大西五郎さんから、憲法記念日の社説に関する記事が
届きましたので、転載します。
かなり長いものですが、読み応えがあります。 落石
憲法改正推進の論調
5月3日の62回目の憲法記念日の社説を全国紙5紙と中日新聞について
比較してみた。
中日新聞は「忘れたくないもの」と題して、憲法9条と25条が憲法の核心であり、
今こそそれを再確認しよう、と呼びかけている。
朝日は「貧困、人権、平和を考える」で、憲法前文の
「われわれは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する」を思い起こせと言っている。
毎日は「もっと魅力的な日本に 軍事力の限界を見据え」で、
世界的なパワーシフトの中で、従来の日本の安全保障政策でよいのか、
再考する必要がある。
(駐日大使の予想があるハーバード大学の)ナイ教授が提唱する
「ソフトパワー論」自体がよい素材である、と指摘した。
ナイ教授は「日米安保再定義」を主導した人であり、
アメリカの世界戦略に日本が積極的に参加することを求めた論者であることを、
どう評価しているのか疑問に思った。
これに対して読売は「(憲法)審査会を早期に始動させよ」で、国
会は憲法改正論議をサボタージュし過ぎている、
と改憲論議が進まないことに苛立ちを示している。
日経は「日本国憲法を今日的視点で読み返そう」で、
集団的自衛権をめぐる憲法解釈を見直せ、
と自衛隊の海外派兵恒久化法の制定が必要だと説いている。
産経は「脅威増大を見過すな 9条改正し国の安全を守れ」と
最もストレートに改憲推進を主張している。
各紙の社説を詳しく見てみると
[中日]「忘れたくないもの」
「年越し派遣村」は、“一億総中流”の幻に惑わされて多くの日本人が
忘れかけていたものを、思い出させてくれた。
「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
(日本国憲法第25条第1項)」、第2項は社会保障、福祉の向上、増進を命じている。
第13条は「すべての国民は、個人として尊重され、
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については(中略)
国政の上で、最大の尊重を必要とする」となっている。
しかし現実は、貧困率は先進国中で第2位、年収200万円以下の給与所得者は
1千万人を超えている。雇用労働者の三分の一が非正規雇用だ。
「個人として尊重される」どころか、モノのように扱われ、捨てられている。
人間らしく生きる保障をするセーフティネットもほころびだらけだ。
派遣村の余韻が消えかかった頃、「北朝鮮ミサイル」のニュースが注目を集めた。
政府は対応策を積極的にPRし、危機感をおおいに煽った。
北の脅威、迎撃などの言葉が醸し出す緊迫感は、
憲法第9条の存在感を薄れさせた。
ソマリア沖では海賊対策とはいえ自衛艦が堂々と展開し、
自衛隊の海外派遣を恒久化する動きも急だが、
国会内外であまり議論が起きていない。
現実を前にして憲法の規範性が危うくなっている。
憲法に適合した政治、行政の実現を目指したい。
それには、国民一人ひとりが「忘れたくないもの」をはっきりさせ、
現実に流されない覚悟を固めなければならない。
[朝日]「貧困、人権、平和を考える」
海の向こうの貧困問題に取り組んできた人々が今、自らの足元に目を向けはじめている。
明日の暮らしが脅かされ、教育や医療の機会を奪われる子どもも出てきた。
この日本にも当たり前の人権を侵されている人々が増えているのだ。
かつての日本には、もっとひどい「貧困」の時代があった。
昭和初期、金融大恐慌があり、都市には失業者が溢れ、
農村は困窮して大陸への移住も盛んになった。
そうした社会不安の中に政治テロや軍部の台頭、暴走が重なり、
日本は戦争と破滅へ突き進んだ。
この過去を二度と繰り返してはいけない。
日本国憲法には、戦争をくぐり抜けた国民の思いが色濃く織り込まれている。
憲法25条の規定は、だれもが人間らしく生きる権利を持つ。
政府はそれを具体化する努力義務がある。
当時の欧米の憲法にもあまりない先進的な人権規定だ。
右肩上がりの経済成長が続いた間、国民はほとんど憲法25条を
意識することなしに生きてきた。
そんな幸福な時代が過ぎ、そこに正面から向き合わねばならない時がきたということなのだ。
こんなしんどい時だからこそ、憲法の前文を思い起こしたい。
「われわれは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
転機を迎えているのは日本だけではない。
世界の戦後秩序そのものが大きく転換しようとしている。
そんな中で、より確かな明日を展望するために、やはり日本と世界の大転換期に
誕生した憲法はよりどころとなる。
[毎日]「もっと魅力的な日本に」
駐日米大使に、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が任命されるという。
ナイ氏はクリントン政権で国防次官補を務め、「日米安保再定義」をまとめた。
日米安保を、アジア・太平洋の平和のための条約に「格上げ」するもので、
日本の対米協力が加速、イラクへの自衛隊派遣にいたった端緒ともみることができるだろう。
今日の憲法問題で最も鋭い争点となっている「集団的自衛権」の行使の是非も、
もともとは日米同盟の強化に不可欠のものという文脈で登場してきた。
その最も有力な論客が米国大使として日本に赴任する意味は小さくない。
憲法問題への国民の関心は高いとはいえない。
世界同時不況で「憲法どころではない」という気分であろう混迷が深いなら
それだけ有益な作業になるだろう。
「国の安全」という問題は山積している。
とりわけ、世界的なパワーシフトの中で、従来の日本の安全保障政策でよいのか
、再考する必要がある。
ナイ教授が提唱する「ソフトパワー論」自体がよい素材であろう。
ブッシュ前政権のハードパワーに対し、クリントン米国務長官は
今後はこれにソフトパワーを加えたスマートパワーを米外交の基礎とすると表明した。
人権重視の価値観や文化的魅力によって相手の自発的協力を引き出そうというのだ。
米国に協力的な日本はそのソフトパワーの有効性の証である。
ただ、日米同盟の維持には、日本の「集団的自衛権の行使」が
不可欠という考え方を米国は鮮明にしている。
日米関係は難しい局面に差し掛かっている。
どこまで、日米同盟を拡張し強化していくのか、
危険な任務も多い平和構築にどこまで踏み込んでいくのか、
日本は自分の頭で考え国民的合意を形成しなくてはならない。
その場合、ソフトパワーを重視し戦略的に位置づけるべきだ。
日本はイランやミャンマーなど米国が「苦手」とする国々とも
独自外交で友好関係を築いてきた。
ソフトパワーが問われているのは米国よりむしろ日本であろう。
[読売]「審査会を早期に始動させよ」
2年前、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が成立した。
ところがその後、憲法改正論議は失 速した。
世界的な経済危機は、日本政治に何よりも、迅速果敢な対策を求めている。
それにしても国会は、改正論議をサボタージュし過ぎているのではないか。
海賊対策に当たる海上自衛隊のソマリア沖派遣や、
北朝鮮の弾道ミサイルへの対処の論議で、集団的自衛権は
「保有するが、行使はできない」とする政府解釈が
自衛隊の実効的活動を妨げていることは明らかだろう。
憲法審査会は、法施行までの3年間、こうした憲法改正の具体的な論点の
整理にあたることになっていた。
だが政治の不作為によって、いまだに委員数などを定める審査会規定が決まらず、
有名無実の存在になっている。
与党は先月、衆院議運委に規定案を提示したが、
民主党は、規定案の審議入りを「強引だ」などと批判した。これはおかしい。
国民投票法は、自民、民主の両党案を合体して作成したものだ。
民主党には、小沢代表、鳩山幹事長をはじめ、改憲派の議員は多い。
読売新聞の世論調査でも、民主支持層の過半数は憲法改正に賛成している。
それなのに党として改憲論議を忌避するのは、
衆院選を前に、党内の改憲慎重派との摩擦を避ける一方、
護憲を掲げる社民党などとの選挙協力を優先させる政治的思惑からだろう。
審査会はすでに2年を空費してしまった。
与野党とも憲法審査会を早期に始動させる取り組みを強めるべきである。
[日経]「日本国憲法を今日的視点で読み返そう」
現在の国際社会での日本の立場と憲法の関係に焦点を当てて考えると、
集団的自衛権をめぐる憲法解釈を見直し、そのうえで自衛隊の国際協力活動を
包括的に規定した一般法の制定が要るという結論になる。
ソマリア沖で自衛艦が活動している。
自衛隊法82条にある海上警備行動命令が根拠だが、国会で審議中の
海賊対処法案は、より強い権限を与える。時限立法ではなく一般法だ。
民主党はインド洋での自衛艦の給油活動を憲法違反だと反対したが、
海賊法ではそれを主張しない。
私たちは、2001年の米同時テロの後、集団的自衛権の行使を禁じた
政府の憲法解釈を見直し、多国籍軍後方支援法の制定を求めた。
海賊法を包み込む形で、自衛隊の国際活動を包括的に定めた一般法である。
国連平和維持活動参加の根拠となっている国際平和協力法も吸収する。
それがない現状はどうか。国連ミッションに参加する自衛官は39人で、
世界で80位だ。「国際社会で名誉ある地位を占めたい」とする憲法を持ち、
国連安保理の常任理事国を目指す国とは思えぬ数字である。
現在ある非現実的な制約を除去すれば、国際社会の安定にために
日本が能力の範囲内で活動できる場は広がる。
秋までには衆議院選挙がある。
憲法にせよ、安全保障にせよ、最も重要な国政上の論点である。
各党とも考えを有権者に説明してほしい。
それを聞く側は、62年前のきょう施行された憲法を、当時のではなく、
今日的視点で読み返してみよう。
[産経]「脅威増大を見過すな 9条改正し国の安全を守れ」
憲法施行から62年が経過した。
その間、大規模な戦争に巻き込まれなかったことをすべて「平和憲法」の
恩恵と考えるのは幻想にすぎない。
国際情勢や安全保障環境は大きく変化しており、北朝鮮が日本列島越に
弾道ミサイルを発射したのはつい1カ月前だ。
北の予告に応じて、日本はミサイル防衛態勢をとった。
これまでの準備が結実したものだった。
しかし、予告なしに中距離ミサイルが多数飛来した場合はどうなるのか。
国の守りの限界を突き付けられたといってよい。
問題の根幹は、自衛隊を軍隊と認めず、国家の防衛を抑制してきたことにある。
憲法9条がその限界を作っているのは明らかだ。
確実な脅威の高まりに、憲法見直しを避けてはなるまい。
北のミサイル発射後、自民党の安倍晋三元首相は「敵基地攻撃能力の保有」を
提唱した。民主党からも「相手の基地をたたく能力を持っておかないと
リスクをヘッジできない」(浅尾慶一郎氏)との意見が出た。
自衛権を先制的に行使することへの重要な問題提起といえる。
敵基地攻撃は自衛権の範囲に含まれ、可能だという趣旨だが、
これまで問題提起に留まっていた。
報復能力は米軍に委ねている。
憲法9条による戦力不保持規定と関連する専守防衛によるものである。
日本の力を抑え付けておくことを最優先してきた戦後間もない占領政策が
いまだに生き続けている。
問題は、自らの国を自分で守れず、国際社会の共同行動にも参加できない
日本でよいのか、である。
国民の生命と安全を守るためには憲法9条の改正こそ急務であると強調したい。
憲法問題の混迷を象徴しているのが、憲法改正のための国民投票法に基づき
一昨年8月に衆参両院に設置された憲法審査会の扱いだ。
野党のサボタージュでいまだに始動できていない。
法の手続にのっとり、憲法改正を含む立法作業を行うのは立法府を構成する
国会議員の使命である。自民・民主両党などは、憲法見直し案をまとめ、
国民の信を問うことが求められている。
記事・社説で25条生存権に触れているのが新しい傾向
改憲派紙は改憲論者を集めた特集「憲法記念日を迎えて」という記事では、
ソマリアへの自衛官派遣、海賊対処法の審議を受けて
改めて9条問題をさまざまな角度から論ずる企画があったが、
社説と企画記事で「憲法25条の生存権」に触れているのが今年の特徴である。
非正規労働者の増大、派遣切りなど労働者の人権がないがしろにされていることに
世間の注目が集まっていることの反映であろう。
[中日]は、「核心対論」として、改憲派の松島悠佐元陸上自衛隊中部方面総監と
本秀紀名古屋大学教授で愛知憲法会議事務局長の護憲論を対比させていた。
社会面で「最低限の生活を営む権利を有する高い理念『派遣』遠く」と
派遣切りにあった人たちの実態を紹介し、
憲法25条が守られていない実態を「告発」していた。
[朝日]も、「9条25条見つめ直す」で、イラクに派遣され空輸活動に
参加した小牧基地の航空自衛隊員の反応を探った。
多くの隊員が「粛々と任務をこなした」と答えたが、
20代のある隊員は同僚に「戦争になったら自衛隊はやめるよ」
といわれて驚いたという。
理由は「死にたくないし、殺したくもないから」だったという。
また、「虚の時代」という連載の中で、田母神元航空幕僚長が
全国で講演を求められており、来年2月まで予定がぎっしり詰まっていることを
紹介しながら、「先の戦争を侵略と認めない人がいる」と発言した
五百旗頭防衛大学校長の講演を中止させよと要求する運動が行われていることを
紹介した。
25条関係では、派遣切りに遭った39歳の労働者が、路上で死ぬ覚悟をしたという話を紹介していた。
[毎日]は、「憲法を考える」として、憲法9条(安全保障について田中元外務審議官の意見)
、25条(生存権について生活保護支援活動をしている森川清弁護士の意見)、
59条(衆議院3分の2条項についてねじれ国会で両院協議会が
機能すいていない現状)、
96条(憲法改正の手続条項について憲法改正審査会が設置できない現状)
を紹介し、
評論家松本健一氏の「明治維新、戦後新憲法の施行に次ぐ第三の開国に合わせた
憲法を考えるべきだとの主張を紹介していた。
なお国民投票法成立時の安倍元首相の「あるべき憲法の姿を示すべく、
自民党らしい憲法案を出すべし」もあった。
またこれとは別に「出版社『表現の自由』募る危機感
名誉毀損賠償高額化の流れ」で言論・表現の自由の問題を取上げ、「
情報空間がやせ細る」危険に警鐘を鳴らした。
[読売]は、「座談会 国民投票法施行まで1年」を12面全頁で組み、
自民党の中山太郎党憲法審議会会長、民主党の仙石由人元政調会長、
阿川尚之慶応大学教授、高見勝利上智大学教授の9条改正論者
(仙石氏は9条以外の改正の必要性を主張)を集めた。
中山氏は、国民教育が不十分として「“公民”教育を充実しろ」と
何やら戦前復帰を思わせるような発言。
阿川氏は、「憲法第9条1項は日本の防衛政策を抑制的にしたことは
いいことだが、集団的自衛権行使が可能であることを明確にするため、
9条2項を削除すべきだ」。
高見氏は、「集団的自衛権行使は、従来積み重ねてきた内閣法制局の解釈の
延長戦上では説明できない。
政府が解釈を変えるというなら、政治判断で押し切ることだ」と述べた。
なお、読売新聞の憲法改正案「日本国民は、非人道的な無差別大量破壊兵器が
世界から廃絶されることを希求し、自らはこのような兵器を製造及び保有せず、
また、使用しない」(読売案第11条)と
「①日本国は、自らの平和と独立を守り、その安全を保つため、
自衛のための軍隊を持つことができる。
②前項の軍隊の最高指揮監督権は内閣総理大臣に属する。
③国民は、第1項の軍隊に、参加を強制されない」(読売案第12条)も付記した。
[日経]は、「憲法論議なお動かず どう進める安保戦略」という
見開き2頁の特集を組み、「安保戦略」では「海賊対策で自衛隊派遣
『警察活動』で憲法論回避」、「ミサイル防衛実地運用
『集団的自衛権』論議再び」と現状を総括した上で、
「与野党キーマンに聞く」で、安倍元首相を登場させ、
「国の安全確保へ改憲」との主張を紹介していた。
「憲法論議」では、「国民投票法施行まで1年 審査会開けぬ国会」、
「『一院制論』くすぶる 参院原点は『良識の府』」と現状を述べて、
上智大学高見勝利教授に「ねじれの弊害をどう打開するか」を聞いた。
高見教授は3分の2条項が機能するようになったが、
次期衆院選の結果、与党が3分の2を欠いた場合だ。
妥協案を出せるように実質的に両院協議会を機能させることだと答えていた。
[産経]は、「憲法きょう施行62年」という見開き2頁の特集を組み、
集団的自衛権の行使ができないという政府解釈が足かせとなって
安保・国際協調に支障が生じていると嘆き、
「一日も早く審査会始動を」と主張している。
さらに「憲法改正へ若手立ち上がれ」という中曽根元首相へのインタビューを
載せ、中曽根氏は「年寄りは憲法改正に消極的だが、
自民党の若手に改正に積極的な議員が多い。
次の時代の日本を考えれば、党は若返った方がいい」と述べた。
(名古屋版では3日付け)
この他名古屋版の4日付けでは、「昭和正論座」と称して、
昭和50年(1975年)5月に「正論」欄に掲載した元全学連委員長で
後に転向して保守派のブレーンとなった香山健一学習院大学教授(当時)の
「“現代のタブー”を打ち破れ」を再録した。
その年の憲法記念日に稲葉修法相が改憲派の集会に参加したことが
憲法順守の閣僚の義務に違反したとして問題とされ、
国会が空転したのを受けて当時の三木首相が「改憲はしない」との
見解を表明したことに対して、
香山氏は「法相にも言論・思想の自由がある」と
憲法改正をタブー視する風潮を批判した。
産経はさらに「産経抄」というコラム欄で、
日本国憲法はGHQによる押し付け憲法論を展開し、
「日本側の憲法案を法律の素人であるGHQ民生局の米国人らが作り直した。」
と主張していたが、映画「日本の青空」でも明らかにされたように、
GHQ民生局が高野岩三郎、森戸辰男、鈴木安蔵ら憲法研究会の
「憲法草案要綱」を高く評価し、それを殆ど取り入れてGHQ案を作ったこと、
民生局で憲法を検討したのはアメリカの弁護士の資格を持つ
法律の専門家たちであったことが明らかになっていることを無視して
「押し付け憲法論」を展開しているのは頷けない。 (了)