棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

3-鍔の修正  乞食の喧嘩から

2018-03-08 14:59:52 | 山郷の暮し
つい 乞食の喧嘩 と言ってしまいましたが、金にもならないアホラシキ行為とでもいう意味でしょうか。
ちなみに検索をして見ましたらそれなりに馬鹿馬鹿しいことの羅列でした。

 お湯に浸ながら気が向けば表面のヌルヌルを落とすことであったが、次第に遊離感は少なくなり、硬い真っ黒なこびりついた一面に変化は見られなくなってしまった。
もーお湯で溶け出す段階ではないと判断し、思い切って篆刻に使用するハンド電動機にて振動をたよりにやってみるが、思うほど剥げ落ちてくれない。
その硬さには芯から驚かされ、いったいどおいうしろものなのであろうか???ばかり。
黒色は墨ではなく微粒な鉄粉だとも思える。
暖かな日はお日様を浴びながらガーガーがーと。0.1ミリほどの粒が取れればヤッターーと思うほど作業が続いた。

 お湯につけると塗られたものが真っ黒になり、水で冷やすといぶし銀又は半透明になる。
多分膠による発色のためか思われたが、金属の硬さとはことなるネバリがあるもので遅々として進まなかった。

 それにしても銅地のぶつぶつのある状態に線刻をし、その上高価な銀鍍金をしたものであるが
それまでにしての鍔なのか修正作業をしていて腑に落ちない。
今は制作の発想も無く暇をもてあましているが、ものすごく無駄な馬鹿馬鹿しいことをしているのではないかと思ったりもしたり・・。
 
 表側を重点的に削り落としたが、落としきれなくても終了とする。
裏面との作業量はかなり違うがあえて止め、当初の様子を幾分残すことにした。10日以上の作業であった。

 いま見違えるほど綺麗になった鍔を目の前に飾っているが、透かしの部分に分厚くこびりついている所がありシャープな輪郭が失せている。
修正となるとやすりで削り取るしかないがモーやめた。
 見ていると地の荒さが平坦な輝きではなく燻し銀のような輝きにしている。
もしかしたらそのことを読みきっての細工となるとこれは大したものだ。
と、視点を変えて鑑賞していると、なんとなく自分で細工をしたような気分になり返すのが惜しくなってきた。

乞食の喧嘩も少しは喜んでもらえるものと、多少の満足感はありました。
それでいいのだーーー。

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