7月2日、明治公園で開催の【原発ゼロをめざす緊急行動】は、
『しんぶん赤旗』によれば、「二万人の人、人、人でうめつくされ」「志位委員長が“全国各地で草の根の運動に立ち上がろうではありませんか”と訴えると、会場から“そうだ”といっせいに呼応する声があがりました」
ということで、この暑い中にもかかわらず多くの参集を得て、よかったと思います。
この運動と別に、鎌田慧、澤地久枝、内橋克人さんなどの呼びかけによる
【原発さよなら集会】が、同じ会場で9月19日に開催されるとのこと。
この集会も、非難・攻撃を受けることなく成功するといいと思います。
何故こんなことをあえて言うかといえば、これまでの原水爆禁止運動の歴史は、
最初の分裂をもたらした「キレイな水爆」論争、続く古在由重氏など除名騒動など、二つの流れの非難、攻撃の中で翻弄される歴史でもあったからです。
チェルノブイリ衝撃によって世界の反核運動が盛り上がった時にすら、事態はこんな風に進行していました。
=日本でも広瀬隆著『危険な話』がベストセラーになるなどの高揚がありましたが、なぜ日本では原発推進・増設の流れにアクセルを踏んだのか。
このときの世論の転換点を、中村政夫著『原子力と報道』(中公新書)は次のような点に求めています。
[ヒロセタカシ現象]に危機感を抱いた自民党政府、電力会社の情報戦、特に日本共産党『文化評論』紙上の広瀬隆批判などを利用しての反原発言説封じ込めに中村氏は求めいますが、その真偽を含む歴史的検証が必要です。=(元一橋大学教授・加藤哲郎)
現在、原発危機について語っている人の多くは、故高木仁三郎さの「学校生徒」。
その高木さんを、「三里塚で過激派と一緒に旗ふるような人物は信用出来ない」と攻撃した人たちは、
今もそのように思っているか、そこは公にはっきりする必要があると思います。