帯には次のように書かれている。「軍も麻薬も女も手玉に取った男」、「幻の帝国を闇で支配した怪傑・里見甫の破天荒な生涯」。これは新潮社の編集部で付けたのであろうが、“売らんかな”という魂胆のキャッチ・コピーで書きすぎである。本裏側の帯にはこう書かれている。「今まで誰も解明できなかった王道楽土の最深部を抉り出した、著者の最高傑作」と書かれているが、これはある納得できるキャッチ・コピーである。
あとがきに、「取材は時間との闘いの連続だった。夥しい物故者のなかから数少ない生存者を見つけだし、貴重な証言を引き出す仕事は、古い墓地のなかをさまよう行為にも似ていた。取材しようと思って連絡すると、つい最近幽明界を異にしたと知らされることも再三だった。取材中に惜しくも鬼籍に入られた方もいる」、「取材した人びとは、恐らく百人ではきかない」と書いている。一人の対象者を見つけ出すのに何人もの人に会い、その住まいを見つけ出す苦労、しかも自分の胸のうちに閉まって置きたい内容を聞き出さなくてはならない。その苦労は想像に絶する。しかも日本全国にまたがっているのである。10年の年月をかけたというのも頷ける。著者の情熱・意欲に敬意を払うしだいである。
ただ、この著作で中国における麻薬取引の全貌をつかみたいと期待すると、失望することになる。著者は怪物・里見甫の人物像を明らかにすることに重点を置いているからである。その作業を通して満州国の暗部を掴み取ろうと意図しているのだが、その後者の意図は果たされていない。当然のことながら阿片関連の直接資料は日本国内では存在せず中国領土内にあったのだが、その関連資料は日本の敗戦とともに殆ど焼却されて残っていない。
したがって生き証人による証言に頼らざるをえない。その役割の一端をこの著作は果たしているのである。
手探りで取材を続けていた著者が「故里見甫先生遺児 奨学寄金寄付のお願い」というパンフを入手する。里見は児玉誉士夫と違い敗戦後財産を何一つ持たずに日本へ戻っていたので、遺児には財産(家も借家住まい)を何も残していない。その遺児のための募金である。
発起人には岸信介、佐藤栄作、児玉誉士夫、甘粕四郎(甘粕正彦の実弟)、松本重治、笹川良一、鈴木貞一、清水行之助・許斐氏利ら(右翼の大物)、岩永勇吉(同盟通信社を設立、現電通の基礎を築いた)など176名が名を連ねている。満州で、様々な分野で活躍していた中心メンバーが軍関係を除いて、すべてここに集っているのである。まさにオールスターキャストである。すごいメンバーである。対象が里見だからこそ可能であったと私は思う。
著者はこの名簿を頼りに生存者を見つけだしては一人一人探し出し、里見について聞き出していくという、とてつもなく苦労のみ多い訪問を続けたのだ。
阿片取引にかかわったと自称して、戦後いろんなパンフ類が出ているが、その多くは針小棒大に書かれている場合が多い。真に深くかかわった人は口を閉ざして語らないはずだ。 次に続く