黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

原田マハ「板上に咲く」

2024-03-22 | 日記

 随分とご無沙汰してしまいました。ブログアップを。

  一旦、無精をすると、人間駄目になりますね~もう反省しています。

  心 入れ替えて? 少しずつ、回復していきたいと。

    そんな気にしてくれたのが、 1冊の本でした。

 

朝日新聞広告欄に「原田マハ 板上に咲く」

 帯に…世界のムナカタ、ここに誕生。 

          この活字が目に飛び込んできた。  ガツン !

私は「原田マハ」さんの本は何冊も読んだ。

私も趣味として「絵」が大好きで、水墨画、水彩、油絵等も描きます。

また、美術館巡りも運動を兼ねて? ここ九州から「東京」へ

1年1回 4~5日の日程で続けています。

そんなことで彼女(原田マハ)は昔、

美術館の「キューレター」

絵画に関する知識は専門家なので著作にも目線の角度が大いに違いがあり

それだけ面白く、追いかけているのである。

 

そう、「暗幕ゲルニカ」はピカソ。

   「たゆたえども沈まず」「ゴッホのあしあと」「リボルバー」のゴッホ。

   「ジヴェルニーの食卓」「モネのあしあと」はモネ

   「楽園のカンヴァス」にアンリー・ルソー

 また、角度を変えて「国立西洋美術館の誕生」について、

   「美しき愚かものたちのタブロー」

 その他 多くの画家を主題に出版しています。

 

 今回の「棟方志功」 日本の画家の登場です。

 棟方志功と言えば・・・私は、ここ九州の企業「安川電機」さん。

 毎年「棟方志功カレンダー」を世の中に送り出し多くのフアン

 でお馴染みな画家でもありますね。

 

 さて、この「棟方志功」の作品をまじかに鑑賞したのは

 2011年5月 福岡県立美術館「祈りと旅」であった。

 第1部 祈り~ 第3部 旅と文学 まで 作品数 316点

 会場を出た時は…

ぐったりと心地よい疲れだったのを思い出します。

あれから10余年の時間が~

 今年3月、この棟方が、原田マハによって本になった。

アマゾンに発注…すぐに届き~ もう むさぼり読み?

      

 時間を忘れて読み終え~ 酔いしれた。

 これは凄い興奮です。なんとか この興奮をお伝えしたい?

 勝手に、決めちゃいました。

 珍しく、挿絵のもなく、ぐいぐい展開されている…

 この棟方の作品を、皆さんと共に文章と「作品」を楽しもうでは

 ありませんか・・・と、これも勝手に決めました。

 ごゆっくりと、マハさんの「筆力」と「棟方作品」

 仮称「画面美術館」でお楽しみください。

 *【ブログ中の文章・作品のコメントは、多く作者のものも多く引用させてもらってます。

   その他、美術誌・ネットなど「棟方志功に関する資料」からも引用させていただきました。

   ご理解・ご了承頂きますように。】

 

  まずページをめくります~

 序章 1987年(昭和62年)十月 東京 杉並

 

 この序章で、「棟方志功」ってどんな人なのかが理解できますよ。

           

 むちゃくちゃエネルギーの塊の人。です。

 「糟糠の妻」という古い言葉がありますが、妻「チヤ」さんが

 傍にいたから こその「棟方志功」であったとも言える。

 これは全章を通じて感じ取るに違いありません。

 東郷青児美術館・新宿 (現在 sompo美術館)

                  

            美術館と ゴッホの「ひまわり」

 

 新聞社の取材依頼が・・・

   今日はこうして私のところへ、どうした理由で~

   ゴッホの話を聞きたい…と、おっしゃっても。  

   ゴッホの絵が美術館で公開されるという・・・

 

 チヤさんの昔話は、「なにしろ、あの人にとってゴッホは神さま、

 偉大な先生でしたから。ゴッホが描いた<ひまわり>の複製画。

 雑誌に載っていたそのページを切り離して、長いこと部屋の壁に

 貼っていました。 <中略>

    「ゴッホの絵は燃えでらんだ、ゴッホは太陽なんだ。

     ワシもそった絵、描きで。ワも燃える絵、描く。

     ワも絵、描いで燃える」

 

  彼はねぇ、

   声が大きくて、動きも大きい。歯はむき出しにして笑顔を・・・

   底抜けに明るくて、泣きべそで、褒められると大喜び。

   頼まれれば、ホイホイ、次から次へ 板画(はんが)を

   どんどん創ってどんどん渡して…。

 

   作品を創るうえで

    「そのとき」がきたら~それは突然訪れます。陣痛みたいに。

    それが始まったら・・・アトリエに飛び込んで、

    もう一気に。

    全身を彫刻刀にしてぶつかっていく。

    転げ回るようにして 削り、墨を刷き、紙を敷き ばれんをこする。

    ぜんぶ、全身で。命がけ…  すさまじい爆発でした。

         熱中して我を忘れて 制作中の 棟方」

     

   (彼の頭の中には、これから手に付けようとしている板画のことで

     いっぱい。もうそのことだけ。全神経を集中させて

     血液を、酸素を、栄養を、気持ちの全部を送り込んで… )

 

   彼の「そのとき」がいつ来ても大丈夫なのように。

   私はいつも準備を怠りませんでした。

   板画に必要なもの。

    板、紙、墨、筆、彫刻刀、ばれん。

        

 

     

   ばれんと彫刻刀は棟方の彼の手指となって動きます。 

   ばれんは手づくり。

   私の役目は 「墨」です。  

   決してこれを絶やしてはなりません。

   いつくるからわからないそのときのために

   毎晩、墨を磨りました。

   夫に頼まれて初めて墨を磨ったのは、遠い昔

   長女が生まれてからのことです。

 

         ここで、「志功」「チヨ」の関係を。

   チヨは弘前市の医院に看護師として勤めていた。

   結婚して、チヨは実家で、志功は東京での生活。

   チヨが身ごもってから入籍。いつまで立っても

   呼び寄せてくれないので…娘をおぶって、東京へ。

   あの人は「よう来てけだ、ってねぎらってくれて、

   居候先の同郷の画家仲間、松本満史さん宅に

   お世話になることに。

   それで私、夫に言ったんです。

   なんでも言いつけてください、って

   

   「ワぁは、こいから  

   版画ひとすじにやっていくべど思ってる。

   だはんで、たくさんの墨、必要なんだ。

   ワど一緒にいる限り、墨、磨ってけ。」

 あの日からずっと、夫が亡くなるまで 四十年以上。 

   

 棟方は、十七歳のとき友人に見せられた とある雑誌の中に

 鮮やかな色つきの口絵をみつけました。

 それは黄色く燃え上がる花ーーー<ひまわり>でした。

         (雑誌の口絵のゴッホの絵)

     

  あの人は、ひと目で心を奪われてしまった

 だから絵描きになる決心をしたんだと、教えたくれました。

    ーーーワぁ、ゴッホになる! って。

       

 ゴッホに憧れて、絵画に恋焦がれて、

 油絵のなんたるかもよくわからないままに

     最初はがむしゃらに始めました。

 悪戦苦闘するうちに、やがてあの人が見出したのは、

 板画の道でした。

 版画ではなく「板画」です。

   戦時中、棟方が自分の仕事を自らそう名付けました。

   板を彫る、墨で摺る画。世界にたったひとつ、

   板上に咲く絵。だから板画なのだと。

当時、日本には浮世絵があり、木版画の技術は世界的に見ても

特別なもの~でも、所詮は版画「版を重ねる」複製画。

だから芸術的価値は、はるかに他に比べると低かった。

 

でも、ヨーロッパでゴッホを初めてとする印象派の画家たちが

 この「浮世絵」を見て~ こんな絵を見たことがない。

 驚き、夢中になって…自分たちの絵もこうでなくちゃ。

 と、その価値を見出したのである。

 

 ゴッホは少しでも近づきたいと~多くの作品に真似て描いた。

       

 日本に行きたいと…まで 強い思いを持っていた。

  浮世絵からのゴッホの絵 歌麿、広重あり。 

  右端、「タンギー爺さん」 ゴッホをはじめ、モネ、セザンヌ、ゴーギャンなどの画家

  が集まる画廊の主人。 ゴッホが描く自画像の背景に「浮世絵」を入れている。

 

 このゴッホのひらめきを得て、やみくもにゴッホの足跡をおきかけるのではなく

 自分の力で新たな道を切り拓き、足跡を残していこうと決心をする。

 

  ほとばしるよな絵を描いた画家は自殺してもうこの世にはいない。

  十七歳の

  棟方の心には聞こえる~ ゴッホの声が・・・教えてくれた。

           「超えていけ、と」

 

   取材の話はここで終わる。

 

   棟方が亡くなって~・・・そういえば私、一度も墨を磨っていないこと

   あなたのお話しながら気が付きました。

       辛くなかったと言えば、噓になります。

       辛かった。

       でも、、幸せでした。

 

   せっかくだから、行ってみようかしらね。

   日本へやってきたという<ひまわり>に会いに。

 

   そうでしたね。 あなたのご質問。

   棟方がなんと言うか。

   ゴッホの<ひまわり>それがいま、東京の美術館にある。

   そうね。

   あの人…なんて言うかなあ。

 

    明日からは、一挙に昔に戻り、棟方とチヤの若い時代の話に。


続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。