3月1日のエントリー「歴史的戦争犯罪と一つの謎」にも標記のことを書いたのだが、この内容は今一層確かなものとなった。ウクライナ大統領は今になってロシアの交渉条件を呑むと言いだしたのだから。NATO加盟を延ばし、ドンパス地方の一定の独立性を認めようというように。今これだけの譲歩をするというのなら、ロシア侵攻以前にどうしてこんな言葉、方針を表明し続けていたのか。1日エントリーに書いた問題部分を改めて抜粋する。
『 さらには、ゼレンスキー大統領は、どうして最後までこのふたつのことを述べていたのか。
「NATOには加盟する」
「ロシアの侵攻はない。あるという人はその証拠を見せて欲しい」
今となっては、元俳優であった政治素人のゼレンスキーが、誰かにこう信じ込まされていたとしか思えないのである。僕もまた、このゼレンスキーの見方に賛成だったことになるのだが。「ウクライナがNATO加盟を図っても、ロシアは攻めてこない」
戦争を起こしたロシアが歴史的な戦争犯罪を犯した。が、それは前提として、ウクライナはどうして、従来の国際的約束通りにNATO加盟棚上げを継続すると改めて表明し直さなかったのか。今となっては、これだけが明確に戦争を避ける道だったのだけれど。』
これと同類の歴史的事件って、日本も起こしたと記憶している。太平洋戦争前夜に日本が中国南下から仏領インドシナ進出に打って出た時、アメリカの出方を見誤ったという事件があった。これが、アメリカの対日石油禁輸措置を呼び、そこから「じり貧を避けた乾坤一擲・真珠湾へとまっしぐら」になっていったという事件である。