21日は娘の結婚式。友人たちとの手作り結婚式だった。
式司会は職場の同僚(上司)、友達数人で運営された披露宴2次会にも出たが、若い人々が60人も参加されたろうか、もの凄くにぎやかだった。などなどで、とても良い式だったと思う。なお、両方の両親夫婦はほとんどお客さん、何もしなかった。
教育学部音楽課程出身で、海外青年協力隊(音楽教師で中米に2年行った)を経て、遅く小学校教諭になった娘らしく、音楽に溢れた結婚式だった。チャペル風の建物への2人の入場も生合唱トリオ「アベ・ベルム・コルプス」など。披露宴は、彼氏の弟の津軽三味線で入場、オーボエの生演奏でシューマンの曲や、ソプラノ独唱などがあった。これは娘がピアノ伴奏。
披露宴会場のピアノが、今や幻の「ベーゼンドルファー」。これがあったからこの式場にしたと言っても過言ではないらしい。
僕も、披露宴2次会冒頭でギターを弾いた。2人の入場の音楽として。全く上手くいかなかったけれど、早く入場してきてくれたので助かった。
披露宴では、そんな予定は全くないと思っていたのだが、泣いてしまった。僕にとっては全くのハプニング。披露宴最後に、こんなことがあったからだ。最後の娘の「言葉」冒頭が、こんなふうだったのである。
「お父さん。私の音楽好きの原点は貴方との保育園の往復の日々。2人で自転車で歌いながら通ったこと。「ちょうちょ」とか「聖しこの夜」とか、よく歌ったね。思えば、こんな小さな時から、2人で2部の合唱をしていた。 私たちも、音楽に溢れた家庭にしたいと思います」
それで僕はその後の応答の言葉のなかで、急遽こう返すことになった。
「君が覚えている自転車通いの話は、兄ちゃんが入学した後の最後の2年。その前の送迎はこうだったはず。家族4人で車で家を出て、車の中で朝食を取りながら、まず母さんを遠くの職場まで送っていく。それから、家の近くの保育園まで戻ってくる帰りには、3人で歌ばかり。ここまでの時間約、70分。それから僕の出勤。お迎えも僕で、また歌ったりね。その間に母さんは夕食作り。夕食を食べると、僕はまた、出勤。こんな2人の送迎7年こそ、僕を父親らしくしてくれたんだと思う。こんな僕は凄い薄給だったけど、今振り返れば僕らは豊かだったんじゃないかな」
そして昨日は、ギター友達たちの発表会があって、そこに友情出演。独奏1曲と、フラウト・トラベルソという楽器とのデュオを2曲と。独奏は4ヶ月も励んできた曲なのに、7割のでき。デュオはテンポ合わせに苦労した。「2人で配慮しあいの悪循環」というところで、5割のできか。
疲れた。クタクタだ。けれど、28日には「ギターで遊ぶ飲み会」が我が家である。当ブログ5月5日に第1回目の報告を投稿したその会の、2回目だ。春夏秋冬と年4回やることになった。同好の士の交歓には格別なモノがある。献立作り、買い出し、料理と頑張ってやろう!
式司会は職場の同僚(上司)、友達数人で運営された披露宴2次会にも出たが、若い人々が60人も参加されたろうか、もの凄くにぎやかだった。などなどで、とても良い式だったと思う。なお、両方の両親夫婦はほとんどお客さん、何もしなかった。
教育学部音楽課程出身で、海外青年協力隊(音楽教師で中米に2年行った)を経て、遅く小学校教諭になった娘らしく、音楽に溢れた結婚式だった。チャペル風の建物への2人の入場も生合唱トリオ「アベ・ベルム・コルプス」など。披露宴は、彼氏の弟の津軽三味線で入場、オーボエの生演奏でシューマンの曲や、ソプラノ独唱などがあった。これは娘がピアノ伴奏。
披露宴会場のピアノが、今や幻の「ベーゼンドルファー」。これがあったからこの式場にしたと言っても過言ではないらしい。
僕も、披露宴2次会冒頭でギターを弾いた。2人の入場の音楽として。全く上手くいかなかったけれど、早く入場してきてくれたので助かった。
披露宴では、そんな予定は全くないと思っていたのだが、泣いてしまった。僕にとっては全くのハプニング。披露宴最後に、こんなことがあったからだ。最後の娘の「言葉」冒頭が、こんなふうだったのである。
「お父さん。私の音楽好きの原点は貴方との保育園の往復の日々。2人で自転車で歌いながら通ったこと。「ちょうちょ」とか「聖しこの夜」とか、よく歌ったね。思えば、こんな小さな時から、2人で2部の合唱をしていた。 私たちも、音楽に溢れた家庭にしたいと思います」
それで僕はその後の応答の言葉のなかで、急遽こう返すことになった。
「君が覚えている自転車通いの話は、兄ちゃんが入学した後の最後の2年。その前の送迎はこうだったはず。家族4人で車で家を出て、車の中で朝食を取りながら、まず母さんを遠くの職場まで送っていく。それから、家の近くの保育園まで戻ってくる帰りには、3人で歌ばかり。ここまでの時間約、70分。それから僕の出勤。お迎えも僕で、また歌ったりね。その間に母さんは夕食作り。夕食を食べると、僕はまた、出勤。こんな2人の送迎7年こそ、僕を父親らしくしてくれたんだと思う。こんな僕は凄い薄給だったけど、今振り返れば僕らは豊かだったんじゃないかな」
そして昨日は、ギター友達たちの発表会があって、そこに友情出演。独奏1曲と、フラウト・トラベルソという楽器とのデュオを2曲と。独奏は4ヶ月も励んできた曲なのに、7割のでき。デュオはテンポ合わせに苦労した。「2人で配慮しあいの悪循環」というところで、5割のできか。
疲れた。クタクタだ。けれど、28日には「ギターで遊ぶ飲み会」が我が家である。当ブログ5月5日に第1回目の報告を投稿したその会の、2回目だ。春夏秋冬と年4回やることになった。同好の士の交歓には格別なモノがある。献立作り、買い出し、料理と頑張ってやろう!
小学校時代に北欧の貧しい家族が合奏で団欒する情景を読んでびっくりしました。そんなこともあり音楽のある家庭はなんとない憧れでしたね。
近い将来お孫さんを囲んだ合奏が出来そうですね。
音楽のある家庭は良いですね。
先ず、まもるさん、落石さん
孫も音楽好きになることは、毛頭疑っていません。人間の子どもって、音楽とダンスは好きになるようにできてるんだと考えています。音楽って、喜怒哀楽が叫びやうめきになり、それが一連の音の繋がり、芸術に育っていったようなもの。その時に体が思わず反応しているのが、ダンス。
音楽とダンスって、「人生って楽しいモノ」という期待感のようなものを育ててくれる大切なものなんだと考えています。不自然なオタクの文化とは違います。
日本でも、庶民にも上流家庭にも江戸期にはそれぞれ立派に育っていたモノが、明治維新と第二次世界大戦で途切れてしまった。悲しいことですね。
ワイス17さん
ワイスってギター作曲家だったですよね?
ギターをやられるんですね。ならとても嬉しい御応答です。
この間の僕の独奏曲はソルのエチュード作品6の12番。セゴビア編集「ソルの20エチュード集」では、第14番です。
デュオ曲はシューベルトのセレナーデと、日本歌曲「叱られて」。
これからもよろしくお願いいたします。
ご応答、ありがとう。
「ギター遊びの会」のこと、頑張りたくないことなら頑張らない質ですけど、これは心から自然にそうなっちゃうんですね。「好きなことは、好きな同志で」という何か共感力のようなものが人一倍強いんでしょうね。楽しみなんです。
合奏も、伴奏歌唱もできるわけですし。
ご応答有り難うございました。
父子で第九の出演とは、素晴らしい!
親子一緒に他の人と付き合えば、それぞれの他人への反応、言動から、家庭とはまた違った子親の側面が見えると思います。これは案外、非常に重要なことと、僕は考えています。
また、親子が社会人として一緒に連なる場所に身を置くことは、親子が「自然な人間同士の関係」である証拠。極めて良い関係なのだと思います。