九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その5     千里眼

2006年10月23日 22時58分26秒 | Weblog
 今回は、中西輝政氏の「ロシア革命から現代まで-新冷戦史観を確立せよ」(雑誌「正論」2006年9月号)を取り上げる。続いて、次回に同氏編の「『日本核武装』の論点-国家存立の危機を生き抜く道」(PHP研究所, 2006年)を取り上げる。
 中西氏は、京都大学、ケンブリッジ大学を卒業し、現在、彼は国際政治学・政治史を専門にする京都大学大学院教授である。
彼は、2003年に全ての言論活動を対象にして第18回正論大賞を受賞している。安部首相のブレーンと目されているし、さらに2流・3流の保守系論客からも一目おかれている。
 それもあって、私は彼を保守系論客最強の論客であると思っていた。しかし、彼の著作や論文を読むと、最強の論客ではなく、最大のとんでもないデマゴーグであると私は思った。

 政治的中立を基準にして編纂されている百科辞典「ウィキペディア」で中西輝政氏の項を開くと、次のように記載されている。「親米保守の代表的論客の一人。グローバル化が進展する今日にあって国家という枠組みは依然健在であるとの考えから、『押し返す保守による日本の再生』を主張する。さらに「『阪神大震災の際、倒壊家屋から北朝鮮の武器庫が多数発見された』、『2002年の小泉訪朝の際、随行員を排除して小泉純一郎首相と金正日総書記だけが密談する空白の10分間」が存在した』、『張作霖爆殺事件は旧ソ連・コミンテルンによる犯行だった』、『少子化を憂う必要はない、格差社会が広がりコンドームを買えない貧困層が増えれば子どもはすぐ増える』等、典拠が明確でなく、物議をかもした発言も少なくない」と記載している。
「ウィキペディア」ではその記述がどの論文のものか、その出典は記載していないが、彼が抗議していないところを見ると、これは実際の彼の文章であると思われる。

 「ある」ものを「ない」と論述されたばあい、それを否定することはできる。存在したのであるから、いろいろな形で史料・資料が存在するからである。ところが、「ない」ものを「ある」と論述された場合、「ない」と証明することは極めて困難である。存在しないのであるから、存在するという史料・資料がどこにも存在しないからである。
 中西輝政氏はこの「ない」ものを「ある」と論述する手法を多用する。これが彼の論文の特徴である。誰しもあまりのひどさに怒りを感じ、批判しようとしても中西論文の場合には手間と暇がかかるのである。
                                               パターン8.「ない」を「ある」とするレトリック

 では、前記の論文からその事例を次にしめす。ありあまるほどあるので、その選択に逆に苦労する。学者であるなら、その論拠・史料・出典を明らかにして論述するべきであるが、彼はこの手の論文の場合一切そうしたことはせず、書きっぱなしである。

・「北爆に向かうアメリカ軍機を打ち落としていたのは中国のミサイル部隊であり、前線の指揮を執ったり戦車部隊を組織して運用したりしていたのも中国軍将校だった」)
 ここまで中国軍が介入した事実はないのに、彼は平気でこのように論述する。
・「大正末期から昭和初期にドイツに留学したり、東大に『委託学生』として入学したりした陸軍の軍人らが共産主義・社会主義の洗礼を受け、やはり昭和十年代に陸軍統制派として力をふるうようになった」 「当然、ソ連・中国共産党の工作はそこを突いてきた」
 マルクス主義の影響を受けた日本の革新官僚がソ連を手本に経済統制を進めたという論述のあとに、この文章が続く。陸軍の統制派が共産主義の洗礼を受けていたという荒唐無稽な珍説を始めて見た。
・「1930年、上海に入稿した日本の軍艦の水兵に同文書院の学生たちが『共産党バンザイ』『日本帝国主義打倒』というビラを撒いた事件があった。それを指揮したのが、‥‥中西功と、西里龍夫‥‥。彼らはすでに中共中央と秘密裏に提携していた朝日新聞・上海支局員、尾崎秀実の指揮下にあった」
 尾崎秀実が中国共産党中央と提携していたという事実はどこを探してもみつからないであろう。さらにビラを撒いたとされている中西功を尾崎が指揮していたというのもありえない。
・「共産主義者であることを隠し、『中国問題専門家』として近衛文麿内閣のブレーンとなった尾崎の役割は今日想像されるよりもはるかに大きいものがあった。彼の言論によって陸軍も漢口攻略など事変拡大論にまとまっていったし、‥‥対米戦争という悲劇の回路に尾崎は大きな役割を果たした」 
 これも荒唐無稽な論理である。尾崎の言論が陸軍の戦争拡大に影響を与えたことなどありえない。 
・「しかし、何と言っても『日本の敵』の真打は、ハーバート・ノーマンであろう。カナダ外交官で、戦前から終戦後にかけて『知日派学者』として名を馳せたノーマンは、マルクス主義者であり、ほぼ間違いなくコミンテルン工作員であった」
「マッカッサーの初期の日本占領方針が左傾化したのは、‥‥らのニューディーラーだけでなく、コミンテルン工作員として断罪されているノーマンの影響もあったはずである」
 私は学生時代に、ノーマンの著書「日本における近代国家の成立」を読んだが、決してマルクス主義者ではない。ノーマンがコミンテルンの工作員であったという証拠はどこを探しても見つかるはずがない。最初は「ほぼ間違いなく」と断定は避けていたのに、二度目に触れるときには、「コミンテルン工作員と断罪されているノーマン」と断定して書いている。しかも断罪されているそうである。このいい加減さも中西氏の特徴である。このブログの中で誰かが「ノーマンはコミンテルンの工作員だった」と書いていたので記憶に残っている人もいるであろう。その出所はこれである。マッカッサーは、ノーマンの著書「日本における近代国家の成立」を、日本を知るためのバイブルとして推奨するとともに、GHQへ招聘した。その在職は短期間にすぎない。GHQ参謀第二課長として諜報の責任者であったウィロビーがノーマンの自由主義的・民主主義的姿勢の強さに疑念を抱きFBIへ密告し(獄中の共産党員を釈放したのはノーマンのせいだと)、アメリカ本国からの圧力でノーマンの排除に成功したからである。「赤狩り」を推進するマッカッシー旋風の吹き荒れたなか、アメリカ政府の要請でカナダ政府はノーマンを審問にかけ、ノーマンの無実を証明した。
・「日米開戦に向けて大きな役割を果たすのが、コミンテルンのスパイ・エージェントであった中国担当補佐官のロークリン・カリーである」。「カリーの“秘密指令”に基づいてラティモアは蒋介石に‥‥強い調子でルーズベルトに交渉を妥結しないように迫る電文をホワイトハウスに送らせたのである」
  ロークリン・カリーがコミンテルンのエージェントであり、中国史の研究に大きな足跡を残したオーエン・ラティモアまでがその工作に加わったというが、そんな証拠があるはずはない。
 
 この手のデマはこの中西論文に満ち満ちていている。誰も彼もコミンテルンの工作員に仕立ててしまう。上に取り上げたのは、そのほんの一部に過ぎない。ではこうしたウソとデマを積み上げて、彼が導き出す結論的部分はどうなっているのか次に見ていく。驚くべき内容、虚構のかたまりのような結論を導きだしている。「  」内は中西論文の引用である。

・「こうしたパターンのコミンテルン工作の影響が、昭和戦前期の日本の指導者層には、それこそ充満していたであろう。」
・コミンテルンの工作の影響を受けた官僚・軍人らによって「昭和十年代、国家存亡の岐路に立っていた日本の国策を大きくねじ曲げて、支那事変(日中戦争)を意図的に『泥沼の戦争』に陥らせ、故意に日本の破滅、ひいては敗戦革命を策して対米戦争へ向かわせる上で重大な役割を果たしたのである」
・日米開戦の裏にも、コミンテルンの策謀があった。
・「革命運動によっては成し得ないことを戦争によって実現しようとしたのが、第二次世界大戦の真の本質である」。「ソ連のサバイバルに必要な、自由主義国家同士の戦争や紛争を起こそうとしたのである」

 このように、日中戦争から対二次世界大戦へいたる戦争の歴史は、コミンテルンの工作で、意図的に導かれたものであり、第二次世界大戦の本質は、ソ連の世界革命の戦略に乗せられたものである、という点にある。このような恣意的な「歴史解釈」を許しておいてよいのであろうか。
 ウソをついて自分に有利な結論を導きたいとき、この中西氏の手法を真似ることを皆さんに勧める。
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「秋の森・発見」のひと時に心身リフレッシュ!!   昭和区九条の会

2006年10月23日 12時52分50秒 | Weblog
 九条の会の平和交流行事は、秋・・ハイキング 冬・・キャンドル平和行進 春・・平和展覧会 を企画していますが、今回の「海上の森平和ハイキング」はそのスタートの企画です。
 ハイキングは、10月22日天候にも恵まれて、秋の一日を「海上の森」を散策し自然と親しむ事が出来ました。
 参加者は会員さんとその家族十数名で、十時に海上の森の駐車場を出発し、「海上の森を楽しむ会」の山本氏の案内で森に入りました。
 白い曙草の群落、ピンクのすずかアザミ、紫色も高貴な秋チョウジ、可憐なツリガネニンジン、可愛くて小さなキツネの孫。 
 途中 頭上から熟したアケビの実が落ちてきたり、沢蟹が路を横切っていたり、胃腸薬の原料のセンブリやゲンノショウコを教えてもらい苦さを体験したりして疲れも忘れて散策しました。
 三時間後、休憩場所の「かたりべの家」ではアキアカネの飛び交う中カケスの声を聴きながら一段と美味しい昼食をいただきました。
 帰りには、新しく出来た万博記念施設の「あいち海上の森センター」を見学して色々勉強もしてきました。
 こうした 健康的で楽しい交流企画を来年もという声が多く聞かれました。
 来年もこうした企画がありましたら是非ご参加ください。
                           
 
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野に立つ、を観ました。  落石

2006年10月23日 09時40分03秒 | Weblog

名古屋市緑区の鳴海一帯で起こった
小作争議に題材をとった「野に立つ」が栄で上演されました。
地元出身の雉本朗造という民法学者が
小作側について裁判闘争を戦うという物語です。

大正時代に小作争議があったことなども
もう覚えている人は少なくなったのかな?
と思っていましたが、なかなか。
観客のなかには地元の人たちが多く
「あれは○○さんちの婆さんだ」などと話しているのが
聞こえてきました。

最近、雉本朗造さんが再発見されたことから
劇化の話が進んだようです。
雉本博士は瀬戸内海を旅行中の船から転落、死亡。
死因は謎のまま。
争議が大詰めに近づいていた頃でした。


100年ほど前の事件ですが、まだ生きているんだなあ、
という思いを強くしました。


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中西輝政編「日本核武装の論点」を読んで その2 千里眼

2006年10月21日 17時35分43秒 | Weblog


 10月19日に、麻生太郎外相と中川昭一自民党政調会長が「日本の核兵器保有について論議すべきだ」という趣旨の発言をした。即日、誤解を与えるといけないとして、取り消すような発言をして収拾をはかった。北朝鮮の核実験を受けて、泥沼に泡立つあぶくのように、あちらこちらで日本の核武装を主張する意見が出てくることは避けがたい情勢になっている。

 その1では、それぞれの論文の結論部分を引用する形で、内容を紹介した。この「その2」では、私なりにこの書物の内容を簡潔にまとめ。箇条書き風に整理した。この書物に執筆した著者はほぼ似たような考え方をしているので、全員分をまとめてみた。
 このブログに参加するまでは、この手の論文を一つも読んだことがなかったので、私の理解が浅いということは、事前にお断りしておきたい。
 
・ 今こそ、日本の核武装について論議すべき時がきた。
・ 中国は危険な国で、日本を従属国にしようとする意思を有している。中国と日本は共存できない国である。
・ 中国の軍事力の強化は著しい。有人衛星を飛ばすなどして、宇宙の軍事利用を始めようとしている。
・ その中国、さらに北朝鮮の核攻撃の危険に日本はさらされているのだ。
・ 中国の核武装の強化によって、アメリカの核の傘は効力を失ってきている。
・ 他国からの核攻撃を抑止するものは、自前の核武装以外にはありえない。
・ 早急に非核三原則を廃棄し、日本は核武装を進めなければならない。
・ まず、核弾頭付き巡航ミサイルを持つ必要がある。
 およそ以上のようにまとめることができよう。

 保守系論客の論文を読むとき、中国に対する敵意や警戒感を感ずる論文が多々あったが、この書物ほどすさまじい敵意をむき出しにしているものは見かけなかった。本気でそう思っているのかと疑うほどである。
 この敵意の背景はどこから来ているのか、私なりに考えて見た。最大の背景は中国の著しい経済成長に対する恐怖心にあるのではなかろうか。しかも、開放経済政策を取り外資を積極的に導入しているとはいえ、中国は共産主義を標榜する国家である。この共産主義に対する敵意がそれに増幅しているものと思われる。
 たしかに、中国の経済成長は著しい。1978年12月に改革開放に踏み切って以降、1979~2004年の国内総生産(GDP)の実質成長率は平均9.6%を記録した(国家統計局による修正後)。したがって、1986年にはGDPは78年の2倍加を達成している。中国のGDP(修正後)は2002年に10兆元の大台を突破。1人あたりGDPもすでに1000米ドルを超え、「モータリゼーションの発生」、「大衆消費社会の到来」といわれる水準に達している。2005年の一人当たりGDPは前年比14.3%増の1703米ドルに上ったという。
 温家宝首相や国家発展改革委員会主任は、第11次5カ年計画(2006~2010年)のGDP平均年間成長率について、目標を7.5%前後とする発言。単純に成長率を追い求める傾向を改め、高効率・省エネルギーを盛り込んだ総合的な発展を目指すとしている。としても、これは、高度経済成長が今後も持続することを意味している。(数値はジェトロの資料から)
 さらに、靖国神社問題や歴史問題に対する中国政府の姿勢が、彼らの中国敵視感情をさらに増幅しているのであろう。これは私の想像ではあるが、中国蔑視感情の残滓があって、それがさらに増幅しているのではなかろうか。         <終わり>
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中西輝政編「日本核武装の論点」を読んで その1   千里眼

2006年10月20日 15時08分22秒 | Weblog

 北朝鮮の核実験に刺激されて、日本の核武装についての論議が今まで以上に盛んになるであろう。今まで公然と日本の核武装化を推進せよと論ずる書籍は見掛けなかったが(雑誌の論文ではほんのときたま見かけたようだが)、ついに北朝鮮の核実験の直前に、PHP研究所から刊行された。それがこの書物である。この投稿では、書評という形でなく、内容紹介という形で投稿する。私の連続投稿「保守派論客の歴史欺瞞・偽造」でも後に取り上げることになるだろう。

 編者の中西輝政氏は国際政治・政治史の学者であり、京大大学院教授である。私は保守派最強の論客であろうと思っていたが、あにはからんや、デマゴーグ性では最大であっても、論理の組み立ては雑であり、何よりも勝手なあて推量で結論を導いていくという手法が目立つ。これで京都大学大学院教授かと思うと私のほうが情けなくなった。学術論文を書くときには恐らくきちんとした論文を書くのであろうが、この手の論文のときには、思いついたことをきちんと調べて確かかどうか確認することもなく平気で述べていく。
 しかも、二流、三流の保守系論客が、中西先生がおっしゃったことだと、これまた事実かどうかを検証することもなく、そのまま自分の論文に使っていく。そうした著作・論文が出版社を通して本屋の店頭に並ぶ。恐ろしい世の中になったものだと思う。

 では、この書籍に収録されている諸論文の表題を次に並べる。これを見ただけで、この書籍の内容はおよその見当がつく。
  「『日本核武装』の議論を始める秋(とき)」(中西輝政)
  「中国核戦略の標的は日本だ」(平松茂雄)
  「国家意思なき外交が招いた惨状と未来への『選択』」
                  (対談:平松茂雄、桜井よしこ、西岡力)
  「核武装の決断は国民の覚悟から」(対談:伊藤貫、兵頭二十八、平松茂雄)
  「日本という国家の『意思』の表明を」(日下公人)
  「日本核武装の具体的スケジュール」(兵頭二十八)
  「自国の防衛に責任をもてる当たり前の国に」(伊藤貫)

 次に、各論文の結論的な部分を引用する。
<中西論文> 
 「このような対中国カード、対米国カードを持つためにも、いまこそ日本の民間の識者たちが、タブーを打ち破り、言論によって『国を支える』という大きな使命感を持って、正面から『核武装』を議論することが必要なのである」

<平松論文>
 「それ故、中国は遠からず宇宙ステーションを建設するとともに、宇宙兵器を装備し、それに関連した技術を有する軍人・専門家からなる宇宙軍を編成し、宇宙軍基地を建設することになるだろう」。「米国の「核の傘」に依存しながら、米国の核兵器を日本に持ち込むことに反対し、あるいは原子力空母や原子力潜水艦の日本配備に反対する立場は早急改める必要がある。日本自身の核武装を含めて、核兵器に関する議論を積極的に展開する時期に来ている」

<桜井よしこ、平松茂雄、西岡力対談>
西岡 「アメリカは‥‥現在は中東を自由化、民主化しようとしていますけれど、北朝鮮のようなテロ政権、そしてそれを支えている北京の共産党の独裁政権を倒さない限り、アメリカの安全も世界の平和もないと思っています」「われわれとは究極的には共存できないという認識をアメリカと共有し、それを根本にして政策を考えるべきです」
平松 「日本も早急に核武装の是非を論議すべきです。憲法九条の改正には賛成でも、アメリカが反対するという理由で核武装の論議を嫌がる人がいます。しかし、そのアメリカに頼れなくなってきているという状況を深刻に受け止める必要があるのです」
桜井 「中国が何をしなくても日本は飲み込まれると思いますよ。日本の側から屈服してね。1993年中国の李鵬首相は訪中したポール・キーティング豪首相との会談で『日本は三十年経てばなくなっている』と発言したそうです」

<伊藤貫、兵頭二十八、平松茂雄対談>
兵頭 「日本がなぜ核武装しなくてはならないかを簡潔に説明するならば、他国からの核攻撃を抑止するものは、自前の核武装以外にないからです」
平松 「危険なのは中国が、国力を増大すると周辺国家への侵略を始めてしまう国だという点です」「最近上梓した『中国、核ミサイルの標的』の当初予定されていたタイトルは『やがて中国は日本を核攻撃する』だったのですが、けっして大げさなものではないのです」
伊藤 「(日本が中国の核攻撃を受けた場合)当然、アメリカは中国に対して核報復しない。‥‥パニックになった日本人は両手に白旗と赤旗を持ってギブアップしてしまうでしょう。その瞬間、日本安保体制は崩壊し、日本は中国の軍門に降る」「日本は先制攻撃に必要なICBMやSLBMのような長距離弾道核ミサイルはいりません。戦略爆撃機や大型空母も不要です。せいぜい200発か300発の核弾頭付き巡航ミサイルを持てばいい。それを積んだ小型駆逐艦や小型潜水艦約30隻を東シナ海や西大西洋、日本海に配置する」

日下論文 「『日本は原子力潜水艦と原子爆弾を持つ』と宣言せよ」。「実力を自覚した日本は多様な選択肢を持つ。その選択の一つが「非核三原則」を破棄することである。非核三原則は、‥‥政府の答弁に過ぎず、国際条約ではない。国内において法制化されたものでもない」

兵頭論文 「シナからの自衛のためにNPTから脱退することを早く公式に声明しなければなりません」「まずは投下型の核爆弾をつくる」「次に陸上発射型の弾道弾を」「さらに大型巡航ミサイル(無人特攻機)をつくる」

伊藤論文 「『日本が中国の属国とならぬため、さして、米国と一緒に東アジアで集団的自衛権を行使するため、日本は自主的核抑止力を持たねばならぬ』と決断すべきである」
として、前記対談のなかの発言と同じく「核弾頭付き巡航ミサイル」と「それを搭載する駆逐艦・潜水艦」を建造し、常時核を搭載して日本近海に配置すべきだと主張している。
                                                                    <続く>
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困っています。教えてください。   九条 ひかる

2006年10月18日 12時30分03秒 | Weblog
 昭和区・みずほ・千種区九条の会で「キャンドルは、12月8日(金)午後6時から7時30分、博物館前から今池までの3キロをまでを「キャンドル平和行進」を行い、平和をアピールすることを計画しています。

 ところが、肝心のキャンドル立て(キャンドルケース?)が、不完全でした。
 実行委員会としては、ペットボトル(2ℓ入り)を逆さにして、飲み口の蓋に釘を刺し、そこにキャンドルを立てるというものを作りました(イメージがわき難くてすみません)。
 何人かで安全性の実験をしましたら、燃え尽きる頃になると、斜めに傾き、ペットボトルを熱で溶かしたり、飲み口近辺が熱で穴が空くなど、危険な状態になることがわかりました。

 そこで、キャンドルに変わる明かり、または、ペットボトルを使用しても危険性がない、作り方を教えていただけると助かります。
 平和をアピールするために、賑やかに(音楽入り)、楽しく(踊りもいれた)、
アピール(それぞれの意見を)したいと考えていましたが、肝心、要のキャンドルが・・・安全性に欠ける・・・。  お助けマンに縋りたい心境です。
 お知恵をお貸しください。
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ハンガリーでの私の記事を読んで?(保守系)

2006年10月17日 21時42分25秒 | Weblog
私は、マルクスは、などと言えるほどでは、全くありませんが、少なくとも、先進資本主義国家から、諸矛盾が起きて、革命が起きると予想した筈ですが、その見通しは誤りました。ただ私は共産主義のお陰で、各先進資本主義国家が、社会福祉政策を採らざるを得なかったプラス面を否定していません。
しかし、共産主義の誤りは、歴史の否定と過度な合理主義だったと思います。
毛沢東も、あの多くの人民に、食糧を与えただけでもたいしたものですが、しかし、変わらぬシナの歴史上の皇帝と一緒でした。あの文化大革命で何千万という自国の民を殺戮しました。スターリンもそうです。
これがマルクスが描いた理想の姿だったのでしょうか。
以前、お話しましたが、1998年位でしたか、ルーマニアへ行った時の例のチャウチェスクの宮殿は、途中まで出来上がって、放置されていましたが、とんでもない巨大な宮殿でした。丁度、11月初めに入国したのですが、雪が降っており、私達の泊まホテルの前から視察に出る時、ぼろを纏った小さな女の子が弟らしきを伴って、私達のお金を恵んでくれと手を出すのです。
所詮、共産党国家もまたその国の歴史上にあった統治方法をするのです。
かって皇帝がやったように・・・。
日本には、独裁国家のような歴史上の経験はありません。
これも私以前にも言いましたが、遊牧民族は、行き先をTOPが判断を間違えると、あの零下20度ー30度の世界では、羊も牛も馬も人間も凍死してしまいます。
ですから出来のいいTOPであれば独裁を好むという癖があるのでしょうね。
日本は、北海道あたりを除けば、凍死しないように縄文時代から出来る温度であり、食糧も豊富でしたから、まあまあでやってこれたのでしょう。
独裁者は要らないのです。今回行った国国は、緯度では北海道の稚内より上に位置しています。無茶苦茶寒いのです。
ですから、どうも豊富な香料のあるアジアなどへ侵略を始めるのです。
自然の恵みが少ないのと、気候のせいでしょうか。
暖かいイタリアも何度も、北からの侵略を受けます。
へそ曲がりさんといい、千里眼さんといい、日本の戦前のある時期だけを集中的に大批判をされます。ですから私は日露戦争はどうでしたか、日清戦争はどうでしたかと問いますが答えてくれません。へそ曲がりさんでしたか、老爺さんでしたか、もう決着済み(無かった)の従軍慰安婦問題・朝鮮人の強制労働連行などと言い出す始末です。
日本は明治維新以来、ずっと軍拡路線を走ってきたわけではありません。
軍縮会議にも出て、軍縮にも努力します。
あの第二次世界大戦も第一次世界大戦の過大なドイツへの賠償金や領土の割譲、殖民地の喪失などが原因でしたね。
日本の大東亜戦争の引き金は、やはり戦後見直される、ブロック経済と保護主義であり、移民政策での排斥などではないのでしょうか。当時の日本人が人種差別を受けているという気持ちを持っても不思議ではありません。
あの国際連盟には、アメリカは加盟せず、かつ日本の提案した人種差別禁止法を葬りさりました。しかも民族独立は、白人圏だけの話です。それがまた紛争を起こす導火線にもなるのですが。それは、ついこの間のユーゴの解体によって、内戦というか、そこまで続きます。
何度もいいますが、歴史は長い延長線上にあるのです。ある一時期を捉えて批評しても意味がないのです。
それから、私は小堀教授の歴史解釈権を持ち出したら、たたかれました。
何度も、何故、勝者のあのいい加減な東京裁判を肯定しなければならないのか、
負けた国にもその戦争の理由や大義など解釈権はあるのが普通のことです。
また無いといけないと思うのです。いわば同じ失敗はしなという意味のおいてでもです。大体、通常の裁判は何故するのでしょうか。
殺害したには殺害した理由があり、殺害された側にも殺害された理由があるのでと、裁くのではないのでしょうか。殺害即死刑ではありませんでしょう。
殺害理由によって情状の措置も採られます。
それが近代法の原則ではありませんか。戦争だって一緒です。
何故、敗者が勝者だけから裁かれて、それに納得しなければいけないのですか。
私に考えられません。通常の常識があれば、あの裁判の正当性はないと判断するのではないのでしょうか。あの裁判の正当性をきちんと述べないといけません。
私はまた決め付けるといわれそうですが、結局、日本独特の左翼史観、自虐史観にたっているとしか思えません。
それでは、適切な歴史観とはいえないでしょう。もう少し、右に寄ってみたら如何ですか。やはりこれ以上、このブログで意見を言い合う、意味はもうありません。
やはり、私は、ここから撤退します。お世話になりました。

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愛国心   落石

2006年10月17日 11時08分32秒 | Weblog

今朝の中日新聞で、ひろさちやさんが、愛国心について書いていました。
ひろさんは、仏教徒ですから、まず、釈迦のエピソードを紹介しています。
自分以上に愛しい者なんていないと、妃に言われた王が、釈迦に訊ねました。
「それでいいのでしょうか?」と。
「それでいいのだ。自分自身ほど愛しいものはないよ。
だからこそ、われわれは他人を傷つけてはならないのだよ。」
と、釈迦は答えたそうです。

そして、ひろさんは、続けます。
「日本人は日本を、イラン人はイランを、北朝鮮の人は北朝鮮を愛しています。
だからこそ、われわれは他国を攻撃してはならない。
他国はどうなっても構わないというのは間違った愛国心です。
アメリカは間違った愛国心を発揮している国です。
自分の国を守るために他国に原爆を落すような国が
正しい愛国心の持ち主であるはずはありません」と。

         

この話は面白く読みました。
とくに「だから」という言葉の働きにとても興味をひかれました。
愛国心がある。だから、北朝鮮に厳しく対処するのか?
愛国心がある。だから、北朝鮮に寛容の精神で対応するのか?

あなたはどちらですか? 
とても難しい選択を日本人全体が問われているのだなと思いました。

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北朝鮮の「物理的対応」とは?            ネット虫

2006年10月17日 08時31分38秒 | Weblog
韓国の「朝鮮日報」は次の様な記事を載せていました。

 北朝鮮は国連安保理の対北制裁決議通過に直ちに反発し、物理的対応についても公式に言及した。

 北朝鮮の朴吉淵(パク・ギルヨン)国連大使は14日、対北制裁決議採択直後の安保理演説で「全面拒否」の立場を明らかにし、「米国が今後も北朝鮮への圧力強化を継続すれば宣戦布告とみなし、物理的対抗措置を取る」と述べ、2回目の核実験実施の可能性を示唆した。

 この朴吉淵大使の発言は、今月11日の外務省談話とほぼ同様の内容だが、実際に北朝鮮が対応措置を取る可能性が高まったといえる。

 世宗研究所南北関係研究室の白鶴淳(ペク・ハクスン)室長は「今回の決議が北朝鮮をさらに刺激し、核関連活動の強化を招くこともあり得る」と指摘している。

 北朝鮮が取り得る物理的対抗措置とは、2回目の核実験以外に、▲寧辺原子炉の使用済み燃料棒の引き抜き、プルトニウムを追加抽出、▲ミサイルの再発射、▲休戦ライン付近での局地的軍事挑発などが挙げられる。また、国連脱退をほのめかす可能性も排除することはできない。

 一方、北朝鮮内部では第2の「苦難の行軍」に陥る可能性が高いと見られている。米国の金融制裁に加え、ミサイル発射による韓国の米・肥料支援の中断、国連決議による国際社会の制裁が重なった場合、北朝鮮経済は再び決定的な打撃を受けるほかない状況だ。

 北朝鮮は、数百万人が餓死した1990年代中盤を「苦難の行軍」と呼んでいる。特に、来年春から再び餓死者が出る可能性があるという分析も出ている。そのためか、北朝鮮メディアは最近になって「苦難」と「自主」を特別強調する傾向を見せている

※「核実験」と言うまったく破壊のみの非生産的天文学的浪費を声高に誇り、国民に「自主的」な餓死の行軍を平然と強いる国家体制とは一体化なんだろう。
 もう悪の帝国と言われても仕方ないだろう。 北朝鮮人民に立ち上がって欲しい。
         
                

 
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秋日和に誘われ、昭和区美術展に !!    九条ひかる

2006年10月16日 02時25分51秒 | Weblog
 秋日和に誘われ、昭和区民美術展に!      
 
 最近、良い日が続きますね。10月22日の「平和ハイキング」も好天に恵
まれることを祈っています。

 さて暖かい日差しに誘われて、区役所講堂で開催されている「昭和区民美術
展」に足を運びました。日本画23、洋画27、彫刻4、工芸36、書は
66、写真44の合計200点が出品されていました。
 パソコンを打ち疲れた目には、本当に優しい彩を与えてくれました。
 出品者のなかに「昭和区九条の会」の会員さんの名前をみつけました。
男性2名、女性が2名の4名です。ジャンルは写真が2名、日本画が2名
でした。そのうち、2名の方は入賞されていました。呼びかけ人の板津
慶幸さんが昭和区美術協会奨励賞、会員のMさんは教育委員会賞を
受賞されていました。

「昭和区九条の会」では、来年4、5月に『平和美術展』(仮称)を開催
する予定ですが、この方たちが作品を出品していただけるといいな。
と思った次第です。

ところで『海上の森平和ハイキング』まだ少し余裕があります。参加を希望される方は以下にご連絡ください。

「昭和区九条の会事務局」℡・FAX 052-731-2749 舟橋まで。

     

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中日ドラゴンズリーグ優勝ばんざい         ドラふぁん

2006年10月15日 20時27分25秒 | Weblog
 阪神フアンの人には悪いのですが、やっと振り切りました。
 敵ながら天晴れですね。
 今年の中日は安心して見ていられました。 実力をかんじられました。
 監督が言うように「確実に実力がついています。」
 しばらくは、セリーグは中日を中心に展開すると思います。
 よほどの事が無い限り五連覇は夢でありません。
  
 中日帝国登場です。はははは アメリカ帝国とちがって平和的ですよね。
 我等帝國のサポーターじゃ。
 世界制覇も間近ですな。 うわははは ははは。
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保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その4     千里眼

2006年10月15日 17時36分15秒 | Weblog
 前回の宮脇淳子氏の「日本は満洲を横取りした と言われたら」(文春新書「歴史の嘘を見破る」に所収)分析の続きである。ここでは、満州国が国際的に承認された国家だという宮脇氏の見解を中心に取り上げる。

「ローマ法王庁をはじめ、十五の国家が承認し、事実上承認した国を含めると二十三もの国家と関係があった満洲国を、中国では『偽満洲国』と呼ぶのである。これは中国側の事情にすぎない」 
 このように満州国は国際的に承認されていたのだと保守系論者は言う。もともと誰が言い出したのか調べる必要があるが、まだ間に会わない。ただ、ここで触れておきたいのは、保守系の論者はその言いだしっぺの尻馬に乗って、自らの検証を抜きにして「国際的に承認されている」と書き立てていることである。これを「オウムの論理」とでも言おう。
 保守系の論者はえてして、他の論者が論述した内容を自ら再検証することもなく、自らの思考で再構成することもなく、オウムのようにそのまま記述するという悪癖がある。これもその一つである。「 」で引用し、その出典を付記するとともに、この見解にこういう理由で同意する、というような記述でありたい。

      パターン6.オウムのレトリック
                       
 真相は次に述べるとおりである。満州国を承認した国としては、日本・ドイツ・イタリアのいわゆる枢軸国は当然承認している。それに、日本の傀儡国家または日本占領下の国々として、中華民国南京国民政府、蒙古自治邦、自由インド仮政府(この3つが日本の傀儡政権であり、しかも統治領域もきわめて限られ、国家と言えないものであった。なかには統治領域のない政権もある)、ビルマ、フィリッピン。まわりを日本軍に囲まれ日本軍の通行権を認めたタイ。フランコ政権下のスペイン。
 ナチスドイツの占領下にあった国々としてポーランド、デンマーク、クロアチア、ハンガリー、エストニア、リトアニア。
 ナチスドイツと同盟し枢軸国側につき参戦した国としてブルガリア、フィンランド、ルーマニア。ナチスドイツの保護国となったスロバキア。などである。
 このように見てくると、国際的に承認されているとは言えないことは明らかである。
 ヴァチカンについては、事情は複雑である。ナチスドイツの圧力に負けてヴァチカンはコンコルダード(政教条約)を結ぶが、なおもドイツの圧迫は続く。そのなかでナチスのユダヤ人迫害を黙認することになった。前法王ヨハネ・パウロ2世がそのことを公式に謝罪したことは記憶に新しい。この経過はヴァチカンにとっては恥部になるので、ヴァチカン側からは具体的な詳細は明らかにされていない。この過程で満州国の承認がおこなわれたのではないかと私は推定している。さらに言えばこの承認が歴史事実であるかどうかについても私は疑っている。
 満州国問題を扱った国際連盟委員会のなかで、「満州の主権は中国に属する」「現在の満州国を承認しない」という日本へ対する勧告が42対1で決議された。
つまり、日本を除いたすべての国が満州国を否定したのである。日本代表松岡外相は即座に国際連盟脱退を宣言し席を立ったのである。
 その後、日本はナチスドイツにも依頼して承認国を獲得する努力をするのである。それゆえ、いわゆる承認国は1940年前後に多い。その成果は上記のとおりである。国際的に認められているとは決して言えないことは明らかである。
                  
      パターン2.過大評価のレトリック  パターンNO.5.事実否定・無視のレトリック

「つぎに『日本帝国主義者は、中国農民の土地を強奪し、中国人労働者を搾取した』という意見であるが、中国人は同じ中国人ならば、搾取されてもいいのだろうか」
 これも変な論理である。他民族による支配と同一民族による支配とを、何故、同一・同質の支配として対比できるのか、私には理解できない。

「日本の満洲統治を中国は『三光』政策と呼ぶ。軍事面では、『殺光(殺し尽くす)』、『搶光(奪い尽くす)』、『焼光(焼き尽くす)』、であり」と書いている。
 これは明確な事実誤認である。恥ずかしいほどのミスである。
 同じ保守系の論客細谷順氏はインターネットのなかで「日中戦争において、日本軍が華北の解放区を根絶しようとして行った作戦」と指摘しているし、何よりも、宮脇論文の載って同じ書籍のなかの田辺敏雄論文でも「三光作戦」を同じような内容で捉えている。当然、両人ともそんなひどい作戦を日本軍はやっていないと否定しているが。用語としては満州とはまったく無関係のものである。
 こういう初歩的なミスにも気が付かずに本に載せる著者の神経を私は疑う。自ら検証することもなく、他人の意見をそのまま使用するので、彼らの論文にはこうしたミスは付きまとっている。

      パターン7.事実誤認のレトリック

 この論文は「歴史の嘘を見破る」という書名の図書の中の一論文である。彼らが「自虐史観」と名づけている諸見解を「嘘」として批判しているのだが、どちらが「嘘」をついているのであろうか。それは、この論文を見るだけでも明らかである。
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満州国問題について保守系さんへ答える。    千里眼

2006年10月15日 16時59分00秒 | Weblog
 私の投稿した「保守系論者の歴史欺瞞・偽造を切る その3」について、保守系さんのコメントがありました。それに対する回答はコメントという形を取るには、あまりにも長すぎるので、投稿という形を取ることにしました。できれば、保守系さんのコメント前文をお読みの上、この投稿を読んでいただいたら助かります。
 なお、「保守系論者の歴史欺瞞・偽造を切る その4」は、ここで問題にしている事柄と直接関連があるので、合わせて読んでいただければ助かります。

① 「シナ(漢民族)歴代王朝の版図が、長城(万里の長城)を越えて満州に及んだことは、中共成立以前には一度もありません」と保守系さんは言う。
 私は「保守系論者の歴史欺瞞・偽造を切る その3」のなかで、「あった」という歴史事実をしめしているのに、それに対して、保守系さんはそれに触れることもなく「ない、ない」と言っている。もう一度その部分を採録する。
「・ 春秋・戦国時代の北方漢人国家の「燕」は現在の中国東北部遼寧省の主要部分を領土にしていた。
 ・ 秦は遼東半島を含む中国東北部遼寧省全域を支配下に置いていた。
 ・ 漢はさらに領土を拡大し、朝鮮北部にまで支配を伸ばして楽浪郡を置いた。北九州の日本の小国家が楽浪郡に使を出していたことが漢書地理誌に見える。
 ・ 三国時代の魏はさらに朝鮮南部に帯方郡を置いていた。日本の卑弥呼の時代である。
 ・ 元は満州全域を支配下においた。清も同様である。
 ・ 明は満州からさらに、黒竜江を越えて現在ロシア領の沿海州まで支配下に入れていた。
 元・清は蒙古人・満州族が作った王朝なので、中国の支配に満州が服していたとは言えないのだと著者は言いたいのだろう。それを除いても中国人の王朝の統治下に満州の地域がおかれていたことは、上記のとおりである。」
 もし、まだ保守系さんが「ない」と言いはるのなら、「燕」、「秦」、「漢」、「魏」、「明」がその領内に満州の地域を入れていなかったという論拠をきちんと示すことを求める。「ないからないのだ」では話しになりません。
「そんなに昔に戻らなくてもいいのです」と保守系さんは言うが、満州が中国の領土となったことは「中共成立以前には一度もない」と自らが言っているのである。だからそうではないという論拠を私は示しているのだ。
 保守系さんは口は悪いが、人柄はよさそうな人なので、私はその思想は別として親しみを感じている。それだけに、検証しないで他の論客の言うことをそのまま鵜呑みにしてオウムのように繰り返す保守系論者の悪癖にそまらないで欲しいと願っている。

②「やはり長城以北は、台湾同様に化外の地だったのです」と保守系さんは言う。
 満州系民族の歴史に照らせば、そんな言葉は出てこないはずである。満州系民族である扶余族が建国した高句麗や百済の高度な古代文明、満州東部から沿海州で建国した渤海の文化を見るだけで、それは明らかである。「化外」を字義どおり「帝王の支配の外の民」という意味で使っているのなら、その回答はすでに①で述べたとおりである。

③ 「金・元・清の版図は満州に及んでいたよと訝る向きもあるでしょうが、これは満州族・女真族(金・清)、蒙古族という異民族が、逆に長城を越えて漢民族を支配した歴史です」。だから中国の王朝ではないと保守系さんは言う。
 イギリスの歴史で「ノルマンディー王朝」はヴァイキングであるノルマンディー公ウィリアムがイギリスを征服して建てた王朝である。だからと言って、イギリスの歴代王朝からこれをはずしたりはしない。イギリス史のなかで「ノルマンディー王朝」は征服王朝だからイギリスの王朝ではないという視点に立った歴史書を一度も見たことはない。
 元、清を中国の歴代王朝からはずした歴史書があったら紹介して欲しい。保守系さんは孫文の言葉を挙げているが、これは歴史書ではない。植民地化の危機感から、帝国主義諸国に中国の領土と権利を安易に譲り渡していく清王朝を打倒しなければ、という孫文の想いが、この言葉の背景にあるのだ。清王朝打倒のためには、漢民族を結集させていく必要があったことから出ている言葉である。
 孫文の提唱した「三民主義」の一つに「民族主義」がある。百科辞典「ウィキペディア」は次のように書いている。「民族主義は満州族である清王朝を打倒して民族の独立をめざす事を意味し、辛亥革命、第一次国共合作を経て欧米列強の帝国主義による半植民地状態からの脱出と、漢民族と少数民族の平等を意味する五族共和へと発展する」。孫文はこの「五族共和」のなかに満州系民族を入れているのだ。中国民族のなかの少数民族として満州系民族を扱っているのだ。ここまで書けば十分であろう。

④ 「満州国の建国も国際的に認められたものです。この建国に対して文句をつけた国を教えて下さい」と保守系さんは言う。
 「国際的に認められたもの」については別稿「保守系論客の歴史欺瞞・偽造を切る その4」に譲る。満州国建国について「文句をつけた国を教えてください」については、次に触れる。
 1933年2月15日、日本は国際連盟を脱退した。その日の国際連盟委員会で満州国問題が検討され、日本に対する次のような勧告決議が42対1で決議されたからである。反対の1票は言うまでもなく日本である。では勧告決議の内容はいかなるものか。
 (1)満州の主権は中国に属する。
 (2)現在の満州国を承認しない。満州は国際管理のもとにおく。
 このように満州国の建国を認めないという内容の決議であった。日本を除けば満場一致での決議なのに、あくまでも満州国は国際的に承認されたと言い張る保守系の人々の頭の構造を疑う。これほど明快な歴史事実をどうしたら否定できるのであろうか。
 
⑤ 「千里眼さんは、日本の侵略性に重点を置きがちですが、もう少し、イギリス・アメリカ・フランス・オランダ・ソ連・チベットへの侵略してのラマ僧や人民を殺戮した中国共産党のやったことに目を向けて下さい」と保守系さんは言う。
 私は、帝国主義的な侵略行為を倫理的に認めない立場を取っている。他民族を抑圧するような行為は嫌いである。ただ、現在私が問題にしているのは、保守系論者の歴史の欺瞞・偽造の問題である。この問題に私なりの決着をつけたら、その他の問題についても分析のメスを入れていくことになるであろう。
 ただ、保守系さんへ一言。このコメントだけでなく、他のコメントでも論点から外れたことをあれこれと取り上げる性癖がありますが、それは止めたほうがよいと思う。
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オーマイニュースの登場  落石

2006年10月15日 15時16分36秒 | Weblog

韓国のインターネット新聞「オーマイニュース」の
日本版が登場しました。
マスコミとは違い、市民が記者としてニュースを
発信して行こうという試みです。
編集長はジャーナリストの鳥越俊太郎。
ちょっと覗いてみましたが、面白いといえば
面白いですが、パンチ力はまだかな?

これまでも日本にもインターネット新聞はありましたが、
今ひとつです。大新聞を脅かすには至っていません。
オーマイニュースも、どうでしょうか?

韓国ではインターネットは、実際のコミュニケーションの
延長上にある。実名でコミュニケーションが行われているそうです。
一方、日本人は、ネット空間で、リアルな自分とは違う自分を演ずる。
その辺りに微妙な違いがあるという指摘もあります。
市民による市民のために新聞は、日本で普及していくのか?
オーマイニュースの健闘を祈っています。





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秋空の下、九条ビラ 30分で500枚!!!

2006年10月14日 20時02分53秒 | Weblog
 久しぶりに抜けるような秋の青空になった十三日。
 縁日で賑やかな八事興正寺の前で十時から11月3日の「憲法九条を守ろう06県民の集い」のビラを手渡して九条守れと平和の街頭宣伝をしました。

 この日は毎月「十三日」の縁日。境内には沢山の屋台がならび、朝早くから参詣の老人達が市内外から地下鉄に乗って押し寄せてきます。
 寺前の舗道は参詣の人々の人波で埋まっています。
 
 私たちは九条の会ののぼりや看板を立てて、五百枚を目標に配り始めました。
 マイクで平和憲法の意義について話す者、ビラを受け取ってもらえるよう話しかける者。
 いつもの調子が出始め、ビラが次々と受け取られていきます。
 少し避けるようにする方もみうけましたが、再度お願いすると受け取ってくださる方も多く、「ご苦労さん」の声も聞かれました。
 落ち着いた声でマイクを握るベテランの内山さん。今回初挑戦の72kの山本さんはピッチングマシーンのように、道行く人に声をかけ次々と手渡していきます。 対話派の高橋さんは腰を低くして丁寧な説明で人々をひき付けての手渡し。
 五百枚の目標は30分足らずで完了。
 
 気を良くした今回のチームは、来月の縁日には、倍増を目指そうと興奮気味でした。

 ※ 次回の街頭宣伝は 十月二十八日(土)の三時から「御器所・西友前」です。是非参加ください。

                 

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