「日本は満州の経営とソ連の脅威で手一杯なのですから、こちらから当時のシナに攻めて行く理由がないのです」、独創的な見解を保守系さんは、述べている。しかも、保守系さんは、以前にもこの見解を何度か繰り返えしている。もし、保守系さんの独自の見解でなく、依拠した文献があるならば、教えて欲しいと思っている。
本当にそうなのであろうか。軍事力の面から見ていく。満州に駐屯する関東軍は、当初1個師団と独立守備隊6個大隊で発足した。満州事変とともに拡大につぐ拡大で、日中戦争直前には4個師団+独立守備隊5個大隊に拡大していた。これとて日本陸軍の当時の常備兵力の30個師団の7分の1に過ぎない。余力は十分にあったのである。
おそらく、保守系さんは、何らの根拠もなく「余力がなかった」と勝手な判断をして、「シナに攻めて行く」はずがないと言っているとしか思えない。
おそらく、保守系さんは知らないであろうが、保守系の論客の論文を見ると、どうも当時参謀本部第一本部長の職にあった石原莞爾少将の見解を念頭に入れて、論じているようだ。ここから、この保守系さんの独創的見解が出てきているものと思われる。もし違っていたならば、訂正して欲しいのだが。
あれほど満州事変で活躍した石原は、参謀本部内の若手佐官から、「軟弱者」・「敗北主義者」という批判を受けながらも、不拡大方針を唱えたのだ。ただし「余力がないから」ということではない。そこが保守系さんの独創的見解とは異なるのだ。彼は、二正面作戦は避けるべきだ、できれば蒋介石とも手を組んで対ソ戦略にあたるべし、と考えていたのだ。若手佐官たちにすれば、謀略を使って満州事変を始めた石原のくせに、ということになるのであろう。
石原の見解は、謀略によって自分の作り上げた満州国第一主義の見解であって、参謀本部の主流の見解にはなりえなかったのだ。それゆえに、盧溝橋事件のすぐあとの9月27日に関東軍へ転出させられ、再び参謀本部へ戻ることはなかった。
その7、その8で触れることになるであろう、満州事変後の陸軍の実際の行動そのものが、保守系さんのこの見解(「余力がなかった」という)を事実の上で否定しているのだ。さらには、その4で触れた「昭和十一年度支那占領地域統治計画」と「第二次北支処理要綱」を思い出して欲しい。盧溝橋以前から、陸軍と政府は北支に国民党政権から切り離した親日的な傀儡政権の樹立を考えていたのだ。この事実は完璧な資料が残っているので、保守系さんといえど否定は出来ないはずだ。保守系さんの見解が妄想の産物であることは、これで完全に証明できた。
本当にそうなのであろうか。軍事力の面から見ていく。満州に駐屯する関東軍は、当初1個師団と独立守備隊6個大隊で発足した。満州事変とともに拡大につぐ拡大で、日中戦争直前には4個師団+独立守備隊5個大隊に拡大していた。これとて日本陸軍の当時の常備兵力の30個師団の7分の1に過ぎない。余力は十分にあったのである。
おそらく、保守系さんは、何らの根拠もなく「余力がなかった」と勝手な判断をして、「シナに攻めて行く」はずがないと言っているとしか思えない。
おそらく、保守系さんは知らないであろうが、保守系の論客の論文を見ると、どうも当時参謀本部第一本部長の職にあった石原莞爾少将の見解を念頭に入れて、論じているようだ。ここから、この保守系さんの独創的見解が出てきているものと思われる。もし違っていたならば、訂正して欲しいのだが。
あれほど満州事変で活躍した石原は、参謀本部内の若手佐官から、「軟弱者」・「敗北主義者」という批判を受けながらも、不拡大方針を唱えたのだ。ただし「余力がないから」ということではない。そこが保守系さんの独創的見解とは異なるのだ。彼は、二正面作戦は避けるべきだ、できれば蒋介石とも手を組んで対ソ戦略にあたるべし、と考えていたのだ。若手佐官たちにすれば、謀略を使って満州事変を始めた石原のくせに、ということになるのであろう。
石原の見解は、謀略によって自分の作り上げた満州国第一主義の見解であって、参謀本部の主流の見解にはなりえなかったのだ。それゆえに、盧溝橋事件のすぐあとの9月27日に関東軍へ転出させられ、再び参謀本部へ戻ることはなかった。
その7、その8で触れることになるであろう、満州事変後の陸軍の実際の行動そのものが、保守系さんのこの見解(「余力がなかった」という)を事実の上で否定しているのだ。さらには、その4で触れた「昭和十一年度支那占領地域統治計画」と「第二次北支処理要綱」を思い出して欲しい。盧溝橋以前から、陸軍と政府は北支に国民党政権から切り離した親日的な傀儡政権の樹立を考えていたのだ。この事実は完璧な資料が残っているので、保守系さんといえど否定は出来ないはずだ。保守系さんの見解が妄想の産物であることは、これで完全に証明できた。
これから6・7と続きますか?要は千里眼さんは、日本にはあの戦争に義がなかったと言われるのでしょうか。一体不正義の戦争とはなんでしょうか。あのシナとの戦争ですか、米英蘭との戦争ですか?
シナでの英国などの事も書くと言われていますが、もうどうでしょうか?要は、九条をそのままにしておき、自衛隊の存在を認めるのですか、認めないのですか、認めないというなら小牧か守山の自衛隊にテロでも起こして下さい。私はくどくこのブログで、歴史は連綿としたもので何処かの時点だけを削って批判しても仕方がないと言ってきました。
千里眼さんは、あの日露戦争は否定しますか肯定されますか。戦争というのは、少なくとも互いに敵意を感じないと起きないものです。その敵意というのは、日本に向けられているであろう北朝鮮のミサイルであり、シナのミサイルをもってそれらを敵国というのです。だから何を千里眼は守るのですか?
この平和ボケした日本ですか?それで貴方の子供や孫達に責任がとれますか?いつまでも戦前のある断面をとってのお話はもういいです。
憲法は改正されます。いつまでこの日本はアメリカの属国扱いにされなければなりませんか?その意味を千里眼さんは理解されていますか?
恐らくですが千里眼さんも私もこの世から間もなく退場していきます。私もそうですね・・もう15年は持たないでしょう。79歳は、生物的にも私の生きるという視野には入っていません。
今日、15日、「俺は君のためにこそ」という映画を見てきました。私の行ったことのある知覧からの特攻の映画でした。その中に印象深いものがありました。
それは朝鮮人の士官学校へ行きたかった特攻兵士が「俺は、どういう意味で死ぬのかと」という語りが印象的でした。日本韓半島は同じ法律が適用されていましたが、しかし民族の意識は日本人と異なるのでしょう。私はそれは当然だと思いました。
また何故特攻かと問われます。それは、恐らくこの戦争は負けるだろうが、せめて負けかたにおいて、7対3か6対4にしたいといいます。それは後付けの事かもわかりませんが、戦争でも負け方もあるのでしょう。
あの原爆の2個で日本は、天皇陛下の裁断で終戦宣言をしますが、特攻の意味は、アメリカが本土上陸をしたならばどれ程犠牲者を出すのかという為という意味が理解できました。千里眼さん、千里眼さんは、まだあの東京裁判を心から、あるいは国際法からも肯定されます。また現在の憲法成立の国際法違反も認めますか?この憲法を改正か創憲するのが大事な所です。では。
以前貴方と何回も討論した最後に僕は、貴方の思考の中にはこんな「結論的な抽象物」がいくつかあるのではないかって、何度も結び、それらに直接に言及したことがありますよね?その都度、お返事はなかったのですが。そのことを今、全く角度を変えてお伝えしたいと思いました。
以下はもちろん常日頃の自分自身への戒めでもあります。僕は以下のようなことばかりやってきて、極めて優柔不断、臆病、観照癖を地でいくような人間にしか過ぎないのですが、まー聞いてください。
どんな人間の思考(感情をも含めて)も、こういう本質的側面を持っていると思います。
具体的事実と抽象的結論との突き合わせの歴史、その現段階であると。事実だけを語っているように見える人も、主として抽象的結論的な言葉を語りがちな人でも、これは同じこと。過去にやってきたその人にとってのこの二つの突き合わせの歴史的現段階を、無意識的なものも含めて、語っているに過ぎないと思うのですね。
その人が気になったいくつかの具体的な戦争という歴史的「事実」からでも、人は全く異なった抽象的結論をだすものでしょう?
「人間は仲良くもなりうるが、やはりまず争うものだ」、「戦争はなくならない。これからでも増えこそする」、「だから、人生、政治にとって、家族、国民のためにそういう戦争への備え、軍備こそ大事な大事な最優先事項である」、「太平洋戦争もなによりも、そういったものだったと捉えるべきだ」
「人間は争ってきたが、仲良くもなりうる」、「20世紀に戦争は減ってきたし、これからもっと減らしうる」、「だから人生、政治にとって、国と国との関係ももう軍備より外交で解決できるのではないか」、「太平洋戦争もなによりも、そういったものだったと捉えるべきだ」
とまー極端に書きすぎましたが、先も読んでくださいね。
夫婦げんかでもこれと同じと申し上げたことがありました。相手の過去の最も気になったいくつかの言動から、例えば「凄く干渉する人」と抽象的な結論をある時出したとする。
当然「そういう所」ばかり見えて仕方なく、もう違う面はいっぱいあっても見えにくくなり、相手を嫌いにもなっていきます。局面が違う場合、そうでない面もいっぱいあるはずで、それに目を向けられれば仲良くなれる場合もあるのにね。
例えば相手がすごくきれい好きでご自分もきれい好きで、ご自分の方が行動が速く家を凄くきれいにしている場合を考えてください。相手は干渉しないでしょうし、ご自分のその面を「素晴らしい人だ」と評価しているはずです。意識して評価している人と、世間が狭くって他人との比較ができないので無意識に当たり前になっていて「ただ満足している人」とが存在するのでしょうが。とにかく、そういう局面では「凄く干渉しない」ということにはかわりはありません。ですが、しかし「干渉しすぎ」が気になっている場合には、そんな良い面、つまり二人の幸せは全く見えませんよね。不幸なことです。
話を元に戻します。「具体的事実と抽象的結論との突き合わせの歴史、その現段階」について。
日本人は、上記の「抽象的結論」、自分の中のそういう抽象物に極めて弱く、これへの態度が浅いです。だから、自分の中のその「突き合わせの歴史」の広がりと、深さがない。因みに、人間精神のそういう働きは本来人文科学の領域だったのですが、今は精神科も扱いますね。治療をするとき、この「自分の中の抽象物」のもの凄くきつい奴を自覚させ、それと上手くつきあっていくやり方を身につけさせることによって乗り越えさせていく。まーそんな本質のものです。
さて、日本人はこれが極めて弱いですよ。右も左も。相当の知識人でも。人文科学の歴史が浅くその領域が情緒に流れてきたこと、宗教的発想習慣がないこと、社会的規制が強力なこと、実用主義・便宜主義、などなどが関係しているのでしょうね。
最後に、一言。
日本人がこういうふうだからこそ、貴方と僕、保守と左がこうして長く話し合ってきたこの場所は極めて貴重なものだと思っています。単に情緒的にやればもうとっくに終わっている。そして、終わっていないからこそ、僕にとって多くの「僕の抽象物」の自覚があった。
私の歴史に対する態度は、①歴史は勝者の歴史であること②未来の羅針盤である③歴史は勧善懲悪では、割り切れない、④歴史とは、その瞬間における選択の結果、⑤歴史から都合の良いものを取り出してはならない、⑥現在起きている現象から過去へ巡る⑦わかりやすい話しは、疑うなどようにしています。これも出来る限りですが・・。
僕以外の誰かが語る方が、けっこう多くの方が知り、分かっている重要な知識だとお示しすることができるはずです。また、それこそこういう抽象的世界にどっぷり浸かっている僕よりも、分かりやすい説明もしてくれそうにも思うのです。サボるというのじゃなくってね。
どうかよろしく。
ヒットラーが総統に就任したのが前年です。1933年には、日本は、国際連盟を脱退しています。
日本も統制経済に入っていきます。
日本と世界の年表を見ると、ひたひたと第二次世界大戦、大東亜・太平洋戦争への道へと・・。
さてこの本の中から①ブロック経済への懸念が、強く書いてあります。・・近年満州国の独立によって日満提携の政策が確立したが、他国のブロック比すればはなはだ小規模で、或いはブロックとまでいい得ないものかも知れぬ。しかし米国及びソ連邦の如き大ブロックに挟まれて、国を樹てねばならぬ我が国の現状に於いては、その物資自給策を確立し、外国からの脅威を排する上に於いて日満経済ブロックの成立は、必須の政策である。特に近年、我が国が列強より差別関税輸入制限をもって脅かされ、また満州国列強によって否認され、国際生活の仲間入りを拒否される以上、両国のブロック形成は必然の勢いである。
とし、列国の各種世界順位とい図表があります。
それを見ると、石油産高17位、アメリカ1位・ドイツ15位、フランス21位、英国にはバーがありますが、これは植民地のがわからないのでしょう。ソ連2位になっています。石油の消費は、日本は9位、アメリカは1位、英国は3位、ドイツは6位、ソ連は2位、イタリアは10位です。生ゴムの消費は、日本は3位、米国は1位、英国は2位など・・。商船トン数、日本は3位、米国は2位、英国は1位です。軍艦トン数では、日本3位、米国2位、英国1位、ドイツ7位、仏4位、イタリア、5位、ソ連6位というよになっています。その他金の保有高・セメント・自動車生産・米・羊毛などが比較してありますが、米国・英国は、極めて各種の生産と消費がバランスとれています。今同様に資源小国であり、輸出で成り立つ国であります。満州国を得てもそこは消費地域でもなく石油の採掘はまだまだの話し、石炭位でしょうか、日本は6位ですから・・。この本でのこの日本の順位での総括の一つに、我が国の持つ弱点は国富の貧弱さと産業の発達不十分な事であるが、ここ数年の産業の発展は誠に驚異に値いするもので、列強の産業萎衰微沈滞せる時にあたり我が国では非常な速度で伸張したから種々の工産品において日本は世界第一位ないし第三位を占めるようになったものが甚だ多い。
ただ発展の日なお浅い為に国富の貧弱は依然として変わりないが、今後産業の発達に怠りなく、他方においては国力不相応の失費を防ぐに努むるならば我が国富もまた期しれ待つべきである。・・。としています。
長い紹介になりましたが、私は、こうした日本の現実の力は、相当に多くの国民も理解していたということではないかという事です。当然、軍部も天皇も政治家も・・。私は、特に千里眼さんに言いたいのですが、何故、日本は、あの戦争を戦ったのでしょうか?
といいたいのです。
この国が当時の覇権国家の面影を残すイギリス・新興の世界の覇権国家となるアメリカと戦争を起こすのか、いや起こさざるを得なかったのかということではないのでしょうか。マッカーのもここへ登場させましたが、再度書きますが、「あの戦争は日本の自存自衛の戦いであり、また共産主義への警戒心が薄かった」と・・。
そして私のあの戦争への総括は、これまでも述べてきましたが、①あの戦争は自存自衛の戦争であった②かつ昭和天皇の独白録にあるように、日本人移民への排斥、ブロック経済、人種平等案の否決、民族独立は、白人のみといった第一次世界大戦の戦後処理をアメリカも英国も間違えた事に起因すると思います。③あの同時多発テロから世界は新たな紛争の起きる世界になってきましたし、そして、日本の周辺国に核?とミサイルを持った国が二つ存在しようとする状態です。我が国の国民を強制連行したり殺したりする北朝鮮があります。これでも日本は、九条を改正することなく平和平和と叫び、戦前の日本を断罪する、私にはわかりません。文科系さんの軍備より外交というのは、理解不能です。外交と軍事力は一体のもですから・・。
5月16日、私はNHKの衛星TV1で「ミサイル防衛構想で米・ロが緊張」というのと、引き続き「台湾・軍事演習」を見ました。前者のは、米国がポーランドとチェコでしたか、中距離ミサイルを「イラン用」として配備するものですが、ロシアはそれは自国へのものだと言っています。私も間違いなくロシアの主張が正しいと思います。しかし、アメリカの狙いは、石油や天然ガスで得たお金で再び軍拡にロシアを走らせない陰謀?が隠されている所です。かつロシアのプーチンもそれを理解しているのです。私は、外交というか再びロシアを軍拡競争に巻き込み、かってのレーガンとゴルバチョフではないのですが、プーチンに圧力をかけているのです。依然、アメリカはロシアの軍事予算を大きく引き離しているのです。これは凄い戦略だと思いました。さて次は、「台湾の軍事演習」問題です。
これも中々のものでした。北京オリンピック以降に中国の台湾への武力侵攻への危険性を配慮した演習です。これも最近の米国の中国ヘの接近に対しての牽制でもあると解説者も言っていました。
来年でしたか今年でしたか、台湾は総統の選挙を迎えます。国民は、国民党なのか民進党なのかの選択か迫られます。更にアメリカは、もし台湾有事の際に台湾を助けるのかというのがこの軍事演習の目的です。
中国は今の所コメントをしていません。
私は、もう戦前の日本の事はいいのです。
逃げる訳ではありませんが、このブログを続けるなら今起きている問題について、議論しませんか?
過去から学ぶ事も大事ですが、今起きているものから日本のあるべき姿(国防でも良い、集団的自衛権でも良い)そのあり方を議論しませんか?確かに九条問題
が憲法改正の大きな柱でしょう。それは私も理解していますが、その改正のために、戦前の日本の罪?を裁いてもどうなるものではないでしょう?
この日本がせめて孫達が世界に出ていっても日本人といしての誇りを維持し、世界はアメリカの意思のままにならないようにするのも大事ではないのですか。
憲法改正は、日本が今後も日本であり続けけるものだと思うのです。いつまでも日本がアメリカの手先でいいのでしょうか、たかがの北朝鮮に日本人の拉致被害者をそのままにして良いのでしょうか?
国家の意味は、自国の民の生命と安全を守るのが最低限の意味ではないのでしょうか?
保守系さんへ
早速の御応答(16日のコメントのこと)、嬉しかったです。
そして、分かっていただくように、もう一度書き直してみます。分かっていただいた方が、今後の討論が遙かに豊かになると思いますので。
貴方のあげた①~⑦も僕流に語ると、無数の歴史的事実や無数の貴方の人生経験から結論された、抽象的結論です。抽象というのは個別的でかつ同類のいくつかの具体的知識、体験などから一つの結論を導き出すことと(「像を抜き出す」という意味)と考えてください。そして人間はこういう結論を無数に持って新たな体験とか歴史観察、勉強とかをするということもね。
だから、こういう結論は体験的事実によってどんどん修正されていったり、急にコペルニクス的に180度転回したりもする。
さて、こういう抽象的なものはそれに対して必ず反対の結論もあげられるから、絶対視してはいけないものです。例えば貴方は、観察し学んだ歴史の中の無数の個々の出来事や、貴方の無数の個々の体験などから、「人間は争う者で、戦争は昔からあり、これからも同じだ」と大きく抽象的な結論を出されている。そして、「その結論を使って、それを視点、観点として、歴史の勉強や政治的事件の観察、整理や、あなたの新しい体験の分析、整理などを行っている」はずだ。こうして、貴方が、太平洋戦争論議を僕らとしているときも、全く同じことです。こういう結論は直接には語らないけれど、こういう結論から導き出される都合の良い事実だけを、しかもかなりねじ曲げて語られる。そのねじ曲げた部分を千里眼さんに突かれるたびに謝ることになるというわけです。
だから貴方が言う6つの歴史の見方のうち、「⑤歴史から都合の良いものを取り出してはならない」、なんて全くしていないということを自覚するべきです。だって、「個々の重大事実認識でころころ謝っていても、一向にちっとも結論は微動だにしない」なんて、⑤の最たる者じゃないですか。また例えば①に対しては、「スパルタカスの反乱を歴史に残してローマを告発した人もいた」そして、「その知識は今に凄く役立つ貴重なものである」などもすぐに反論としてあげられると自覚するべきです。
僕はそういう自覚をしているから、論議をするときの自分が、「無前提で、客観的なことだけを語っている」などとは到底思えないのですね。かといって「ご都合主義」は自分の根底を無くするようでもっと嫌だから、到底そんなふうにはなれない。
こうして僕は、貴方の「歴史への教訓6つ」の③⑥なども、貴方よりはより自覚していると思います。だから優柔不断で、ころころ変わるようにも見える。誠実なんですよ。
この続きがあるので、それは投稿で書きます。
大プラグマティズム哲学者だったかの一人の出発点的大命題に、「まず信念を固めろ」とかいうのがありました。哲学、思考を道具とだけ考えれば、「何に向かっての道具か」がないことになる。そこを各人で決めろというわけなんです。この哲学体系らしい、発想ですね。
ところで、こういう哲学は本質のところでご都合主義、便宜主義です。そして、哲学の世界で「ご都合主義、便宜主義」と言われたらその哲学はもう終わりですよ。金のない銀行家みたいなもんだ。だからプラグマティズムは、もっと伝統があって、洗練されたドイツやイギリスの実証主義で武装しなおさねばならぬことになり、そこへ組み込まれていったはずです。
ご都合主義には、「真理でも、『現実的』でもなんでもない。ただ勝手なだけだ。だから勝手にしゃべってろ!」と言われますから。
学問って、30年、50年、100年の単位で見たらやっぱり厳しいもんです。弱肉強食の企業でも同じでしょう。長期計画がしっかりして、長期的に現実的なところだけが、伸びる。そういうように、哲学の長期的世界的潮流からいったら、西部なんてのはもうクズ以外のもんじゃないはずです。
以上も、以下も、だからといって、貴方を全面否定するわけじゃ、全くない。
貴方は第1、哲学者じゃありませんし、親しみの持てる面がいっぱいあるし、僕の知らない面もまだまだ多いはず。言葉で遣り合っているだけで相手が分かるもんでもありませんしね。言葉の世界なんて、相手のほんの一部ですから。
また、僕の歴史認識、認識一般を自覚させてくれる相手としては、貴方のような人はいなかったので、これからも話したいんです。貴方にとってもそうのはずと、勝手に片思いしてますが。
ただ、以下を一言。
貴方の歴史の結論、教訓、視点7つには、⑥を中心として、このプラグマティズムの臭いがぷんぷんします。だから、この7つの間が矛盾するなんてことも、考えたことあります?矛盾する場合、その優劣などどうするのですか。矛盾の優劣付け、構造的把握こそ、より広くて、よい命題への入り口のはず。それを考えるのだったら、自分の抽象的前提を僕のように覗いてみてください。
私も貴方も生きてはいなかった時代、いや生きていたから、その時代の実相に迫る事が出来たかどうかもわかりませんが・・。
といって私達は、何を歴史から学ぶのでしょうか。
貴方のプラグマティズム、実用主義ともいいお節介とも訳されていますが、私の何処がこれにあてはまりますか?ただ千里眼さんと貴方と一緒にしたのがいけないと反省しています。千里眼さんには千里眼さんとうように区別して反論すべきでした。言い訳ですが、このブログは、保守系らしき人が少ないか居ないのが辛い所なのです。それに今更、哲学を勉強する事はありません。せめて保守主義とはというものだけは、読み直してみたいと思っています。では。