(英勝寺にて)
マンネリ化しているな、何かを変えたいと感じた。
年賀状を書くという事は、過去にお世話になった人や親しかった人との思い出に心を馳せる瞬間でもあり、相手を想い自然と心が通じる機会でもあるような気がする。パソコンのアドレス帳で、先ず喪中挨拶状を頂いた人の心情を察しながら、一人一人と静かな会話を進めながら整理をする。同時に明年の生活の全ての計画の構想をまとめる時間でもある。
現役の頃は年賀状も自分の広告塔だとばかりに、ビジネスで知り合った人には、ほとんどすべての人に出していた。かなり膨大な数だった。リタイアしてからは儀礼的なものは止めた。今、数はかなり減った。しかしそれでも多い。年末のこの時期、三日間は時間が取られてしまう。しかし、今年中に一度も会わなかった人や電話・メールもしなかった人などには出すのを止めることに決めた。
「体力の衰えを痛感し、年末を悠々と過ごしたく決意いたしました」などと、来年からは年賀状は出しませんと「最後の年賀状宣言」をするという方法もあると聞く。
逆に滅多に会わない親族には、近年想いが強くなり、繋がっていたいと思う。
これまで年賀状には近況や趣味の事柄などをサラッと紹介してきたが、今年は何かを変えたいと思うが、ありきたりの言葉しか浮かんでこない。
そんな時、作詞家・阿久 悠の言葉が浮かんだ。過日、ホームカミングデイで母校に立ち寄った際に「阿久 悠館」で書き留めた言葉だ。
『作詞家は現代を直視しなければならない。決して目をそらすことは出来ない。
目をそらした時点からご隠居にされてしまい、何を言おうとオブザーバーの戯言にされてしまう。
自分のアンテナに掛かったあらゆる事柄を収集し「時代日記」を綴り続けた。』
5000曲以上の作詞を手掛け、数々のヒット曲を送り出した人らしい、自分に対する戒めだったのかな。
この言葉は彼が現役時代のものだ。現在の自分とは立場は大きく違う。しかし振り返れば最近は情報を選択の際、真に自分が興味を惹かれる事柄ばかりを求め過ぎていた。直接には関連が無い事柄には見向きもしなかった。やはり生活の質を維持し楽しむためには身に起きる全ての事で磨かれて生きたい。アンテナは収めてしまわず、普通に伸ばしておこう。
結局、年賀状にはこんな言葉になった
『不良老人と言う言葉に出会いました。小さな夢を持ち続けたいと願っています』
健やかな新年をお迎え下さい