チヤが棟方と出会ったのは、昨秋のことである。
川村イトの家で面白い人が来るからと言われ、
待っていたところ、現れたのが棟方だった
あの日、泥だらけ…なんでも歩けば片道五時間かかるという
八甲田山の麓付近までスケッチに行って帰ってきたという。
「八甲田山麓図」(大正13年 1924) 油絵
*棟方は青年時代からこの山に魅せられて、まだバスのなかった時代には、
馬の背や徒歩で25キロの道を通い、八甲田の自然をむさぼるように描いた。
落ち着きのある描写力と丁寧な筆遣いに、意外性と21歳という若さを想う一点である。
「空気は冷たぐで気持ちぇがった、絵コもがっば描げで
まんず えがっだえがだったと」、大きな声でまくしたてて…
疑いたくなるほど元気いっぱいであった。
聞けば、
棟方は子供の頃から絵を描くのが何より好きで得意だったらしい。
家業の鍛冶屋は継がず、青森県の裁判所詰めの給仕をして家計を
(裁判所の給仕をしていた頃の棟方)
支えつつ、自分勝手に絵を描き続けていた。
近くの「合浦公園」「善知鳥神社」 境内などへ出かけスケッチしていた。
後年、板画にしている「合浦池畔」
だが、本格的に
絵描きになろうと一念発起して、五年前に東京へ出た。
その時、誓ったのが
【たとえ親兄弟の死に目にあえずとも「帝展」に入選するまでは故郷の土
を決して踏まない】ということだった。
帝展に四回応募、四回とも落選。
歯を食いしばって頑張り続けて、ようやく、
五回目の応募で初入選を果たし バンザイ!
それっとばかりに上野発夜行列車に飛び乗り、青森駅から両親の墓所へ
直行し、オイオイ泣いて墓石にすがった。
初入選の作品 「雑園」
(本物作品は行方不明=「習作」同様のモチーフが描かれ、「雑園」の色彩を
うかがい知ることが出来る。 )
と、猛烈な勢いでしゃべりまくった。
チヤはあっけにとられてしまった。
帝展だのなんだの、絵の専門的なことはよくわからなかったが、
はぁ、すごぇ・・・と、ただただ圧倒された。
イトが棟方に、スコさ、チヤにおメさの絵コ 見へでけ、と促した。
棟方は画集を広げてくれた~
ひと目見て、チヤは、やはり あっけにとられてしまった。
画集一面、真っ赤、真っ黄、真っ青さで、真っ茶・・・
わちゃわちゃ、むちゃくちゃ、はちゃめちゃ…という感じ。
めまいがしてきた。
(現代ならこんな? 当時のスケッチブックの中身はわからない…)
棟方はニコニコ顔でチヤの感想を待っている。
チヤは たまらず立ち上がって、
「あ、あの、もう帰らねば、そいだば、まだ。」 と、
それが1年前の出来事である。
念願かなって看護婦として弘前の病院で働き始めてからは、
おかしな絵描きのことなど思い出す余裕はなかった。
半年ほど経った九月、チヤは休務日だった。
ちょっと「かぐは宮川」へ行ってきます。
東北地方で初めてのハイカラ百貨店、青森から来たチヤにとって
憧れの都会だった。
何を買うというわけでもなく、誰かに会う予定もなかった。
あちらの棚から、こちらの…と、歩いていると~
「チヤさん? チヤさんではありませんか?」
津軽訛りの東京弁の野太い声が聞こえてきた。
はっとして、顔を上げると~
すぐそばにすとんと立っているではないか。
…あ。「ス スコさ?」
「なすて…でなぐで、どすであなたはこごにいるのでしょうか?」
それはこっちが聞きたいんだが。チヤ
「ワっきゃ、看護婦になったんです。
この春がら弘前の病院で働いでらんだ。・・・おメさは?
そのテイテンどがいうのは、どうなったんだが?」
棟方は、はっと顔を上げた
「やあ、よく覚えてだですね。帝展づで…はは、ハハハ」
こうした訳なのだ~弘前の知り合いの友だちのグループが
「かくは宮川」で展覧会を開催するために立ち寄った。と。
「展覧会はもう見ですまって、今晩は弘前に泊まるからしで
時間はたっぷりあるし、と、こったハイカラなデパートは
東京でも行ったことがねがら、ぜんぶ見て帰るべと
~・・・そうすたら、あなたをみづげだんだ」
それから二人は、弘前市内を歩き~
下宿の工藤家へ一緒に顔を~ そして、ヒラメを喰らうと。
棟方はヒラメをきれいに平らげ、酒をまったく嗜まないから
と白湯を三杯ばかり飲んで、その夜、棟方は工藤家を辞した。
ふと、このまま泊まっていきませんか、と言いたいような
気持ちになった。が、言えるはずがなかった。
ーーー そいだば、また ーーー。
三日後の朝。 「へば、行ってきます」
いつものように出勤前に工藤夫婦の部屋へ行き、声をかけた。
すると、「チヤちゃ。この新聞記事、見てみれ」
<弘前高等学校サイプレス洋画会秋期会を評す 棟方志功画伯>
「あ」とチヤは声を上げた。
紙面の下のほうに…
<チヤ様 私は貴方に惚れ申し候。 ご同意なくばあきらめ候 志功>
えっ? これって・・・・。
まさかの公開ラブレター。
チヤの頬がみるみる。に染まった。
棟方に持っていかれてしまったのだった。