さざ波通信というページからの一論文を、またご紹介します。菅政権を批判しながらもそれに過半数を取らせるべきだという珍しい論文です。政治って、白黒を単に喋ることではなく現実を変えることだという、そんな立場の文章だといつも教えられる考え方の文章と読んでいます。また、皆さんとちょっと討論してみたい。
菅の変節があるにしても菅政権に過半数を与えるべきである
2010/7/7 原 仙作
鳩山政権の崩壊とそれに続く菅政権の成立を見たが、この菅政権はアメリカ・国家官僚・マスコミによる鳩山政権への総攻撃を「学習」し、彼らの軍門に降り政権を維持しようという変節をとげたことは今では明瞭だと言わねばならないだろう。もはや「国民生活が第一」という民主党の政権公約が反故にされてきているのも明らかである。
そこから政権交代派の中に路線論争が起きているのが現状である。一つは菅政権の打倒派であり、菅政権に過半数を与えてはならないという主張であり、他方は選挙戦渦中の小沢も言うように民主党に過半数を与えるべきだという議論である。
菅政権が参議院で過半数を取れなければ、法案は一本も通らず短命政権と化し、政治状況は混迷を深め、死にかけた自民党が息を吹き返すばかりか、「みんなの党」のようなあやしげな政党が暗躍し、魑魅魍魎の政界再編が進行し、結果として官僚主導の政治は盤石なものになる。
他方では、菅政権に過半数を与えれば、消費税増税を含めて第二自民党の政治が進行するという状況である。どちらを選択しても「国民生活が第一」という政権交代に託した国民の期待は裏切られてしまうことになる。むろん郵政民営化見直し法案も陽の目を見なくなるであろう。国民は悩ましい選択を強いられる状況に追い込まれている。
しかし、こうした政治状況は「同じ穴のムジナ」の政権交代だから、はじめからわかっていたことだと言って共産党支持を呼びかけたところで政治状況は何一つ変わるわけではない。改選議席の4が5に増えたところで政治状況は国民にとって一歩でもましなものになると予想できるほどの議席数ではないし、政治状況のこの混迷に手を貸してきた共産党の対応を政権交代派の国民は見ている。ましてや、国民諸階層の大衆運動の急務を訴えたところで参議院選には間に合わない。
したがって、問題は次のように立てられることになる。すでに失われてしまった「国民生活が第一」という政治理念を掲げる政権を奪回する近道はどこにあるか、ということになる。
その解答はただひとつしかなく、菅政権に参議院の過半数を与えることである。まずもって、混迷する政治状況を単純明瞭なものに整理すること(敵の範囲を狭め敵を明確にすること)からはじめるべきである。菅政権が過半数割れでは既得権益勢力の範囲と暗躍の領域は大きく広がるのであって、これでは勝ち目はない。菅政権が過半数を獲得すれば、菅政権は望む政策を実行できるようになり、タケノコ新党の暗躍や自民党の復活を封じることができるばかりか国家官僚に対しても優位な地位に立つ条件が整う。
そうなれば、政権政策をめぐる闘争は民主党内の党内闘争におよそ限定できることになるであろう。変節した菅とそれと結託した仙谷・枝野一派は民主党内では少数派であることをよく見ておく必要がある。「国民生活が第一」という政治理念がどれほど本物であるかは、そこで明らかになるであろう。
菅の変節があるにしても菅政権に過半数を与えるべきである
2010/7/7 原 仙作
鳩山政権の崩壊とそれに続く菅政権の成立を見たが、この菅政権はアメリカ・国家官僚・マスコミによる鳩山政権への総攻撃を「学習」し、彼らの軍門に降り政権を維持しようという変節をとげたことは今では明瞭だと言わねばならないだろう。もはや「国民生活が第一」という民主党の政権公約が反故にされてきているのも明らかである。
そこから政権交代派の中に路線論争が起きているのが現状である。一つは菅政権の打倒派であり、菅政権に過半数を与えてはならないという主張であり、他方は選挙戦渦中の小沢も言うように民主党に過半数を与えるべきだという議論である。
菅政権が参議院で過半数を取れなければ、法案は一本も通らず短命政権と化し、政治状況は混迷を深め、死にかけた自民党が息を吹き返すばかりか、「みんなの党」のようなあやしげな政党が暗躍し、魑魅魍魎の政界再編が進行し、結果として官僚主導の政治は盤石なものになる。
他方では、菅政権に過半数を与えれば、消費税増税を含めて第二自民党の政治が進行するという状況である。どちらを選択しても「国民生活が第一」という政権交代に託した国民の期待は裏切られてしまうことになる。むろん郵政民営化見直し法案も陽の目を見なくなるであろう。国民は悩ましい選択を強いられる状況に追い込まれている。
しかし、こうした政治状況は「同じ穴のムジナ」の政権交代だから、はじめからわかっていたことだと言って共産党支持を呼びかけたところで政治状況は何一つ変わるわけではない。改選議席の4が5に増えたところで政治状況は国民にとって一歩でもましなものになると予想できるほどの議席数ではないし、政治状況のこの混迷に手を貸してきた共産党の対応を政権交代派の国民は見ている。ましてや、国民諸階層の大衆運動の急務を訴えたところで参議院選には間に合わない。
したがって、問題は次のように立てられることになる。すでに失われてしまった「国民生活が第一」という政治理念を掲げる政権を奪回する近道はどこにあるか、ということになる。
その解答はただひとつしかなく、菅政権に参議院の過半数を与えることである。まずもって、混迷する政治状況を単純明瞭なものに整理すること(敵の範囲を狭め敵を明確にすること)からはじめるべきである。菅政権が過半数割れでは既得権益勢力の範囲と暗躍の領域は大きく広がるのであって、これでは勝ち目はない。菅政権が過半数を獲得すれば、菅政権は望む政策を実行できるようになり、タケノコ新党の暗躍や自民党の復活を封じることができるばかりか国家官僚に対しても優位な地位に立つ条件が整う。
そうなれば、政権政策をめぐる闘争は民主党内の党内闘争におよそ限定できることになるであろう。変節した菅とそれと結託した仙谷・枝野一派は民主党内では少数派であることをよく見ておく必要がある。「国民生活が第一」という政治理念がどれほど本物であるかは、そこで明らかになるであろう。