き合うかを論じていますが、読売は世論調査では国民の多数が疑問を投げかけている集団的自衛権の行使推進など政権寄りの主張、産経は憲法改正を主張しています。
各紙の社説の中からポイントになると思った点を私なりに切り取ってみました。

【朝日新聞】グローバル時代の歴史 「自虐」や「自尊」を超えて

東アジアに垂れ込めた雲が晴れないのも、日本人や韓国人、中国人としての「自分」の歴史、ナショナル・ヒシトリーから離れられないからだろう。日本だけの問題ではない。むしろ隣国
はもっとこだわりが強いようにさえ見える。
しかし、ヒトとヒトとの国境を超えた交流が急速に広がりつつあるグローバル時代にふさわ
しい歴史を考えようとすれば、歴史は国の数だけあっていい、という考えに同調はできない。
自国の歴史を相対化し、グローバル・ヒストリーとして過去を振り返る。難しい挑戦だ。だ
が、節目の年にどうやって実りをもたらすか、考えていく支えにしたい。

【毎日新聞】戦後70年 日本と東アジア 脱・序列思考のすすめ

対立を繰り返してきた欧州は欧州連合(EU)を通じて「平和の制度化」に成功した。単純には比べられないが、序列よりも並立という意識を定着させた過程には、東アジアも学ぶところがあるはずだ。
国の力とは多元的なものであり、力と強さだけが尺度ではない。どの国の歴史にも文化にもそれぞれに誇るべきものがある。序列思想の呪縛から解き放たれ、互いのナショナリズムを尊重しあう東アジアを展望していく。その新たな地平を切り開くことが、本当の意味での戦後レジームからの脱却だと考える。

【中日新聞】年のはじめに考える 戦後70年のルネサンス

戦後七十年です。先の大戦を米国から強いられた「太平洋戦争」ではなく戦前の公称の「大東亜戦争」と呼ぶべきだと主張したのは日本思想史研究の故松本健一氏でした。アジア開放の自衛戦争だったからというのではありません。太平洋戦争史観では「米国との戦争に敗れた」との認識になっても「中国との侵略戦争に敗れた」との意識が希薄になってしまうからだというのです。
再三の村山談話の見直し論や日本の歴史認識が問題視されるのは戦争の呼称が影響のせいかもしれません。
戦争での新聞の痛恨事は戦争を止めるどころか翼賛報道で戦争を煽り立てたことです。その
反省に立っての新聞の戦後七十年でした。世におもねらず所信を貫いた言論人が少数でも存在
したことが支えです。
政治も経済も社会も人間のためのもの。私たちの新聞もまた国民の側に立ち、権力を監視す
る義務と「言わねばならぬこと」を主張する責務をもちます。その日々の営みが歴史の評価に
堪えるものでありたいと願っています。

【日経新聞】戦後70年の統治のかたちづくりを

米ソ冷戦が終わり、民主主義と自由主義経済によって世界はひとつになると期待された。その中心は米国で、世界は一極支配になるかにみられた。しかし経済のグローバル化がどんどん進み、米国の影響力が低下、中国が台頭して権力の移行がおこった。
中国をはじめとする挑戦者にどう向き合えばいいのだろうか。世界をうまく纏めていくための統治のかたちをいかにつくるかが焦点だ。グローバルなガバナンスの確立の問題でもある。既存の枠組みを破壊し新たなものを作るのではなく、法の支配の原則のもと国際世論を背景に今の秩序を維持し、それを強くしていくためにともに努力するよう引き入れていくしかない。
戦後70年の今年、とりわけ歴史問題への配慮が必要になる。発表を予定している首相談話
は近隣諸国との関係に影響を及ぼすだけでなく、米国をはじめ世界も注視していることを知っておくべきだ。
戦争への反省をふまえ、平和国家としての70年の歩みをあらためて確認する必要がある。
視線は過去ではなく未来に向けられていなければならない。

【読売新聞】日本の活路を切り開く年に

ようやく見えてきたデフレからの出口を再び見失うことなく、日本を再浮上の確かな起動に乗せなければならない。今年はまさに正念場である。
昨年末の衆院選で圧倒的な信任を得た安倍政権はより強固になった基盤を生かし、経済再生を最優先に、社会保障、外交・安全保障など政策課題への取組みを一段と加速させる必要がある。安倍政権は昨年、集団的自衛権行使の限定容認を閣議決定した。今年はそれを受けた安全保障法制の整備を確実に進めなければならない。平時から有事まで、切れ目のない対応を可能にしておくことが、日本の安全に不可欠だ。

【産経新聞】覚悟と決意の成熟社会に 論説委員長 樫山幸夫

安倍晋三首相は、ことし、あらたな談話を発し、世界にどう貢献していくか、構想を示すという。その選択の幅は拾いだろうが、キーワードは「自立」「自助」であるべきだ。
なぜ「自立」と「自助」か。国民の覚悟と決意と同義だからだ。これなくして難問の解決はできないにもかかわらず、今日の日本に欠けているようにみえる。依存心、甘えは国力劣化の原因である。
他者依存をさかのぼれば畢竟、日本国憲法に行き着く。
その前文は「われらの安全と生存」を「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」保持する決意を披瀝している。平和を乱し、不公正で信義なき振る舞いをする国など存在しないというのか。わが国の周りを見回しただけでも的外れであることがわかる。国の守りすら他者依存では自助の精神を育むことなど不可能だろう。
「自立と自助の国」をめざすには、憲法の改正こそが必要だ。








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Unknown(義経)さんへ     大西 五郎

2015年01月07日 09時30分05秒 | Weblog

核兵器関連企業と金融取引を批判した私のコメントにたいする反論を拝見しました。
Unknown(義経)さんは日本も核武装すべきだと主張なさるのでしょうか。それには全く同調できません。日本人の多くの方がサッチャーの主張を金科玉条にはしていないと思います。
それから「正論を読んでいる人には常識だと思うが」とありますが、産経新聞が発行している雑誌『正論』は右翼的主張ばかりが盛り込まれた月刊誌です。かつて田母神氏が「日本は侵略国家だったのか」という政府見解(村山談話など)と異なる主張の論文をアパグループの藤誠志賞に応募したことを咎められて航空自衛隊幕僚長を解任された以後、各種雑誌などに自説を発表していたため、産経新聞発行の雑誌「正論」2009年3月号で「やむにやまれぬ『防人』の思い」という論文を読んだことがあります。彼は日本が侵略戦争をしたと言われることはないという信念から、国を守る自衛官として村山談話では外国から侮られるということを言ったまでだと主張していました。またこの同じ号では「村山談話に押し潰される国防の士気」という陸・海・空三自衛隊の幹部の座談会も掲載されていましたが、「少なくとも国防を預かる自衛官としては、間違った認識とは思っていない。村山談話と異なるというけれども、村山談話では戦えませんから。他国が攻めてきた時、日本軍もひどいことをやったからなあーなんて言っていたら国を守れません」(陸自)「村山談話のような考え方をしている自衛官なんて、まずいませんよ」(海自)「『不戦の決意』とは、つまり銃を捨てるということでしょう。そんな思想を持つ軍隊など世界中どこを探したってありません」(空自)などの発言が並んでいました。
また同じような右翼的な主張を特色としている「WiLL」という雑誌の6月号に田母神氏は「北朝鮮には核で対抗せよ」という論文を発表しています。そこで田母神氏は「攻撃と防御を共に供えよ」「敵地攻撃できない呪縛」「日本も核シェアリングを」(アメリカと核を共有せよ)と主張しています。
田母神問題を調べていて、ここまできて、もうこのような雑誌は定期的に読む必要はないと思い、以後は新聞に載る広告で右翼がどんな主張をしているかを知るために、必要を感じたものだけを読むようにしていますが、義経さんたちネトウヨと言われる人たちは愛読しているこのような雑誌に載った主張を自分の主張として取り込んでいるように思いました。「正論」や「Will」以外の雑誌にも目を通したほうがいいと思いますよ。
「核保有国は同義に反しているから国交断絶すべきだ投書を送ったら」とも言われましたが、私はそのような短絡的な考え方をしません。核保有国に向って「核を捨てろ」と主張しますが、世界では今核廃絶のために諸国が集まって会議をしています。核保有国の利害がからむので、一致した結論をだすのに難航しているようですが、諦めずに会議を続行しています。こういう状況では核保有国も核を使用しずらいでしょう。各保有国と国交を断絶せよというのは勇ましいですが、それよりも国際世論で核保有国に核を使用できなくする状況をつくることの方を選びたいと思います。

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琉球新報より    らくせき

2015年01月06日 10時23分24秒 | Weblog
県商工会議所連合会など県内31の経済団体は5日夜、那覇市のANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービューで合同新年宴会を開いた。約650人が参加。観光産業やアジアの物流拠点としての発展に期待を示し、各団体や昨年12月に誕生した翁長雄志知事との連携による自立経済確立へ決意を新たにした。
 代表であいさつした県商工会議所連合会の国場幸一会長は、鉄軌道の導入について「一丸となり(政府に)提案するのが経済界の責務だ」と強調。21世紀ビジョンの推進による地域経済の発展を掲げ、「『オール沖縄』でこれらのテーマにまい進する」と力を込めた。
 翁長知事は「沖縄が日本経済の『フロントランナー』として日本とアジアの懸け橋になるため、魅力になるのが沖縄の自然、歴史、伝統、文化だ。経済戦略構想を有機的につなげていく」と述べ、「『オール沖縄』は政治だけでない。経済分野でも力を合わせ、しっかりと沖縄を発展させていく」と話した。

とても元気のある沖縄の経済人たちですね。地方創生にピッタリ。安倍さんは財政的に支援するのかな?



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「よたよたランナーの手記」(97) 「蹴り」の衰え発見  文科系

2015年01月05日 12時27分20秒 | 文芸作品
 30分2回で、25日に9.7キロになって、27日には9.8キロまで来た。前回ここまで書いたが、以降はジム休業があってこう走った。
 30日には大掃除の合間に戸外を7キロ弱、2日に同じく8キロ弱、そして4日に始まったジムで3回に分けて80分で計12キロほど。久し振りにやった外走りをきっかけにして、いろんな事に気付いた。

 先ず、蹴り足が弱くなっている。ランニングマシンばかりで走っていると、どうもそうなるのではないか。よくアキレス腱を痛めるようになっていたのもそのせいかもしれない。つまり、蹴り足が弱っているのに強く蹴る時もあり、そんな時にアキレス腱を痛める。それでこんな実験を試みてみた。
 4日のジム走りでちょっと蹴りを入れて歩幅をやや大きくしてみた。やはりすぐにアキレス腱に来たので、疑問が確信に変わった。逆に考えれば、こうなる。蹴る筋肉を強化すれば、マシンでも戸外でもちょっと速くなるのではないかと。4日は、そのようにいろいろに頑張ってみた結果が、合計12キロというわけだ。蹴りに神経を集中させて、これを強めたり弱めたり。また、それでちゃんと蹴っても足首に疲れが来ない方法をいろいろと探ってみた。前脚の着地時間を少なくしつつ、腿で走るようにしたら多少楽になった。もちろん歩幅を少なくする(ピッチ数は多くなる)のも効果があった。

 戸外はスピードが分からないが、大体心拍135~145で走ったから、時速はほとんど9キロ台だろう。4日は10.5キロ時で10分ほど走った。その心拍数は150~155である。問題の蹴りを強くしても心拍数が増えないのは、蹴る筋肉が太い物ではないからだろうと、やや安心した。蹴りを強くすれば10キロマラソンで57分ほどにはなれるのではないか。ただ無理はしたくないから、そんなことを夢として持っておこうという心境である。


 正月に子どもやテレビに集中的に接したら、世間が分かるようだった。随分時代が変わっている。どういうか、何か非常にデジタルというか、空想の世界に生きているような。例えて言えば同じ遊園地でも、ディズニーランドと長島遊園の違いのような。今の子どもは「実物」、「自然」にどんどん弱くなっているのではないか。上の僕のようなランニング生活なんて、多分多くのオタクの中の一種にしか見られないだろうなどと考え込んでいた。ランニングは生活にとって限りない意味があるはずだがとも。若者が気にしていることで言えば最高の全身美容法だし、身体が軽い若々しさの秘訣。将来に備えては、コレステロールにも糖尿病にもなど血管の若さの秘訣でもある。こういう生活に重大な意味のあることと単なるオタクとの区別、ちょっと面白い。
 でもまー、空想の世界に生きているような若者も、リアル世界の意味は知っているのだ。「リア・ジュウ」という言葉があるらしいから。「リアル(な生活)が充実している」という意味らしい。また、でもまー、「リアジュウ」などという言葉があること自身が現代社会らしいと、苦笑いしていたものだ。
 また、携帯やツイッターで多くの人々と話すのは良いことだと思うが、人間交流の中で相手自身を目の前にしていない言葉だけの「ツキアイ」は、交流効果としては4割程度という理論がある。つまり、本物の交流ではないということだ。子どもや孫を見ているといろいろ心配になるが、いつの新時代も是非両様の側面があるということに過ぎないとも愚考していた。ただ、ますます社会性が欠けていることは確かだろう。ポピュリズムに流されやすいということだ。ヒトラーの時代を想起させると、「ヒトラー=アベ路線」と述べるがごとき問題提起をした新春のサンデーモーニングが世を騒がせているようだが。
 日米独など先進国政府が率先して政府資金でもって株だけを上げる「好景気」なんて、世界の大企業も含めて利潤率がとことん低下してからもう40年近く経ったこの大恐慌時代に何の実質的好影響も与え得ないことは確かである。南欧諸国など3割とかの失業者も、日本の非正規労働者の群れも、当分どうしようもないということだ。このケインズ経済学が重視した有効需要が徹底して無くなったからこそ企業が労働力を値切るだけになった世界は、一体どこへ行くのだろうか。
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世界各国飢餓率の改善   文科系

2015年01月03日 15時54分04秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 「ハンガーマップ」というものをご存知だろうか。国連世界食糧計画(WFP)が、世界の「飢餓率」を地図化した物だ。飢餓率というのは、健康を維持するのに必要な一定のエネルギー以下しか摂れない栄養不足人口割合。それを国によって最悪(35%以上)から最良(2.5%未満)まで5段階に分けて、色分けした世界地図が、ハンガーマップだ。確か今年15年が、質的前進のための計画目標年に当たるはずだ。この両率間にはあと、2.5~5%、5~20%、20~35%という基準がある。それぞれの境目は上の方に入っているらしい。

 さて、手元ファイルにあったその2004年版をにらめっこしていて連れ合いに見せたら、「最新版を探しなよ」と言う。早速検索していたら2013年版というのが見つかって、2011年から13年にかけてまとめた物とあった。そして、04年と13年の内容比較をしてみたら、ちょっとは明るい気持になれたので、その紹介をしたい。

 アフリカ諸国が圧倒的に悪いが、軒並み向上していると分かる。ニジェール、アンゴラなどはその典型であって、前者は最悪から5%未満へと3段階も、後者は同2段階とそれぞれ特進している。この後者と同じ最悪からの2階級特進には、他の大陸でバングラ、モンゴルなどが入っている。これらの国は、この間の政権つまり為政者も良かったのだろう。ベネズエラは20%以上という次悪から、2.5%未満の最良へと上がっている。やはり、チャベスは偉い。石油の富をアメリカに盗られないで人民に分けたのだろう。
 これらの数字やアフリカの全体的改善の背後に、どれだけ多くの人々の健康と笑顔が生まれたかと想像したら、暖かい気分になれた。この食糧計画で活躍してきた国連職員などに心から感謝したい。

 他方、まだ35%以上という最悪国がこれだけあった。エチオピア、エリトリア、ザンビア、モザンビーク、ブルンジである。2004年マップにごく少数見られた他大陸の最貧国モンゴル、カンボジアなどが改善されたのも嬉しいことだったが、04年に最悪国だったアフガニスタンのデータ不足(不明)が大変気になった。
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米金融独占は世界の食肉、医療、穀物にも及ぶということ(6)  文科系

2015年01月02日 11時44分14秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 こんな話ばかりを書いていると自分ながら嫌になってくる。しかしながら、それが世界の現実ならばそこをよく見つめることから出発するしかない。食肉1回、医療4回の次は農業独占なのだがその典型的やり口を戦後のイラクに見ることが出来る。同じやり口がアメリカ国内を統一してから世界中に広がったそのやり方である。

【 アメリカがイラク農業を支配した手口  

 これは、岩波新書、堤未果著「(株)貧困大国アメリカ」の部分的要約である。標題の手口と、イラクが多国籍アグリビジネス大独占企業の食料輸出基地に統合されていった経過を描いている。もちろん、TPPなどで問題になっている知的財産権の法律(というよりも、国内法に優先する連合国暫定当局命令。04年4月に100のそれが発布された)が強力な武器として活用されてきたという経過も存在する。

 事態はこんな情勢から始まった。戦争がやっと落ち着きかけた頃、連合国暫定当局が「さー農業を始めよう」、「イラクに強い農業を」と大いに呼びかけ始める。そして、これに呼応してきたイラク農家に、アメリカ国際開発庁から送られてきた種子と農薬を、補助金つきで無料提供し始めたのである。最大主力農産品である小麦、大麦、豆類などの穀物に遺伝子組み換え種子が当てられているところが味噌なのだ。それには例えば、こういうライセンス契約が付いているのである。

『・自分の農家で採れた種子を翌年使用することは禁止
 ・毎年種子はモンサント社から購入
 ・農薬は必ずモンサント社から買う
 ・毎年ライセンス料をモンサント社に払う
 ・何かトラブルが起きた際はその内容を他者に漏洩しない
 ・契約後三年は、モンサント社の私設警察による農場立ち入りを許可する』

 なお、このライセンス契約は、連合国暫定当局命令81号という「法律」によってバックアップされた保証付きという代物である。この81号の呼び名はこういうものだ。「特許・工業デザイン・未公開情報・集積回路・植物品種法」。これまでのイラクには植物、生命体に特許をつける発想などどこにもなかったのであって、遺伝子組み換え種子が国中を席巻していったのは言うまでもない。なお、イラクそれぞれの土地にあった伝来の多様な伝統的穀物種子バンクはほとんど破壊されてしまったとも書いてあった。唯一の例外を除いて。
『フセインの時代の農務大臣が、緊急用にシリアの都市アレッポ国際乾燥地農業研究センターに預けていた一部の種子以外、種子バンクに保存されていたイラクの貴重な種子は全て破壊されたのです』


 同所156頁の文章をまとめに変える。

『1970年代の終わりから多くの政府高官や企業群が掲げた「食糧は武器だ」というアメリカ政府の主張は、この間ずっとぶれることがなかった。食糧供給の企業所有を国内で完成させた後は、諸外国に「民主主義」「強い農業」「財政再建」「人道支援」などを理由に介入、集約させた広い農地で輸出用GM(遺伝子組込)作物の大規模単一栽培を導入させ、現地の小規模農民を追い出した後は、株式会社アメリカが動かしていく。インドやイラク、アルゼンチン、ブラジル、オーストラリアなど、その勢いはとどまるところを知らなかった』

 お隣の韓国の場合も見ておこう。同じく、同159頁である。
『2012年3月に施行された米韓FTA(二国間自由貿易協定)は、施行後の手間を省くために、米国政府が交渉開始の前段階で、「食」「GM作物」「製薬」というNAFTA(北米自由貿易協定ー文科系)で最重要視された三項目に関する事前条件を、韓国側にのませておいた。
(1)アメリカで科学的安全性が認められたGM食品は無条件で受け入れる。
(2)韓国の国民皆保険が適用されない株式会社経営の病院の参入を認める。
(3)米国産牛肉の輸入条件を緩和する』

 このシリーズはこれで終わりとします。 
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米金融独占は世界の食肉、医療、穀物にも及ぶということ(5)  文科系

2015年01月01日 10時28分13秒 | Weblog
最初に食肉独占の有り様を書いて、次の医療がこれで4回目の最終回です。前回に引き続いて「医療貧困の構造」の2回目。

【 凄まじい米医療制度  その4 医療貧困の構造②   文科系

 はじめに、この本(堤未果著作「貧困大国アメリカ」)この章の冒頭と、終わりに近いある部分とを抜粋する。ここに、こういう独占(価格など)の構造がまとめられているからだ。重ねて強調するが、TPPは医薬品を含む医療の比重がとても大きい。人を破産させるまで、人生に文字通り必要な物は必要だからである。穀物、食肉も同じ理屈だ。そういうもので今や、金融独占が進んでいくのだ。

『80年代以降、新自由主義の流れが主流になるにつれて、アメリカの公的医療も徐々に縮小されていった。・・・そのため政府は「自己責任」という言葉の下に国民の自己負担率を拡大させ、「自由診療」という保険外診療を増やしていった。自己負担が増えて医療費が家計を圧迫し始めると、民間の医療保険に入る国民が増えていき、保険会社の市場は拡大して利益は上昇していく。保険外診療範囲が拡大したことで製薬会社や医療機器の会社も儲かり始め、医療改革は大企業を潤わせ経済を活性化するという政府の目的にそっていたかのようにみえた』(64頁)

『アメリカ医療制度の最大の問題点は、これまでも見てきたように増加する無保険者の存在だ。医療保険未加入者の数は2007年の時点で4,700万人、この数は毎年増え続け、2010年までには5,200万人を超えると予想されている。無保険者が増え続ける最も大きな理由は、市場原理導入の結果、医療保険が低リスク者用低額保険と病人用高額保険に二分されてしまったことだ。ウォールストリートの投資分析家たちは、医療損失が85%を超えると配当が期待できないとし、投資対象としての保険会社に対して医療損失が80%以下であることを期待する。投資家たちから見離され株価が低下することを最も恐れる保険会社は、医療損失を減らすためになるべく病人を保険に加入させないようにする』(90~91頁)

 これまで見た通りに、すべての病院が医療保険会社にその死命を握られて、世界一巨大な病院系列は自身も医療保険部門を持ち、その保険部門とともに栄えてきたのだが、その医療保険会社が実はニューヨークの投資家たちに支配されているに等しいのである。世界的不景気のため日本の4大銀行でさえ「国債以外には、良い投資先がない」と嘆く今、独占的産業は投資家にとっておんぶに抱っこしてでも育て上げたい部門だろう。それが人々の生活必需品産業ならば、なおさらのことである。こうしてちょっと前までは、低所得者住宅(サブプライム対象住宅)バブルが、その証券化商品販売含みで、ギリシャスペインなどでもと世界的に無理矢理創出されていったのだったが、昔から今でも、穀物、畜産、石油、そして医療。ここで、前回までにこう述べてきたことを思い出していただきたい。
『全米294市中166市それぞれに、50%以上のシェアを誇る(民間)医療保険会社が存在する』

 世界の人々の生活必需品産業を世界独占的に握る。そうすれば、その品質(低所得者用の安い粗悪品生産も含む。昔の20数倍も重い鶏とか)も値段も自由自在である。それがニューヨーク投資家たちの夢の世界なのである。TPPのようにそんな活動をいったん許したら、これを制御できる国家など多分存在しない。丁度アメリカ大統領でさえがこれに対して何も出来ず、膨大かつ極貧の無保険被扶助者だけを押しつけられたように。これを規制することが可能なのはおそらく、将来の国連だけだろう。まともな穀物や医療の世界から貧者を追い出すような動きは、戦争違法化の流れを国連の前身が創り出したように、いつかどこかで必ず阻止出来る日が来ると確信する。

『しかし、(アメリカの)製薬、保険など産業界は「十分な成果が得られないのに妥結を急ぐべきではない」などと主張。・・・フロマン代表は交渉で強硬姿勢をとり続けるしかなくなった』
 これは、TPP交渉越年をめぐる本日(13年12月11日)の中日新聞3面の半分を使った報道の重要な一節である。世界中の命が、アメリカのように扱われようになるか否かという問題である。病気をギリギリまで我慢してから、救急車で病院に担ぎ込まれる無保険貧者たちの群れ! 





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新年明けましておめでとうございます。   らくせき

2015年01月01日 09時09分22秒 | Weblog
いよいよ2015年。
名古屋は雪ちらちら。お日様も顔を見せています。
寒いです。
9条の命運を決める一年になるのか?

正規。非正規。完全にふたつの階層に分かれた日本。
分けた人たちが政治の舵を握っています。

この日本丸の行方は非正規の人達の政治的動向に・・・
さらに右に曲がっていくのか?

この小さなブログの役割も小さくないと言えるでしょう。
今年もよろしくお願いします。
   

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