黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「板上に咲く」第4話

2024-03-26 | 日記

 チヤ棟方と出会ったのは、昨秋のことである。

  川村イトの家で面白い人が来るからと言われ、

  待っていたところ、現れたのが棟方だった

 あの日、泥だらけ…なんでも歩けば片道五時間かかるという

 八甲田山の麓付近までスケッチに行って帰ってきたという。

   

      「八甲田山麓図」(大正13年 1924) 油絵 

  *棟方は青年時代からこの山に魅せられて、まだバスのなかった時代には、

    馬の背や徒歩で25キロの道を通い、八甲田の自然をむさぼるように描いた。

    落ち着きのある描写力と丁寧な筆遣いに、意外性と21歳という若さを想う一点である。

 

 「空気は冷たぐで気持ちぇがった、絵コもがっば描げで

   まんず えがっだえがだったと」、大きな声でまくしたてて…

  疑いたくなるほど元気いっぱいであった。

 

  聞けば、

   棟方は子供の頃から絵を描くのが何より好きで得意だったらしい。

  家業の鍛冶屋は継がず、青森県の裁判所詰めの給仕をして家計を

           

          (裁判所の給仕をしていた頃の棟方)

  支えつつ、自分勝手に絵を描き続けていた。

  近くの「合浦公園」「善知鳥神社」 境内などへ出かけスケッチしていた。

      

    

    後年、板画にしている「合浦池畔」

         

  だが、本格的に

  絵描きになろうと一念発起して、五年前に東京へ出た。

  その時、誓ったのが

  【たとえ親兄弟の死に目にあえずとも「帝展」に入選するまでは故郷の土

    を決して踏まない】ということだった。

  帝展に四回応募、四回とも落選。

   歯を食いしばって頑張り続けて、ようやく、

  五回目の応募で初入選を果たし バンザイ!

  それっとばかりに上野発夜行列車に飛び乗り、青森駅から両親の墓所へ

  直行し、オイオイ泣いて墓石にすがった。

     初入選の作品 「雑園」 

     

   (本物作品は行方不明=「習作」同様のモチーフが描かれ、「雑園」の色彩を

    うかがい知ることが出来る。 )

 

  と、猛烈な勢いでしゃべりまくった。

    チヤはあっけにとられてしまった。

     帝展だのなんだの、絵の専門的なことはよくわからなかったが、

     はぁ、すごぇ・・・と、ただただ圧倒された。   

 

    イト棟方に、スコさ、チヤにおメさの絵コ 見へでけ、と促した。

     棟方は画集を広げてくれた~

     ひと目見て、チヤは、やはり あっけにとられてしまった。

     

     画集一面、真っ赤真っ黄真っ青さで、真っ茶・・・

      わちゃわちゃ、むちゃくちゃ、はちゃめちゃ…という感じ。

      めまいがしてきた。               

                

           (現代ならこんな? 当時のスケッチブックの中身はわからない…)

           棟方はニコニコ顔でチヤの感想を待っている。

     チヤは たまらず立ち上がって、

     「あ、あの、もう帰らねば、そいだば、まだ。」 と、

     

それが1年前の出来事である

     念願かなって看護婦として弘前の病院で働き始めてからは、

      おかしな絵描きのことなど思い出す余裕はなかった。

      半年ほど経った九月、チヤは休務日だった。

     ちょっと「かぐは宮川」へ行ってきます。

           

    東北地方で初めてのハイカラ百貨店、青森から来たチヤにとって

     憧れの都会だった。

     何を買うというわけでもなく、誰かに会う予定もなかった。

    あちらの棚から、こちらの…と、歩いていると~

 

    「チヤさん? チヤさんではありませんか?」

 

     津軽訛りの東京弁の野太い声が聞こえてきた。

     はっとして、顔を上げると~

       すぐそばにすとんと立っているではないか。

    …あ。「ス  スコさ?」

 

   「なすて…でなぐで、どすであなたはこごにいるのでしょうか?」

 

    それはこっちが聞きたいんだが。チヤ

    「ワっきゃ、看護婦になったんです。

     この春がら弘前の病院で働いでらんだ。・・・おメさは?

     そのテイテンどがいうのは、どうなったんだが?」

    棟方は、はっと顔を上げた

    「やあ、よく覚えてだですね。帝展づで…はは、ハハハ」

 

    こうした訳なのだ~弘前の知り合いの友だちのグループが

    「かくは宮川」で展覧会を開催するために立ち寄った。と。

             

    「展覧会はもう見ですまって、今晩は弘前に泊まるからしで

     時間はたっぷりあるし、と、こったハイカラなデパートは

      東京でも行ったことがねがら、ぜんぶ見て帰るべと

      ~・・・そうすたら、あなたをみづげだんだ」

 

    それから二人は、弘前市内を歩き~

    下宿の工藤家へ一緒に顔を~ そして、ヒラメを喰らうと。

 

    棟方はヒラメをきれいに平らげ、酒をまったく嗜まないから

   と白湯を三杯ばかり飲んで、その夜、棟方は工藤家を辞した。

 

    ふと、このまま泊まっていきませんか、と言いたいような

    気持ちになった。が、言えるはずがなかった。

      ーーー そいだば、また ーーー。

 

    三日後の朝。 「へば、行ってきます」

    いつものように出勤前に工藤夫婦の部屋へ行き、声をかけた。

    すると、「チヤちゃ。この新聞記事、見てみれ」

 

   <弘前高等学校サイプレス洋画会秋期会を評す 棟方志功画伯>

     「あ」とチヤは声を上げた。

 

     紙面の下のほうに…

 <チヤ様 私は貴方に惚れ申し候。 ご同意なくばあきらめ候 志功>

    えっ? これって・・・・。

     まさかの公開ラブレター。

        チヤの頬がみるみる。に染まった。

 

   こうしてチヤは、心のぜんぶを  

          棟方に持っていかれてしまったのだった。

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。