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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

さざ波通信からの転載  ドストエーフスキー

2010年06月05日 20時39分34秒 | その他
 この種の文章を求めて、永年読んできた者である。優れた、かつ独創的な論考と考える。かようにリアルかつ科学的な思考が、日本共産党に少しでも存在したならと考える人は多いだろう。熟読願いたいと思い立った。


社会主義運動はなぜ誤りの発見が遅れたのか2010/6/1 植田 60代 技術者

 皆さまのご意見で勉強させていただいてきました。あらためて私が付け加えるべきコトがあるとは思えませんが自分なりの整理をかねてまとめてみました。本来ならこのような意見の交流は党組織を通じてできればいいのですが、支部内に限定された議論では内容が深まりません。私は研究者ではないので乱暴な集約や思い込みがあると思いますがこの場をお借りして皆様と意見の交流ができればと念じて投稿させていただきます。

 ソ連崩壊後の私の疑問は「なぜかくも長き期間にわたってこのような欠陥や誤りが見過ごされてきたのか」、ということで、ここに投稿されている多くの方と共通したテーマと思います。
 自分自身への反省をもとに以下の3点に関して述べます。
1.理論と実践の関係の理解に誤りがあった。
2.この誤りを生み育てる土壌が党組織そのものと個々の党員の胸の内にある。
3.大勢と理性に流されない自由な意見の交流。

1.理論と実践の関係の理解に大きな誤りがあった。

 私は技術者として40年間、機器やシステムの開発と設計に携わってきました。機器は設計者の意図とは別に、設計された通りに動作します。誤りも含めて。設計に誤りがあれば、正しい設計では生じる筈のない結果が得られたり、生じる筈の結果が得られなかったりします。これら異常は設計の誤り、不十分さを示していて設計者たる自分以外に誤りの原因はないのです。設計の誤りを確認し、修正を施して次の異常の検出に向かいます。この繰り返しによって機器の完成度は向上します。優れた技術者は【優れた設計をすることby帰納+連想】と【誤り検出に敏感なことby反証重視】の二つの能力と姿勢を持った人間です。社会主義も今まで実在していなかった社会の設計という創造過程ですから機器の単純な設計とはイコールではないですが、この二つの能力と姿勢の重要性は共通だと思います。

 ・優れた設計であったかかどうか。岩田昌征氏によれば「社会主義革命は資本主義の否定形という点では既知だが社会主義の肯定形としては未知だった」、つまり社会主義の建設は非資本主義(nonK)として否定形での設計でスタートしたと言える。設計という面から見れば、資本主義の進化としての設計ではなく、ともかく<資本主義の否定=社会主義>以上の具体的設計プラン、市場メカニズムに替わる具体案は存在せず、いわば空想的設計だった。これは社会主義建設時の設計上の重大な欠陥ではあったけれど革命後の過渡期での試行錯誤プロセスに委ねられてもよい課題であった。問題は試行錯誤プロセスが社会の設計&管理を担った社会主義党によって正しく機能しなかったことにあった。ちなみに現在に至るも平等と自由を財の共有によって実現させるという社会主義のアイディアが理念以上の設計図レベルで示されてはいない。依然として今後の課題であろう。

 ・誤り検出はどうであったか。革命後の試行錯誤プロセスではまさにこれが試されていた。社会主義党はここに大きな欠陥があったと思う。ポパーの言を待つまでもなく、誤りや限界の明確化が理論の進歩にとって決定的に重要で、実践は誤り検出の貴重な機会である。しかし、社会主義陣営は正しさの主張と証明に汲々として、誤りの摘出をサボッてきた。実践により得られるのは正しさの証明ではなく誤りの検出だが、実践をこのように理解してはこなかった。もちろん実践の主な目的は誤りの検出ではなく実践により得られる成果だけれど、【意見の相違は実践によって決着させる】といった場合の実践での決着とは正しさの証明ではなく誤りの検出であることを忘れてきた。だから、党の運営は「中央は方針を提起し下部の実践の過程で方針の誤りを検出する。検出される異常や期待からの外れは細大もらさず全党的に集約され、新たな仮説、方針の提起へ向かう」というスタイルであるべきだった。今までは実践は方針の正しさを証明する証拠と位置づけられていた。だから期待される結果が得られなかったときに「下部の理解不足、努力不足、敵の反共包囲網、方針がストレートに実現するわけではない、、、等々」との方針擁護が先行し、理論や方針の誤りを検出する貴重な機会を失ってきた。この欠陥は全世界の社会主義運動に共通していた。これは何故か。

2.組織の維持自体を自己目的化する転倒した組織原理がこの誤りの土壌で、党員の胸の中にもこれがある。

 ・組織は一般に目的実現のために多様性を制限して統一性を重視して成り立つもの。
 ・個々の党員の胸の内に組織性、統一性への崇拝があった。

 組織とは目的を達するために多様性を留保して一定水準に合わせて方向を揃えるといった統一と集中 を獲得しようとするもので、同時に統一性の維持には上部の決定に下部が服する何らかの権力機構も必要で、この点において企業と同じで討論クラブとは異なる性格をもっている。問題はここで必要な限度を超えての統一性が維持されることである。権力機構は組織の維持と拡大から利益を受ける。権力機構内部に党組織の目的から離れて組織自体の維持拡大を自己目的化する転倒した組織原理が生まれやすい。これは企業内部でも資本から経営を任された経営者集団に発生する傾向と同じであり利益なき大会社はこうして生まれる。企業は市場による淘汰メカニズムがあるので市場から受け入れられなければこの転倒は長持ちしないが、党組織では市場のような外部強制力がないので党員がこれに気づかなければ党の存続を最上位に置く転倒した原理が続く。組織の拡大がメンバーの利益に通じるのは講やマルチ商法と同じで、閉鎖的な自己中心的組織をつくる。組織維持が党の組織原理になれば誤り検出メカニズムは排除される。 また組織維持の自己目的化は自己と異なる思想や信条への敬意を持てず統一戦線への決定的な障害ともなる。現に近年の党の方針では統一戦線の追及は党勢拡大活動の後景に追いやられて久しい。党の根本的体力を失わせている惨状とも言うべき思想的衰退はここに由来していると思う。
 個々の党員の胸の内にはおしゃべりだけでなく実際の行動も伴うべきという誠実さを大切と思う心が強い。啄木の詩にも「機械職工なりき、、吾は議論すること能はず、されど吾には何時にても立つことを得る準備あり、、、」や「テロリストのかなしき心、、、、ことばと行いとを分かちがたきただひとつの心、、、しかしてそは真面目にして熱心なる人のつねに有つかなしみなり、、、」とある。
 何か役立つ存在でいたい気持ちは、実効あることを為すには行動における統一を重視し、自分の多少の異論、疑問はさておいて、党の統一性を守ろうとする。問題は統一性の過剰摂取であり、麻薬のような効果を生む。統一性を破るものは「反党」となり、異論や反証を反党的と見なしてこれを無視や敵視するようになる。しかし統一性最優先は現実的には上部機関の決定に従うことそのものであり、指導部への盲従と紙一重となる。
 石堂清倫氏はこのような心情を「われわれには組織性への崇拝があった、これが全世界の社会主義運動の早い時期に撒かれたスターリン主義の病根だ」と指摘していた。

 3.大勢と理性に流されない自由な意見の交流が党内民主主義の要。

 ここで述べてきた社会主義党の欠陥は今だから言えることで、野蛮な敵の包囲の中で多くの犠牲を払いながら敵の弱い環を突破して革命を成就させるには硬い一枚岩は欠陥ではなく必須だったとも思う。先人たちの努力に敬意を払いながら50%の肯定と50%の修正が必要だろうというのが私の気持ちです。
 中坊公平氏は組織における意見交流の重要性を簡潔に述べている。「類似意見がまとまって探求と検討が深まり、対立意見との類似と相違が整理され明確になる、、。複数意見間で相互浸透、競争、淘汰が生じる、、、。この過程で少数意見も成長し、多数意見の誤りも発見修正される、、」
 事実を正確に知ること、その上で自由な意見の交流を図ること、この二つは民主主義の前提だが党運営にはこれが見事に欠けていたと実感する。この歪んだ党運営の動機は組織維持の自己目的化であって党防衛ではなかった。各級機関での議論の公開と機関を超えての自由な意見の交流が党の重篤な病を絶つのに必須と思う。どちらも党員主権の原則に含まれる。しかし党員主権であっても多数意見の暴走=「脱線も逸脱も皆で渡れば怖くない」があり得る。そこで意見交流に当たっての個々の党員が心すべき少数意見や異論の尊重の精神について私の経験から重要と思えることを二つ。

 ・数的多少に引きずられない、質的差異を見極める評価
 ・理性の誤りと暴走への歯止めとしての「消極的反対、嫌悪感情」の尊重

 個人の意見が大勢に引きずられるのはどの世界でも同じだろう。市民社会では少数意見は尊重とは言っても、時間と費用の面からも尊重に当たる具体的扱いはなく結局は多数意見の採用に落ち着く。しかし党内民主主義ではこの引きずられ効果を前提して少数意見には尊重以上の具体的措置を与えることが考えられる。少数意見の中には反証が含まれている可能性があるから貴重である。複数意見を肯定/否定に分類、集約した上で意見の数的多少に流されない評価方法を検討すべきと思う。
 理屈ではこうなるようで、反対できないのだが、何かひっかかる、おかしい、などの生理的反応が誤りを発見する針の穴となることは我々の多く経験するところでもある。理性に頼らざるを得ないけれど、理性は誤るという前提を持つべきで、そのときの保険として生理によるチェックを重視すべきと思う。理性は多様で幅広いので多くの誤りも屁理屈として潜伏して発見が難しい、比べて生理は幅狭く迷いがない。このことを劇作家の木村快は「理性は生理に謙虚でなければならない」と言っている。
 どちらも市民社会での民主主義では許容できにくい。党内に限ってはじめて許されうる高度な(?)民主主義であるかもしれない。公的任務を自覚した私的集団としての党が厳しく自己を律するための独自の民主主義が探求されるべきと思う。

 社会主義党は社会では少数だが大勢に逆らって異議申し立てをする集団であった。異議申し立ては立党の精神風土であった筈なのに党内ではこの精神に逆行する風潮が蔓延してしまう。党が資本主義の進化形ではなくアンチ資本主義での異議しか持ち得なかったからではなかったか。反資本主義一本槍での団結が党内部では多様性も反大勢の精神の喪失を招いた遠因ではなかったか。反共と同様に反資本主義も豊かさを持ち得ないのでは、アンチでの団結は一時的であるべきで、アンチの先での団結でなければならないと今では思っている。そしてアンチの先がまだ見えてこない。思うところは以上ですが議論を明確にするために少し誇張が過ぎたかもしれません、ご容赦ねがいます。

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コピー投稿についての僕の見解  文科系

2010年05月16日 12時43分16秒 | その他
 コピー投稿について、ここで何回も反論的に論じてきたことについて、僕の見解を改めてまとめてみます。なお、これは僕の見解に過ぎず、規則でも何でもありません。ただし、僕流の以下の解釈が多く詰まった「特に感じが悪いもの」については、時に苦情を述べる権利は僕にもあるだろうと、そんなお断りはしておきたいです。もちろん、以下への反論はありましょうから、その公開も自由です。むしろ、以下に該当しがちな方に疎外感を与えないためにも、反論歓迎と言っておきます。

①まるまるコピー。紹介者の見解はもちろんなくって、要約もしてないもの。これは、安易と思います。原稿をスキャンして送っただけでは、資料を集め読む苦労をして文章を書いている自分が時にかわいそうな気分になってきます。このブログの信用問題もあるのではないでしょうか。
②そういう紹介を、同じブログから何回も何回も転載するのは、いい加減にしてくれという気持ちになってきます。だって、そのブログを読めば良いんだ。紹介投稿1~2回で興味を持った人なら検索訪問してみることでしょうし。
③その転載の中に何か重大な、あるいは興味深い事実報告(本当に事実かは判断できないが、とにかく事実の報告という形を含むのは当然です)が入っていれば、①②であってもちょっと例外的になってきます。意見。演説。抽象的命題。自分と一致するそういうのだけと、こういう連続だと抵抗が強くなりますね。

 今まで折に触れて注文してきた個人意見は、以上だったかと思います。
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お読みの方々へ  文科系

2010年04月13日 09時26分39秒 | その他
 1昨日、久しぶりにあった友人とこんな会話があった。
「最近のあんたらの九条ブログ、コメントが急に少なくなったね」
「うん、そうなんだ。でも、アクセスや閲覧数は減ってないから、そんなに心配してない。10日までの2週間。週アクセスはいずれも延べ2000人を越えてるし、特に閲覧数は2週合計2万を越えて、それぞれ過去ベスト週の4位と3位に入ってるほどだしね。でも、コメントは確かに減ってる。どうしてだろう?」
「読者が高齢化してるんじゃないかな。読んではいても、書くのは特に面倒くさい年齢になったとか?」
「あー、それはありうる。丁度今そういう時期の人が多いのかな。健康だった僕が、急に心臓病を悪化させたようにね。ギターの友人たちも、一斉にどっかを痛め始めてるし。まるで、申し合わせたようにね」

 さて皆さん。コメントを書かれていた人が居なくなったり、気力をなくしていくように見えるのは、実に寂しい。まるで、近くにいた友人が亡くなっていくようなもんだ。僕がここを人一倍大事にしている積もりだから特にそうなのかも知れないが、とにかく寂しい。読んでる人や、特に読んでる量が増えているのにコメントが減ると、そんなわけで僕は気分が滅入ってくる。何でも良いし短くても良いですから、気力を出して書いてください。お互い、ここで「元気」を示し合っていきたいもの! 世界のグーブログ140万において、こういう種類のブログで3000位なんてとても珍しいはず。僕はこれからも今までのように、ここを大事にしていくつもりです。
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私見、ここに何が期待されている?  文科系

2010年02月22日 09時24分07秒 | その他
 このブログも05年11月発足から、そろそろ5年を迎えようとしている。アクセス数で言えば、週間人数でこんなふうに発展してきた。閲覧数は、これらの数字に3~4ほどを掛けていただけばよいだろうか。こんな事から始めて、標記のことを考えてみた。

 当初の1年はアクセスの多い週で400人ほどであり、200人台の週もざらにあった。多分、ほとんどが昭和区9条の会の方々だったのだろうと思われる。ただ、急に多くの投稿を読まれたという週があった。400人ほどの方が、 閲覧2000とか、時に3000を越えるというような週も混じったからだ。当然のことだが、ここの人々に「これは読みたい」という強い好みがあるということだろう。
 週アクセス500人を越えたのは発足1年半弱ほどのことで、1000人を越えたのがさらに1年ちょっとを経た発足2年半の08年初夏のころだった。その後は小幅の一進一退を経て、去年の夏の初めに1500を越え、8月にはやがて2000人へと増えるにいたった。ちょうどあの衆院選挙を控えた頃のことである。そして、現在までそのピークを基本的に続行中であるうえに、この1~2月には2500人近い人が10000回前後閲覧するというような過去最高の峰が3週続いた。

 さて、どんな投稿が望まれているのだろう。「私見」、自分なりの分析をまとめてみたいし、皆さんからもご意見を聞いてみたい。素直に次のように考え、望むからだ。エンタテインメント映画よろしく読まれさえすればよいと言うのではなく、自分としてなんらかの意義ありと思って書かぬモノは一つもないのであって、より多くの方々にこれらをお読みいただきたいと願っているからである。

①投稿の形としてはこんな事が言える。
a 自分なり誰かなりの意見、感想などは好まれない。ただしこういうものであっても、投稿で継続される論争は好まれる。
b よく調べられた事実報告(紹介も含む)が好まれる。最近では例えば、「女性秘書監禁事件」の週刊朝日記事紹介など二つの投稿とか、昔で言えば「激流中国」(の本の連載紹介)などは、非常に多くの方に読まれた。自分なりに興味がわいた新聞報道記事などの紹介も、結構読まれると実感する。
c 随筆とか俳句などは結構人気があるし、具体的事項でテーマを明示した短い論文のようなモノもここでは案外多くの人に読まれている。後者の例としては、09年11月15日からの1週間が過去ダントツのアクセス数(2719人)だったということなどが挙げられよう。

②内容的には、こんな事が言える。
a 流石に選挙前の何ヶ月かは、いつも急に読者が増える。ここの性格上そういう記事が増えるからだし、そこに関心も集まるからだろう。ただし、一政党支持のような投稿がでると、すぐに批判が返されてくるという特徴も、ここにはある。
b 俳句、随筆に人気があるというのは、文化に関わるからだろう。政治評論も時事問題も、そういう意見、感想も、文化のような形式で書けると良いのだが。因みに、「随筆」と銘打ってあるとそれだけでの検索ヒット訪問も相当あるようだ。
c スポーツは特に人気がある。野球もそうなのだけれど、拙稿で恐縮だがサッカー記事で外れたことはない。きちんと調べたモノをいくらか書き連ねた週は、必ずアクセス、閲覧ともにその週の内に急増していくことが分かる。因みにこういう急増が、歴代アクセス・ピーク時には必ず関わっていると言っても良い。また、なんらか活躍した個人名からの「検索訪問」も多い。
d 以上にも述べたことだが「Jワード検索」などに上がっているような氏名、事項が投稿名称に付けてあったりすると、急にアクセスが増えることがある。これは是非、投稿者の方々に念頭に置いていただきたいことである。

 継続は力であると、つくづく思う。ただし、マンネリでないちょっと能動性のある継続ということだろうと、急いで付け加えたい。最近は、長く続いた新聞などのどこもが下降線一途なのだし、ブログといえども友人仲間、団体仲間の域を出ていないといったものがほとんどなのだから。このブログは、グーブログ140万弱のうちで、3000位を割りはじめており、こういう性格のモノとしては異例なものであろうと、僕は密かに自負している。
 最後に僕個人のここへの決意を少々。今まで同様、基本は1人称文体で行きたい。文芸文が無人称文章よりも人々に好まれるのは、人の顔が見えるからだろう。また、丸公を扱う政治というものは、個人の顔が見えにくいから無責任にも見えたりして好かれないという特徴もあるのではないか。全ての人の生活を左右するほどに極めて大事なモノなのに、投票率数十パーセントなどというのが良い例証になるだろう。そして、人の顔が見えないということは、文化の匂いも少ないということだろう。文化というモノはどうしても個人の感性、5感を抜きには語れないものだからだと思う。こうして僕としては今までと同様、9条に関係なくというように投稿していきたい。9条に関係ない人間の営み、感性などは実際にはおよそあり得ないんじゃないかという、そんな感じで。
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当ブログ閲覧数記録更新中  文科系

2010年01月17日 23時22分09秒 | その他
 gooブログ編集部の発表によると、当ブログ週間閲覧数が新記録を更新中です。過去の最高は去年衆議院議員選挙時の8月23~29日で、8,221でしたが(選挙の時に増えるというのは、ここの法則みたいです)、12月20日から、こうなっています。
 20~26日 8192、 27~1月2日 8854、 3~9日 8513、そして10~16日 9097人です。なぜなのでしょうか。
 この間のアクセス数はそれほどでもないんです。それぞれ上の週間延べ人数で、2060人、1947人、1894人、2062人ですから。なお、これの過去記録は、去年11月15~21日で、2719人でした。よってこの間の閲覧数の増加はこういうこと。今までが1日に300人ほどの方が3回ぐらい覗いてくださっていたのが、4回以上覗かれるようになったということらしいです。投稿数はここはいつも多くって、この間特別に増えたということではないと思います。またなお、年始年末が良い数字になるということは、過去のこのブログにはなかったことです。

 天下のgooブログ135万のうちで3000位台から、ちょくちょく2000位台になるようになってきました。印刷活字がどんどん売れなくなって、ウェブサイトだけに人気が集まっているこの時代に、週1万回読まれるというのは、本で言えば凄いベストセラーと言えないでしょうか。高いお金を出して自費出版をしても、1000冊売れればすごいことです。無理に勝って貰ったとか、贈呈したとか言うのではなく、全く自主的に読んで貰えるのですから、有り難いことだと思います。

 これからもここを大事にしていこうと、改めて思った次第でした。

 以上読者の方々に感謝の意を込めてのご報告でした。願わくば、コメントを書いて欲しいです。コメントを書く読者が増えて欲しいです。よろしくご協力下さい。  
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当ブログ、またまた最高記録更新!  文科系

2009年08月17日 00時34分55秒 | その他

1昨日15日までの1週間、またまたこのブログがアクセス数、閲覧数の最高記録を更新しました。しかも、久しぶりに両方を一度に更新です。
1週間でアクセス2,124人、閲覧回数7,183回。1日に300人以上の人が、1,000回以上閲覧したということです。誰かがここに書いて下さいましたが、とても好かれているブログみたいです。またその度合いが、この6月からは特にどんどん進んでいる。活字離れのこの時代に、こんな堅いブログが非常に嬉しいことじゃないでしょうか。ちなみに、過去の記録はアクセス数が前週2~8日までの1,931人、閲覧数が7月12日~18日の6,765回でした。

また因みに、先週の当ブログのアクセス数は、gooブログ?全127万余の中で、2,718位ということでした。この順位数字をどう見るか。僕はまだまだ低いと観ますね。それだけ、ブログが猛威をふるっている世の中だということ、右翼や、体制やゴシップやバラエティーだけの世界にはしておけないと思います。

数はやはり力ですから、こういう時にこそみなさん、このブログを広め合いませんか。去年辺りからこれだけ伸びてきたということは、覗いた人の多くにリピートされているということ。1人が日に3回以上もここを覗くというのはまた、手前味噌のようですが凄いことだと思いますから。
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当ブログのアクセスなど絶好調!   文科系

2009年07月20日 12時14分05秒 | その他
7月初めにもここで報告しましたが、当ブログアクセス数などの絶好調が3週続いています。1週間合計のアクセス数、閲覧数ともにちょっとした「質的変化」の時期にあると述べて良いほど。管理人さんと違って、僕のような立場のほうが手放しで喜んでみせられるでしょうから、以下は例によって、そういう立場からの報告です。
6/28~7/4日 1,792人、6,117面
7/5~11日   1,670人、6,009面
7/12~18日  1,701人、6,765面

さて参考のために、過去最高はこうなっています。
アクセス数は1,468人(本年5/31~6/6日)で、閲覧数は5,281面(同、3/8~3/14日)です。つまり、上記第1週の1,792人アクセスと、第3週の6,765面はこのブログの新記録なんです。
gooブログ総数は125万ほどあるそうですが、その4000番目ほどのにぎわいだそうです。

そして、ここまでの推移はこんなふう。
発足半年ほどは週200人、1000面弱が当たり前でした。これが2年目に入るとまもなく、400人、1500面ほどになりました。500人、2000面が当たり前になったのは、発足後1年半ほどのことです。1000人、3000面が常となったのは、それからさらに1年ほどたった去年の春ごろからのことでした。

継続は力ですし、数は力と言っても良いと思います。これまでここをのぞかれ、コメントを書かれ、投稿されてきた皆さんとともに今回の隆盛を大いに喜び合いたいものです。

そして最後に、このブログに臨んでいる僕の気持ち、動機を書いたに等しい短い随筆を添えたいと思い立ちました。僕はこんな気持ちで書いているというわけです。別の所に書いたものですがご笑覧下さい。

【 苛立っていて、怒りっぽくなった。とばっちりを食う連れ合いなどはずいぶんいい迷惑だ。根が激しい質どうし、夫婦げんかも止め処を知らぬ。苛立ちの元は、世の中の中心から全体へと広く深く染み渡っていく厚顔無恥な羊頭狗肉ぶり。お金の信用不安はやがて取り戻せても、若者らにも広がっている「言葉の信用不安」は一体どうやって取り戻すのか。
1929年の世界大恐慌直後たった2回の選挙で極小政党ナチを巨大にし、あっという間にヒトラーを大統領にまで上り詰めさせたドイツ国民。昨今「世論調査」の日本人も、その結果を喧伝する現代日本マスコミも、あれに似て何でも景気と取引してしまいそう。「そりゃ、あんまりです」とつぶやくのも虚しいようなことばかりが多すぎはしないか。】

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祝、当ブログ、今週新記録!  文科系

2009年07月05日 02時53分02秒 | その他

当ブログは05年発足以来、年々皆さんのご参加が増えてきましたが、今週はその新記録を更新しました。ファンの方々みんなで喜び合いたいと思います。

gooブログ本部が、毎日のアクセス個人数(延べ人数ではない)と、延べ訪問数とを報告してくれるという仕組があります。そしてその週間集計(日~土)もまた、そのつど記録・報告してくれています。その過去最多数記録は、こうなっています。アクセス数は本年5月31~6月6日の1,468人、閲覧数は、本年3月8~14日の5,281回です。
さて、今週6月28~7月4日で、この二つの記録を同時に更新しました。それぞれ1,792人の6,117回となったんです。凄い数字だと思われませんでしょうか。面白おかしいだけのものが情報世界を席巻する今の日本で、素人数人で始めたにすぎないこのブログが。

今後もよろしくご協力下さい。
「読んだよ!」という印であるコメント書きは、上記数字の多さの割にはまだまだ少ないと思います。日によっては、エントリー数の方がコメント数よりも多いときさえあるようですから。いつも叫んでいることですが、皆さん、コメントをもっともっと書いてほしいと思います。その度合いに応じて、エントリーの質への熱意も増えていくことでしょう。
よろしくお願いいたします。
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Unknownという奴は 文科系

2009年06月12日 08時23分58秒 | その他
コメントに書いた言葉だけど、投稿に格上げすることにしました。僕個人として、親友の助言もあったりしてこういう態度を決めましたから、ここに皆さんへの表明としておきます。今後僕に対する罵詈雑言があったとしても僕は答えませんから、見かねたら誰か代わりにやっつけてくださいね。


Unknown、名無しという奴、やり方は、本当に無責任だよな。そんな奴は鼻から信用というものを無視しているんだ。名無しをちゃんと資料をそろえて批判すると、僕の場合は無回答が多いのだけど、それも名無しだから気安くできるんだ。たまに「名無し名で」反論がきても、批判した相手が答えているのかどうかさえ、わからない。
なお、こういう批判を僕は何回か書いたけれど、全く反応なしで、改めるふうもない。名無しのうち誰かが名前を明記するようになっても、残ったのが前の誰なのかもわからない。

こんな無責任な奴、もういなくても良いからみんなで無視しよう。
腹が立つからいろいろに推察してみせたのだけれど、そんなのにはもちろんナシノツブテだ。創価学会?とか。僕の友人とか。与党のサイトウオッチャーとか。僕の友人のうちの例えば(今日初めて言ってみるけど)S.Mじゃないかとか?

無視しよう、無視しよう。僕はもう断然そうする。
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明けましてお目出度いかどうかでございます。   管理者

2009年01月01日 14時08分52秒 | その他
 世相に関してはタイトル通りの心境ですが、このブログに関しては安定成長を続けているような気がします。
 これは皆、投稿者・コメンテーター・読者の皆様のご支援あってのことと考えております。
 調べてみましたら昨年は851の投稿をいただき載せることが出来ました。
 また毎日150人、1週間で1000人を超える方々がこのブログを読んでいただいております。
 話題によっては吃驚するような数の方に読まれることがあります。

 本当に昨年1年間お世話になりありがとうございました。

 最後に、今年は投稿やコメントされる方が常連さんばかりでなく、一人でも多くなり、交流の場として一層の広がりが出来ればと念願しておりますのでよろしく。
 
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投稿し易くしました。テンプレート(背景)も変えてみました。 管理人

2008年12月10日 20時13分14秒 | その他
 


今までの画面で、ログイン(投稿)の入り口が分かりにくく変更されたので、
入り易くするため「ログイン」の項目を右側の先頭に置きました。
 投稿される際は、「ログイン」の欄の「編集画面にログイン」をクリックしてください。そこからバスワードやIDを入れてください。

 また、画面も(テンプレート)も変えてみました。季節と文字の大きさを考慮して変えました。いかがでしょうか?

 今後とも投稿、コメントよろしくお願いします。

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おかげさまで、三周年を待たす゛投稿数が二千に達しました。      ブログ管理人

2008年10月26日 22時18分14秒 | その他
読者の皆様へ  

 2005年11月9日に立ち上げた「九条バトル」の投稿数が、本日の落石氏の投稿で二千に達しました。
 開設三周年という記念すべき日の二週間前に記念すべき投稿数を達成しました。
 一日平均1.8人の方に投稿いただいたとになります。また、二年目からは投稿の無かった日は5日だけでした。
 また、1週間の訪問者数は1000人を超えるように、閲覧数(延べ人数)は4000を超えるようになりました。

 平和な社会・日本・世界の実現のために発信をし続けるブログとしての役割を少しは果たしていると自負しています。
 これも、このブログを愛読していただいている読者の皆様のおかげであります。改めて御礼申し上げます。
 とりわけ、根気よく投稿いただいた常連の投稿者・コメントの皆様と、勇気を奮って投稿・コメントしていただいた数多くの方々にお礼を申し上げます。

 最後に、平和のための自由な討論の場であるこのブログにさらに多くの方々の「投稿」とりわけ多彩なご意見の「コメント」をお待ちしております。
 なお、このブログへのご意見・注文がありしたら、どこにでもコメントください。 
 
      「九条バトル」管理人
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コメントは投稿の価値を上げる   落石

2008年10月05日 11時49分32秒 | その他
コメントは投稿に付加価値を与えるものです。
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これだけでも良いからコメント欄に。

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へそ曲がりさんのへそは、真っ直ぐ!!   まもる子

2008年09月17日 16時52分30秒 | その他
 へそ曲りさんは義理の兄です。へそ曲りさんが病になり、闘病生活の様子を傍らで見てきました。へそ曲りさんは実に粘り強く病と戦ってきました。またへそ曲りさんを支えてきた妻や医療も素晴らしいものでした。がんばり屋さんのへそ曲りさんの力がとうとう尽きて、私たちは悲しい別れを迎えました。

 無神論者のへそ曲りさんの考えに沿った「思い出のつどい」「お別れのつどい」という葬儀が身内のみで行われました。そこではへそ曲りさんの様々なエピソードや生き様が語られました。聞いているうちに、へそ曲りさんがとても 強く平和を考えていたということ、憲法9条を守ろうとしていたこと、人々の幸せを願っていたかということがひしひしと伝わってきました。
  葬儀には慣れているはずの会館の人が涙をこぼすほど心を動かすものがありまし
た。

 へそ曲りさんのへそが真っ直ぐに平和へむいていたことをけしてわすれません。平和の大切さ、憲法9条の重要さを次の世代に伝えていくことを決心しました。

 そしてこの夫婦の妹であることを誇りに思いました。
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レギュラー投稿者「へそ曲がり」氏が逝去されました。      管理人

2008年09月16日 16時09分31秒 | その他
 このブログのレギュラー投稿者「へそ曲がり」氏が薬石功なく9月3日に逝去されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 氏が当ブログに投稿いただいた初回は、2006年7月7日の「ミサイル騒動の情報操作が恐い」でした。北朝鮮がテポドンの発射実験をしマスコミを騒がせている時の政府声明のあり方に疑問を投げかけたものでした。それ以降、亡くなられるまでの二年間に百稿を超える投稿をいただきました。
 そして、秋に癌の発見され、手術に至る十月上旬までに五十近くの投稿を寄せていただきました。その後07年になっての春、小康状態を得て月に数件くらいのペースで投稿いただきました。その夏には「千里眼さん」とタッグを組んで日本の戦争責任などについて鋭い主張を保守の投稿者相手に展開されました。
 そして秋からは食事が摂れない苦しみの中で「私の戦争体験①から⑮」などを投稿いただきました。08年に入り書きためられた原稿や、読書をされて感銘の深い記事などを丹念に書き写し紹介してくださいました。
 六月には苦しい病床から「軍隊を持たない国①から⑤」のシリーズを連載され。
 最後の投稿となったのが08年7月21日「韓国出身戦没者遺骨返還追悼」の一文でした。氏は病床にもPCを持ち込まれ連続する苦痛の中で、週間金曜日の中で感銘を受けた記事を長時間かけて書き写されたということです。最後になった韓国戦没者の遺骨返還の記事は氏の戦争被害者に対する深い哀悼と平和への願いが一字一字に込められているように思えます。

 へそ曲がりさんは、当ブログに参加していただいて間もなく、悪性癌との闘病生活に入られました。
 そして、このブログを自身の平和への熱い信念の発信・伝達の場として活用していただきました。その主張に多くの読者が反応し、良き討論や対話゛が広がりました。
 管理人としては、こうした投稿者を得ることが出来、平和への一歩が踏み固められたことに深く感謝し、「へそ曲がり氏」のご冥福を読者各位と供にお祈りいたします。
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