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「文明史が塗り替えられつつある」  文科系

2014年03月11日 21時36分37秒 | その他

 今ギリシャ・トルコの旅から帰ったばかりで、これを書いている。7日の拙稿「旅先で大論争」以降に学んだ事を書いてみたい。
 世界4大文明よりも古い「都市」は、この大論争で述べたチャタル・ホユック(トルコはコンヤ近くの遺跡)だけではないと分かった。イスタンブールも紀元前6500年には「都市(一定規模の定住)」があったようだし、チャタルほど大きなものではなくとも、メソポタミアには農業、牧畜実施を土台とした「都市」がいくつか見つかっているようだ。ただ、この農業、牧畜と都市出現(一定数の定住)の関係が難しいので、僕の前コメントを再掲しておきたい。ここの理屈が分からないと、4大文明の発生原理自身が分からない事になるからである。

『らくせきさんに改めて。
 言わんとすることは分かるつもりです。上の文明全てと並行して例えば、オーストラリア(後で付けた注ーーこのオーストラリア移住は、後で調べたが誤り。正しくは、約6000年前)やアメリカ大陸にも原住民の生活が既に存在したはずで、これらがけっして価値的に上と比べて劣るものではないと見ること。だからこそ次にはこうなるはずだということ。
 価値的に等しいいろんな文化が世界中で並行して展開されていたということ。その上で、人類史のある一つの流れのことを語っているのだとの自覚が必要だということ。ただこれが、現生人類大部分の生活に「史実として最も大きくつながってくる現在まで最古と言える一潮流の遺跡」であるとは述べても良いかということ。こう理解しなければ、僕が、ドーソンか論争のお相手のような傾向になってしまうと、そんなことを考えていました。ありがとう。』

『補足です。上の「現生人類大部分の生活に史実として最も大きくつながってくる現在まで最古と言える一潮流の遺跡」について一言。
 こんなふうに説明されてきたかと思います。農業か牧畜の発生発展。都市の形成。身分や奴隷制度の発生。軍事支配機構、文字の発生、宗教、国家の発生などなど。これらが、世界四大文明につながっていったと説明されていたかと思います』

  以上の流れで大切なのはこういう理屈かと思う。
①狩猟・採取経済では、一カ所にたくさんの人々が住めないし、第一定住という事自身があり得ない。食料に限りがあり、季節移動生活になるからだ。
②また、狩猟・採取経済では、奴隷制度も出来ない。多数の奴隷を食わせられないし、そもそも貧富の差も出来ないから奴隷を支配する軍事組織も出来ないからだ。
③農業、牧畜が生まれて初めて、一定数の定住、貧富の差、その軍事支配機構、奴隷制度などが生まれたと言える。
④世界最古四大文明(メソポタミア、エジプト、インド・インダス川流域、中国・黄河流域。それぞれ紀元前3000年~3800年発生)は、以上を経て出来上がった。だからこそ、農業、牧畜があって、3000~8000人が定住していたチャタル・ホユックが紀元前7000年に存在したことが、画期的な意味を持つわけである。

 ところでさて、こういう文脈の中で、冒頭に述べた事を想い出していただきたい。イスタンブールに紀元前6500年に「都市」、一定数の定住があった事、メソポタミアにチャタル・ホユックよりも古い農業・牧畜地帯があった事が大切な意味を持つわけである。

 最後に、以上から見れば日本の三内丸山遺跡などはなかなかのものと分かる。紀元前1万年ほどに始まったと言われる縄文時代、その前期中葉には集落があったのだから。もっとも縄文時代は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期と、紀元前4世紀まで続くのだ。ただ、「縄文農耕論」が問題になるほどに、日本農業の発生時期は大問題であるらしい。

 こういう歴史を考える時、今どき「日本人、日本人」と何か特別の区分のように叫んでいるネトウヨ連中が笑える。三内丸山も含めて以上に述べた現生人類の全てが、何回もあったアフリカ脱出に起源をもつ人類がいる中で(ネアンデルタールとかジャワ原人とか、北京原人とか)、15万年ほど前にただ一度アフリカを出た女性(グループ)から生まれた兄弟だということだけははっきりしているのだから。なかでも日本人の起源などは、北方起源・混血説が示すように、朝鮮民族や昔の満州人と兄弟もイー所なのだ。兄弟とケンカしてどうするのか。部族兄弟のけんかが見えるならば、部族祖先はさぞ泣いていることだろう。もっと言うと、文字にせよ仏教にせよ、全て彼等から学んだものだ。彼等から直接学んだものでないものは、縄文土器、漆器とひらがなというほどに、ごく少数だ。だからこそ、漆器の事を英語でジャパンというくらいである。

 ところで、この2週間のアクセス数、凄いですね。2,570と2,787人です。2,787人というのは、僕の記録では11年5月15~21日の週の2,815人に次ぐもの。なお、この最多数は、同年同月のこの前週8~14日の3,426人です。この時期とは、こんな時だったのです。この年に起こった3/11の全貌が見え始めて、民主党菅政権が大揺れに揺れ始めた時。世界では、ウイクリークスが行った日米など大国政治の過去暗部暴露に世界が震撼としていた時期・・・・。 


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追加の一言 (文科系)
2014-03-13 02:14:10
 私見だが、上の世界文明形成史に「論理的に関わってくるはずの最重要の命題」が一つある。言語学者チョムスキーの直接には関係なさそうに見えるこんな提起だ。
 5万年ほど前に始まったと思われる現生人類固有の遺伝的言語能力、これを基礎とした認識能力という命題、概念である。これは「普遍文法理論」と呼ばれているが、このチョムスキーがこういう人物であるとは、誰もが押さえておくべきことであろう。プラトン、フロイト、聖書とならんで現代学問論文で引用される事が多い学者なのである。「生きている人物の中で最も重要な知識人」(ニューヨークタイムズ)
と形容されるのも当然という人物だ。
 古代人の言語自身は、文字になっていない限り残らない。文字になる以前の言語は、頭蓋骨、そこから一部類推できる言語筋肉の付具合から推定するだけである。考古学では、そんな事しかできないのである。まるで、靴の上から痒い所を書くのと同じで、なかなか言語自身にはせまる事は出来ない。が、チョムスキーのこの提起が、上の歴史に絡んでくる事は確かである。15万年前のDNAで結ばれて生まれた現生人類が、五万年前に同じ形の普遍文法を所有した。長い集団団的・計画的努力が必要な農業、牧畜、都市形成、身分支配などなどに、それらの発生の所で言語が関わっていないはずがないのである。だが、その機能の果たした役割は、形の考古学からはなかなか見えてこないはずなのである。考古学の最も難しい部分、今後の最大課題なのでもあろう。 
 
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トルコ政府観光局の12年発表から (文科系)
2014-03-13 04:13:46
『 チャタルホユックの新石器時代遺跡は、紀元前8000 年にトルコの中央アナトリアで栄えた新石器時代の集落跡で、世界で最も古い集落の1つと言われています。34 エーカー(約137,593 平方メートル)にわたる二つの丘から形成されており、東側の高い丘は、18 層におよぶ紀元前7400 年から6200 年の新石
器時代の層からなり、壁画やレリーフ、彫刻、その他様々なオブジェや芸術作品が発掘されています。また同時に、これらの遺跡は人間が座る生活に適合していく過程での社会的組織や文化慣習の進化を証明しています。西側の丘は、紀元前6200 年から5200 年の金石併用時代における文化慣習の進化を表しています。チャタルホユックは2000 年以上に渡り同じ土地で絶えること無く人々が暮らし、都市化されたことを表す重要な証拠を私たちに提供しています。遺跡は現在も発掘中で、アンカラのアナトリア文明博物館には、有名な神殿(復元)とともに現地から出土した女神像や新石器時代のフレスコ画が展示してあります。』
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