(浄智寺/鎌倉)
「男に非はない事を女は理解して欲しい。トイレを清潔に保ちたいのは私も同じです。しかし男にはソレをコントロール出来ない事もあるでしょう」と、ビールを咽喉に流し込みながら後輩の話は続く。
「今朝も妻から怒られました。妻と結婚して30年以上になりますが、もはや私は男らしく立って小便をすることは許されません。座ってしなければならないのです。特にリタイアー後、度々妻に叩き込まれました。夜中にトイレに立った妻がまた、小便で濡れた便座に腰かけたり、便座が上がったままの便器にはまり込んだりすれば、次は私は寝ている間に殺されるでしょう」
「男のソレは時々持ち主の意思とは別の意思を持つことがあるでしょう、そのことを女も理解すべきです。外で用を足す時も小便器が満員で、個室を使う事がありますが。いくら完璧に狙いを定めと思っても、便器から行き先がはみ出したり、ズボンを濡らしたり、雫を靴にたらしたりする事があります。本当にソレは信用が置けないのです」。
後輩の呟きに納得しながらも別の事に想いを馳せていた。
山の中で立木を的に小用を足すのは実にスカッとし気分が良かった。真っ白な雪の上に小便で文字を書くのも何とも例えようのない快感を覚えた。古代より狩猟が役割だった男は現代まで、そのDNAは受け継がれているから、動物のように壁や木の的に向かってしたがるのは自分の縄張りをマーキングする本能も働いている。
「家庭用トイレは男女が同じように使えるように設計されているはずですが、現実には男が不利益を被っている。私はそれが不満です。便座は常に上げておくというルールを提案したのですが妻は許してくれないのです」
更にボヤキは続く。
「いわゆる朝立ちも話をややこしくしますよね。その状態だと便器に正確に狙いを付けることが難しくなり、周りを濡らすような事態が発生します。例え便座に腰かけても、構造的な問題があります」。これは確かに男にしか理解できない事だ。
彼はひと雫もこぼさないようにするため上半身を折り曲げ、片手を前の壁に付き、便器に身体を近づける『空飛ぶスーパーマン』スタイルを編み出したと言う。
今のトイレを改造して二つに分けて、それぞれを男専用と女専用するしか解決法はないのか。
それとも----
最近読んだ俳句雑誌に、作句上必ずしも季語が無くても良い、という記事が載っていました。芭蕉にしろ、虚子にしろ季語の無い句を作っています。今後私も無理して季語をつけないことにしました。この写真は面白いですね。ためしに自分も右手で真似てみましたら、なにか新しい感覚を覚えました。そういえば最近、指差したこともないし、指差されたこともないです。どうしてでしょうか。少し心が弱くなっているのかも知れません。