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まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「デトロイト美術館の奇跡」NO.3

2022-03-02 | 日記
 ジェシカと共にDIAに足繁く通うになって、10年以上が経っていた
けれど、去年の秋口にジェシカが体調を崩し、末期がんであると
宣告されてからは、すっかり足が遠のいてしまっていた。

ジェシカも医療保険に加入していなかった。
手術には多額の費用がかかる。
ジェシカには黙って自宅を担保に借金しようとした。
ところが、銀行は首を縦に振らなかった。
父が遺してくれた唯一の財産である自宅には、
もはやなんの価値もないと判断されてしまったのだ。

手術もできなければ、入院すらもできない。
いったい自分は何をしてきたのだと、フレッドは自分を責めた。
妻の命を救ってやれないなんて…日に日に衰弱していくのを眺めることしか
できないなんて。
 ジェシカ。…ああ、ジェシカ、許してくれ。役立たずのおれを。

           ~~~
 ・・・あたしのお願い、ひとつだけ聞いてくれる?
          最後にもう一度だけ、一緒に行きたいの。
           デトロイト美術館へ。

        
 
そして、フレッドは、痩せ衰えたジェシカを乗せた車椅子を
押して、DIAへ出かけていった。

これが最後の訪問になるとフレッドは分かっていた。
だから、正面の堂々とした入り口から入って、ホールを通り、
       

リベラ・コートを抜けて、
     ジェシカが大好きな部屋へ入っていくことにした。

その日、ジェシカは、口紅を付け、ほを紅をさして、
目いっぱいおしゃれをした。
かっての職場の同僚、エミリーが整えてくれた。
とってもきれいよ! とエミリーは鏡を覗き込んでそう言った。

事前に車椅子の妻を連れていきます。と、頼んでいた。
 「どうぞご心配なくいらしてください」
             事務局の担当者は応えた。
 階段の下で美術館の男性職員が4人、待機していた。

「ようこそDIAへ、と彼らは、笑顔で二人を迎えてくれた。
  そして、車いすを持ち上げて、入り口まで運んでくれたのだ。

フレッドは胸がいっぱいなった。
  ありがとう、とひと言だけ告げて、後は言葉にならなかった。

          《マダム・セザンヌ》の前に、車椅子のジェシカとともに                            
                                                                                     
                                  

 佇んで~フレッドは、
 ほんとうに思わず、彼女、お前に似ているね、とつぶやいた。
                                                   
 ジェシカはじっとみつめたまま、何とも応えなかった。
 黙ったままで、いつまでも、いつまでも、絵をみつめていた。

   ~ねぇ、フレッド、お願いがあるの。
   
  どのくらい経ったのだろうか、ジェシカが
             ふいにかすれた声でつぶやいた。

  …あたしがいなくなっても…彼女に会いに来てくれる?

    彼女、あなたがまた来てくれるのを、
    きっと待っていてくれるはずだから。
    あたしも、あなたのこと、見守っているわ。
    彼女と一緒に、ここで。

  その2週間後、眠るように、おだやかにジェシカは旅立っていった。

 

  フレッドは
   ふらりとDIAへ出かけ、《マダム・セザンヌ》と心ゆくまで対話して、
              
 帰り道、イースト・ワ-レン・アヴェニューにあるカフェ「ラリーズ」に
  立ち寄るのが、ひとりになってからのフレッドの定番になっていた

 ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーをすすりながら新聞を手にした瞬間、
 
    一面トップの見出しが、フレッドの目に飛び込んできた。
        
          ~えっ? なんだって?

       フレッドは思わず両手で目をこすった。
 その一文は、無慈悲なほどくっきりと鮮やかに、紙面の上で躍っていた。

     デトロイト市財政破綻 DIAのコレクション 売却へ
 
       




 第2章 ロバート・タナヒル 《マダム・セザンヌ》1969年

 
 ロバート・ハドソン・タナヒルは、
   午後のまどろみから目を覚ました。
                                 
 
  なんだろう、とても居心地のいい夢を見ていた。
   眩しい陽光に包まれたような‥‥いったい、夢の中で、
   私はどこにいたのだろう?
   ここ…デトロイトではないどこか? ~
   いま~春のまだ浅い季節ではなく~そうだ、
   初夏の日差しに満ち溢れた、あれは、~パリ、だったのだろうか。

 初めてパリを訪問したのは、かれこれ44年も前のことだ。       

 自分はあの時32歳。
 胸をときめかせながら花の都へ旅をした。

その頃、デトロイトの社交界で、ロバートは「若きコレクター」とか
 「新米の収集家」とかいう形容付きで紹介されていた。
  ・・・・「コレクター」として認識されていたことは、大きな誇りでもあった。
                        
   

 マントルピースでは、炭火が静かに燃えている。
               

 右横には大きな二つの窓があり、その向こうにはセント・クレア湖
    広がっている。
   
           湖の向こうはカナダだった。

大きなふたつの窓の間には飾り卓が据えてあり、その上の壁に1枚の絵
掛けられていた。
   ポール・セザンヌの筆による作品。
    《マダム・セザンヌ》という」タイトルの油彩画だった。

                        

 
  この絵の居場所は、この邸に引っ越してきた当初から、邸中で最も
 目立つ場所、リビングにあるふたつの窓のあいだの壁~
 と、決まっていた。
 なぜなら、ここを訪れる客人をもてなす場所であり、
 彼らと談笑する部屋であるから。
 そして何より、自分自身が毎日くつろいで過ごすところだから。

    ロバートは、デトロイトの裕福な一族~
 父はデパートの副社長であり
 従姉妹はフォード家に嫁いだ…出自とする
 タナヒルは、若い頃から 現在に至るまで、DIAにとっては
 なくてはならない存在であった。
 巨万の富に支えられて、働かずとも優雅に暮らしていける立場であった。

 派手な生活を好まず、76歳の今日まで独身を貫いてきた。
 デトロイトの社交界の人々はひそかに変人扱いしていたが…
 美術界は違った。
 生涯を通して美術品収集とDIAへの惜しみない援助
 財政支援と作品寄付の両面において~
 情熱を注いできた彼の功績はただならぬものである。

 家政婦のルイーズが顔をのぞかせた。
 ウイルス・ウッズさまがお見えです。
  「お約束はないとのことですが、お通しいたしますか?」

  「もちろんだとも、断る理由などない」

   デトロイト美術館の館長 ウイルス・F・ウッズであった。
 
  その日、ロバートの誕生日だった…そのお祝いに…
 しばらく談笑の後、帰っていった…
 帰り際に~ウイルスは
「ここから出ていくときは、いつも後ろ髪を引かれる思いです。
 あなたばかりでなく、ピカソとゴーギャンにも
 見送られるのですから‥‥」

  ホールの正面の壁にはパブロ・ピカソの油彩画
 《アルルカンの頭部》

階段横の壁にはポール・ゴーギャンの油彩画《自画像》

   
が掛けられていた。

 リビングに戻ると~ソファの右手に掛けられている
《マダム・セザンヌ》がこちらをじっとみつめている。

‥‥ ロバートは「空想を巡らす」
そうだ、おそらく、
  このくらいの位置に画家はイーゼルを立てたはずだ。
  そしてちょうどあの壁あたりに、妻を座らせて…
  そして、こんなふうに語りかけたに違いない。
   「いいね、オルタンス。
    絶対に動いてはならないよ。
    私が絵筆を動かしているあいだ。
    お前はリンゴになっていると思いなさい。
    微笑んだり、ため息をついたりしないでほしい。」・・・・

 セザンヌは生涯に油彩だけでも、29点もの肖像画を描いたという。

 《サント・ヴィクトワール山》
     

《リンゴのある静物》
  

と同様、セザンヌは
    自分の妻を{動かざるモデル}として、好んで描いていた。

 セザンヌが同じモティーフを選んで繰り返し描いたのは頑固に独自の画法を
  追求したからだ。時間をかけて対象を分析しながら、着実に自分のものに
  していく。それがセザンヌのスタイルだった。

 ここで妻の「肖像画」、「リンゴのある静物」「サント・ヴィクトワール山」

                を数点ご紹介しておきます。

 

  

  

山や静物のような動かざるモデルは理想的だっただろう。
そして彼の妻もまた、辛抱強く夫の目の前に座り続けた。

セザンヌにとって、オルタンスは、
ふるさとの山、サント・ヴィクトワール山であり、世界をあっといわせる
いびつなリンゴだった。 

《マダム・セザンヌ》を初めて見たときのことをいまでもはっきりと
 思い出す。 
 1935年、ニューヨークのディラーを介してパリの画商から
 購入したのだ。

 この絵は、もともと全米屈指のモダン・アートの収集家
 アルバート・C・バーンズ博士が所有していたものだが、
                  バーンズコレクション
         
 博士が財団を設立する際、資金調達のために、数多く所有していた作品
 の これはその中の一点で、パリへ「里帰り」したということだった。


この1枚の絵が、彼を変えた。
  ごく普通の、どこにでもいるような女性だ。
  それに、絵に描かれるほどの特別な美人かと問われれば、
  そうとは言えない。
  けれど…。
  このままずっと、いつまでもみつめられたい。
  そして、みつめていたい。

その時からずっと、《マダム・セザンヌ》はロバートとともにあった。
 
ロバートがモダンアートの真の素晴らしさを
 体得するきっかけを与えてくれたのは、ポール・セザンヌの作品だった。

 わけの分からない作品?は 到底受け入れられない…と思っていたが
ロバートは、驚くほどすんなりとそれが自分の中に入って来るのを感じた。

暴れ狂うタッチと激しい色彩、奥行きのない画面、でこぼこの表面。
そのすべてが新鮮で、」好奇心がそそられた。
 特にヴィンセント・ファン・ゴッホの《自画像》

         

 アンリ・マチスの《窓》

         

  画中にぐっと引き込まれる感覚があった。

 1925年、パリ万国博覧会が開催。
 ロバートは、社交界の友人たちと共に、パリ万博を視察がてら、
 イタリアやイギリスやオーストリアなど
 ヨーロッパ諸国をめぐる旅に出た。

 旅立つ前にDIAを訪問した時に…彼、ヴァレンティーナの言葉を
 思い出した…(のちのデトロイト美術館の館長)
 アドヴァイスを受けていた。
「パリに行ったら、是非、立ち寄っていただきたい画廊があります。」

 すっかり疲れてしまった一行を残し、
 ロバートはひとり、画廊へ出向いた。
 
そのいショーウインドウに飾ってあったのが、ポール・セザンヌの
静物画だった。

そのリンゴを見つめるうちに、口の中が酸っぱくなって来るのを感じた。
そのリンゴは現実離れしたかたちであるのに、甘酸っぱい香りと味が
したのだ‥‥。

 いま、邸のリビングで、《マダム・セザンヌ》と向き合いながら、
 ロバートはセザンヌの作品を見た瞬間を思い出していた。
  …いまでもときどき思い出す。
   そのたびに、リンゴをかじった甘酸っぱさが口の中に蘇ってくる。

 あれから、10年後~ 巡り巡って、《マダム・セザンヌ》が
  デトロイトに、自分のもとにやって来た。

 いつまでもみつめられたい。そして、みつめていたい。

 「… おそらく、死ぬまでかわらないんだろうな 」
 
  その年の秋、ロバート・タナヒルは、永遠の旅路についた。
 
  《マダム・セザンヌ》はロバートの遺志通り、
             DIAの一室の壁に掛けられた。
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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。