高山に観光。
スッカリ外国人に人気の観光地になっていた。
江戸時代の豪商の屋敷を見学。
江戸時代、陣屋という御公儀という権力のほかに、
豪商たちが、町のために、身銭をきって、公共事業を行っているとのこと。
一人前の豪商の条件は①公の仕事をする。
②文化人であること。(援助も)③宗教心のあついこと。だそうです。
こんな説明を読んでふっと妄想したことです。
ある意味で幕府や領主が及ばない部分を
豪商が補っていたんでしょうか。
この公という観念のなかに今日でいえば
「セーフティネット」も含まれていたのでしょう。
飢饉とか貧民対策などといった。
明治維新から、敗戦までの国作りは、
天皇国家が「公」を独占していくプロセスだったとも。
戦争遂行のために、国民保険など、
最低限のセーフティネットが設けられました。
この挙国一致体制は、戦線をさらに広げることを可能にし、
ついに破局に。
このシステムは戦後も大きな変革はなく、
経済成長のおかげで、国によるセーフティネットは充実。
会社も自社の従業員に手厚い福利厚生を。
戦争によって手に入れられなかったものを、
経済成長によって見事、実現。
(一方で農村地域は完全に崩壊。
長い間に培ってきた血族による相互支援という
セーフティネット網は完全に消滅。)
そして21世紀。諸行無常。
国家財政は大赤字。加えて会社の業績も悪化。
セーフティネットはドンドン削られていきました。
私は、あの小泉改革が、なぜ大多数の国民の支持を得たのか?
いまだに不可解です。
しかし、次回の総選挙を考えるうえで大切な観点では?
そこで仮説を。
もともと被支配層の大多数の国民に
「公」という観念があったわけではない。
その役割は宗教が背負っていたし、
血族による相互支援が貧困のセーフティネットになっていた。
明治以降、公意識を与えられた国民。
敗戦で、公はコリゴリ。私を大切にという風潮がながく続いた。
にわか仕込みの「公」という考えは、
国民のなかからアッサリ消えてしまった。
中産階級(意識の上で)となった国民は、自らを貧民とは思わない。
公より私を大切にする気持ちを心地よく感じていたのではないのか?
自らの中産階級という意識を支えているセーフティネットを破壊する
改革を支持したのは、国民のココロが堕落していたからでは?
伊吹幹事長は、こんにちの事態に選挙で勝つためには
メクラマシが必要と、話したと、報道されている。
また小泉さんのようなメクラマシが効果を発揮するのだろうか?
郵便局でお年寄りが、これまで出来たことが
なぜ、今は出来ないのか?と訝っていた。
局員は法律が変わって・・・と説明していたが、納得していない。
次回の選挙の動向も、民意にかかっているのだろう。
だとしたら、国民は、ここ数年で何かを学んだのだろうか?
いや江戸時代から以降、日本人のマジョリティは
政治から何を学んできたのだろうか?