万葉からだ歌(十三) 「身」こころとひとつ N・Rさんの作品です
朝影に吾が身はなりぬたまかぎる
ほのかに見えて去りにし人ゆえ
──あなた恋しさゆえに、わが身はやつれて朝影のようにやせ細りましたわ──。
万葉集に、あふれるほど多様に出てくるのが「身」という表記。日本人は古代から”身と心はひとつのもの”として使い込んできた。「身を入れて」は、心をこめて──の意。「身」の字は、女が身ごもり、体内に子どもがいる実のあるかたちで生まれた文字。社会への一歩も”身を立て名を挙げ”の歌詞で踏み出した。
「身分」「出身地」「自分自身」「身のほど知らず」とか「身を捨てる」「身を粉にして」「肌身離さず」など。さらに「転身する」「独身」「身支度」「身辺整理」「身投げ」「この身にかえ」と、それこそ身のまわりには整理しきれないほどの歌ばかり。
そんななかでも「身のこなし」「身につける」と頭より身についたものの大切さを表記したものが一番多い。
あしびきの山の雫に妹待つと
わが立ちぬれぬ山の雫に
──待ちわびて、わが身は山の雫にぬれてしまいましたよ──
これに対し相手の女性からは〈私は山雫になって恋しいあなたにまとわりつきたいね〉と返歌がくる。この身を何々にかえてでも的な表現が連発。
後年、樋口一葉の名作『たけくらべ』のなかでは、主人公の少女のことを〈身のこなし活き活きとして、色白く声も清くさわやか〉と身だしなみの美をこまごまと描き語っている。
つまり、頭でおぼえたものではなく、からだでおぼえる、身のついてこその”美”なのである。”身のこなし”という言い方は、近ごろあまり使われなくなってしまったが……。
一葉のいう「身のこなし」は、語源からみて”身を粉にする””熟す””こなす”という字にあてはめていたにちがいない。”着こなす”がそれ。
験なき物思わすは一杯のにごれる酒を
飲むべくあるらし
──か弱い人の身、くよくよ物思いにしずむより、酒に身をゆだねた方が楽しいぞ──
大伴旅人、酒の歌集中の第一首の秀歌。
朝影に吾が身はなりぬたまかぎる
ほのかに見えて去りにし人ゆえ
──あなた恋しさゆえに、わが身はやつれて朝影のようにやせ細りましたわ──。
万葉集に、あふれるほど多様に出てくるのが「身」という表記。日本人は古代から”身と心はひとつのもの”として使い込んできた。「身を入れて」は、心をこめて──の意。「身」の字は、女が身ごもり、体内に子どもがいる実のあるかたちで生まれた文字。社会への一歩も”身を立て名を挙げ”の歌詞で踏み出した。
「身分」「出身地」「自分自身」「身のほど知らず」とか「身を捨てる」「身を粉にして」「肌身離さず」など。さらに「転身する」「独身」「身支度」「身辺整理」「身投げ」「この身にかえ」と、それこそ身のまわりには整理しきれないほどの歌ばかり。
そんななかでも「身のこなし」「身につける」と頭より身についたものの大切さを表記したものが一番多い。
あしびきの山の雫に妹待つと
わが立ちぬれぬ山の雫に
──待ちわびて、わが身は山の雫にぬれてしまいましたよ──
これに対し相手の女性からは〈私は山雫になって恋しいあなたにまとわりつきたいね〉と返歌がくる。この身を何々にかえてでも的な表現が連発。
後年、樋口一葉の名作『たけくらべ』のなかでは、主人公の少女のことを〈身のこなし活き活きとして、色白く声も清くさわやか〉と身だしなみの美をこまごまと描き語っている。
つまり、頭でおぼえたものではなく、からだでおぼえる、身のついてこその”美”なのである。”身のこなし”という言い方は、近ごろあまり使われなくなってしまったが……。
一葉のいう「身のこなし」は、語源からみて”身を粉にする””熟す””こなす”という字にあてはめていたにちがいない。”着こなす”がそれ。
験なき物思わすは一杯のにごれる酒を
飲むべくあるらし
──か弱い人の身、くよくよ物思いにしずむより、酒に身をゆだねた方が楽しいぞ──
大伴旅人、酒の歌集中の第一首の秀歌。