ジェシカと共にDIAに足繁く通うになって、10年以上が経っていた。
けれど、去年の秋口にジェシカが体調を崩し、末期がんであると
宣告されてからは、すっかり足が遠のいてしまっていた。
ジェシカも医療保険に加入していなかった。
手術には多額の費用がかかる。
ジェシカには黙って自宅を担保に借金しようとした。
ところが、銀行は首を縦に振らなかった。
父が遺してくれた唯一の財産である自宅には、
もはやなんの価値もないと判断されてしまったのだ。
手術もできなければ、入院すらもできない。
いったい自分は何をしてきたのだと、フレッドは自分を責めた。
妻の命を救ってやれないなんて…日に日に衰弱していくのを眺めることしか
できないなんて。
ジェシカ。…ああ、ジェシカ、許してくれ。役立たずのおれを。
~~~
・・・あたしのお願い、ひとつだけ聞いてくれる?
最後にもう一度だけ、一緒に行きたいの。
デトロイト美術館へ。
そして、フレッドは、痩せ衰えたジェシカを乗せた車椅子を
押して、DIAへ出かけていった。
これが最後の訪問になるとフレッドは分かっていた。
だから、正面の堂々とした入り口から入って、ホールを通り、
リベラ・コートを抜けて、
ジェシカが大好きな部屋へ入っていくことにした。
その日、ジェシカは、口紅を付け、ほを紅をさして、
目いっぱいおしゃれをした。
かっての職場の同僚、エミリーが整えてくれた。
とってもきれいよ! とエミリーは鏡を覗き込んでそう言った。
事前に車椅子の妻を連れていきます。と、頼んでいた。
「どうぞご心配なくいらしてください」
事務局の担当者は応えた。
階段の下で美術館の男性職員が4人、待機していた。
「ようこそDIAへ、と彼らは、笑顔で二人を迎えてくれた。
そして、車いすを持ち上げて、入り口まで運んでくれたのだ。
フレッドは胸がいっぱいなった。
ありがとう、とひと言だけ告げて、後は言葉にならなかった。
《マダム・セザンヌ》の前に、車椅子のジェシカとともに
佇んで~フレッドは、
ほんとうに思わず、彼女、お前に似ているね、とつぶやいた。
ジェシカはじっとみつめたまま、何とも応えなかった。
黙ったままで、いつまでも、いつまでも、絵をみつめていた。
~ねぇ、フレッド、お願いがあるの。
どのくらい経ったのだろうか、ジェシカが
ふいにかすれた声でつぶやいた。
…あたしがいなくなっても…彼女に会いに来てくれる?
彼女、あなたがまた来てくれるのを、
きっと待っていてくれるはずだから。
あたしも、あなたのこと、見守っているわ。
彼女と一緒に、ここで。
その2週間後、眠るように、おだやかにジェシカは旅立っていった。
フレッドは
ふらりとDIAへ出かけ、《マダム・セザンヌ》と心ゆくまで対話して、
帰り道、イースト・ワ-レン・アヴェニューにあるカフェ「ラリーズ」に
立ち寄るのが、ひとりになってからのフレッドの定番になっていた。
ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーをすすりながら新聞を手にした瞬間、
一面トップの見出しが、フレッドの目に飛び込んできた。
~えっ? なんだって?
フレッドは思わず両手で目をこすった。
その一文は、無慈悲なほどくっきりと鮮やかに、紙面の上で躍っていた。
デトロイト市財政破綻 DIAのコレクション 売却へ
第2章 ロバート・タナヒル 《マダム・セザンヌ》1969年
ロバート・ハドソン・タナヒルは、
午後のまどろみから目を覚ました。
なんだろう、とても居心地のいい夢を見ていた。
眩しい陽光に包まれたような‥‥いったい、夢の中で、
私はどこにいたのだろう?
ここ…デトロイトではないどこか? ~
いま~春のまだ浅い季節ではなく~そうだ、
初夏の日差しに満ち溢れた、あれは、~パリ、だったのだろうか。
初めてパリを訪問したのは、かれこれ44年も前のことだ。
自分はあの時32歳。
胸をときめかせながら花の都へ旅をした。
その頃、デトロイトの社交界で、ロバートは「若きコレクター」とか
「新米の収集家」とかいう形容付きで紹介されていた。
・・・・「コレクター」として認識されていたことは、大きな誇りでもあった。
マントルピースでは、炭火が静かに燃えている。
右横には大きな二つの窓があり、その向こうにはセント・クレア湖が
広がっている。
湖の向こうはカナダだった。
大きなふたつの窓の間には飾り卓が据えてあり、その上の壁に1枚の絵が
掛けられていた。
ポール・セザンヌの筆による作品。
《マダム・セザンヌ》という」タイトルの油彩画だった。
この絵の居場所は、この邸に引っ越してきた当初から、邸中で最も
目立つ場所、リビングにあるふたつの窓のあいだの壁~
と、決まっていた。
なぜなら、ここを訪れる客人をもてなす場所であり、
彼らと談笑する部屋であるから。
そして何より、自分自身が毎日くつろいで過ごすところだから。
ロバートは、デトロイトの裕福な一族~
父はデパートの副社長であり
従姉妹はフォード家に嫁いだ…出自とする
タナヒルは、若い頃から 現在に至るまで、DIAにとっては
なくてはならない存在であった。
巨万の富に支えられて、働かずとも優雅に暮らしていける立場であった。
派手な生活を好まず、76歳の今日まで独身を貫いてきた。
デトロイトの社交界の人々はひそかに変人扱いしていたが…
美術界は違った。
生涯を通して美術品収集とDIAへの惜しみない援助~
財政支援と作品寄付の両面において~
情熱を注いできた彼の功績はただならぬものである。
家政婦のルイーズが顔をのぞかせた。
ウイルス・ウッズさまがお見えです。
「お約束はないとのことですが、お通しいたしますか?」
「もちろんだとも、断る理由などない」
デトロイト美術館の館長 ウイルス・F・ウッズであった。
その日、ロバートの誕生日だった…そのお祝いに…
しばらく談笑の後、帰っていった…
帰り際に~ウイルスは
「ここから出ていくときは、いつも後ろ髪を引かれる思いです。
あなたばかりでなく、ピカソとゴーギャンにも
見送られるのですから‥‥」
ホールの正面の壁にはパブロ・ピカソの油彩画
《アルルカンの頭部》
階段横の壁にはポール・ゴーギャンの油彩画《自画像》
が掛けられていた。
リビングに戻ると~ソファの右手に掛けられている
《マダム・セザンヌ》がこちらをじっとみつめている。
‥‥ ロバートは「空想を巡らす」
そうだ、おそらく、
このくらいの位置に画家はイーゼルを立てたはずだ。
そしてちょうどあの壁あたりに、妻を座らせて…
そして、こんなふうに語りかけたに違いない。
「いいね、オルタンス。
絶対に動いてはならないよ。
私が絵筆を動かしているあいだ。
お前はリンゴになっていると思いなさい。
微笑んだり、ため息をついたりしないでほしい。」・・・・
セザンヌは生涯に油彩だけでも、29点もの肖像画を描いたという。
《サント・ヴィクトワール山》
や《リンゴのある静物》
と同様、セザンヌは
自分の妻を{動かざるモデル}として、好んで描いていた。
セザンヌが同じモティーフを選んで繰り返し描いたのは頑固に独自の画法を
追求したからだ。時間をかけて対象を分析しながら、着実に自分のものに
していく。それがセザンヌのスタイルだった。
ここで妻の「肖像画」、「リンゴのある静物」「サント・ヴィクトワール山」
を数点ご紹介しておきます。
山や静物のような動かざるモデルは理想的だっただろう。
そして彼の妻もまた、辛抱強く夫の目の前に座り続けた。
セザンヌにとって、オルタンスは、
ふるさとの山、サント・ヴィクトワール山であり、世界をあっといわせる
いびつなリンゴだった。
《マダム・セザンヌ》を初めて見たときのことをいまでもはっきりと
思い出す。
1935年、ニューヨークのディラーを介してパリの画商から
購入したのだ。
この絵は、もともと全米屈指のモダン・アートの収集家
アルバート・C・バーンズ博士が所有していたものだが、
バーンズコレクション
博士が財団を設立する際、資金調達のために、数多く所有していた作品
の これはその中の一点で、パリへ「里帰り」したということだった。
この1枚の絵が、彼を変えた。
ごく普通の、どこにでもいるような女性だ。
それに、絵に描かれるほどの特別な美人かと問われれば、
そうとは言えない。
けれど…。
このままずっと、いつまでもみつめられたい。
そして、みつめていたい。
その時からずっと、《マダム・セザンヌ》はロバートとともにあった。
ロバートがモダンアートの真の素晴らしさを
体得するきっかけを与えてくれたのは、ポール・セザンヌの作品だった。
わけの分からない作品?は 到底受け入れられない…と思っていたが
ロバートは、驚くほどすんなりとそれが自分の中に入って来るのを感じた。
暴れ狂うタッチと激しい色彩、奥行きのない画面、でこぼこの表面。
そのすべてが新鮮で、」好奇心がそそられた。
特にヴィンセント・ファン・ゴッホの《自画像》
アンリ・マチスの《窓》
画中にぐっと引き込まれる感覚があった。
1925年、パリ万国博覧会が開催。
ロバートは、社交界の友人たちと共に、パリ万博を視察がてら、
イタリアやイギリスやオーストリアなど
ヨーロッパ諸国をめぐる旅に出た。
旅立つ前にDIAを訪問した時に…彼、ヴァレンティーナの言葉を
思い出した…(のちのデトロイト美術館の館長)
アドヴァイスを受けていた。
「パリに行ったら、是非、立ち寄っていただきたい画廊があります。」
すっかり疲れてしまった一行を残し、
ロバートはひとり、画廊へ出向いた。
そのいショーウインドウに飾ってあったのが、ポール・セザンヌの
静物画だった。
そのリンゴを見つめるうちに、口の中が酸っぱくなって来るのを感じた。
そのリンゴは現実離れしたかたちであるのに、甘酸っぱい香りと味が
したのだ‥‥。
いま、邸のリビングで、《マダム・セザンヌ》と向き合いながら、
ロバートはセザンヌの作品を見た瞬間を思い出していた。
…いまでもときどき思い出す。
そのたびに、リンゴをかじった甘酸っぱさが口の中に蘇ってくる。
あれから、10年後~ 巡り巡って、《マダム・セザンヌ》が
デトロイトに、自分のもとにやって来た。
いつまでもみつめられたい。そして、みつめていたい。
「… おそらく、死ぬまでかわらないんだろうな 」
その年の秋、ロバート・タナヒルは、永遠の旅路についた。
《マダム・セザンヌ》はロバートの遺志通り、
DIAの一室の壁に掛けられた。