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現代日本人の「死」観に関わって  文科系

2007年04月11日 20時53分31秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
落石さん
大切な話題提供を、有り難うございました。
今、自然が日本で久しぶりにブームになっていますね。自然崇拝宗教も含めてこんなことは歴史的に当たり前であった日本人が、戦後これを軽視しすぎてきた。高度経済成長社会などの中で「文化的生活」ということが「人工的生活」と同義語であるように。そして、何かただ「新しければ良い」というように。そんなふうにして戦後の日本人は、「新しい商品に何か幸せがある」というように暮らしてきたのではなかったでしょうか。もうこういう感じ方が、一つの「哲学」になっていた。商売に都合の良い、物を買わせ、金が儲かる哲学ですね。

山登りが凄い人気です。「百峰登る」とか、「体力維持」とかもありますが、移り変わる自然がなければ面白さ半減以下のはず。
家庭菜園はとても高級な趣味だと思いますね。「自分で作って、自分で鑑賞(賞味)する」。鑑賞だけではない、芸術の創造と同じ価値があると考えています。そういうことの大衆化だ。ある種の芸術創造をプロのものと考えるような悪い習慣すら存在した。
そして、エコロジーね。あれは、自然好きを一つの宗教にまで高めるようなものにもなりうる。
山が大好きな人で、「オレが死んだら、あの山の山頂近く、大きな石の下にでも散骨しておいて」と遺言された方も何人か知っています。海に散骨を言い残した歴史的文化人も非常に多いでしょう。

僕はこんな気さえしてるんですよ。自然を疎外してきたことが人間の死を「何か得体の知れぬ、恐ろしいものにしてきたという側面はなかったか」と。3月16日からこのブログに転載、3連載させていただいた作品「歳々年々人同じからず」はそういう問題提起のつもりだったんですが。


(落石さんの「お返事」)
親は自己の死をもって、子供に死を教えているんですね。
でも今の社会は老いに価値を見ようとしないで
この大切な部分を医療とか福祉という専門家に
ゆだねてしまっているんじゃないでしょうか?

親の背中を見て育つということは親がなくなるまで
一生続くものではないでしょうか?

更に言えば、死んでからも教えてもらっていますが。


(僕の「返事」)
ばかに明るい社会で (文科系)

落石さん
死に関わって言えば、ばかに明るい社会、馬鹿なほど明る過ぎる社会と思います。「明るい人が好き」と結婚の第1条件を若者皆が語り、いっぱい、どんどん離婚していく。
その若者たちが最も恐れるのが「ネクラ」と思われること。シリアスな問題はなかなか話題にもできない雰囲気があると言っても良いでしょうか。
昔はテレビの端っこに座っていたお笑い芸人が、テレビの主流で、人生観までを説き、タレント人気投票で男女ともトップの方に位置している。
どこか虚飾の、上っ面な人間関係社会と言えるのではないかと考え込むばかりです。

こんな社会では死なんて、最も疎外されるべきものなのでしょうね。誰にでも訪れる人生の最大問題であって、人間、これを考えるから生き方を問うと言っても良いほどのことなのに。
それかあらぬか、「健康老人」、「生き生き老後」、「リタイアー後の生き甲斐ブーム」の風潮には、「死の陰」消すようなものが多いようです。

この馬鹿に明るい社会、「バラ色老後ブーム」の裏側にはこんなことが放置されている。老人病棟、老人保健施設では本当に惨めに人が死んでいました。戦後日本の繁栄を築き上げてきた人々が。きっと誰かが悪いということではなく、死というものを、死を迎えようとしている人々の心への想像力が根本的に欠けているのだろうなと、僕は考え込んでいたものです。

コメント (15)
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