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佐野真一著 「阿片王」を読んで その2     千里眼

2006年08月31日 08時39分29秒 | Weblog
 私は中国生まれの中国育ちである。少年のころ路傍に倒れ、口から泡を吹き手足を痙攣させている中国人の中年の男女をときどき見かけた。それが阿片中毒の人の禁断症状だったのだ。小学生であった私は「阿片のせいだよ」と言われても、何のことか分からず、ただ恐ろしいものを見たという印象しか心には残ってない。
 今にして思えば、ちょうど里見甫が阿片取引の頂点に立った時期にかさなるようだ。統計資料は何もないが、日本占領下の中国で阿片中毒患者が急増したであろうことは想像できる。後述するが、中国産の阿片に加えてペルシャから35トンというとてつもない量の阿片が、里見のもとに運び込まれ、その阿片は中国全土へばらまかれたのだ。絶大な力を持つ闇の組織、青幇・赤幇を通じて蒋介石政府の支配地にまでばらまかれた。中国全土での阿片中毒患者が急増するのは当然と思われる。
 では、中国での阿片常習者はどのように吸引していたのか。阿片をキセルにつめ火を付けて吸引するのだが、自宅などでひっそりと一人で吸ったのではない(金持は自宅や友人宅ですったが)。普通は裏(闇)組織が各地で阿片窟を経営していて、そこの板ベッドに横になり阿片を吸っていた。その裏組織を無視して陸軍の特務機関は情報提供や秘密工作の手伝いの代償として阿片を与えたのであった。
 満州で阿片工作にたずさわったある特務機関員の告白をそのまま引用する。「私はアヘンを取り締まる一方で野放しにし、さらにスパイ工作に使う現場にいて、これは支那民族の滅亡策だと思った。アヘンは性的興奮も一時つよめる。苦しい者は生のあかしだと思って、飲んで性行為に溺れる。それで衰弱する。子どもは生まれなくなる。生まれても育ちにくい。それを承知でアヘンを使ったのは、相手を人間とみなかったからです」と。
 中国の主要な阿片生産地帯は雲南、綏遠、熱河で、特に熱河は最も良質な阿片が生産されていた。その熱河の阿片が軍閥張学良(彼自身阿片の常習者であった)の最大の経済基盤になっていた。関東軍は熱河へ侵攻し占領したが、この作戦の際、参謀長小磯国昭は「ケシは熱河省唯一の財源なので特に留意して耕作地を荒らさぬよう十分の配慮を望む」と特別訓示をおこなっている。それで 熱河侵攻は阿片獲得のための作戦だったという見方をする者がいる。
 海南島を日本軍が占領すると、ケシの栽培が奨励され阿片の生産地域に変貌していく。
 さらに陸軍各方面軍はそれぞれ特務機関をかかえ、その謀略活動の手段として阿片が使われるのが常であった。こうした乱脈な阿片との関わりを整理する必要に、陸軍は迫られていた。里見甫出現の必然性はここにあったのである。






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「合祀は松平元宮司が主導!」    文科系

2006年08月31日 02時52分36秒 | Weblog
「(靖国神社の)最高意思決定機関である崇敬者総代会の内情をリアルに報じたのは、恐らくこれが初めてだろう。湯沢貞・前宮司が『まるでその場にいたかのようだ』と驚いたと聞いて、新聞冥利に尽きる。
A級戦犯合祀のこれまで表に出たことのない新事実もいくつか突き止めた。一つを再録したい。合祀を決行した松平永芳・元宮司は、7年後の85年1月18日夜、東京・神田錦町の学士会館で、こう語っていた。
『生涯で意義あることをしたと私が自負できるのは、A級戦犯合祀である。現行憲法の否定はわれわれの願うところだが、その前に極東軍事裁判の根元をたたいてしまおうという意図のもとに、A級戦犯14柱を新たに祭神とした』
気心知れた同志30人足らずの席で本音が出たのだろう、重大な告白だ。国の祭神名票に従い『淡々と祭祀事務を行った』と説明していたのに、実は個人の歴史観を世に宣伝するために合祀したというのだから。  (中略)
天皇発言のメモ報道を政治利用と言うのなら、靖国自身の行状はどうだろうか。
外にいくら強がっても、靖国が戦後、内に抱えてきた矛盾は隠しようもない。自ら変わらない限り、早晩もたないだろう。(後略)」

靖国関係者は、首相ではなく天皇の参拝を熱望しているらしい。しかし、こんな事実を改めて前にしては天皇参拝などなおさら到底無理になったはずであるし、第一元々、こんな一宗教団体施設に国の象徴・天皇が行けるわけがないのだ。そんなことをしたら「国民統合の象徴」の「統合」に、さらに大きな傷が持ち込まれるということになろう。既にA級戦犯家族の間でさえ「統合」が崩れている始末である。また折しも、靖国遊就館でも対米関係から今の陳列内容が批判され、年内変更必至と伝えられた。「自ら変わらない限り、早晩もたないだろう」が続出しているわけである。
松平元宮司が靖国に持ち込んだ個人の、しかも日本の一部だけに通用している歴史観を国民、世界に押しつける行為自体が、論理として今後も永久に無理を重ねていくことにしかならないのではないか。
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