プロ野球日本代表の監督に落合博満の弟子、井端が選ばれたようだ。とても嬉しい。そのことを記念する気持で、以下を書く。永年思っていたことだ。
ちかごろ、野球復活の社会工作がマスコミぐるみであれこれと凄まじい。が、僕は「日本プロ野球はスポーツではなくなっている」と観てきた。その理由を書いてみよう。分かりやすいように、先ずその結論を。
集団球技で強くなるためには、監督が最重要とさえ言える。それなのに、日本プロ野球では監督がしょっちゅう替わっている。その度に強くなるなら良いが、日ハムの新庄、中日の立浪など、弱くなっていく場合の方が多いのではないか。なぜこんなことをやっているのか? 強さ以外のもの「も」求めているとしか思えないのである。いや、日本のプロ野球では、強さを求め続けていくことなど不可能になっていると言っても良い。以下はその「証明」のつもりだ。
集団球技で強くなるためには、監督が最重要とさえ言える。世界一競争が激しいプロスポーツ、サッカーの世界では、これは既に証明済みの真実である。世界的名選手など一人も雇えない一国の中堅チームが世界一などと躍り出てくる歴史的事件がよくあって、その時の監督がそのまま世界的名監督として功成り名遂げていくことが起こるからだ。イタリアのアリゴ・サッキ、ポルトガルのモウリーニョ、ドイツのクロップなどがその例である。日本代表監督だったイタリア人のザッケローニもそんな小例だろう。ちなみに、この前3人の歴史的名監督は、日本プロ野球監督によくあるような名選手などでは全くなかったどころか、サッキなどは確かアマチュア選手の経歴しかなかったのではないか。つまり、集団球技の監督能力は、名選手能力とは「全く別のもの」なのである。ラグビーやバスケット、バレーボールなどでも同じ事、国の代表チーム監督をそのスポーツが盛んな国の名監督に頼むと急に強くなる事などはよく観られる例である。
なのに、日本プロ野球では、こんなことさえ起こった。以下は、スポーツ好きの僕には耐えられぬ事であった。
監督・落合博満は日本プロ野球史上数少ないほど短期に名監督実績を作った。それなのに、彼の監督歴は非常に短く、再び彼を雇うチームがなかったのは、いったいどういうことなのか? ちなみに彼は、こう言っていたはずだ。「要請があれば、またやっても良い」と。
さらには、そもそも中日はあの彼をどうして解任したのか? 基本的に現有勢力だけを上積みして急な強化に成功して、間もなく優勝とか日本一とかというような名監督を。ここ数年のドラゴンズ成績からしたら、落合がいかに名監督だったかがさらに分かるというのに。
さて、この落合解任の理由も今はいくつか推察できる。
第一に、落合が示したように、6チーム程度の中では、容易に勝ち続けられる監督が生まれるものだ。そして、勝ち続けると全員の給料が上がって、その球団経営が行き詰まる。斜陽の野球界には、そんな金がないのである。
第二に、6チームしかないリーグで1チームが勝ち続けると、全体としての観客が減っていき、リーグ経営自体が困窮する事も起こりうる。そんなわけで、リーグ全体の観客を増やすための優勝チームの談合すらが存在したのではないかなどと、僕は密かに推察して来た。
こうして、今の日本プロ野球では優勝チームは次々と入れ替わるのである。その意味では、現在三連覇が続いているパリーグは健全とさえ言えるのではないかと、これも密かに思って来たことだ。つまり、言われているようにパリーグの方がより実力重視なのである。6チームしかなければむしろ、監督の力量次第で連勝があるというのが健全な姿のはずだ。
真のスポーツでありたければ、少なくとも先ず12チームで一リーグとせよ。ここで強くなりたければ、監督を過去の自チーム名選手に頼むなどと安易なことをせず、その実力を懸命必死に育てつつ、査定していくことになるだろう。ちなみに、18チームあるJ1リーグでは、勝てない監督はどんどん替わっているし、自チーム過去の名選手を監督にするなどと安易なことはどこもやっていない。
集団球技で強くなるためには、監督が最重要とさえ言える。それなのに、日本プロ野球では監督がしょっちゅう替わっている。その度に強くなるなら良いが、日ハムの新庄、中日の立浪など、弱くなっていく場合の方が多いのではないか。なぜこんなことをやっているのか? 強さ以外のもの「も」求めているとしか思えないのである。いや、日本のプロ野球では、強さを求め続けていくことなど不可能になっていると言っても良い。以下はその「証明」のつもりだ。
集団球技で強くなるためには、監督が最重要とさえ言える。世界一競争が激しいプロスポーツ、サッカーの世界では、これは既に証明済みの真実である。世界的名選手など一人も雇えない一国の中堅チームが世界一などと躍り出てくる歴史的事件がよくあって、その時の監督がそのまま世界的名監督として功成り名遂げていくことが起こるからだ。イタリアのアリゴ・サッキ、ポルトガルのモウリーニョ、ドイツのクロップなどがその例である。日本代表監督だったイタリア人のザッケローニもそんな小例だろう。ちなみに、この前3人の歴史的名監督は、日本プロ野球監督によくあるような名選手などでは全くなかったどころか、サッキなどは確かアマチュア選手の経歴しかなかったのではないか。つまり、集団球技の監督能力は、名選手能力とは「全く別のもの」なのである。ラグビーやバスケット、バレーボールなどでも同じ事、国の代表チーム監督をそのスポーツが盛んな国の名監督に頼むと急に強くなる事などはよく観られる例である。
なのに、日本プロ野球では、こんなことさえ起こった。以下は、スポーツ好きの僕には耐えられぬ事であった。
監督・落合博満は日本プロ野球史上数少ないほど短期に名監督実績を作った。それなのに、彼の監督歴は非常に短く、再び彼を雇うチームがなかったのは、いったいどういうことなのか? ちなみに彼は、こう言っていたはずだ。「要請があれば、またやっても良い」と。
さらには、そもそも中日はあの彼をどうして解任したのか? 基本的に現有勢力だけを上積みして急な強化に成功して、間もなく優勝とか日本一とかというような名監督を。ここ数年のドラゴンズ成績からしたら、落合がいかに名監督だったかがさらに分かるというのに。
さて、この落合解任の理由も今はいくつか推察できる。
第一に、落合が示したように、6チーム程度の中では、容易に勝ち続けられる監督が生まれるものだ。そして、勝ち続けると全員の給料が上がって、その球団経営が行き詰まる。斜陽の野球界には、そんな金がないのである。
第二に、6チームしかないリーグで1チームが勝ち続けると、全体としての観客が減っていき、リーグ経営自体が困窮する事も起こりうる。そんなわけで、リーグ全体の観客を増やすための優勝チームの談合すらが存在したのではないかなどと、僕は密かに推察して来た。
こうして、今の日本プロ野球では優勝チームは次々と入れ替わるのである。その意味では、現在三連覇が続いているパリーグは健全とさえ言えるのではないかと、これも密かに思って来たことだ。つまり、言われているようにパリーグの方がより実力重視なのである。6チームしかなければむしろ、監督の力量次第で連勝があるというのが健全な姿のはずだ。
真のスポーツでありたければ、少なくとも先ず12チームで一リーグとせよ。ここで強くなりたければ、監督を過去の自チーム名選手に頼むなどと安易なことをせず、その実力を懸命必死に育てつつ、査定していくことになるだろう。ちなみに、18チームあるJ1リーグでは、勝てない監督はどんどん替わっているし、自チーム過去の名選手を監督にするなどと安易なことはどこもやっていない。
監督らのこんな切磋琢磨からこそ、日本からも最近、世界に名を連ねる名監督が生まれた。横浜をここまでの強豪にしたポステコグルーが、スコットランド名門チームの監督として凄まじい実績を作り、今イングランドの名門トットナムの監督をやっている。また、金のない地方チームでも強豪に買われていく名選手がどんどん育ちつつなお弱くならない所があるのは、監督はじめ指導部が良いからだろう。鳥栖とか広島とかのことである。