第4章 デトロイト美術館 《奇跡》 2013~2015年
目が覚めるほどの青空がいっぱい広がった冬の朝、
ジェフリー・マグノイドは、出発予定時刻よりも1時間早く家を出た。
その日、デトロイトのダウンタウンにあるセオドア・レヴィン裁判所で、
重要な会議・・・裁判ではなく、
あくまでも会議だ ~ が開かれることになっていた。
ジェフリーは、その会議の傍聴者として参加することを許されていた。
DIAの存続がかかった大一番の会議になるずだ。
まず、その前に、いつものラリーズの店へ。
店内に入っていくと…奥のカウンターに~フレッドが。
「やあ、ジェフリー。やっぱり来たか」
隣同士に座って、コーヒーを飲みいつも通りに会話を楽しんだ。
時計の針が、8時半を指していた。
「そろそろ行くよ」と、ジェフリーが立ち上がった。
特別室のドアーが、9時きっかりに開けられた。
会議の進行役を務める裁判官、ダニエル・クーパーに呼び止められた。
「君の席は私のすぐ後ろだ、ジェフリー」 小声で耳打ちされた。
見守っていてほしい、
という裁判官の気持ちがその一言に込められていた。
「皆さん、お手元の資料の表紙をご覧ください。
本日、私たちは、なんのために集まり、協議するのか。
その目的がそこに書かれています」
ダニエルが朗々と語った。
「デトロイト市の退職職員の年金削減の救済
ならびに市の経済的・文化的活力再興の為の資金調達と支給」
~ ~ ~
連邦裁判所で会議が行われる2か月前のこと・・・・
ジェフリーは、ラリーに紹介されて二人は握手を交わした。
櫛目の通った銀色の髪はきっちりと撫でつけられている。
「ジェフリー、こちらがダニエル・クーパー裁判官」
連邦裁判所の裁判官といえば、社会的な地位も名誉もある職だ。
しかし、ダニエルは尊大なところはちっともなく、気さくで飾り気の
ない人物だった。
しかし、ダニエルは尊大なところはちっともなく、気さくで飾り気の
ない人物だった。
すぐに意気投合した二人は、しばらくよもやま話に花を咲かせていたが‥‥
ジェフリーは、ふと、
この人物に自分の本音を聞いてもらいたい気持ちになった。
「ところで・・・・」
ダニエルがふいに話題を変えた。
「もしも、DIAが閉鎖されてしまったら君はどうするつもりだい!」
どきりとした。
「わかりません…答えるのは、とてもむつかしい」
ダニエル
「僕だって市の職員だ。もしもらえるはずの年金が大幅にカットされて、
退職後の生活がままならなくなってしまったら‥‥
どれほどきついことなのか、
自分の身に置き換えてみればよく分かります。 でも‥‥」
ジェフリー
「それでも、DIAのコレクションを散逸させることは、
許されないことだと思います。
退職者の年金を守ることも重要です。
けれど、コレクションを守ることも重要です。
僕は、その両方を実現したい。~このふたつは等しく価値があります
どちらかをとってどちらかを切ることはことは、できません」
ダニエルは、ジェフリーをみつめた。深く、思い詰めた目で。
そして、何も言わなかった。
沈黙が流れる~
やがてゆっくりとジェフリーの方を向いた。
「ジェフリー、 DIAのコレクションは、クリスティーの試算によれば、
100億ドル以上の価値があるということだったね? 」
ジェフリーは正直にうなずいた。
「ええ、100億どころではありません。 とてつもない価値があります」
「…だったら…それを『売る』のではなく、『守る』ために、
寄付を募るだけの価値がある‥‥ということだね?」
ジェフリーは、はっと息をのんだ。
ダニエルの瞳には輝きが宿っていた。
朗らかな声で彼は言った。
「『売る』ではなく『募る』発想の転換だ。
‥‥やってみようじゃないか」
~ ~ ~
2015年1月。
フレッド・ウイルはベッドの中で目覚めた。
軽やかにメールの受信音が…
ジェフリーからのメールだった。
「We did it ! (ついにやった!」
メールを開いた。
差出人 : ジェフリー・マクノイド
宛先 :フレッド・ウイル
件名 :ついにやった!
フレッド、速報だ!。
DIAがついに寄付金目標額を達成した。
資金調達キャンペーンの最後の最後になって、
アンドリュー・メロン財団
ゲティ財団
が巨額の寄付を表明してくれたんだ。
これと引き換えに、美術館は市の管理下を離れて独立行政法人になる。
これからは市の経済状態に左右されることなく、存続していくことが
できるようになったんだ。
「な‥‥なんてこった! ほんとうか、ジェフリー⁈ 」
フレッド、僕は、まずあなたに感謝の言葉を告げたくて、
誰よりも先にこのメールを打っている。
僕は、あなたような市民がいるこの街、
デトロイトを誇りに思う。
あなたがこの街にいてくれたことこそが、
デトロイト美術館の奇跡なんだ。
ありがとう。
~ ~ ~
すっきりと晴れ渡った青空の中で、星条旗とミシガン州旗がはためいている。
白い石造りの建物が、春の日差しの中で眩しく輝いている。
デトロイト美術館の正面入り口に、フレッドはひとり、佇んでいた。
終わり
これも 何てこった! ですよ。
‥‥この裁判の後 僅かの時間で
このデトロイトの至宝(ロバート・タナヒル・コレクション)が
日本へ初上陸し、東京上野の森美術館(2016.10.7~2017.1.21)
を皮切りに巡回展が行われた。
最後に、この時にお目見えした名作を少しご紹介しましょう。
この連載中にアップした名画も、もちろん展示されました。
作中でクリスティーズが査定した、多くの作品‥‥
実際に、これをオークションに掛ければ
いったい どれほどになるのでしょうか?
ヴィンセント・ファン・ゴッホの「自画像」
「 オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて」
ドガ 「女性の肖像」
モネ 「グラジオラス」
ルノワール 「肘掛け椅子の女性」
「座る女」
ワシリー・カンディンスキー 「白いフォルムのある習作」
モジリアニ 「女の肖像」
「男の肖像」
どれもこれも、あの騒動から・・・
全てのコレクションが今も、美術館のそれぞれの部屋で
今日も・・・息づいているのです。
もう一度、日本へ来る機会があれば~
今度こそ、絶対に 美術館には 足を向けるぞ!