黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「デトロイト美術館の奇跡」NO.2

2022-03-01 | 日記
 主人公のフレッド・ウイルはこの街デトロイト
中心部ブラッシュ・パークに5歳の時に引っ越して以来、
60年以上も暮らしている。
父親と同じ溶接工としてアメリカ最大の自動車メーカーの工場に就職
フレッドにとっては一番居心地のいい「自分の居場所」なのである。
        
 
                                デトロイト市
        

                            
        
   GM 本社           工場

       工場内 溶接
         

   そして、世界最大のモーターショーも開催される
            自動車の町である


「夜が闇のヴェールを少しずつ引き上げて、小さな部屋の中がまるで
ミルクに浸されていくようにやわらかく白々と明るくなり始める頃、
小鳥のさえずりが聞こえ始めるより早く、フレッド・ウイルは目覚めの
時を迎える。
 妻が亡くなってからというもの、毎朝、そんな時間に目覚めて、
もう眠れなくなってしまうのだ。」

 
22歳のときにふたつ年下のジェシカと結婚します。
新婚の二人は、フレッドの父と共にこの家で暮らした。
母はフッドが15歳で溶接子になった直後に病気で他界した。

ジェシカはパートタイムで、
近所のスーパーでレジ係として働いていた。
オフィスの掃除、レストランの皿洗い、
食品加工の工場で野菜のカット等の仕事を~
とにかく結婚してから他界するまで、ジェシカが働かなかったことは、
父の介護をしていた時期を除いて、ほとんどなかった。

その父もジェシカと共に暮らし始めて1年もたたないうちに、
あっけなく他界した。
最後の日々、献身的に父を支えたのはジェシカだった。
あれから、夫婦ふたりきりで~そう、
ふたりは子供に恵まれなっかた。

フレッドが40年もの間勤め続けた自動車会社に解雇されたのは、
13年前、55歳のときのことだ。
長引く不景気で、自動車産業は業績が著しく悪化、各企業は大幅な
コストカット、人員削減に乗り出していた。

まさか自分がレイオフの対象になるなどとは考えもしなかった。
(自分は15歳の時からずっとここで働いているベテラン中のベテランだ‥‥)

しかし、まもなく…ほんとうに信じがたい展開だったが~
フレッドはあっけなく失業してしまったのだ。

 まかせといて、と妻は言った。
あたし、あなたのぶんまでがんばって働くから、
なんの心配もいらないわ。

それから、こんなふうにも言った。
 「~ねぇ フレッド、その代わり、あたしのお願い
ひとつだけ聞いてくれる? 」

「あなたがリタイヤして、時間にも心にも余裕ができたら…
あたし、一緒に行きたいと思ってたの。」
      ーデトロイト美術館へ。
          (通称DIA Detroit Iinstitute of  Arts  )

   


その後~

フレッドは車から降りた。
デトロイト美術館の正面入り口には星条旗とミシガン州旗が掲げられ、
かすみがかった青空にたなびいていた。

フレッドは、この堂々とした階段を上がって、
正面から入っていくのがお気に入りなのだ。
 入るとすぐに広々としたホールが現れる。
左右に配置された彫刻達に見守られながら、
大理石の床をまっすぐ進んでいく。
その瞬間、ほんの少し、背筋が伸びる。
胸がわくわくしてくる
大好きなアートに向かい合う特別な時間がこれから始まるのだ。

 ホールの突き当りには、柔らかな光に満ちた
       「リベラ・コート」


コートの四方は、メキシコを代表する画家、ディエゴ・リベラが描いた
  フレスコ壁画《デトロイトの産業》でぐるりと囲まれている。

「フレスコ」は、13~16世紀のイタリアで制作された壁画によく使われた手法。
  まず、壁に、漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態
  つまり、生乾きの間に水または石灰水で溶いた、顔料で描く。
  やり直しが効かないため、高度な計画と技術力が必要とする。
  このフレスコ画で有名なのが、バチカン宮殿にある 
         ミケランジェロの「最後の審判」
       
      
リベラは、この作品を1932年4月から33年3月まで、11か月かけて
ほぼ、ひとりで仕上げったという~。

           ディエゴ・リベラ
             

このコートに一歩足を踏み入れれば~ それが誰であれ…
 おお! と驚きの声を放たずにはいられないはずだ。

壁いっぱいにデトロイトを代表する産業、自動車工場の様子が、
活力と叡智と情熱をもって描かれている。

 「デトロイト産業」の北側

 南側


美術館のコレクションギャラリーへと続く入り口がいくつかある。
その中のひとつは、
印象派・後期印象派のギャラリーへとつながっている。

 一息ついて~入っていく。
もっとも胸が高鳴る瞬間だ。

まるで愛する人にこっそりと花束を届けに行くようなーー。

DIAのコレクションには、実に様々な時代、分野、国々の
美術品が含まれている。
日本の仏教美術、  バビロンのインシュタル門の装飾、


 

ピーテル・ブリューゲルの《婚宴の踊り》

 などなど~
いったい何がどうなって、こんなにすごい美術品がこの街のこの美術館に
集まって来たのか‥‥

デトロイト美術館を創ろう、とあるとき誰かがか考えて、
それに賛同する人々が集まって、お金や美術品を寄付する人々を募り、
アートの専門家が雇われ、建物が造られ、コレクションが納められ
美術館が出来上がったのだ。  と、フレッドは想う。

 DIAができたのは、1885年。
いまから130年以上も前のことになる。
ずっと、デトロイト市民の為に開放され続けているのだ。

 フレッドは、もともと芸術にはさほどの興味はなかった。
正直に言えば、長年勤めた会社を解雇されるまでは、一度もDIAを
訪れたことはなかった。
自分のような人間が行くべき場所ではないのだ。
けれど、、その考えを一蹴したのは、
      誰あろう、妻のジェシカだった。

 あの一言、  あたし、一緒に行きたいと思ってたの。
            デトロイト美術館へ。

実は、ジェシカは毎月一度、DIAに行っていた。
レストランで働いていた頃のパート仲間のエミリーが、
子供を連れて行ってとても楽しかった、
と教えてくれたのがきっかけだった。
「あたしも行ってみようかな?」 ジェシカは何気なく言うと… 

行ってみなさいよ、何時間でもいられるわよ!
  とエミリーは興奮気味に応えた。

それで、試しに行ってみようと思い立った。
 エミリーの言うことは本当だった。
ギャラリーからギャラリーへ、歩み入るたびに新しい発見があった。
 すっかり夢中になった。

 月に一度は時間を見つけて出かけるようになった。
 
そして、いつかフレッドと一緒に来たい、との思いが膨らんだ。
フレッドがリタイヤして心にも、時間にも、
そして年金が支給されて少しばかりお金にも余裕ができたら~
  きっと一緒に来よう。
  そして自分の友人たちを紹介しよう。
  そんなふうに心に決めていた。

‥‥友人たち? いったい 誰のことだい? フレッドが尋ねると、
  ジェシカは、少し照れくさそうな笑顔になって、
         ‥‥アートのことよ。
     DIAは、あたしの「友だちの家」なの。
              うれしそうに答えたのだった。

場面変わって… 
 今日もまた「彼女」がフレッドの到来を待っていた。
  「彼女」の前に、ひとり、佇むと、フレッドはごく小さくため息をついた。
   やあ、元気そうだね。また会いに来たよ。
   俺の方は、あいかわらず、見ての通りさ。

  フレッドが向き合っている「彼女」。
    ポール・セザンヌ作《マダム・セザンヌ(画家の夫人》)

    1886年頃 セザンヌ47歳くらいの時に完成した、
       セザンヌの妻、オルタンスの肖像画である。      

DIAが所蔵するコレクションの中で、フレッドはこの作品が
 いっとう好きだった。
   彼女の、なんとまあ、魅力的なこと!

もう何度、この絵の前に佇んだだろう…
 けれど、何度向き合っても飽きることがなかった。
 みつめるほどに、彼女の魅力はフレッドの胸に迫った。

 なんだろう、この感じ・・・と不思議に思っていたが。
 あるとき、ふと、この絵の中のマダム・セザンヌは、なんとなく
 ジェシカに似ているんだと気がついた。

何もかも全部ジェシカとは違う。
 それなのに、すべてが似ている。フレッドは感じた。
コメント
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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。