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黄昏どきを愉しむ

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まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「板上に咲く」第12話

2024-04-04 | 日記

チヤが熱燗をつけている。

この日、棟方家では祝賀会が開かれていた。

 

 この年の秋、新文展(旧官展)の版画部門に、棟方は、

日本民藝館の春の展示で初披露した新作

<勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅>(しょうなまんふうとうはんがまんだら)

を出品、なんとこれが官展始まって以来の特選を得た。

 この吉報に棟方の支援者は大いに沸いた。

能の謡(善知鳥)を主題に据えてみないかと棟方に勧めたのは、

柳が紹介した*水谷良一だった。

 *(民藝同人{内務省統計局エリート官僚}仏典、茶道、能などに通じる

    極めて博識の趣味人で民藝運動にも大きく貢献した。 

    謡本の講和とともに、水谷は自ら能「善知鳥」を舞って見せた。

   「善知鳥版画絵巻」は水谷なくして生まれなかった作品である。

           (水谷良一と棟方志功)

            

 

 

そんなころ、友人の松木一家は東京・中野から郷里の青森に転居した。

そして、家族を実家に預け、松本満史はついにパリへ渡航を果たした。

すでに国画会の常連にもなっていた。絵の夢を現実に・・・・。

 

 自宅での祝いの宴を開いたのはこれが初めてであった。

  何本もの徳利が並んでいる~

 徳利の作者は・・・バーナード・リーチ、濱田庄司、富本健吉。

          

 李朝の白磁もある。

   

 下戸の棟方がこんなに立派な徳利を買い揃えられるはずもなく

 すべてこれまでに民藝館の先生方が持ち寄ってくださったものだ。

  四年前、食卓には野草が盛り付けられた皿が上がり、松木が

 来れば白湯を出すしかなかった。

 「あの頃、こった日が来るとは想像もできながったね」とは、

  松木の妻量の言葉である。

  わざわざ棟方夫婦のもとへ、夫の代わりに、お祝いとお手伝いを

  兼ねて駆けつけてくれたのだった。

 

  この<善知鳥版画>・・・題材は「能」である。

  実際に見たこともない、どういうものかさっぱりわからない。

  この難しい課題に踏み込むべく、棟方は代々木にある水谷の

  住まいへ出向き、教えを乞うた。

 

  呪文を唱えながら家へ駆け帰り、家の中へ飛び込んで叫んだ。

  「チヤ子ッ! 墨っ !」  びっくりしたチヤは、

  大あわてで溜めておいた墨を顔料皿に注いだ。

  水面に獲物をみつけたカワセミのように

  棟方はそこに真っ逆さまに筆を突っ込んで、一気呵成に下絵を

  描き始めた。

         

  

  黒い飛沫が墨を注ぎ足すチヤの顔に勢いよく

  飛んでくる。瞬く間に下絵が仕上がった。

 

 官展始まって以来、初の「特選」が、棟方志功の版画に

 もたらされたのだ。

 

 そして、

その日、快挙を祝う宴が棟方の家で開かれていた。

 

 柳が帰りしなに チヤに・・・

「奥さん、棟方は、まだまだこれからですよ」

  ふっと微笑んだ。

 

 新文展で特選を得てからというもの、棟方の暮らし向きは

 一気に変わった。

 今までに作った版画作品がよくうれるようになり、収入が 

 安定した。柳、濱田、河井には各界の名士碩学を引き続き紹介

   

 してもらい、その中には「白樺」同人だった作家志賀直哉

                  

 民藝の大スポンサーで倉敷の大原美術館の創設者・大原孫三郎

 とその息子總一郎もいた。

      

 

  故郷・青森では「棟方画伯」とよばれるようになり、地元の

 新聞には「棟方画伯 官展で特選」の文字が躍った。

 

  世間の見方も変わって来た。

 もはや棟方志功はいっぱしの「大芸術家」扱いであった。

 が、ここが ゴールではない。

 棟方はまだまだ高みを目指す気概に溢れていた。

 

 私(ブログ編集)は、これをアップする上で

 「棟方志功」を追いかけていますが、「板画」だけでなく

  彼のもうひとつ別の大いなる輝く面を見つけました。

  それが「手紙」です。

  資料を探していたら、こんな貴重な本を見つけたのです。

  「棟方志功の絵手紙」

   小池邦夫 石井頼子 共著

  *「小池邦夫」は、(絵手紙創始者)

   

  「ヘタでいい ヘタがいい」をモットーに人と人との

      心をつなぐ存在となった絵手紙。

 

 

   石井頼子            

   棟可志功の 長女けようの長女   

   棟方板画美術館学芸員として勤務後、現在は

   志功研究家として活躍。

 小池さんが著書に

  【ハガキの中に詩が噴出しているようにも見える。

    言葉と字と絵の三重奏が志功さんの絵手紙だ。

    手紙文学と言ってもいいのではあるまいか。

    この点でも憧れていたゴッホと共通である。】

    どれも一度読むと忘れない。

      短いが、心に深くしみいる最短の詩だ。

 

   この文句にも私は惚れた…是非、みなさんも愉しんでください。

    これから  「手紙」をご紹介しましょう。

 

  柳宗悦宛  昭和11年

    

   【 お導きの情深かいおことばありがとうございます

      主になるものを生かす為の線ではならぬ。

         実にありがたいおことばです。】 絵は「蛙図」

 

    昭和12年㋄27日

      

   【 明日出雲崎に行って良寛和尚さまの跡を

       辺る夢を夢をこれから見ます】絵「花図」

 

   昭和13年㋄7日

      

    【先日はありがとう存じました

       なんとなくお便りを出して見たくなりまして

            かきました】 絵 「花々図」

    *こんな手紙もらったら…いい気持ちですよね。

      志功の可愛い面でしょうか・・先生への甘え?も。

 

    昭和15年4月9日 

       

 

     【 永く失礼ばかりで居りますお赦しくださいませ。

        十一月朝おじゃま致したく用とてもない乍らも、

        おじゃま致し度く切々になりました。】            

              絵 (紅色紙)

  

  私・・・

    書家の字にも劣らぬ・・・いや、魅力はそれ以上かも?

    「いい字ですね」

    屈託ないというか、ほのぼの、躍るような、跳ねるような

     誰も真似ができない。 これが志功流なのでしょうね。

     読んでいて、思わず気持ちが素直に伝わってくる。

     最高の手紙の手本ですよ。

     現在の、下を向いて・・黙々と…の「スマホ族」に

     本来の、自分の気持ちをうまく伝えることの~

    「見本」に、是非。

  

  河井寛次郎宛 昭和19年㋁22日

      

     

      

 

      【先生大壮健願います。トヤマから本夜発って二十日ぶりに

         家にかへります】  絵(一輪挿図)

 

      次回分で まだ まだ アップします。 お楽しみに。

 

  

   棟方は次なる一手をすでに決めていた。

    かねてから課題となっていた「釈迦十大弟子」である。

 

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