私は中国生まれの中国育ちである。少年のころ路傍に倒れ、口から泡を吹き手足を痙攣させている中国人の中年の男女をときどき見かけた。それが阿片中毒の人の禁断症状だったのだ。小学生であった私は「阿片のせいだよ」と言われても、何のことか分からず、ただ恐ろしいものを見たという印象しか心には残ってない。
今にして思えば、ちょうど里見甫が阿片取引の頂点に立った時期にかさなるようだ。統計資料は何もないが、日本占領下の中国で阿片中毒患者が急増したであろうことは想像できる。後述するが、中国産の阿片に加えてペルシャから35トンというとてつもない量の阿片が、里見のもとに運び込まれ、その阿片は中国全土へばらまかれたのだ。絶大な力を持つ闇の組織、青幇・赤幇を通じて蒋介石政府の支配地にまでばらまかれた。中国全土での阿片中毒患者が急増するのは当然と思われる。
では、中国での阿片常習者はどのように吸引していたのか。阿片をキセルにつめ火を付けて吸引するのだが、自宅などでひっそりと一人で吸ったのではない(金持は自宅や友人宅ですったが)。普通は裏(闇)組織が各地で阿片窟を経営していて、そこの板ベッドに横になり阿片を吸っていた。その裏組織を無視して陸軍の特務機関は情報提供や秘密工作の手伝いの代償として阿片を与えたのであった。
満州で阿片工作にたずさわったある特務機関員の告白をそのまま引用する。「私はアヘンを取り締まる一方で野放しにし、さらにスパイ工作に使う現場にいて、これは支那民族の滅亡策だと思った。アヘンは性的興奮も一時つよめる。苦しい者は生のあかしだと思って、飲んで性行為に溺れる。それで衰弱する。子どもは生まれなくなる。生まれても育ちにくい。それを承知でアヘンを使ったのは、相手を人間とみなかったからです」と。
中国の主要な阿片生産地帯は雲南、綏遠、熱河で、特に熱河は最も良質な阿片が生産されていた。その熱河の阿片が軍閥張学良(彼自身阿片の常習者であった)の最大の経済基盤になっていた。関東軍は熱河へ侵攻し占領したが、この作戦の際、参謀長小磯国昭は「ケシは熱河省唯一の財源なので特に留意して耕作地を荒らさぬよう十分の配慮を望む」と特別訓示をおこなっている。それで 熱河侵攻は阿片獲得のための作戦だったという見方をする者がいる。
海南島を日本軍が占領すると、ケシの栽培が奨励され阿片の生産地域に変貌していく。
さらに陸軍各方面軍はそれぞれ特務機関をかかえ、その謀略活動の手段として阿片が使われるのが常であった。こうした乱脈な阿片との関わりを整理する必要に、陸軍は迫られていた。里見甫出現の必然性はここにあったのである。
今にして思えば、ちょうど里見甫が阿片取引の頂点に立った時期にかさなるようだ。統計資料は何もないが、日本占領下の中国で阿片中毒患者が急増したであろうことは想像できる。後述するが、中国産の阿片に加えてペルシャから35トンというとてつもない量の阿片が、里見のもとに運び込まれ、その阿片は中国全土へばらまかれたのだ。絶大な力を持つ闇の組織、青幇・赤幇を通じて蒋介石政府の支配地にまでばらまかれた。中国全土での阿片中毒患者が急増するのは当然と思われる。
では、中国での阿片常習者はどのように吸引していたのか。阿片をキセルにつめ火を付けて吸引するのだが、自宅などでひっそりと一人で吸ったのではない(金持は自宅や友人宅ですったが)。普通は裏(闇)組織が各地で阿片窟を経営していて、そこの板ベッドに横になり阿片を吸っていた。その裏組織を無視して陸軍の特務機関は情報提供や秘密工作の手伝いの代償として阿片を与えたのであった。
満州で阿片工作にたずさわったある特務機関員の告白をそのまま引用する。「私はアヘンを取り締まる一方で野放しにし、さらにスパイ工作に使う現場にいて、これは支那民族の滅亡策だと思った。アヘンは性的興奮も一時つよめる。苦しい者は生のあかしだと思って、飲んで性行為に溺れる。それで衰弱する。子どもは生まれなくなる。生まれても育ちにくい。それを承知でアヘンを使ったのは、相手を人間とみなかったからです」と。
中国の主要な阿片生産地帯は雲南、綏遠、熱河で、特に熱河は最も良質な阿片が生産されていた。その熱河の阿片が軍閥張学良(彼自身阿片の常習者であった)の最大の経済基盤になっていた。関東軍は熱河へ侵攻し占領したが、この作戦の際、参謀長小磯国昭は「ケシは熱河省唯一の財源なので特に留意して耕作地を荒らさぬよう十分の配慮を望む」と特別訓示をおこなっている。それで 熱河侵攻は阿片獲得のための作戦だったという見方をする者がいる。
海南島を日本軍が占領すると、ケシの栽培が奨励され阿片の生産地域に変貌していく。
さらに陸軍各方面軍はそれぞれ特務機関をかかえ、その謀略活動の手段として阿片が使われるのが常であった。こうした乱脈な阿片との関わりを整理する必要に、陸軍は迫られていた。里見甫出現の必然性はここにあったのである。