あなた方と討論するのはなかなか有意義だと思ってきました。表面に表れた細かい命題、「実証的な事項確定」の背後に幾つかの前提命題があるようだと、その背後にある種の考え方があるらしいなと感じ、それを知りたかったのです。そうでなければこれだけ自分の世界へと話を逸らして、無証明かつ無実証のしかもかなり大きいものも含んだ断定が多くて、それでいて西洋思想の断片さえ不案内という、このような現象、事態が起こるわけはないと、僕は考え込んでいたものです。世間では「常識的見解」と見られることも多い新聞をこれだけ一刀両断に被告席に座らせるというのも、普通の人はそんなにやりませんし。新聞に対してさえ是々非々ですらなく、多くは被告ですもの。なるほど、最近の日本の一角ではこのような「日本思想」があるのだなと教えてもらったという思いでした。こういうものには僕は初見参なんですよ。なのに今回、あなた方のその前提命題、考え方を箇条書きにして、これ自身を確認しあってみたいと思い立ちました。断片的な討論をするよりもその方がずっと生産的だと考えたからです。僕もあなた方の「哲学」を知ってみたいし。
以下に書くことは、「今までのような話の進め方には、(意識、無意識は別にして)こんな前提的命題があるはず」というもの、もちろん僕が勝手に推察させていただきました。
1 世界共通の理念、理想、「こういう良い方向に向かっている」というようなものは、(少なくとも眼前の世界には)ない。それらしいものもその殆どが「大義名分」であるに過ぎない。
これを僕は、全人類的価値観の否定と呼びました。
2 (少なくとも眼前の)世界に存在するのは、各国の手前勝手、利害、良く語っても「各国の伝統や習慣」だけだ。その接触の様はまるで、「適者生存」、「自国のDNAを残す」というがごとき生存競争さながらである。白人が植民地主義に走った近代以降の世界は特にこの観が強い。日本以外の大国はアメリカに対抗するような覇権国家を目指しているにすぎないだろう。
これを僕は、国別のまたは民族別の文化相対主義、その闘争という世界史観と見ました。
3 こういう世界史の中では、日本という国に歴史的に存在してきた美意識、倫理性はちょっと珍しいほどのものではないか。こういう日本でありながら、2のような近代世界に否応なく巻き込まれて敗戦にまで至ったというのが明治以降のその歴史である。戦後はちょっと西洋かぶれして、こういう美が失われてきたのは残念なことだ。
日本主義思想とでも言うしかありません。もちろん2の文化相対主義を前提とした概念、考え方でしょう。
4 現在までの世界史から以上のことを証明、実証できる。以上のようなことどもの原因は世界のほとんどの国の人々が愚かだからだ。近代民主主義は特に衆愚政治にならざるをえない。日本の一角にあったような美が、従ってそういうものを体現した国が世界に影響力を持つのは望ましいことであろう。3を踏まえた一種の哲人政治待望論、それを世界にも適用できないか。そんなのはうんと遠い先の話だろうから、おしゃべりにしかならないのであるが。
これについて全体としての僕の意見
こうして哲学の形としては、①一見実証主義的な方法論と②弱肉強食的世界観と③日本主義に見られる観念論との混交物思想と言うことになりましょう。②③が①によって実証されたとする、そういう混交物でしょうね。こういうタイプとこれを巡る論争とは、西洋にもいっぱいありますよ。実証主義と、個人的信念、宗教との同一個人内での併存という形で。ただし西洋ではこれを巡っては伝統的に以下の二つの形を認め合うに至りました。「後2者は、歴史の中で実証されたものだ」といくら頑張っても、その抽象性ゆえに必ず反対物の「実証」という反論が出て来ることを。そこで一つはまず「個人的なもので何が悪い。どんな反論も受け付けないぞ」として、開き直る形です。もう一つは本物の実証主義であって、こんなものかな。「それは概念などというものではないし、そもそもそういう概念が出てくるその始まりというものがまともな知的問いなどというものではないのだから、そういうものについては語らず、一人密かに持っているのが良い」とね。多分あなたがたは前者の立場であって、ここは譲らないのでしょう。「日本の伝統と習慣」に顕れた「美意識と倫理性」ね。こういうものを、世界の一隅で「世界の宝」と勝手にオダを上げているというなら構わないのですが。ところが実際にはそうはならず、①に無知でこういうオダばかりを跋扈させると、そういう国際関係は憎しみの悪循環をしか生みません。靖国の小泉、「アメリカ的自由」のブッシュ、「ゲルマン魂」に涙を流すというようなもんでしょう。あなた方の僕に対する対話の始め方そのものが、すでにけんか腰だったではありませんか。はなはだ、危うい。
さて、こちらが無謀にもこんな大きな断定をやって、手の内を見せたわけですから、もう細々とした枝葉の話は受け付けません。以上4点全体を扱ったもののみについて、お答えすることにします。もちろんそれぞれ否定でも肯定でも構わないわけですけれど。
「中学生以下の内容」、「一体何ですかね」、「酷いものです」、「歴史観というのが酷いというか」などなどとほぼ初対面の人間に語ったら、間違いなくけんかになりますよ。口も聞いてもらえず、あなた方の喋り得になるだけでした。よくあるようにそれが狙いなのかなと僕は考えました。余程ご自分の見解全体に「自信」がおありだからできる態度なのでしょう。というよりはどうも、声を大きくしないと先述のような白人中心の弱肉強食世界に伍していけない、その影響ばかりを受けた左翼にたいしても同様にすべしということだったのでしょうか。初めからけんか腰!それもかなり無謀なそれ、蛮勇! 和や謙譲に端からほど遠いこういう文章を僕がここまでつきあってきたということに対して、丁寧な解答をするという責任ぐらいは美しく果たして欲しいと述べておきます。いつものように、ご自分の「実証的知識」の範囲内という、都合の良い部分だけを切り取ったお応えではなくてね。それとも相変わらず、世界の普遍的価値のようなものはあなた方にはないわけですから、左翼は高めあうなどというようなものではなくて、論破、打倒の対象であるだけ? それができないなら一方的に自説を語るだけ? 今度そういうものであれば、もうお答えはしません。その場合には、あとは読者が判断してくれる、それに従うだけと、そういうことにしましょうか。
以下に書くことは、「今までのような話の進め方には、(意識、無意識は別にして)こんな前提的命題があるはず」というもの、もちろん僕が勝手に推察させていただきました。
1 世界共通の理念、理想、「こういう良い方向に向かっている」というようなものは、(少なくとも眼前の世界には)ない。それらしいものもその殆どが「大義名分」であるに過ぎない。
これを僕は、全人類的価値観の否定と呼びました。
2 (少なくとも眼前の)世界に存在するのは、各国の手前勝手、利害、良く語っても「各国の伝統や習慣」だけだ。その接触の様はまるで、「適者生存」、「自国のDNAを残す」というがごとき生存競争さながらである。白人が植民地主義に走った近代以降の世界は特にこの観が強い。日本以外の大国はアメリカに対抗するような覇権国家を目指しているにすぎないだろう。
これを僕は、国別のまたは民族別の文化相対主義、その闘争という世界史観と見ました。
3 こういう世界史の中では、日本という国に歴史的に存在してきた美意識、倫理性はちょっと珍しいほどのものではないか。こういう日本でありながら、2のような近代世界に否応なく巻き込まれて敗戦にまで至ったというのが明治以降のその歴史である。戦後はちょっと西洋かぶれして、こういう美が失われてきたのは残念なことだ。
日本主義思想とでも言うしかありません。もちろん2の文化相対主義を前提とした概念、考え方でしょう。
4 現在までの世界史から以上のことを証明、実証できる。以上のようなことどもの原因は世界のほとんどの国の人々が愚かだからだ。近代民主主義は特に衆愚政治にならざるをえない。日本の一角にあったような美が、従ってそういうものを体現した国が世界に影響力を持つのは望ましいことであろう。3を踏まえた一種の哲人政治待望論、それを世界にも適用できないか。そんなのはうんと遠い先の話だろうから、おしゃべりにしかならないのであるが。
これについて全体としての僕の意見
こうして哲学の形としては、①一見実証主義的な方法論と②弱肉強食的世界観と③日本主義に見られる観念論との混交物思想と言うことになりましょう。②③が①によって実証されたとする、そういう混交物でしょうね。こういうタイプとこれを巡る論争とは、西洋にもいっぱいありますよ。実証主義と、個人的信念、宗教との同一個人内での併存という形で。ただし西洋ではこれを巡っては伝統的に以下の二つの形を認め合うに至りました。「後2者は、歴史の中で実証されたものだ」といくら頑張っても、その抽象性ゆえに必ず反対物の「実証」という反論が出て来ることを。そこで一つはまず「個人的なもので何が悪い。どんな反論も受け付けないぞ」として、開き直る形です。もう一つは本物の実証主義であって、こんなものかな。「それは概念などというものではないし、そもそもそういう概念が出てくるその始まりというものがまともな知的問いなどというものではないのだから、そういうものについては語らず、一人密かに持っているのが良い」とね。多分あなたがたは前者の立場であって、ここは譲らないのでしょう。「日本の伝統と習慣」に顕れた「美意識と倫理性」ね。こういうものを、世界の一隅で「世界の宝」と勝手にオダを上げているというなら構わないのですが。ところが実際にはそうはならず、①に無知でこういうオダばかりを跋扈させると、そういう国際関係は憎しみの悪循環をしか生みません。靖国の小泉、「アメリカ的自由」のブッシュ、「ゲルマン魂」に涙を流すというようなもんでしょう。あなた方の僕に対する対話の始め方そのものが、すでにけんか腰だったではありませんか。はなはだ、危うい。
さて、こちらが無謀にもこんな大きな断定をやって、手の内を見せたわけですから、もう細々とした枝葉の話は受け付けません。以上4点全体を扱ったもののみについて、お答えすることにします。もちろんそれぞれ否定でも肯定でも構わないわけですけれど。
「中学生以下の内容」、「一体何ですかね」、「酷いものです」、「歴史観というのが酷いというか」などなどとほぼ初対面の人間に語ったら、間違いなくけんかになりますよ。口も聞いてもらえず、あなた方の喋り得になるだけでした。よくあるようにそれが狙いなのかなと僕は考えました。余程ご自分の見解全体に「自信」がおありだからできる態度なのでしょう。というよりはどうも、声を大きくしないと先述のような白人中心の弱肉強食世界に伍していけない、その影響ばかりを受けた左翼にたいしても同様にすべしということだったのでしょうか。初めからけんか腰!それもかなり無謀なそれ、蛮勇! 和や謙譲に端からほど遠いこういう文章を僕がここまでつきあってきたということに対して、丁寧な解答をするという責任ぐらいは美しく果たして欲しいと述べておきます。いつものように、ご自分の「実証的知識」の範囲内という、都合の良い部分だけを切り取ったお応えではなくてね。それとも相変わらず、世界の普遍的価値のようなものはあなた方にはないわけですから、左翼は高めあうなどというようなものではなくて、論破、打倒の対象であるだけ? それができないなら一方的に自説を語るだけ? 今度そういうものであれば、もうお答えはしません。その場合には、あとは読者が判断してくれる、それに従うだけと、そういうことにしましょうか。