昭和14年
「手元に丁度六枚の板がありまして、
曲がったり端が欠けているような板でしたが、
わたくしはこの表裏に釈迦十大弟子を彫ろうと決めました。」
(「私の履歴書」日本経済新聞 1974年)
(釈迦十大弟子を制作中の棟方」
棟方は柳から借りた資料と自分で集めた資料を合わせてすでに
この題材に取り組んでいた。
大いに興味のある題材だったが、いま、ひとつ創作意欲の発火点を
見出せずにいた。
「釈迦十大弟子」は柳宗悦直々に提案された画題だ。
棟方の気合の入り方は尋常ではなかった。
毎日首っぴきで資料に当たり、白い紙を前にして髪を搔きむしっては
悶々としていた。
あるとき、上野へ展覧会を観に行ってくる、とふらりと出かけた
棟方は、夕方近くにしんみりした表情で帰った来た。
その夜、いつも通りに家族で夕餉の食卓を囲んだ。
棟方はどこかぼんやりとした様子で、箸の動きも鈍かった。
ややあって低いつぶやき声が聞こえた来た。
「・・・須菩提(しゅぼだい)・・・」
「えっ?」 チヤは聞き返した。「しゅぼ・・・?」
「今日、観できだんだ。 須菩提の仏像」
上野の博物館で開催されていた興福寺展に行ってきた。
そこに釈迦十大弟子の国宝仏が揃い踏みしていた。
そのうちのひとつ、須菩提が強烈な磁力を放っていた。
(興福寺 国宝 須菩提像)
太古の世から忽然と眼前に出現した須菩提は、異様な霊力でじりじりと
棟方を締め上げる。仏像と目を合わすうちに、いま、自分がどこにいるのか、
なぜそこにいるのか、何をしているのか、だんだんわからなくなってきた。
周囲にあるものすべてが急激に遠ざかり、やがて完全な無音になった。
久遠の闇の中に自分は浮かび上がっていた。
仏像の体内に吸い込まれそうになって、我に返った。
頬には涙がいく筋も伝わっていた。
そう聞いて、即座にチヤは「始まった」と感じた。
始まったのだ・・・震動が。
夫の表情は見えなかったが、涙を流している気配があった。
それとも動揺しているのだろうか。
棟方は天井を仰いで、しゃがれた声を振り絞った。
「・・・見えね、んだ。 もう・・・」 棟方の左目は、
視力を失いつつあった。
今日そうなったわけではない。実はもう何か月も前からそうなっていたことを
初めてチヤに打ち明けた。薄らいでいく視界の中で<善知鳥>を仕上げたのだと。
チヤは絶句した。
「目隠しして、彫る!」
棟方は、ひとつ、深い息をついた。
それから、両手を畳について、彫刻刀を探り当てた。
右手にそれを持ち、左手で版面を撫でる。
もうひとつ深呼吸をしてから、這いつくばって彫り始めた。
あの人は、自分の体も、命も、版画になってしまうということを願っているのだ。
いま、わかった。
版画こそが、あの人なのだと。
こうして、<二菩薩釈迦十大弟子>がこの世に生まれ落ちた。
普賢菩薩 文殊菩薩
興福寺展で「須菩提」が強烈な磁力を放っていた・・・という
彼の彫刻刀が…彫ったのが。 これだ!
「須菩提」
摺り上がった彼らに向き合ったとき、チヤは自然と両手を合わせ、
涙が頬を伝うのをどうにも止られなかった。
感謝とか感動とか、全部ひっくるめて、ただただ泣けた。
棟方は薄手の板に十二枚の版画を挟み、しっかりと背負って家を出た。
行く先は柳宗悦宅である。
自らが与えた課題への答えを目にして、師は一体なんと言うだろう。
まるで最後の審判を受けるかの如く、棟方は張り詰めていた。
その日の夜遅く~玄関の引き戸が勢いよく開いた。
「・・・チヤ子」
一瞬、棟方がぐっとにらむような目つきで…顔をチヤに
近づけて。
「先生が…柳先生が…<十大弟子>をな。
驚くべき、最高の出来栄えだ、 づで… 」
あとは言葉にならなかった。
私がこの「二菩薩釈迦十大弟子」を観たのは・・・随分前だ。
福岡県立美術館で「棟方志功 祈りと旅」の企画展のこと。
(2011年 ㋄)
朝日新聞 掲載のコラムより
【 棟方志功の生涯を通じての画業の中から、いくつかの代表的作品を数えるとすれば、
この<二菩薩釈迦十大弟子>は必ず挙げられるのみでなく、代表作のなかでも最も
知名度の高い作品である。簡潔で、力強く、ダイナミックな迫力に満ちており、
12人いずれも主役といった豪華ドラマである。
文殊と普賢の菩薩を両脇に配し、内側に十代弟子が並ぶ。
頭の向きや手・指先のしぐさには、構図のバランスが巧みに工夫され、衣と足先は、
白と黒の面が交互に現れるように配色されている。モノクロ、線と面という単純な
画面でありながら、そこには緊張感と清らかさがみなぎる。
祈りの美である。
本作品をサンパウロ・ビエンナーレとベネティア・ビエンナーレに出品し、
日本人初のグランプリを受賞した。 】
美術館を出て強い太陽の陽ざしを浴びながら歩く道すがらも
興奮を隠しきれなかった。 いま また当時を思い出した。
原田マハは、「棟方の想い」を・・・表紙にもした。
いや、これはきっと作者が考えた「棟方の想い」ではないか?