(長谷寺/鎌倉)
今日はチャンスだ。シトシトと雨も早朝から降り始めた。
紫陽花や菖蒲は雨に良く似合う。
新しいカメラを肩から提げ、逸る気持ちを抱えながら、鎌倉のある古刹に向かった。
レンズを向けながら気が付いた。
紫陽花は艶やかで華やかなのに、何か心寂しくてうら悲しく、それ故に心に沁みるのは、シトシトと降り続ける梅雨のためではなく、潔く散ることが出来ないからだと。
パッと咲きパっと散る桜と、最も対極的なところにある花が紫陽花である。色にしても、青から赤へと変化し、その中間色にはどこまでも続く底知れぬ深さがある。そして全てを出し尽くし、それでも尚、散ることが出来ない哀しさがある。
この花について新しい事を知った。あの花の色の変化はアルミニュームが作用しているとか。
アルミニュームは酸性土壌、つまり痩せた貧しい土の中に、より多く溶け出す。紫陽花はこの溶け出したアルミニュームを吸収し、花に蓄え、花の色を変える。
つまり紫陽花は豊かな栄養満点の土壌では、その際立った能力である花色の変化が上手く出来ないことになる。貧しさを励みとし、大輪の花を咲かせ、微妙に色を変えながら、華やかに咲き誇る。
しかし実を結ぶ事は無い。
梅雨の長雨に打たれると、それでなくても重たげな頭を少しずつ垂れていく。そして濡れた地面に顔を摺り付け、やがて老い、大地に寝そべり、花は汚れて腐っていく。そして夏の陽の下に茶色く乾いた無残な形骸を晒す一生---。
干からびた茶色い花は甚だ見苦しい。
そして切ない。
その思いを振り払うかのように、夢中でシャッターを押し続けた。