連載の最終回です。最後まで読んで下さった方、有り難うございました。
【 「従米か愛国か」(5) 文科系 2013年01月07日 12時50分35秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
7 今後の日本に関わって
①孫崎享の提言
『アメリカに潰された政治家たち』の終章は『本当の「戦後」が終わるとき』となっている。そして、その最後のセクション4ページちょっとが『民意が変われば政治が変わる』と題されているから、これが孫崎の今の日本国際政治への望みなのだろう。以下は、そこから抜粋する。最初に言っておけば、外務省の国際情報局長を経て防衛大学教授だった人がこういう考えを持っているというのは、ちょっと嬉しいことと感じたものだ。
『 私は1日も早く、1人でも多くの日本人が、アメリカに対する幻想を捨て、対米従属のくびきから逃れてほしい願っています 』
『 自主路線の政治家は再び現れるのでしょうか。いま、政治家に求められる条件とは以下のようなものだと思います。
第一に、修羅場から逃げないことです。失うことを恐れないこと。今、政界を見渡して、「すべてを失ってもいいから勝負してやろうじゃないか」という政治家はいません。
第二に、若い候補であることです。国民は古い政治家を見放しています。これは時代の流れです。若い世代の支持を獲得できる政治家が出てこない限り、風は吹きません。
第三に、政策的に国民が求めている「原発再稼働反対」「消費増税反対」「TPP反対」を断固やる、という姿勢です。
以上の条件を踏まえた上で、実現しないという前提であえて申し上げれば、小沢新党が森ゆうこ議員あたりを首相候補に掲げれば、国民的な風が吹く可能性があります。彼女はそれらの条件をすべて備えているからです 』
読んでいるうちに、孫崎享が鳩山や小沢のブレインの1人のよう感じられないだろうか。
②僕の総体的感想──「アメリカは案外もろいのではないか」
孫崎は、アメリカの日本への基本戦略をこう述べている。
『 前章で述べたとおり、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」はアメリカの”虎の尾”です。これで怒らないはずがないのです 』
この虎の尾2本の本質を、この根強さとか永続可能性とかを、そもそもどう捉えたらよいのだろうか。こんなものが一体なぜ、小沢への執拗な抹殺行動へと繋がるのか。普通に考えれば、産軍政複合体が、仮想敵国設定とかそれに向けての経済大国日本の軍事化とかを図って、その自己増殖を遂げていくことがこの虎の尾の動機だと見られよう。が僕は、それだけとはどうしても思えないのである。
そもそもこれでは、冷戦後のアメリカの指導者たちが、こう考えていたことと合理的に合わないのである。「冷戦体制が終わった今、他国の軍事力などで怖いものはもう存在しない。本当に怖いのは、日本の(今は多分中国の)経済力である。これからは軍事産業から民需経済に変えるべきである」。そう、軍事力だけが強くても、経済が衰えたらその軍事力さえ維持できないのだ。当時そう語った一人が、ポール・ケネディ、「大国の興亡」。アメリカはなぜ民需に変わらなかったのか。この矛盾にこそ僕は、アメリカの不可思議、不条理を見る。経済力に武力で対抗したら、戦争ばかりしていなければならぬことになるのだし、経済の軍事化はやがて経済自身の停滞を呼ばずにはおかないだろう。今時、こんな政権、戦略に永続性があるわけはないだろうと言いたい。そして、この不条理をどうやったら説明できるかということに、僕は腐心してきた。そして、こんな結論に達した。
アメリカの伝統的ワスプ(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)などのエスタブリッシュメントが、その一方は産軍複合体へ、他の一方は現物経済より手っ取り早いファンドによる金転がしに走っただけなのだと。
そこにさらに、こんなことも加わるのではないか。「アメリカ西部流マチズモ」。象徴的例示で言えば、全米ライフル協会。その精神がアメリカ議会を席巻しているようなものではないのだろうか。いくら銃による悲劇が起こっても、銃への愛着が捨てられない。あげくは「学校自体も銃で武装せよ。要員はわれわれが派遣する」などと言い出す。こういう一種の選民思想と相まって、「アメリカ西部流マチズモ」を他国にひけらかして、相手を押さえつけたような気になる優越感が手放せないのではないか。それだけエスタブリッシュメント2、3,4世が退廃しているのではないかと思いふけっていたものだ。
定めた目的の実現には恐ろしく強くとも、人間の目的そのものを深くは考えて来なかったとは、アメリカ生まれのプラグマティズム哲学の本質。今のアメリカは退廃し、かつばらばらになっていて、案外もろいと思わざるをえない。】
【 「従米か愛国か」(5) 文科系 2013年01月07日 12時50分35秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
7 今後の日本に関わって
①孫崎享の提言
『アメリカに潰された政治家たち』の終章は『本当の「戦後」が終わるとき』となっている。そして、その最後のセクション4ページちょっとが『民意が変われば政治が変わる』と題されているから、これが孫崎の今の日本国際政治への望みなのだろう。以下は、そこから抜粋する。最初に言っておけば、外務省の国際情報局長を経て防衛大学教授だった人がこういう考えを持っているというのは、ちょっと嬉しいことと感じたものだ。
『 私は1日も早く、1人でも多くの日本人が、アメリカに対する幻想を捨て、対米従属のくびきから逃れてほしい願っています 』
『 自主路線の政治家は再び現れるのでしょうか。いま、政治家に求められる条件とは以下のようなものだと思います。
第一に、修羅場から逃げないことです。失うことを恐れないこと。今、政界を見渡して、「すべてを失ってもいいから勝負してやろうじゃないか」という政治家はいません。
第二に、若い候補であることです。国民は古い政治家を見放しています。これは時代の流れです。若い世代の支持を獲得できる政治家が出てこない限り、風は吹きません。
第三に、政策的に国民が求めている「原発再稼働反対」「消費増税反対」「TPP反対」を断固やる、という姿勢です。
以上の条件を踏まえた上で、実現しないという前提であえて申し上げれば、小沢新党が森ゆうこ議員あたりを首相候補に掲げれば、国民的な風が吹く可能性があります。彼女はそれらの条件をすべて備えているからです 』
読んでいるうちに、孫崎享が鳩山や小沢のブレインの1人のよう感じられないだろうか。
②僕の総体的感想──「アメリカは案外もろいのではないか」
孫崎は、アメリカの日本への基本戦略をこう述べている。
『 前章で述べたとおり、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」はアメリカの”虎の尾”です。これで怒らないはずがないのです 』
この虎の尾2本の本質を、この根強さとか永続可能性とかを、そもそもどう捉えたらよいのだろうか。こんなものが一体なぜ、小沢への執拗な抹殺行動へと繋がるのか。普通に考えれば、産軍政複合体が、仮想敵国設定とかそれに向けての経済大国日本の軍事化とかを図って、その自己増殖を遂げていくことがこの虎の尾の動機だと見られよう。が僕は、それだけとはどうしても思えないのである。
そもそもこれでは、冷戦後のアメリカの指導者たちが、こう考えていたことと合理的に合わないのである。「冷戦体制が終わった今、他国の軍事力などで怖いものはもう存在しない。本当に怖いのは、日本の(今は多分中国の)経済力である。これからは軍事産業から民需経済に変えるべきである」。そう、軍事力だけが強くても、経済が衰えたらその軍事力さえ維持できないのだ。当時そう語った一人が、ポール・ケネディ、「大国の興亡」。アメリカはなぜ民需に変わらなかったのか。この矛盾にこそ僕は、アメリカの不可思議、不条理を見る。経済力に武力で対抗したら、戦争ばかりしていなければならぬことになるのだし、経済の軍事化はやがて経済自身の停滞を呼ばずにはおかないだろう。今時、こんな政権、戦略に永続性があるわけはないだろうと言いたい。そして、この不条理をどうやったら説明できるかということに、僕は腐心してきた。そして、こんな結論に達した。
アメリカの伝統的ワスプ(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)などのエスタブリッシュメントが、その一方は産軍複合体へ、他の一方は現物経済より手っ取り早いファンドによる金転がしに走っただけなのだと。
そこにさらに、こんなことも加わるのではないか。「アメリカ西部流マチズモ」。象徴的例示で言えば、全米ライフル協会。その精神がアメリカ議会を席巻しているようなものではないのだろうか。いくら銃による悲劇が起こっても、銃への愛着が捨てられない。あげくは「学校自体も銃で武装せよ。要員はわれわれが派遣する」などと言い出す。こういう一種の選民思想と相まって、「アメリカ西部流マチズモ」を他国にひけらかして、相手を押さえつけたような気になる優越感が手放せないのではないか。それだけエスタブリッシュメント2、3,4世が退廃しているのではないかと思いふけっていたものだ。
定めた目的の実現には恐ろしく強くとも、人間の目的そのものを深くは考えて来なかったとは、アメリカ生まれのプラグマティズム哲学の本質。今のアメリカは退廃し、かつばらばらになっていて、案外もろいと思わざるをえない。】