安倍前首相は、五輪反対者は「五輪に不快感」を持った「反日」であるなどと語られた。ちなみに、戦前に非国民、反日という言葉が存在したのは、天皇主権国家だったからだ。大日本帝国憲法法制上では国民という言葉はなく臣民という言葉だけが使われていたのだから、天皇制反対は即非国民となっていく。
ところが、戦後は国民主権国家になった。国家とは何よりも先ずその国民のことであって、国民すべてが公僕である安倍の主人でもあり、その一部にでも「反日」などという言葉を持ち出すことなど、その国家原理的にありえない。自分が選挙に勝ったから、つまり国民の四分の一程度の支持があったからこれが可能だとして、「吾らこそは国民、反対者は非国民」と振る舞えるなどと錯覚しているのだろうが、「反対者も国の主人公である」ということを忘れた、誤りである。為政者が率先してある国民をヘイトして、自分の支持者と分断する音頭をとったような国は、民主主義国でなく全体主義国になっていったのではなかったか。自分のある意見に反対する国民を「反日」などと吹聴してまわる為政者は、そのこと自身にすでに独裁制志向が含まれていると識るべきである。ちなみに、安倍のこの発言は、民主主義の極意を示してきた有名な政治的教養、この格言への完全な無理解を示している。
『私は貴方の意見には反対である。だが、貴方の発言権は命を賭けても守りたい』