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(明月院/鎌倉)
「真っ黒い汁を見てみたい」
博多に住む知人が遊びに来た。「何か食べたい物は?」と聞いた時の答えだ。
真っ黒だと聞いている東京の蕎麦の汁を見てみたいし、飲んでみたいというのだ。
西から東京に出てきた人なら皆が一様に言う事だが、初めて東京の蕎麦屋に入りウドンを注文し、そのウドンを目の前にした時の驚きは、長い間忘れられないものだ
東京で生活を始めて間もない大学一年生の時、友人三人と蕎麦屋に入った。東京と横浜出身の二人は蕎麦を注文したが、自分は好物の天ぷらウドンを食べたいと思った。親からの仕送りとアルバイトで生計を立てている身、あの頃は何を食べたいかよりも、先ず値段を見て注文する習慣が身についていた。天ぷらウドンは各種ウドンの中で安い方ではない。しかしその日は、どうしても天ぷらウドンを食べたかった。なけなしの小遣いと値段とを考え合わせ迷った末、勇気を奮って「天ぷらウドン!」と注文したものだ。
天ぷらウドンを待つ間は、友人たちとの会話も上の空で、自分はしきりに故郷のあの天ぷらウドンを思い浮かべていた。
友人達の蕎麦よりも先に、先ず自分の前に丼が置かれた。丼を覗き込んで一瞬「---」息を呑んだ。「これが天ぷらウドン?」
真黒な汁に太過ぎるウドン玉、上に乗っているのは刻みネギと小麦粉の塊の中に野菜の切れ端みたいな何かが覗いている。故郷では薩摩揚げを天プラと呼ぶ。
一口、汁を吸って又驚いた。何だか甘辛い味がするのだ。白いウドン玉が汁に塗れて黒っぽく見えていた。箸で掴み上げると汁が流れ落ち、やや白色に近づいた。
全部が違っていた、ウドン玉・ネギ・天ぷら・味と汁の色と泣き出したくなりそうだった。
始めたばかりの東京での学生生活に夢中になっていた自分は、この天ぷらウドンを食べた時初めて故郷を懐かしく思い出した。
その後、友人達と湘南の海に行った時、この時のウドンを思い出した。
湘南の砂浜は砂が真っ黒だった、あの時の天ぷらウドンの汁のように。白砂しか見たことのなかった自分には恐ろしい汚染された何かを目にした思いがした。砂浜に腰を下ろしたらズボンに砂の色が移りそうで、なかなか座る勇気がなかった。友人達は砂浜に腰を下ろし談笑しているのに。
博多の知人に食べた感想を聞くと、慎重に言葉を選びながら「ウ~ン、日本もなかなか広いね」と感想にならない返事だった。
確かに関西と関東では、うどんの汁の色が違いますね。どのあたりが境目かは知りませんが、関西で育った人は東京に来るとびっくりするそうです。かって、サラリーマン時代の頃、大阪に暮らしましたが、そのときは全てが薄味で、それでいて深みある味でした。そのことを関西出身の先輩に話しましたら、あたりまえだよ、歴史の永さが違うよ、といわれました。説得力がありました。
(この花、もしかしたら槿かも)