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「正気が試される時代」吉岡氏の一文。       ネット虫

2007年04月24日 11時36分03秒 | Weblog

「わたしたちの正気が試されている。」
  吉岡忍(作家)
  朝日新聞2007.4.19

人はだれも、廃墟のイメージを持っている。世の中が崩れ、終末を迎えるときの光景だ。普段、口にこそ出さないが、人間の心の底にはそういう不気味なものが必ずある。長崎の伊藤一長市長に対する銃撃事件を知ったとき、とっさに私は、世の中が壊れていくと思った。
世の中の終末を、真っ暗な闇だという人もいるだろう。別の人は、紅蓮の炎が渦巻き、建物が崩れ落ちていく光景を思うかべるかもしれない。多くの人間たちが狂気に駆られ、「殺せ」「やっちまえ」と叫んでまわるさまを思い浮かべる人もいる。新聞やテレビを通じて、戦争やテロの残酷さ、地震や津波の洪水の惨状を見聞きしている私たちには、この世の崩壊を思い描くことは難しくない。
だが、私にはそういうどぎついイメージはない。あるのはもっと淡泊な、あっさりした廃墟の景色である。 
まずそこは、きらきらと明るいにちがいない。人間たちは、自分以外のことは考えたがらない。あれを食べたい、これを着たい、この人が好き、あれもこれもしなくちゃ、と少し忙しく、少し幸福だ。しかし、自分の忙しさや快適さや幸せの邪魔になるものについては、おそろしく不寛容だろう。無視する、キレる、あるいはひょっとして殺すかもしれない。明るくて、無知。忙しくて、攻撃的。快適で不寛容。幸福で、暴力的。そんな人間たちがあふれかえった社会。それが、私が思い描く廃墟のイメージである。
今回の事件を知った安倍首相の最初のコメントに、私は失望した。首相は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」と語ったという。この人は、調べさえすれば、事件の動機や真相がわかると考えているらしい。
世の中はそんなに単純だろうか。幼女連続融解殺害事件や酒鬼薔薇事件を引き合いに出すまでもなく、ここ何年も、本当の動機を不問に付したまま処理された事件が相次いだ。被害者を自殺に追いやるいじめ、親子や夫婦や兄弟姉妹の間の殺し合いなど、きっかけの単純さと結果の凶悪さがどう結びついたのかを解明しないまま、この社会はただ犯人に厳罰を科すだけでやり過ごしてきた。
もうひとつ、イラク戦争のことも付け加えておくべきだろうか。当時のフセイン政権が大量破壊兵器を持っていると非難して始めたあの戦争は、アメリカ政府とそれを支持したイギリスや日本の政府の過ちだった。しかし、責任ある者たちは動機をごまかし、武力を誇示し、相手をねじ伏せてしまえばいい、とばかりに戦争をつづけ、暴力的風潮を世界中にはびこらせた。
伊藤市長を撃った容疑者は、市道工事現場での自動車事故をめぐるトラブルがあったとも伝えられる。そこでキレて、市長を殺したとしたら、いくら捜査しても、あぜんとするほどの短絡さが浮かび上がるだけだろう。そこにあるのは無知と攻撃性、不寛容と暴力だけである。この短絡した行為が民主主義を壊してしまう。歴史と文化、知識と知恵に鈍感な者たちが始める戦争と同じことをする。それこそが、世の中の終わりなのだ、と私は思う。繰り返せば、その薄い表面を明るさと忙しさ、快適さとちょっとした幸せが覆い、飾っている。
世界は終わらない。終わったためしなどないのだが、明るい廃墟は人間の生きる場所ではない。どこのだれが行使するのであれ、武力と暴力にノーを言い続ける、私たちの正気が試されている。

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さらに加えたい。 (千里眼)
2007-04-24 14:01:01
 暴力団や右翼の利権あさり・金品強要の攻撃の矛先が、地方自治体に向けられる傾向が強まってきてはいないだろうか。すごい剣幕で怒鳴り込まれた場合、対応する担当者は、その対応に四苦八苦するであろう。そういえば、奈良県の小学校の女性校長が、担任の対応について執拗に怒鳴り込まれ、ついに自殺に追いやられた事件があった(これは利権あさりではないが)。


 私は、今回の長崎の事件の背景について、この地方の右翼や暴力団のなかに、長崎市が核廃絶運動や平和運動に熱心だということに対する反感があったのではないか、そしてそれが、今回の短絡的な市長襲撃・殺人の背景になってはいないのか、と疑っている。
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吉岡さんとは。ありがとう (文科系)
2007-04-24 20:39:41
ネット虫さんへ

吉岡忍さんとは、本当に有り難う。僕が最も注目するノンフィクション作家で、宮崎勤、サカキバラセイトなどをていねいに追い、分析したものを読みましたが、実に見事な分析と思いました。
僕は朝日新聞を取っていないし、ネット虫さんの今までの投稿では最も注目するものとして、読ませて頂きました。

彼の分析で感心する所は、人間の心の一番奥まで入っていこうとするその態度です。時代や人間たちの分析で最も根深く、大切でありながら、難しいものはその感情という側面だと思います。もちろんある個人の人間観、社会観、無意識のそれも関わった人間を感情という局面から眺めてみるということなのですけれど。
彼の以下の分析には、総て同意です。まず「終末」についてこう述べる所。
「私にはそういうどぎついイメージはない。あるのはもっと淡泊な、あっさりした廃墟の景色である」
「そこにあるのは無知と攻撃性、不寛容と暴力だけである。この短絡した行為が民主主義を壊してしまう。歴史と文化、知識と知恵に鈍感な者たちが始める戦争と同じことをする。それこそが、世の中の終わりなのだ、と私は思う。繰り返せば、その薄い表面を明るさと忙しさ、快適さとちょっとした幸せが覆い、飾っている」

この分析は、当ブログの4月22日「テレビと新聞」で、4月11日「現代日本人の『死』観に関わって」で落石さんなどと行った討論とうり二つだと自負しています。

重ねて、有り難うございました。
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