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「若者が『出世』したくない?」によせて  文科系

2007年05月02日 08時38分35秒 | Weblog
最近の新聞で「若者の出世意識国際比較」とでも言うべき世論調査結果が報道された。日本の若者は特にそれが低く、出世したくないのだそうだ。毎日新聞小見出しには、「博士にも大臣にもなりたくない若者」とあったかな? 国際比較で極端に低い数字があげられていた。父親はじめ大人の男(女はそれほどでもないと思う)がつまらないからではないか。そんな折り、毎日新聞4月30日投書欄のある投稿が目にとまった。

表題は「仕事一筋! それでいい」、59歳の方。
まず、書き出し。「団塊世代が大量退職する『2007年問題』がかまびすしい。『第二の人生』をどうするの?とばかり、趣味、ボランティア、地域社会デビューなど騒々しい限り」。中略で。
「もっとも、仕事中心に生きてきた自分にとって、遊びとか楽しみには罪悪感を伴う。そんな損な世代なのだ。だから定年が近づいても、その後の人生設計など考えられない。それより何より、持てる力を存分に発揮できる部署で体が続く限り働きたい」
そして、この結びが肝心な所。
「仕事一筋! それでいいじゃないか。自分らしさが発揮でき、社会にも貢献でき、それで家族をも養えたのだから何の不足があろうか。私はそういう人生で満足だ」

さて、この59歳の投稿氏をまったく否定したいという訳ではない。それどころか「誠実で、立派に責任を果たされる方なのだろうな」とお見受けしている。僕などは多分、この方に比べたらその半分も仕事ができないかも知れないと推察している。その上で以下。
ここには日本男性の「思想」が開き直ったような形で示されていると思う。「命(=生活)」、「家族」、これを支えるものとしての「社会(貢献)」と「国」。そして彼は、それ以外を例として「趣味、ボランティア、地域社会デビューなど」と語り、「遊びとか楽しみ」と一括して、罪悪感までを付与してみせた。
旧日本人男性の価値観は、「命、生活」と「社会(貢献)」にどうしても偏っていると思う。これは右でも左でも同じだ。そもそもそれ以外は遊びなのか?僕は僕のギターを趣味と言われることにすら抵抗を覚えるのだが。趣味という言葉には本来、プロとは違うという含意もあるはずだ。ならば、ゴッホやシューベルトや芥川は美に命をかけ、ソクラテス、ガリレオ、吉田松陰、渡辺崋山らは真理に命をかけたが、これらはプロとして「仕事」だから価値があったのか?それにしたって、この投稿氏のように命と社会以外を「遊び」と命名して、罪悪感があるからと切って捨て、開き直って見せるこの感覚!? あまりにも人間が狭すぎると僕は思う。実際的といえば聞こえはよいのだが、古いし、一角の人間を目指そうとする若者ならば、その鑑賞に耐えるものでは決してあるまい。

家や部屋をちょっと飾ったり、その家の中にバッハを流したり、なにか楽器をやることを尊いことと感じたり、美味しい物・ワインがちゃんと分かったり、その分かったことを楽しくお喋りしあったり、何か真剣な人生探求、討論には敬意を払う。こういうことを僕は決して遊びとは言わない。ゴッホやシューベルトや芥川と同様の、人生の素晴らしさが分かる資質と表現したい。こういう自己実現には、プロとアマとの差別は不要のはずだ。
これからの若い人々のたった1度の人生というものを思えば、人生、人類に価値らしい価値を与えた先人たちが同じ1度の人生をどう過ごしたかを振り返れば、「団塊の世代の特徴」、戦後日本の特徴の一面性を指摘しないわけにはいかない。

なお、目前の実際的な社会問題をどうするかには、必ず上記の問題は大きく絡んで来ると思う。絶対に暇な討論ではない。例えば、戦後日本の左翼にも同じ欠陥があった。宮本顕治さんがよくやった「政治による文化の引き回し」などは、形は違うがその典型だったはずだ。ここでもいつも言うように、現代日本は後中進国型社会変革論や「窮乏革命論」(その亜流を含む)ではだめだと思う。知識人やちょっと余裕のある人がついてこないはずだ。そしてまた、そういう人々の社会的影響力がどんどん大きくなっていく時代だと考えている。「生活の質」というものを語ることができる人が、良心的な人々の中に発言権を持っていく社会ということだと。
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4 コメント

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フランス大統領選挙 (楽石)
2007-05-02 08:59:51
あまり関係ないコメントですが、
この文を読んでいて思い出したのが、
フランス選挙での有権者の声。
「より悪くない候補を選ぶしかない」

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文化系さんへ (千里眼)
2007-05-03 12:33:34
「仕事中心に生きてきた自分にとって、遊びとか楽しみには罪悪感を伴う。そんな損な世代なのだ。だから定年が近づいても、その後の人生設計など考えられない」という、ある男の述懐を見て、私はかって見た映画を思い出した。それは奥田


 ここに示されている文化系さんの考えに、私も賛成です。
返信する
失礼しました。 (千里眼)
2007-05-03 13:32:04
 どうしたことか、まだ投稿もしていないのに、ブログ原稿を入れたフロッピーを操作している最中に、投稿した形になって中途半端な文面が載ってしまいました。皆さんに謝ります。最初から書き直します。

 「仕事中心に生きてきた自分にとって、遊びとか楽しみには罪悪感を伴う。そんな損な世代なのだ。だから定年が近づいても、その後の人生設計など考えられない」という、ある男の述懐を見て、私はかって見た映画を思い出した。それは「長い散歩」という映画である。その主人公は仕事人間で、家庭まで破壊した男であった。娘にまで憎まれ一人さびしく一間のアパートで暮らしている。この投書した男性とこの映画の主人公が重なりあったのだ。

 おそらく、私はこの投書氏以上の仕事人間ではなかったのかと思う。睡眠と食事以外の持てる時間の大部分を仕事にそそいだのだから。夏休み・冬休みはなし、土日もなし、家にも仕事を持ち込む。という生活を長期間送ったのだ。

 しかし、投書氏のように「遊びとか楽しみには罪悪感を伴う」とは思っていない。「その後の人生設計など考えられない」とは思わなかった。

 仕事から身を引いたら、こうしたい・ああしたい、という願望と計画が山ほどあったのだ。その第一の願望が山とスキーの再開であった。思い焦がれるもどの願望だったのだ。実現している今、私は第二の青春時代を送っているという幸福感に包まれている。

 第二の願望は山の犠牲になり放棄した。歴史地理学の未開発の分野を開拓したいという望みであったのだが。必要文献・書籍は仕事人間のさなかから、こつこつと十分なほど集めていたのだが、山行の費用捻出のため、古本屋行きになってしまった。能力不足で無理という判断もあったのだが。今まさに第2回の図書売却のダンボール詰めをしいてる最中である。

 「趣味」という言葉には、私はなんとなく馴染めない。私は、それはその人間存在の一部だと思っている。それにしては「趣味」という言葉は軽すぎる。

 この私の思いと同様のことを、文化系さんもこの投稿に示しているものと感じた。


 

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お二人に (文科系)
2007-05-03 17:21:27
楽石さん

貴方のこの受け取り方は、これを書いた僕の気持ちにまさにぴったりです。社会、人生のネガティブなものをなくそうとする生き方と、ポジティブなものを求めようという生き方との違いということね。短く言えば「人はパンのみにて生きるにあらず」かな?

千里眼さん

無理強いして済みません。「命=生活、社会以外は遊び、趣味」という「思想」には、ここでも共闘して戦いましょう。

お二人へ、
たった一度の人間の一生は、とにかく大事だと思うから、僕はそこからすべてを考える。昔よく言われたように、「歴史の方向に沿って生きるのが価値ある人生」などと簡単には言えません。それも価値の一つなら良いが、実質人生それ一つになってしまっては、そういう「運動」も成功しないと考えるようになったということです。
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