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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「コメント」投稿についてのお知らせ。       管理人

2008年09月09日 09時09分09秒 | その他
    ★この画面しばらくトップに載せます。

★落石さんより「コメント」画面にある数字について、アドバイスがありました。
 至急お知らせします。活用ください。

************************************
 「コメント」の仕方について!!     落石

コメントを書いて投稿しようとすると

 下のほうに4桁の数字があって、
「数字を打ち込んでから投稿ボタンをクリックして下さい、」とあります。

★ この数字を入力する場合は、日本語変換ではなく
 英語変換(半角変換)にして入力して下さい。
 そうしないと、何度コメントしても投稿できません。

☆ このシステムは、エロサイトなどの自動コメントシステム排除の手段のようで す。

    
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全国的に夏!!   落石

2008年07月19日 13時45分27秒 | その他
気象庁は19日、関東甲信、北陸、東海、東北の各地方が
梅雨明けしたとみられると発表したそうです。
これで東海地方に続き、全国で梅雨が明けたことに。

関東甲信と東海地方は平年より1日早く、
北陸でも3日は早い梅雨明けです。

名古屋市の製氷会社では、花やおもちゃをパックした氷柱を
売り出しています。
マイナス10度以下に保たれた冷凍庫には、
ミニカーなどのおもちゃや、色とりどりの花が氷の中に。
おもちゃの氷柱は製造に2週間、花の氷柱は1週間ほどかかるとか。

そういえば水中花というものがありました。
コップに入れて水を注ぐと、見事な花が咲き、
涼を感じさせてくれたものです。
いまもあるのかな?


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小泉改革はなぜ成功したのか? 落石

2008年07月18日 13時57分43秒 | その他
高山に観光。
スッカリ外国人に人気の観光地になっていた。
江戸時代の豪商の屋敷を見学。
江戸時代、陣屋という御公儀という権力のほかに、
豪商たちが、町のために、身銭をきって、公共事業を行っているとのこと。
一人前の豪商の条件は①公の仕事をする。
②文化人であること。(援助も)③宗教心のあついこと。だそうです。

こんな説明を読んでふっと妄想したことです。

  

ある意味で幕府や領主が及ばない部分を
豪商が補っていたんでしょうか。
この公という観念のなかに今日でいえば
「セーフティネット」も含まれていたのでしょう。
飢饉とか貧民対策などといった。

明治維新から、敗戦までの国作りは、
天皇国家が「公」を独占していくプロセスだったとも。
戦争遂行のために、国民保険など、
最低限のセーフティネットが設けられました。
この挙国一致体制は、戦線をさらに広げることを可能にし、
ついに破局に。

このシステムは戦後も大きな変革はなく、
経済成長のおかげで、国によるセーフティネットは充実。
会社も自社の従業員に手厚い福利厚生を。
戦争によって手に入れられなかったものを、
経済成長によって見事、実現。

(一方で農村地域は完全に崩壊。
長い間に培ってきた血族による相互支援という
セーフティネット網は完全に消滅。)

そして21世紀。諸行無常。
国家財政は大赤字。加えて会社の業績も悪化。
セーフティネットはドンドン削られていきました。

   


私は、あの小泉改革が、なぜ大多数の国民の支持を得たのか?
いまだに不可解です。
しかし、次回の総選挙を考えるうえで大切な観点では?
そこで仮説を。

もともと被支配層の大多数の国民に
「公」という観念があったわけではない。
その役割は宗教が背負っていたし、
血族による相互支援が貧困のセーフティネットになっていた。

明治以降、公意識を与えられた国民。
敗戦で、公はコリゴリ。私を大切にという風潮がながく続いた。
にわか仕込みの「公」という考えは、
国民のなかからアッサリ消えてしまった。
中産階級(意識の上で)となった国民は、自らを貧民とは思わない。
公より私を大切にする気持ちを心地よく感じていたのではないのか?

自らの中産階級という意識を支えているセーフティネットを破壊する
改革を支持したのは、国民のココロが堕落していたからでは?

   

伊吹幹事長は、こんにちの事態に選挙で勝つためには
メクラマシが必要と、話したと、報道されている。
また小泉さんのようなメクラマシが効果を発揮するのだろうか?

郵便局でお年寄りが、これまで出来たことが
なぜ、今は出来ないのか?と訝っていた。
局員は法律が変わって・・・と説明していたが、納得していない。

次回の選挙の動向も、民意にかかっているのだろう。
だとしたら、国民は、ここ数年で何かを学んだのだろうか?
いや江戸時代から以降、日本人のマジョリティは
政治から何を学んできたのだろうか?




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庭木の剪定   落石

2008年03月20日 20時07分11秒 | その他
まもるさんの家を訪れてビックリ。
金木犀の大木が、丸裸。鬱蒼としていたのがウソのよう。
本人も切っていくうちに、際限がなくなって・・・
と笑っていた。

じつは私も同じ。
ちょっと剪定のつもりが、ドンドン鋏が進んで、気が付いたら丸坊主。
切っているうちに、止まらなくなる。
なぜかな?

考えてみたら、切り始める時に、仕上がりのイメージが全くないことに気づいた。
ここでオシマイ!という全体の構想がまったくない。
だから切っているうちに、これも、これも要らない!ということに。
そして、切ることに快感を感じ、剪定ではなく、切ることが目的に・・・

   

怖ろしい。
これが、戦争だったら、どうなってしまうのだろうか?
日中戦争で中国は悪い。だからヤッツケロ、と戦線が拡大。
目的が明確でないうえ、相手が思ったより強かったから、泥沼化。

排外的なナショナリズムの場合も、止めようにも、
国内の反発が強くて妥協できなくなってしまう。

ちょっとヘンな方に話が行ってしまいましたが、
北朝鮮問題なども、切っていくうちに止まらなくならないように。
核の放棄と、拉致家族の解放という目標を、いつも明確にしながら
考えることを怠らないように。



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イギリスのヘンリー王子帰国    落石

2008年03月01日 13時06分29秒 | その他
BBCのニュースによれば、アフガニスタンに派遣されていた
イギリスのヘンリー王子が帰国したとのこと。
インターネットにアフガニスタンで軍事行動に
参加していたことが暴露され、ニュースにもなった。

その結果、テロの標的になる可能性が高まったとして
本国に帰ることになったとのこと。
王子ばかりでなく、戦友も巻き添えになることが帰国の理由とか。

王子のコメントはなかったが、
戦闘に従事していた時、
「ここでは兵士のひとり。
メデイアに追いかけられることもないし、
特別な目で見られることもなく
本当に居心地が良い」
と話していたので、帰国は残念だろうと思う。

戦地だから、自由になれるというのは、奇妙なコト。
犯罪人と王族くらいかな?




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二月尽から春一番へ  落石

2008年02月29日 09時12分03秒 | その他
俳句の世界で、二月の尽きることを、二月尽と言います。
寒い季節が終って、新しい春が・・・

今年の二月も今日29日まで。
次は春一番。
3月は政治の世界に春一番は吹くのか?
東京では、先日、もう吹いたそうですが。





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ブログは楽しく   落石

2008年02月27日 10時23分53秒 | その他
9条問題は、世間の表面から一時、消えています。
関心も高くありません。

こんな時は、ブログの原点に戻って。3つの「た」で。

① たのしく  昨日より良い明日はありません。
        つまり、今が大切。楽しいお話を。
        平和だから、こそ、楽しいことが。

② 体験を   貴重な体験を残しましょう。
        「へえ!」と思った最近の体験も。

③ 互いに   お互いに意見の違いを、無理に認めましょう。


3つの「た」で、行きましょう。

(この3つの「た」は、パクリです。)





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ちょっと気になるコメント   楽石

2008年02月08日 09時36分42秒 | その他
最近、文科系さんのサッカーについての投稿に
「私物化」というコメントがありました。

このブログは誰のものでもないので、私物化という
指摘は当たらないのでは?

もともとブログは、広場のようなものですから、
皆、好きなことを発言してよいと思います。
(公序良俗に反したものはダメですが・・・)


すべての道はローマならぬ、9条につながっている
というのが、管理人の考えと思って参加していますが。

     

それと、「私物化」というコメントなら、
少なくともハンドルネームを記すのがエチケットでしょう?


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好漢同窓生と話す  文科系

2008年01月12日 05時25分04秒 | その他
同窓の友人1人と1昨日3時間近く話した。何ともいえないしみじみとした時間と感じたので、良い話を拾って、それをどこかになんとか表現したくて書く。「そういう年齢なのだろうな」とお笑いあれ。

中学・高校と6年間を、2クラス100人ばかりの学校で過ごした。ちょっと思い出す努力をすれば全員顔と名前が結びつくような間柄である。が、数年前までの僕は、ほんのちょっとした手続きミスからほとんど「住所不定」だったので、彼とのこれだけの話は高校卒業以来、いや「在学期間6年間もこれほどにはなかった」というのが実感。まるで「浦島太郎」である(これって、分かる人には分かるでしょう? その「正体」は最後に書きますが)。

彼についての昔の僕の印象。
「背は低いがガッチリと筋肉質。相撲を取ると互角か、僕のちょっと負け。野球が凄くうまかったし、全般に学年有数のスポーツマン。割と寡黙。いつも微笑を浮かべている、誰にも嫌われないタイプの好漢。中学の陸上クラブでご一緒したが、何よりも僕が親しいと呼べる人ではなかった」
こういう彼自身の最も印象に残ったエピソードがこうだ。初めて知った話である。

「小学校大部分を東京ですごし、そこで野球をやっていた。父にプロ野球や6大学戦などによく連れて行ってもらった。この大都市に引っ越して来ても僕は1人でよくプロ野球を見に行った。小遣いをちょっとずつ貯めてやっと行けるのだが、バス代もない。歩いて球場まで行く。多分6キロ近くにはなるはず」
こんな話から、在学時代には感じられなかったほど彼が一度で好きになった。中学時代には聞いていない話だし。もし聞いていたら、「スポーツ万能のM」が当時今日のような親しみを持って見られたかどうか。いや聞いても多分見られなかったろうな。人の話に感動するって、それだけの年月、体験が要るのだろうか。

そしてもう一つ。今度は「僕が彼を全く見直したように、彼がある人を見直してしまった話だ」
「Iを知ってるだろう、中学だけ居た奴な。あれってお前と同じ大学行ったはずだけど、ちょっと前に彼とこんなように親しく話し合ったことがあってな。彼、猛烈に話したぞ。おれ、中学時代に彼の家に行ったことがあるんだ。凄い家だった。崩れたような長屋の中の一部屋に入ると、そこがさらに部屋に分かれていて、その一部屋だけが『家』なんだ。母子家庭だった。彼はな、別の高校へ行ったんだけど、あれは夜間高校だったんだよ。昼間は給仕をしてたそうだ。最近聞いた話だけどな。それで、大学行ったんだぞ。大学時代はお兄さんがもう弁護士になっていて、やっと学資をだしてくれたそうだ」
全く知らなかったし、そんなふうにも見えなかった。Iは中学でも成績優秀だったし、大学時代には確か実力の高い男性合唱団の重鎮になったはずだし。確か工学部だったから、一流会社に就職したはずだし。俺が見る目がなかったということだろう。俺ってぼんやりしてたんだな。だけど、「良かったな」と、心から思ったものだ。
そして、家に帰ってきてから考え込んでいた。中学生のMはどういうきっかけでIの家に行けたんだろうか、こっそり行った? 偶然分かった? それともIが連れて行った? もしそうだったら、Mは多分偉いやつだが、MとIの関係は? などなど、切りなく思いが募ってくるのである。Iの境遇も歩んだ道も僕の連れ合いにそっくりだったし。

青春の知り合いの話を「聞きなおす」って、こんなに親近で、豊かで、一種満ち足りたものになるのだなーと、思いふけっていた。すると逆の、思いつきも出てくる。
「当時のことだけとしても、さらにその後のことをプラスしたらなおさらというような、悲しくてやりきれないだけの話も多いはずだろう。だけど、そういう話はそもそも一体聞けるのだろうか?」
聞けないだろうなと思った。少なくとも噂話しか。昔同様感じがよいのだが、昔と打って変わったように語り好きに見えるMにしても、それだけの年月だけでなく、それだけの自信も積み重なっているということなのだろう。飾り棚の上に何かの証書があったので、彼が部屋を外した隙に覗き見た。TOEIC認定証955点とある。帰宅してからその筋に詳しい娘に聞いたのだが、「実用英語の凄い好成績」ということだった。在米期間が長いらしいにしても、大したものである。
男74人、女61人の2クラス(Iのように中学だけの人、高校から入ってきた人もいる)で、「逝去」が男11人、女3人、「不明」が男6人、女0人だ。死んだ男が多いのはまーなんとなく分かるようだが、「不明」の女ゼロとは、男の幹事誰かが「執念」で探したのかな?
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一年ありがとうございました。  楽石

2007年12月31日 13時42分45秒 | その他
安倍さんの突然の辞任など、さまざまな事のあった
2007年も大晦日。
小泉さん、安倍さんの政治から少し距離を
置き始めた日本国民。
来年は、どんな年になるのか?
楽しみです。

いろいろお世話になりました。
特に保守系さんには感謝です。
おかげで、頭の錆が大分落ちました。
その他にみなさんの意見も大変に役に立ちました。
ありがとうございます。

では、みなさん良いお年を。

  日本海側は  名古屋は


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嬉しい手紙  へそ曲がり

2007年11月18日 11時43分20秒 | その他
嬉しい手紙

 先月、病院内で講演した内容のレジュメ(A4 16枚)を親しい人に渡していたところ、こんな嬉しい手紙をいただきました。
           
        ★この文章、友達へコピーして渡しました★

 昨日はお目にかかってほんとうに嬉しかった。
 憲法9条の文章を、自宅へ帰って何度も何度も読み返しました。
 戦後生まれの私には知らないことばかり「生々しく伝わって」くる言葉から、どんなご苦労されたことかと痛感しています。
 アメリカの、徴兵制がないにもかかわらず、13万人がイラクへ・・・報道されていることしか伝わっていない・・・自分で求めなければと思っているところです。
 夫も真剣に読んでいました。
 歴史を多面的に見ることはとても重要であり大切だと感じています。
 「名古屋大空襲」の話は知りませんでした。
 私の亡父は通信兵であったと聞かされていました。しかし、亡父は戦争の話は「一切」なく、“知りません”と否定を続けました。どんなにつらいことがあったのでしょう。
 体験された方々が、今、戦争について「語ってほしい」・「文章にしてほしい」と願っています。この長文は大変だったと思います。
 これからもどうぞみんなに伝えてほしいと願っています。Thank you!ありがとうございました。

 9条の会はこんなふうにして広がっていくのだなあと、改めて実感しました。

 今夜また病院に帰ります。次の帰宅は今週の金曜日を予定しています。 


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このブログを自然消滅させないために  文科系

2007年11月14日 15時56分37秒 | その他
12日間日本にいませんでしたので、ここにノータッチでした。久しぶりにここを覗くと気づくことも多いです。

アクセス人数が、閲覧画面数をも含めて7~8月を過去最多のピークとして、どんどん減っています。2月くらいから築いてきたこのピークが、2~3月に戻ったように感じます。ピーク時の週1000人近いアクセス、3000を超える閲覧数が、それぞれ三分の二ほどに減り、2~3月と同じになりました。さらに昔では、閲覧数はこの7~8月よりも多いときはありましたが(去年の8~9月には週3502面が読まれたということがありました)、アクセス数はとにかくこの7~8月が最高でした。
数は発言力です。民主主義下の力だと思います。このブログをそういう意味で育て続けていくために、改めて以下の呼びかけをさせていただきます。もちろん、僕個人の単独かつ勝手な呼びかけに過ぎませんから、不賛成の項目は無視していただいても全くかまいません。

1 投稿はあるが、コメントが少ない。ほとんど討論になっていません。だから投稿する側からすれば、投稿しても全く面白くありません。とにかく気づいたことはなんでもコメントしていただけば嬉しいのですが。

2 投稿自身も特別多い落石さんなど少数の人に限られています。また、単なる紹介記事、それも要約なしのずらずらした物も多いです。別のブログ記事を、要約報告するならばまだ良いのですが、そのまま長々と紹介するだけならば、そのアドレスが書いてあるのだから、無駄なことではないでしょうか。
とにかく日々思ったことを何でも書きあいましょう。

3 政治・経済を離れた投稿もどんどん欲しいです。人間は政治・経済だけで生きてるわけじゃないし、9条も政治・経済だけの物じゃないはず。要は人間の普通の生活、その喜怒哀楽を語り、その中から政治・経済も語るということじゃないでしょうか。古いタイプの政治論は、「生活」が政治議論の手段になっているように見えたものでした。

4 あっそれと、ブログへの投稿者名つまり紹介者名のない紹介記事はやめましょう。こんなの非常識です。「質問があったら、筆者自身にいってくれ」なんて、安易すぎます。


 

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このブログも三年目に入ります!!!    管理人

2007年11月10日 23時48分51秒 | その他


 二年前の2005年11月9日に、この「九条バトル」のブログが始まりました。この間1193本(一日平均1.7人)の投稿をいただき、読者数も一日平均100人を超える数となりました。
 改めて読者の方、投稿やコメントを書いてくださる方々に厚くお礼申し上げます。
 今後も、憲法のあり方を中心に広く日本が当面する色々な問題について、自由で楽しい討論の場として継続・発展させていきたいと思っておりますので、忌憚の無いご意見をお寄せください。
 申し上げましたように内容は「憲法」と限定はせず政治・経済・外交・教育・マスコミ・文化・スポーツ・時事問題など何でも、広く話題をお聞かせください。

 記念日でもありますので、論争が始まったこのブログ第1日目と2日目の投稿を再録します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2005年11月9日 / Weblog
 
 懐かしき「まもる君」へ   「カエル」より一言     

まもる君。久しぶりのクラス会とても楽しかったな。君は相変わらずで驚いたよ
学生の頃とソックリだ。悪く言えば進歩無しだぞ。
 特に「護憲・九条まもれ!」の演説には辟易したぜ。
 
 現実をよく見てみろよ。中国・韓国とりわけ北朝鮮の脅威をどうかんがえるのかね。今の自衛隊でも日本は守り切れんぜ。そんな自衛隊さえ認めないの?
 確かに自衛隊は君の言うとおり違憲だよ。だったら合憲の存在にしようじゃないの「戦争は仕掛けません、しかし 攻めて来たら戦いますよ。」こんな当り前のことが、何故いけないの??
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
2005年11月10日 / Weblog

 理想無き「かえる君」へ    まもる拝         

 なかなかのご挨拶恐縮です。
 君は現実・現実と言うが、誰が今のような危険極まりない金食い虫の自衛隊に肥大化させたのかね。君の信頼するアメリカ? 君の賞賛する戦後の驚異的な復興の立役者・大企業? 無理やり無理無体な拡大解釈で九条を捻じ曲げ、都合よく九条を利用したのは誰だろうね。ぎりぎりまで九条を利用して、誤魔化しきれずに、選挙の予想外の大勝で絶好のチャンスとばかり改憲に血の道上げ始めたのが現実だろう。「現実」なるものは、自民党が作り上げたもので、それに何故 崇高なる日本国憲法を合わせなきゃならんのだ。
 理想無き現実羅列の憲法なんか、憲法ではない。 憲法は理念。法律は現実。
そう有るべきでしょう。


 

 
 
 



 
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近況報告 7  へそ曲がり

2007年10月13日 16時32分38秒 | その他
 10月11日に病院内で「9条と私の戦争体験」というテーマで2回目の講演会を開いていただきました。今回は「病院」と「地域の9条の会」との共催という形で行われましたが、1回目以上の方々の参加をいただき、盛会に終わったことを嬉しく思っています。

 さて、そもそもこのブログに投稿しようという動機は「私の戦争体験」でした。それを通して戦争の馬鹿馬鹿しさと憲法第9条を堅持していくことの大切さを訴えたかったのですが、余計なことがいっぱい入ってしまったためまだ未完に終わってしまっています。
 この際原点に戻って体験を続けたいと思います。ちなみに、これまで投稿したのは、1 母と差別、2 長兄は非国民、3、地獄を見た兄たち 4、青白く光った「薬」でした。
 まだ、父の遺言・お妾さんと消火訓練・名古屋大空襲その1・名古屋大空襲その1の2・名古屋大空襲その2・学童疎開・戦争を語ってくれた人、などが残っています。この順番で投稿したいと思いますのでよろしく。すべてが入院前に出来上がっていたものばかりです。

なお、前回に大東亜戦争の『タテマエ』と『ホンネ』について投稿した残りが2回分残っていますので、それを済ませてから「9条と私の戦争体験」というテーマ」に入りたいと思います。宜しく。
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再びの投稿を願いながら         千里眼の妻

2007年09月06日 11時06分37秒 | その他
 このブログの読者の皆様から、夫「千里眼」が7月より突然、投稿を休止したことについて、いろいろ、ご心配をいただいております。
 投稿が出来なくなった理由は、7月中頃に事故に会い、脳挫傷によるくも膜下出血ということで、現在入院加療中だからです。
 身体的にはかなり回復してリハビリに勤しんでいますが、頭の打撲による後遺症が残っており、まだパソコンに向かうほどには回復しておりません。
 本人も残念だとは思いますが、いま少し回復を待って再び皆様の仲間に復帰出来る事を家族としても心より願っております。
 遅くなりましたが、とりあえずお知らせまで。
                           
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