問題意識はこういうことでした。まず、その子自身の能動的活動というものが、「『ガリ勉でないのに勉強できるし、スポーツも音楽もできて、あの人得だなー』という人が、高学年から中学にかけて目立っていく、そういう子の原動力です」と。そして、さらにこう付け加えました。「これに言語力が備わっていけば鬼に金棒。言語力の正体って、これが意外に難しいんですけど」と。 こういう位置づけの中の言語力についてまとめます。
以下今回はこのような項目でまず、予備知識としての言語説明を進めます。①感覚と言語、②具体的言語と抽象的言語、③外言と内言、ということで。
1 感覚と言語
感覚(的知識)とは人間の内面の元素みたいなもの。出生直後は見えはしても意味のなかった視覚像などが一つ一つ意味を持っていくことです。「オッパイが(パパが)オッパイだ(パパだ)と分かるようになる知識」ね。もちろん視覚像を視覚だけで捉えるのではなく、オッパイをくわえた感じ、持った感じ、飲んだ味の感じ、そして見えた感じとしてのオッパイなどと、自分の五感を体験に総動員して捉えるものね。こういう感覚が豊かな子がまず、内面が豊かということ。
これが、五感を総動員してよく遊ぶというようなことを通じて、外界に積極的に働きかけるように育った子ほど生まれやすい。そして、この感覚が言語の基礎にもなっていく。「オッパイってこういう感じ」というのがあって、そこに「オッパイ」という言葉が冠せられるということ。大人は「パンってこんな感じ」を軽視して、「パン」という「言い方の約束」に拘ってしまうけど、そんなのオウムの「パン」と一緒で無意味です。周囲の全てに「(Aと呼ぶ物って)、こんな感じだ」が、豊かにある内面がまず豊かということですね。
2 具体的言語と抽象的言語
豊かな感覚的知識・知能が、言語的知識・知能の基礎になりますが、言語にも段階があります。前者は目に見え、手で触れるようなもの。後者はそうでないもの。中間もありますかね?
車、足などは、具体的な物だとはわかりますね。「物の名前」は具体的。走るとか、泣くとかの動詞にもまー具体的なものが多い。こういうのは3歳までで十分手に負えます。ところで、勇気、真善美、「善い」、「真実だ」なんて、触れないでしょう?「そして」、「だから」、「しかし」なんて「接続詞」はみんなすごく抽象的なものです。「あの子『可愛い!』」は、中間に見える?この「可愛い」、厳密には抽象的なんですが、使い方がかなり勝手でも良い言葉で、あの子と結びついてるから具体的?
とにかくこういう抽象的言語がそのように正確にどんどん使えるのが小学生。中学年では見た物、やったことをどれだけずらずら書けても、良い作文とはいえません。名詞、動詞と接続詞「それから」だけの文章では、どれだけ多い記憶を書きつづってももうだめです。抽象的言語がいっぱい出てこないといけない。特に自分が感じたものを抽象的言語にしたり、自分の考え、推理、理解などを接続詞で繋いだりね。
3 外言と内言
外言とは、普通の喋り言葉のことで、誰にも分かります。しかし後者の存在は、ほとんどの人が知らない。自ら使ってきたのにです。厳密に難しく言うと、思考を進めるための言語です。その原形を述べれば分かってもらえる。小学校1,2年などで算数計算を喋りながらやる時期があるでしょう、あれです。「10繰り下がって、11から3を弾くからここは8で、繰り下げた所は10引いたのをよく覚えといて」というやつ。「自分で自分に言い聞かせる1人言葉」ね。だから「内言」と言う。内言は内言らしくやがて心、頭脳の内側で無意識に操作されて、外には出てこなくなる。「Aさん、さっきいたのにもういない。トイレにでも行ったかな?」とか、「昨日レジから2万円ばかり消えたみたいだから、これとこれとこれの可能性をよく見ていよう」などなど。
大人になって悩ましい複雑な問題の対策を考えようとする時、文字に書いたり、それを表にしたりして「整理していく」ことがあります。これは有能な人に多いですが、内言を内言らしく意識して使っているということ。直感的に簡単に答えを出さない。課題を全面的に見つつ、その修正、積み上げもしながら考え抜いていく。
(続く)
以下今回はこのような項目でまず、予備知識としての言語説明を進めます。①感覚と言語、②具体的言語と抽象的言語、③外言と内言、ということで。
1 感覚と言語
感覚(的知識)とは人間の内面の元素みたいなもの。出生直後は見えはしても意味のなかった視覚像などが一つ一つ意味を持っていくことです。「オッパイが(パパが)オッパイだ(パパだ)と分かるようになる知識」ね。もちろん視覚像を視覚だけで捉えるのではなく、オッパイをくわえた感じ、持った感じ、飲んだ味の感じ、そして見えた感じとしてのオッパイなどと、自分の五感を体験に総動員して捉えるものね。こういう感覚が豊かな子がまず、内面が豊かということ。
これが、五感を総動員してよく遊ぶというようなことを通じて、外界に積極的に働きかけるように育った子ほど生まれやすい。そして、この感覚が言語の基礎にもなっていく。「オッパイってこういう感じ」というのがあって、そこに「オッパイ」という言葉が冠せられるということ。大人は「パンってこんな感じ」を軽視して、「パン」という「言い方の約束」に拘ってしまうけど、そんなのオウムの「パン」と一緒で無意味です。周囲の全てに「(Aと呼ぶ物って)、こんな感じだ」が、豊かにある内面がまず豊かということですね。
2 具体的言語と抽象的言語
豊かな感覚的知識・知能が、言語的知識・知能の基礎になりますが、言語にも段階があります。前者は目に見え、手で触れるようなもの。後者はそうでないもの。中間もありますかね?
車、足などは、具体的な物だとはわかりますね。「物の名前」は具体的。走るとか、泣くとかの動詞にもまー具体的なものが多い。こういうのは3歳までで十分手に負えます。ところで、勇気、真善美、「善い」、「真実だ」なんて、触れないでしょう?「そして」、「だから」、「しかし」なんて「接続詞」はみんなすごく抽象的なものです。「あの子『可愛い!』」は、中間に見える?この「可愛い」、厳密には抽象的なんですが、使い方がかなり勝手でも良い言葉で、あの子と結びついてるから具体的?
とにかくこういう抽象的言語がそのように正確にどんどん使えるのが小学生。中学年では見た物、やったことをどれだけずらずら書けても、良い作文とはいえません。名詞、動詞と接続詞「それから」だけの文章では、どれだけ多い記憶を書きつづってももうだめです。抽象的言語がいっぱい出てこないといけない。特に自分が感じたものを抽象的言語にしたり、自分の考え、推理、理解などを接続詞で繋いだりね。
3 外言と内言
外言とは、普通の喋り言葉のことで、誰にも分かります。しかし後者の存在は、ほとんどの人が知らない。自ら使ってきたのにです。厳密に難しく言うと、思考を進めるための言語です。その原形を述べれば分かってもらえる。小学校1,2年などで算数計算を喋りながらやる時期があるでしょう、あれです。「10繰り下がって、11から3を弾くからここは8で、繰り下げた所は10引いたのをよく覚えといて」というやつ。「自分で自分に言い聞かせる1人言葉」ね。だから「内言」と言う。内言は内言らしくやがて心、頭脳の内側で無意識に操作されて、外には出てこなくなる。「Aさん、さっきいたのにもういない。トイレにでも行ったかな?」とか、「昨日レジから2万円ばかり消えたみたいだから、これとこれとこれの可能性をよく見ていよう」などなど。
大人になって悩ましい複雑な問題の対策を考えようとする時、文字に書いたり、それを表にしたりして「整理していく」ことがあります。これは有能な人に多いですが、内言を内言らしく意識して使っているということ。直感的に簡単に答えを出さない。課題を全面的に見つつ、その修正、積み上げもしながら考え抜いていく。
(続く)
ブログ開けました。
お話しは難しいところもありますが、だいたい判りました。
子育てをする時に心がける事は、「よく子供を楽しんで観察する」「したいことや言いたいことを気長に楽しんで見たり考えたりする」
「子供と一緒におしゃべりを楽しんだり遊んだりする」「新しいことを見つけたらほめて一緒によろこぶ」「子供の成長を他の子とくらべないでみとめてあげる」
ようは子育てを楽しむ気持ちを忘れないことですよね。
これは 忙しい生活の中では努力がいりますが、今の努力が将来のたのしみにもつながりますよね。
また 続きを楽しみにしています。