これは、昨日のエントリーへのコメント討論に関わるもの。コメントの一部への批判です。実に粗雑な読み方をするものだと感じました。誠実に付き合うのが、アホらしいほどに。
このエントリー文章からこういうことを語るのは、文章解釈だけで既に誤読、ダメです。
『皇室を自由や民主主義や平和の砦とするのは誤りです』(只今3世さん)
『寄りにもよって、天皇を政治利用しようとか、それこそ戦前に逆戻りだろうに。日本の護憲・左翼勢力もここまで堕ちたということでしょうかね』(sicaさん)
これらの批判者が批判する該当文章を厳密に規定すれば、これだけのはず。
『 少なくとも今のところ思いがけない人物が抵抗勢力になり得る。81歳の天皇、明仁だ。日本会議が政治問題に戻るのを待っている、その人である。
さる1月、新年の祝辞に際して、天皇は行間で、歴史の反動的な解釈に反対であることを示した。2月、長男である皇太子、55歳の徳仁殿下はさらに雄弁だった。極めて稀な記者会見の席で、皇太子殿下は、』
こういうエントリー文章へのこういう感覚的かつ粗雑なコメント諸氏の読み方に対して、らくせきさんは何も応えていませんが、僕が代わって文章を読んでみましょう。
エントリーへの反論者が問題としうる箇所はまずここでしょう。
『抵抗勢力になり得る』
そして、『(皇太子が)さらに雄弁だった』と紹介した箇所でさえ、こんな表現です。
『戦争の歴史が「正しく伝えられる」ことを望んだ。逆説的に、皇室は今や、日本の自由民主主義の最も優れた盾となっている』
「なり得る」という言葉は、そう振る舞うべしと述べたことではまったくありません。単にそういう事実を伝えただけの一種の観測表現です。天皇に事実としてそういう発言を要求するという文章があったら象徴を踏み外す事を求めたことになりますが、フランスのこの論者はそう振る舞えと語ったわけではありません。まして、らくせきさんがそう語ったというのは言い掛かりも良い所です。
「皇室は今や、日本の自由民主主義の最も優れた盾となっている」というのも同じ事。歴代内閣と、敢えて言えば「憲法理念の歴代内閣歴史解釈の範囲で」象徴として「儀礼的言動」をなしたという事実を伝えているだけです。
というように、フランス誌がある事実報道をしたことをさして、及びこの報道をらくせきさんが伝えたことをさして、天皇はこう振る舞えと述べたということにはまったくなりません。そんな文章が一言でもあれば、それを指摘するべきでしょうが、そんな指摘もありません。それもしないでこんな批判をするのでは、お二人の批判が実に粗雑で感覚的な文章の読み方をしていると申し上げるほかありません。
こんな下らない言い掛かり内容よりもむしろ、フランス誌の記事内容やらくせきさんの紹介は、こんな事を警告しているはずだと言いたい。これからアベが、従来内閣に指示された儀礼的な天皇発言内容を換えていくのではないか、と。その怖れの方が大きいからこそこういう記事ができたと、それこそが世界史視点から見た今の日本史の流れというべきではないでしょうか。
ただし、こういう粗雑な読み方、反応に対しては、以下の一言を書いておくことこそ大いに意味のあること。そう考えた結びを、一つ。
アベが自分の思っているように憲法や国家体制を換えても天皇が今の象徴という地位にとどまるという一点を換えないのであれば、天皇は新たなアベ政権の見解を儀礼的に語るべき立場なのでしょう。その時にもし誰かが、「アベ以前のように語れ」と述べたとしたら、それは天皇の政治利用になることでしょう。
僕の言いたいことの主旨をもう一度まとめます。①政治儀式に象徴としてどこかに出る限り、政治発言はある。それを全く否定するならば、象徴という地位など作らぬ事だ。②その政治儀式発言は、時の憲法、その解釈方針の範囲内であるべきだ。そして最後にこれに付け加えて今日ここで述べたこととして、③(天皇に関わって)現在ある姿をそのまま述べた客観描写と、なんらか政治的な要望とは厳密に区別すべきである。そうでないと、いつも「政治的要望をして、象徴を踏み外せと述べたこと」になってしまう
私は、天皇のことは意見を述べたつもりはないので、
反論しませんでした。
天皇が現憲法を尊重しているのはよく分かります。
それは当然でしょう。
天皇は憲法によって規定されているわけだから。
圧倒的な支持があるの?
天皇は圧倒的な支持をうけているというなら納得。
安倍さんじゃ月となんとやら・
「天皇は象徴であれ」と主張するようなこんなことを書かれたあなた方なら、当然「象徴」を「元首」に替えることをお望みではないはずですよね。元首って、「君主国なら君主がそれに当たる」となっていて、その君主ってこういう意味ですから。「世襲による国家の統治者」。この意味はまー、北の首領様のようなとんでもないもんです。
ところで、自民党の多数が天皇を元首にしたがっていると聞いたのですが、それへのご意見をお聞かせ下さい。
日本の公的機関の見解を以下に記述する。
内閣法制局は、天皇を元首と呼びうるかは定義によると述べ、定義次第で、「天皇は元首と言って差し支えないと考える」とし、「天皇は国の象徴であり、さらにはごく一部では…外交関係において国を代表する面」もあるという限定された意味における「元首」であるとする。
裁判例においては、プラカード事件第二審において天皇は元首であると判示している。
要するに、北の元首と同等視するなど全く馬鹿らしいことです。本当に日本が北朝鮮のようになるというのですか?もともと戦前においても全く異なりますし。
そもそも現憲法の有効性、正当性は説明できないですよね。
これに該当する日本語がないためそう表記するしかないでしょう。
今更北朝鮮になりますか?日本人で本気でそう考える人はごく一部しかいないでしょう。もっと現実的に見てもらいたいと思います。
それからさっき書いた現憲法の有効性と正当性は説明できますか?
君主はこうありました。
『世襲による国家の統治者。王、天子、皇帝』と。
元首はこう。
『国家を代表する資格を持った国家機関。君主国では君主、共和国では大統領あるいは最高機関の長など』
明鏡国語辞典もほぼ同じ定義です。
天皇を元首とするなら、上の定義による3代世襲の国家統治機関・最高指導者である北の愚か者と、同じ事になってしまう。世襲の象徴を元首、統治者に替えればね。上に見たように日本語では、政治権能がなければ統治者とは呼べませんから。そして、今の象徴とは、統治機能がなく、内閣の指示に従う形式的儀礼的な政治役割だけのもののはずだ。
wikiや、現内閣法制局が伝統的日本語の定義に外れているのです。あるいは意図してこれをねじ曲げているということ。「定義による」などと言わずに、伝統的な日本語辞書にあわせるべきでしょう。
こうして、国民主権の民主主義国においては、象徴を統治機関のような元首という言葉に置き換えるのは根本的誤り、百歩譲っても君主国、つまり、君主が主権者である国と誤解を招く元になります。
コメントを書き直したら、貴方と後先になってしまった。ここにだけお応えします。
『もともと戦前においても全く異なりますし』
戦前の天皇制度が、北の首領様とどこで異なるのでしょう。世襲であって、統治者であるのだから、広辞苑に言う「君主」制度そのものではありませんか。関連して、民主主義国家ではありませんよ。ちなみに主権者たる国民でさえが存在していない。臣民と言われたんですから。
なお、これは何を言っているのか、その意味がさっぱり分かりません。上の解釈を巡って、貴方と僕があまりにも違う理解をしているからなのでしょうが、質問をし直して下さい。
『そもそも現憲法の有効性、正当性は説明できないですよね』
にもかかわらず、それが「平和や民主主義の砦」と見えてしまうのは、とりわけ、海外のメディアがそれを指摘するのは、それだけ現政権が偏向しているからだと思われます。加えていうならば、そうした政権の偏向に対して、日本のメディアも沈黙し、そして民意の側のみるべき抵抗もなく、選挙などにおいてもそれを容認しているのが現状だからでしょう。
そうした中で、天皇の「発言」が突出して見えているのが現状なのです。
しかし、それを過度に評価したり、それに期待をかけるのは誤りだと指摘したわけなのですが、それのどこが粗雑なのでしょうか。らくせきさんはともかく、そんな空気が少なからず散見されるのが現状なのです。
天皇の言葉はそれとして、私たちは自分たちの民意の発露として現政権と対峙しうる言説の場をもち、それを強化すべきだということなのです。
これが私のコメントの前半、後半は、らくせきさんが生長の家の現在のありようをご存じなかったのでそれを指摘したまでです。
ところで、上のコメントで「只今2世」と多分私のことを誤記されたうえで、「天皇を元首に云々」という質問がなされていますが、私のらくせきさんへのコメントのどこを読んだらそんな質問が出てくるのかさっぱりわかりません。「元首」は当然ながらもってもほか、それとは対極であれ、天皇に過度の期待を抱かず、現状の打破は私たち自身の言説をもって為すべきだというのが私の一貫した主張です。
どうも粗雑な読みは文科系さんの方で、そうした独断的な方法で他のコメンテーターを排除し続けた結果、ここには一部の常連のほかは、「名無し君」のようなネウヨ的野次馬コメンテーターがのさばる結果になったのではないでしょうか。
他人の名前・苗字を意図的にきちんと書かない人の文章は正直読みたくないし、真面目に読む気も起きません
どうして普通に「安倍」と書かずに「アベ」と書くのか、私には理解不能です
どんなに憎い相手でも、私は人の名前をわざわざカタカナにして批判はしません
そこには何か差別の匂いを感じるからです