棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

下駄と天気予報

2016-12-19 11:09:05 | 山郷の暮し
今や天気予報は当たって当たり前。もし間違ってしまったら経済的にも大騒ぎになってしまう。
まるで予報の通りにお天道様があわせてくれているかのようにあたりますが、今なお天気予報イコール下駄のイメージがどこかに。

私が高校生のころまで下駄を履いていた。
さすがに其の年になってまで下駄を飛ばし「明日天気になーれ」とはしなかったが、子供たちはそのように遊んでいた。
下駄飛ばしで苦い経験を思い出した。
あまり張り切りすぎ、ガラス戸に命中、エラクおこられた。小5-6年だったかも。

当時も決して安くは無かったと思う。
下駄の歯がすっかりすりきれ、板にかろうじて鼻緒がついていたくらいまで大事に履いたもの。
そおいえば歯の入れ替えもあった気がするが・・。
その下駄も割れて足裏に挟まったときの痛かったこと・・。
家近くならいいのだが遠道をびっこを引きながら、割れた下駄を手に決まり悪く帰ったものだ。

鼻緒が切れることもよくあった。
このブログを読んでくれる方に、只今青春真っ只中の人はいないかもしれないが鼻緒が切れるとは、
親指に挟む部分でもっとも弱いところ。
古い小説では男女の出会うチャンスとして書かれていたりする。定かではないが漱石にもあったような。
想像すれば、鼻緒が切れうろうろしている書生に、見目うるわしい女性がハンカチなどを裂いて「鼻緒をたててくれる」
または、女性に書生が手垢まみれた手ぬぐいを裂いて、無骨に鼻緒を立てる。
まーーいろいろな絵になります・・。

そんな下駄が最後まで残っている、または残っていたのが旅館で、履き慣れない若い人が石畳にけつまずいたり。
鼻緒が緩んでいる(伸びてしまい足にフィットしていない)とそのようなことになる。
それで思い出したのが、母親の下駄は軽く履きよかったが、其のたびにお小言をくらった。
つまり鼻緒が伸びてしまうからだ。
父親のものは幅広で歩くときにあたってしまい、これまたよくなかった。
女の子用のポックリは兄弟に女の子がいなかったので知らないが、履いてみたかったなーーーー。

季節はずれの暖かな散歩に、トまーらちも無いことを思いながら。

写真は記事と無関係ですが、ゴーギャンの「マリヤを拝す」の作品をイメージして作ったもの

ryusun

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絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本