九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

釜山への旅② 壱岐   らくせき

2010年07月08日 14時31分22秒 | Weblog
唐津から壱岐の印通寺港まではフェリーで2時間弱。
すぐに旅館へ。夕食には、新鮮な魚介類が並ぶ。
鯛の刺身も身がぷりぷりして美味しい。

お酒の好きな人には、壱岐焼酎。
中国から伝わった製法を生かし、
麦2に対して米1の割合で配合した焼酎。
麦の香りとお米の甘みが特色とか。
残念ながら、飲めませんので、味は紹介できません。

私のお勧めは島うどん。
壱岐の塩と、五島列島に伝わった椿油を使った製法がミソ。
稲庭うどんのようにコシがあってウマイ。
お値段はずっとお値打ち。

ちょっと疲れた初日の夜は、早く寝ました。

翌日は、この春、完成したばかりの一支国博物館へ。
壱岐といえば、魏志倭人伝のなかに一支国として登場する島。
博物館は、一支国の都があった原の辻遺跡を見下ろす丘のうえ。
屋根は、ゆったりと丘のように波打ち、芝生が植えてあるなど、
景観にも配慮した黒川紀章の設計。
総工費38億円。小さな島には、地元負担の3億は大金。
議会でも賛否が分かれた、とガイドさんの話。

半島と壱岐の交易をテーマに、映像を使った紹介が終ると、
スクリーンがあがって、ホンモノの原の辻遺跡が
目の前に現れる工夫も良い。

原の辻遺跡には、さまざまな建物が復元されている。
興味深いのは、壱岐を訪れる使節団のための施設。
団長や従者のための建物から通訳のものまで揃っている。

環濠によって守られたこの集落には、王と呼ばれる人が住み、
朝鮮半島からの交易の使節団を迎えて、交易が行われた。
青銅器の製造も行われ、農業・漁業、工業と商業を
兼ね備えた古代都市だったという。

名古屋市の北にも、環濠集落の朝日遺跡があるが、
ここも壱岐と同じ様な都市的な拠点だったのだろうか?

      

壱岐と対馬、玄海灘に浮かぶ島。
ともに、漁業と農業、そして観光によって成り立っているが、
島の姿は対照的。
壱岐が丸くて平坦、対馬は長方形で山が深い。

壱岐は農地に恵まれ、自給自足の出来る島。
好条件が逆に悪条件になってしまうこともあった。

元と高麗の連合軍が日本を襲った元寇の役。
山深い対馬では、全滅を免れたが、壱岐では文字通り
全員が殺されてしまったという。
いまでも千人塚と呼ばれる遺跡があちこちに。

  夏蝶の飛ばぬ空おく壱岐の島

壱岐には、朝鮮の影はあまり感じられない。
というのは、現在は両島とも長崎県に属しているが、
江戸時代には、対馬は、宗氏が統治する対馬藩であり、
壱岐は九州・平戸藩に属していた。
そして、朝鮮との交流は対馬藩の独占であり、
壱岐は風待ちの港としての通過地点としての
意味合いが強かった。

2年ほど前に対馬の行ったことがある。
その時に対馬のガイドさんが、2つの島の人情について
「対馬は純朴、壱岐は商売上手」と評した。
壱岐のガイドさんに聞いたら笑って
「壱岐では逆だと思っていますよ」とのこと。
対抗意識の強い壱岐と対馬。

博物館を見学した後、印通寺港からフェリーで対馬へ。
江戸時代には府中と呼ばれ、対馬藩の城下町であった
厳原(いずはら)まで、およそ2時間の距離である。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旅先で観たスペイン・ドイツ... | トップ | とても良いお話   らくせき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。