黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「板上に咲く」第7話

2024-03-30 | 日記

ついにチヤの堪忍袋の緒が切れた。

もうチヤは返事を書かなかった。その代わり、旅支度を始めた。

まる一昼夜汽車に揺られ、帝都・東京へやってきた。

 彼が住んでいるのは野方の沼袋。

一帯は田園風景が広がり、一瞬、青森に逆戻り?

どんな華やかな都会に暮らしをしているかと

 カエルの合唱が始まった~拍子抜けしてしまった。

次第にあたりが暗くなってきた。

畦道の交差点で自転車が止まった…男がサドルを持ったまま

 こちらを見ている…「チヤ? チヤでねが?」

 

夫がかれこれ五年あまりも居候を決め込んでいる

 松木満史の家は、沼袋の集落の一角にあった。

 松木との共同生活がどんなふうだか、詳しくは聞かされて

 いなかったのだが、なんと松木には妻がいた。

同郷の夫人と家庭を築くために一軒家を新築してすぐに、

 棟方が居候を続けているというから、そうとうな図々しさである。

 さらにまたひとり、棟方の妻子という

 招かれざる客が加わったわけだ。

 

 1932年(昭和7年) 東京・中野

チヤがマッチ箱にラベルを貼っている。

 内職のラベル作りを含め、松木夫人の(量)が担ってきた

家事のいっさいをチヤが引き受けていた。

 「チヤさが いでくれで助かるわ、おかげで主人も絵に集中

   できるはんで」、と言ってくれるのだが、肩身が狭い思いは

 微塵も変わらない。

 

 親子三人が寝起きする部屋は、足の踏み場もないほど

 いろいろなものであふれていた。 絵の具や墨などの画材

 ~まるでよろづ屋の店先のよになっている。

  が、染みだらけの壁にぽつんと…そこには<ひまわり>が、

 「白樺」に載っていたゴッホの絵の複製画のページが切りとられて

 貼り付けられている。

 まるで神仏に捧げる供物のようだ。

 実は棟方が目下夢中になっているのは油絵でなく、木版画だった。

 

  画業修行のために東京へ出てきた後、川上澄生という版画家の

 木版画を見る機会があった。その明瞭で詩情あふれる作風にすっかり

 心を奪われた棟方は、自分でもやってみたくなり、自己流で始めて

 みたところ、これが面白いように作れた… ということだった。

 

「川上澄生 1895年横浜生まれ 

1921年宇都宮中学校の教師となり、

その頃から版画の制作を始める。  

 <初夏の風> は代表作   

   

 少し彼の作品をご紹介しましょう。

    「遊女とランプ」

      「南蛮入津」

        「横浜十二番」

 

 しかし、棟方は油絵をあきらめたわけではなかった。

彼には帝展入選という大命題がある。

今年も出品の時期が近づいていた。

 

第13回帝展の入選者が発表された。そこに棟方志功の名前はなかった。

 

軒先を叩く雨音を耳にしながら、チヤは居間でひとり墨を磨っている。

 ずっと摺り続けている。

朝が来れば、チヤけようとともにこの家を出る。

 青森へ帰るのだ。

ふたりめの子供を宿したチヤは、臨月を迎えるまえに実家へ

 帰ることにした。

いま実家に戻ったら、また東京で棟方と一緒に暮らせるかどうか

 わからない。子ども増え、松木の家で親子4人が厄介になるなど

 どう考えても無理な話だ。もう帰ってこられないかもしれない。

 

 松木夫婦の部屋から、松木が出てきて、懸命に墨を磨っている

 チヤのかたわらに腰を下ろすと、

  「明日、帰るづのに、けっぱるなぁ。

     もう、それぐれでいいんでねが?」小声で話しかけた。

 ややあって、声をひそめて言った。

「なぁ、チヤさ。ヮっきゃ、スコは油絵でねぐで版画一本でいったほうがいど思ってら。

 実は、本人もそったほうがいど思ってらんだ。すたばって、できねんだ。

 なすてが、わがるが?」

 

 松木は、油絵と版画の価値について説明する。

 一枚売ると〇〇円、帝展入選の肩書がつけばもっと高く売れるようになる。

 しかし版画は、世間が認めてくれてない。何枚でも摺れる…チラシみたいなものと。

 価値を認めてもらえなければ~と、言うわけで、版画一本には絞り切れないんだよ。と。

 

 たしかにその通りだった。

  この1年間、棟方の創作意欲は旺盛だった。

 帝展には落選したが、むしろ躍起になって油絵をどんどん描いた。

 一方で、民間の芸術団体・国画会や日本版画協会に新作版画を多数

 出品してもいた。

 そして、版画を活用した内職にも精を出していた。

 

 棟方の意思をチヤがはっきり知ったのは、ある冬の晩のことだった。

  

 居間にいる松木と棟方が絵画論を闘わせていた。

 本気で職業画家を目指すなら版画はもうやめて油絵に注力しろ、

  さもなければこの先帝展入選は難しいぞ…と松木が諭して言うのに、

 棟方は猛然と反発した。

 *** 版画は藝術でねっづのが?

   木版画だば、日本で生まれた純粋な日本の芸術だ。

   油絵は西洋の真似コにすぎね。

   ワきゃ、芸術革命を起こしで。そいは…そいは版画なんだ!

 版画こそっが自分にとって革命の引き金になる。

 棟方はゴッホを引き合いに出した。

 ゴッホがあんなにも情熱的で革新的な絵画を創作するようになったか。

 ー浮世絵があったからだー

 ゴッホは画家修業のためにパリに出てきて浮世絵と出会った。

 また、大勢の前衛画家たちは浮世絵の特異性に気が付いたー

 北斎、広重、歌麿、英泉。

 清澄な色、くっきりした線描、大胆な構図。

 ゴッホは夢中になった。

 

  ゴッホに憧れて、ゴッホになりたいと願っている自分は、

  ゴッホが憧れて、ゴッホがなりたいと願った日本人だ。

  そしていま、ゴッホが勉強して勉強しきった木版画の

  道へ進もうと、その入口に立っている。

  この道こそが自分の進むべき道だ。

  ゴッホの後を追いかけるのではなく、その先へ行くのだ。

  *** ゴッホを超えて ***

 松木は何も言い返さなかった。

 ただ黙って棟方の心の叫びを受け止めているに違いなかった。

  彼こそは、誰よりも行く末を案じ、

          友の成功を願っている人だった。

上野駅には 棟方に見送られてチヤけようがいた。

  「そいだば、行ってぎます」

       棟方はうなずいた。 

汽笛が鳴り響き、車体が大きく揺れて、動き出した。

棟方の姿がだんだん遠ざかる~やがて流れゆく風景の中に消え去った。

 

 秋が来て、男のこが生まれた。

  棟方が「巴里爾」と名づけた。

   冬が来て、年末になった。

  チヤは再び、火の玉になった。

  巴里爾をおぶい、けようの手を引いて

  今度は工業用ミシンを引っ提げて、雪の降りしきる中、

  青森駅へ向かった。

 

  スコさ、待っててケ。 もうすぐ、帰るじゃ。


続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。