右の方々は総じてこういう哲学を持っておられるようだ。①人間は争うもので、戦争は減っていないし、これからも減らない。②よって国際的問題は武力で解決する点が多いはずだ。③例えばイランでも、いずれアメリカが思うとおりにするだろう。というようにまー、性悪説のオンパレードなのである。
これに対して僕は無い知恵を振り絞ってこう語ってきた積もりだ。第2次大戦以降戦争は減っている。倫理的には人の命が平等に大切に見られるようになってきたし、政治的には民主主義が発達してきたからだ。民主主義は、例えポピュリズムを招くことがあるにせよ、小国の民族自決心から、大国では女性参政権も含めた普通選挙が為政者の暴走へのチェックとなるようになったことからなどなど、戦争抑止に繋がっている。などなどと。そして、これらの点から僕はイラク戦争の決着を注目すると語ってきたものだ。
そしていま、つくづく思う。「軍事力で横暴を通せる時代ではますますなくなってきたな」と。アメリカにとっては、ベトナムと並んで痛恨の教訓となったはずだと。これだけ世界的にも国内的にもマスコミが発達してきたら、大義名分が余程はっきり味方してないと、戦争はもう起こせないだろうなとも。還元すれば、相手にそんなに大きな大義名分を与えるような「大それた犯罪」を、どの国も重ねにくくなっただろうとも。そして、国連の戦争制止の役割が高まる中で、大国が絡んだ戦争はますます減るだろうなとも。
こうして、アメリカが今年に入って脅し続けてきたイラン戦争も、当面なくなったと言えるだろう。
声を大にして言いたい。「歴史は9条守れの方向だ」
これに対して僕は無い知恵を振り絞ってこう語ってきた積もりだ。第2次大戦以降戦争は減っている。倫理的には人の命が平等に大切に見られるようになってきたし、政治的には民主主義が発達してきたからだ。民主主義は、例えポピュリズムを招くことがあるにせよ、小国の民族自決心から、大国では女性参政権も含めた普通選挙が為政者の暴走へのチェックとなるようになったことからなどなど、戦争抑止に繋がっている。などなどと。そして、これらの点から僕はイラク戦争の決着を注目すると語ってきたものだ。
そしていま、つくづく思う。「軍事力で横暴を通せる時代ではますますなくなってきたな」と。アメリカにとっては、ベトナムと並んで痛恨の教訓となったはずだと。これだけ世界的にも国内的にもマスコミが発達してきたら、大義名分が余程はっきり味方してないと、戦争はもう起こせないだろうなとも。還元すれば、相手にそんなに大きな大義名分を与えるような「大それた犯罪」を、どの国も重ねにくくなっただろうとも。そして、国連の戦争制止の役割が高まる中で、大国が絡んだ戦争はますます減るだろうなとも。
こうして、アメリカが今年に入って脅し続けてきたイラン戦争も、当面なくなったと言えるだろう。
声を大にして言いたい。「歴史は9条守れの方向だ」
保守系論客の横暴な議論を許せないという気持ちが強いので。
日本がまがりなりにも、議会制であったなら
どうなっていたのだろうか?
実質、軍部の独裁政治だったために
当時の民意の動向は不明ですが、
行き詰まった昭和15年にあんな全体主義的
状況でなく、総選挙が行われていたら・・・
その一点だけでも、歴史は前進していると
思わせてくれます。
現在、それを保障しているのは9条でしょう。
これは、保革を問わず、意見は一致すると
思いますが。
考えてみれば、第2次大戦までは女性も加わった普通選挙国はごく稀だったんですよね。人種差別の方は、現在もまだまだ残っている。この二つが進み始めてまだ半世紀ですよ。この半世紀の、この二つの前進は世界政治への影響としても凄いものがあると思います。これを「人間は争うもの。戦争は減らない」と一言で片づけるのは、一種の観念論だと思いますねね。
千里眼さんへ
右の人の話を良く聞くと、実証の体裁はとっていても実は「こういう観念論」が出発点・本質である場合が圧倒的に多いはずです。性悪説観念論も含めてね。競争、イジメに慣れているせいか、若者の中にも案外この性悪説が通っていきますし。
実証的論争も大事ですが、こういう観念論の自覚に導くことも案外大事なような気がします。「相手の話の前提、仮説的態度」を問題にする論争の仕方ということですね。ディベートに不慣れな日本人は、実証だけでやろうとしますが、「最初に結論ありき」の人に実証だけでやってもキリがないでしょう。「自覚」のほうは、「北風と太陽」の後者のようなもんで、案外ジワリと効いていく。たとえ実証的前言は表だって翻さないにしても。
もちろん実証的「大東亜戦争賛美論」が満ちあふれている以上、実証的反論が大事なのは当然ですが。
それにしてもイラク戦争は凄い世界史的財産を残しましたね。
あのラムズフェルト(陰の大統領、共和党の実質の顔)が首ですよ。共和党敗北は何十年ぶり?スペイン、イタリアそして近くイギリスと潰れた政府も多々です。また、中東にエネルギーを使ってる間にお膝元の中南米は大変なことになってきました。チャベス、モラレス。そして、オルテガは親米右派の顔だった人を副大統領として、彼を反米に取り込んだのではないでしょうか。ブラジル、アルジェンチンなどとともに中南米が全体としてアメリカから離れていくのではないでしょうか。経済的にはいざ知らず、何よりも倫理的にね。大きいことです。
なによりもまた、アメリカはこれで国連を無視できなくなりましたね。とても良いことだと思います。
このブログに参加してから気づいたのですが、本屋の店頭の一角にコーナーを設けて、この手の雑誌・図書が並べられています。しかもその出版量は相当のものです。手にとって見ると、ひどい内容です。このままなしておけないという気持ちになりました。ブログを覗く人たちに、彼等のいい加減さを分って欲しい、という一点で連続投稿をしているのです。相手を論破するとか、論争するとか、という気持ちはさらさらないのです。
まずこういったこと。①「真理もへったくれもあるものか!」です。善意に解釈すれば、戦争への対処を何よりも優先せざるをえないはずだと主張するいうことなのでしょうか。「善悪の彼岸」、まるでニーチェの中の「生の哲学」という一大側面ですよ。これはあのナチズムに繋がっていった面でもありますから、案外見落とせない点ではないでしょうか。次いで②は、これに関連してきますが、「歴史解釈権」などと鬼の首でも取ったように堂々と語るのも、そう言った感覚からなのでしょう。宗教的臭いが強いにせよ真理を語ってきたヨーロッパでも、いやアメリカのプラグマティズムでさえ、こんなことは堂々とは言わないですよ。「こういう側面の語り口があっても良いだろう」程度の、片隅の談義のはずです。③次に、競争時代の若者にこの「生の哲学」が受けるのは、なるほど必然だとも思いますが、そこには一種のポピュリズムをも僕は感じますね。なんせ「床屋哲学」ならぬ「お笑い芸人哲学」が全盛の時代ですから、人々の現状は本物からはほど遠い。履修問題に見るように、教育、文部科学省は若者を一般教養からどんどん遠ざけてきたことですし。
失礼しました。