チヤは、棟方とともに結婚という名の冒険を始めたのだった。
チヤは手紙を書いている。 夫、棟方へだ。
昔は、画家先生に読んでもらうものだからと、おかしなこと
書いては恥ずかしいと書く前から緊張し、練習し、清書。
せっせと郵便ポストまで通ったものだ。
が、夫もさるもの~向こうからもどんどん手紙がくる。
多い時は一日三通も来る・・・
結婚して約一年半。
いまなを離れ離れに暮らすふたりのあいだをつなぐ手紙には
やさしい愛の言葉などひとつもなかった。
チヤは鉛筆を走らせながら~夫に向かってつぶやく。
「私は、いつまで、こんな暮らしを、そなければ、
なら・・・ねんだよもぅっ!」
思わず机に向かって鉛筆を投げつけた。
ほんの半刻まえに届いた棟方からの手紙。
そこにも相変わらず長いながい言い訳めいた言葉が連なっていた。
「お前と子供と離れ離れで生活しなければならないのを申し訳なく思っている。
しかし、自分ひとりですら食べるのに苦労して現状では、どんなに呼び寄せ
たくても無理なのだ。おまえと子供と一緒に暮らしたいのは自分も同じだ。
そのために一生懸命仕事をしている。 ・・・・(略)・・・・
夫婦の契りを交わしたときに、しばらく我慢してくれと言ったじゃないか
我慢しますとお前も答えたじゃないか。 ただ、その通りになっているだけだ。
これ以上、俺を苦しめないでくれ。」 云々 かんぬん。
ーーーだまされだんだがなぁ~ イトちゃが言っでだみでに。
うんにゃ、そんたごどは、ね。 絶対に、ね。
スコさは、ゴッホになるんだもの。
世界一の絵描きになるんだもの。
チヤは箪笥の引き出しにしまっていた雑誌「白樺」を取り出して広げた。
目の覚めるような青を背景に咲き乱れるひまわりの花。
くじけそうになれば、この絵のページを開いて飽きることなく眺め続けた。
遠く八甲田山の山肌が紅葉の錦で覆われ始めた頃、
待ちに待った吉報がチヤのもとに届けられた。
棟方の作品が、三年ぶりに帝展に入選したのである。
【辛くも再入選するが、その頃には「版画か油絵か」の思いは、版画の方に
傾きかけていた。公募展での油絵での入選率と版画でのそれを比べると、
版画は落選知らずである。色彩豊かな油絵の魅力は断ち難いが、自分は
近視の弱視で、遠近感も掴めない。西洋伝来の遠近法を基本とする油絵が
向いているとは言いにくい。 版画は黒と白の世界である。
平面で表現するもので、遠近法にこだわる必要もない。
あのゴッホさえも、浮世絵に憧れたではないか。
それは版画だ! という論理の展開である。
別冊太陽 日本のこころ より】
チヤはさっそく手紙をしたためた~
ところが、待てども待てどもなかなか返事が来なかった。
ワッきゃもう、我慢ならね。・・・・
それから間もなくして、手紙ではなく、小包が送られてきた。
チヤは胸を躍らせた~きっと、中身は~
おくるみ とか 赤ん坊のおもちゃとか…娘の「けよう」の
ためのものに違いない。
包みを解いた~
現れたのは、…色とりどりの絵。木版画だった。
全部で十枚の版画集。
{西洋風の女性たち、遠い異国の姫君たち。提灯のように膨らんだスカートを身に着け
長い裳裾を従者の少年にひかせている 等等。 目が覚めるような出来栄えだった。
貴女等箒星を観る 花か蝶か
文字も描いてある<花か蝶々か 蝶々か花か 来てはちらちら >この文字も彫って
摺ってあるのだろうか。
聖堂を出る 星座の絵 貴婦人と蝶々
貴女・裳を引く 聖堂に並ぶ三貴女
べチレヘムに聖星を観る 貴女
表紙がつけられていた{ 星座の花嫁 版画集 }
*昭和6年発表 創作版画倶楽部より刊行された版画集の名称で
昭和3~5年までに発表した10点を収めている。
◆版画集の刊行にあたって棟方が描いた文章~
<版画は見せ、聞かせ、味わわせ、澄みを物語る物語り、
それまで摺られていなければならないと思ている。
全版画が、紙と摺られた線、調子による道連れに、
仲善い力で生き、静かな息づきまで知らせなければ、
断言できる善い版画とはいえない気がする。
いま自分が版画を創るとき、それを目標としております。>
チヤは、息をのんで版画集を胸に抱いた。
ー 花束だ そう思った。
棟方から自分と娘に贈られた、これは花束なのだと。