国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」での「平和の少女像」などの展示中止を受け、
中止を求めていた実行委員会会長代行の名古屋市の河村たかし市長は3日、
「やめれば済む問題ではない」と述べ、展示を決めた関係者に謝罪を求めた。
市長さんが問題視した企画展は『表現の不自由展・その後』
その趣旨は次の通りです。
「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が
脅かされているのではないかという強い危機意識から、
組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、
2015年に開催された展覧会。
「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、
近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、
当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。
今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、
2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、
同様に不許可になった理由とともに展示する。
これは一向に問題とは思われない。
むしろ企画展をガソリン缶で焼くという脅迫をしたものがいることの方が問題。
市長はその立場はどうであれ、こうした脅迫をどう考えていらっしゃるのだろうか?
どうも一言も触れていないみたい。
市長というパブリックな役割をどうお考えなのでしょう?
中止を求めていた実行委員会会長代行の名古屋市の河村たかし市長は3日、
「やめれば済む問題ではない」と述べ、展示を決めた関係者に謝罪を求めた。
市長さんが問題視した企画展は『表現の不自由展・その後』
その趣旨は次の通りです。
「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が
脅かされているのではないかという強い危機意識から、
組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、
2015年に開催された展覧会。
「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、
近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、
当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。
今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、
2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、
同様に不許可になった理由とともに展示する。
これは一向に問題とは思われない。
むしろ企画展をガソリン缶で焼くという脅迫をしたものがいることの方が問題。
市長はその立場はどうであれ、こうした脅迫をどう考えていらっしゃるのだろうか?
どうも一言も触れていないみたい。
市長というパブリックな役割をどうお考えなのでしょう?
でも2016年百田尚樹氏のサイン会が「サイン会場を爆破する」という脅迫電話により中止されたけれど、マスコミは一切報道しなかったよね。こっちはいいんだ。
主催者は脅迫に対して何かあってはと、中止を決めた。それよりもこんな脅迫者を逮捕することが何よりも優先だろう。江戸時代でさえ火付けは獄門である。まして、その予告など、これだけで獄門。
それを、日本の今の警察は何も動かない。これで言論、表現の自由が守れるはずなどないのに。
ちなみに、右の言論、表現の自由への侵害に対してこれを守る措置を執るべきというのも、当然のこと。
河村市長の謝れ発言は、ナンセンスの極みだと思った。彼は南京虐殺でもおかしな発言をしていたが、彼のあれらって一体何なんだろう? 基本的人権や立憲主義も分かっていないのかな。
「空気を読めないバカ、引っ込め!」なんでしょうね。
むしろ、文ちゃんみたいに、「反日でなにが悪い」と、突っ張ってみせたら、面白かったのに。
河村さんは、突っ込みたがっているけど、最後まで、分からないままかもね。
ヘンな話だね。
文化系さんは表現の自由と誹謗中傷、ヘイトといったことをどのように考えておられるのでしょうか?
『自由な議論を萎縮する傾向があるよう』
これって、『萎縮させる傾向』ではなく、『萎縮する傾向』なのだから、僕が萎縮させるのではなく、君が萎縮するのね。馬鹿を知っているから萎縮するのかも知れぬが、そんな文章は書かないことだ。恥ずかしすぎるから。
コメントに対する表現を勝手に変更し論旨を変更するということもしていますよね。。
また、コメントに的確に回答していないケースも多いです。
文科系さん自身の能力か誠実性の問題かは分かりませんが、このような行為がブログ自体の信頼性を著しく損なっていることに気付くべきです。
ところで、文科系さんは日本以外にルーツがあるのでしょうか?