オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当作り終え、取材依頼・・・

2019-04-16 | Weblog

 4/16(火) 朝の弁当作りを終えて、頃合いを計らってLPGA(女子プロゴルフ協会)に電話を入れた。用件は、協会所属のプロで前理事の伊藤佳子プロと連絡を取るためであった。勿論、協会が所属先を持たないプロの個人連絡先を教える訳はないと承知している。

電話に出た職員に、こちらの要件伝え伊藤プロに伝えてほしい旨を依頼をしたのである。伊藤プロを知ったのは三十年余も前のことだが、ゴルフに熱中していた時代でもあり名前や学士プロになった経緯はスポーツ紙などから承知していた。

親しく話をするようになったのは、当時勤務していた会社の広報宣伝部に転勤し、会社の所属プロであった伊藤プロの個人事務所との窓口業務をやるようになってからのことだ。転勤までの二年足らずの短い期間であったが、その後もイベントへの出演依頼などで交流は暫くつづいた。

そして顔を合わすこともなく二十年余を経て、往時の上司が本社の常務取締役に就任し、そのお祝いを当時のメンバーですることになった。協会理事になっていた伊藤プロにも声を掛けたところ、千葉のトーナメントで競技委員を終えてから駆けつけてくれた。八~九年も前になるが、お会いしたのはそれが最後であった。

今回の取材依頼は、私が昨年まで席を置いた制作会社のスタッフから、クライアントの公式サイトにインタビュー記事を掲載したいので、プロゴルファーを紹介してもらえないかとの要請による。別のクライアント案件でお世話になったタケ小山さんも脳裏をかすめたが・・・、個人的にはトーナメントの応援や番組収録でワイハまで同行した伊藤プロのことが浮かんだのである。

尤も自分がゴルフを辞めて長くなり、最近の状況に疎いこともあるが・・・・・。

そんな次第で、連絡先が不明な伊藤プロに繋いでもらうために、こちらの素性と番号を伝えて伊藤さんからの連絡を待つことにした。が、十分も経たないうちに電話が入った。「お久しぶりです」と。用件を伝え、快諾を得た次第である。

思い返せばあの当時、伊藤プロのマネージャーだったISAKO女子にも随分と厳しいことを云った。もともとが、私が在籍した会社(公共事業)が女子プロを持つことに対し、個人的には納得しなかったこともある。純粋にプロを応援し活用する文化があるのか?甚だ疑問だった。飾りに使っちゃならないと思っていた。私も若かったよねぇ~!考えが。

思い返せば、女子トーナメントの初戦、毎年、沖縄で開催されるダイキンオーキッドに、支社長以下で応援に出掛けたことも懐かしい。

昔、係わりがあった方が元気にされており、またこうして何かのつなぎができることは、嬉しいものである。人と人を繋ぐ、私のライフワークであるかもしれない・・・・。酒場も然りである。

 

で、肝心の弁当だが、今日は「トンカツ」をメインにした。トンカツ二枚と、インゲンも弁当に入れるだけフライにした。「ほうれん草のお浸し」と刻みネギ入りの「卵焼き」、明太子を載せて弁当が完成した。

 

トンカツの下には千切のキャベツを敷き、茹でたキヌサヤを加えて野菜不足への対応と色め添えた次第である。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水辺に遊ぶ・・・

2019-04-15 | Weblog

4/15(月) ローカーボでの夕方からの遊びがなくなり、今週は特段の予定と云えば18日にあるOB会にある理事会で初旬に行った監査報告。それと、週末の土曜日にあるオヤジの料理教室だけである。週明けからなんとも手持無沙汰である。

とはいいながら、弁当作りだけはつづく。今朝は、タレ漬けの牛焼肉(これが、最低な代物であったが)、ブリの照り焼き、小蕪の塩麴揉み、定番の卵焼きであった。

               

弁当二つを送り出した後は手持無沙汰になった。暇つぶしに、今日が最終レースとなる平和島に散歩がてらに遊ぶことにした。午後になってから家をでた。

学芸大学駅から東横線で自由ケ丘を経由して大井町駅へ。JRに乗り換えて一駅目の大森駅下車。駅前のバス停から競艇場まで無料バスが出ているのでそれに乗車すれば十分以内に着く。

競艇場は天気晴朗なれど風強しだったが、その中で水辺遊びに興じた。同じような暇人が大勢でもないが、結構たむろして出走表や競艇新聞を片手に検討に余念がない。私とて同様であるそか・・・。

後半の6レースかから、参戦したが、一進一退を繰り返し、最終レースを取れずに終わった。収支はトントンで終わったが、水辺までの散歩と思えばそれもまた好!である。

              

  最終レースのスタート前とスタート直後の風景だが、スタート後は夕映えが逆光となり暗くなった。

 

最寄り駅に戻ってから食材を買い、夕食の準備をした。魚屋にワカサギが有ったのでこれと刺身を贖い、スーパーでは新小ジャガイモ(これは明日の夕食用)を。

ワカサギは南蛮漬けに、在庫の大根・イカ・椎茸で煮物を作った。揚げ物ついでに、茄子・インゲン・サツマイモの天ぷら。野菜サラダに野菜スープを作って夕食となった。孫娘のSORが、サツマイモが美味しいとぱくついていた・・・。

暇OYAJIの、暇な一日!。こんな暇な日々、何時までつづくのであろうか!。

 

明日から「思い出酒場」の続きでも記そうと思っている。暇にあかせて・・・・・。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人形町の夜は更けて・・・④

2019-04-13 | Weblog

4/13(土)月曜日から始まった「ローカーボ」のカウンター内で過ごす夜は、昨夜で終わった。建物の売却で3月末で店終いだったのを少し延ばしてもらい、転居準備で忙しくなるマスターに代わってカウンターに入っていた。

水曜日辺りから体が慣れてきたが、それでも草臥れていたのだろう。朝の目覚めは家人に声を掛けられるまで眠りこける日が続き、昨日だけは早く起きることができたが。前夜の帰宅が深夜一時前であったにもかかわらず。

昨夜が最終日でもあり摘みの方を増やすことにして、「豚バラと茄子のみそ炒め」「九条ネギとイカの酢味噌和え」「筍と

若布の煮物」「猪鍋」、これにカツ叩きを準備するも鰹を焼くのにグリルを使わざるを得ず、焼きが中まで通ってしまい失敗した。タケノコは、先日に従姉から届いたが、他の食材は買いそろえた。失敗作のカツオ叩きも、土佐風の柚酢をたっぷりと使い、誰か食べるだろうと持参したら、これが結構に好評であった。

          

そんな準備を整え、六時過ぎに店に入ったら、すぐにTUGAWAさんとYOSHIOが姿を見せた。そしてAIBUN、知り合いの女史三人と早い時間から客が入った。

結局、今週で一番の客足で二十数人が来てくれた。最終の客は「高松」のご一行で零時時近くまで店に居た。そこから隣の「こま吉」に移動。先行していたNAKAMURAさん、マッチャンに合流して一時半ごろまで飲み、帰宅は夜も更けた二時になっていた。

草臥れたが、カウンターの中から眺める景色は違った面白さがあった。酒場での佇まい、飲み方について勉強させられた次第。

 

木曜日の夕、店舗の件で先方の営業と事前の打ち合わせをした。ところが、契約内容や設備関係の譲渡の条件が最初の話と全く異なることが判明した。これじゃ話にならにぬと、こちらの考えを伝えて再考を促した。このままではこの話は流さざるを得ない。

立地面で乗り気になっていたが、余りにも先方の都合が優先しすぎている。これでは店終いでの負担が計りきれなくなる。残念ではあるが、白紙に戻すことになろう。残念ではあるが・・・・。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人形町の夜は更けて・・・③

2019-04-11 | Weblog

4/11(木)昨晩で人形町「ローカーボ」のカウンター内で過ごす夜が三日目となった。冷たい雨の一日であったが、店の方は八時を過ぎてから賑やかになった。

その冷たい雨の昼過ぎ、摘み用の食材を近隣にあるスーパー「イオン」まで買いに出かけた。近所の魚屋で見かけない小アジかワカサギが欲しかったがお目当てはなかった。ワカサギは品薄とかで殆ど入らなとのことだった。

ホウレン草の胡麻和え、肉ジャガ、厚揚げの煮物、これらの食材を買い、調理をして店へと向かったが・・・。この夜は二次会からの流れとかで、摘みの売れ行きは低調であった。

               

口明けの客はNUMATA氏、そしてIMAE君が現れた。直ぐに帰ると言ったIMAE君は飲むほどに元気に、と云うよりは賑やかになり、結局最後の方まで居残ってカウンター席をあちこちと賑わした。いつの間にやカウンター席が埋まった。

私が年末まで在籍した会社の社長やスタッフが四人で来てくれたが、奥のテーブル席に案内した次第。高松の女将が焼きオムスビを差し入れてくれ「店の片づけがまだなのよ」とそくさくと帰った。忙しい中を申し訳ない!。

             

23時も過ぎ粗方の客も引き上げた処に、マスターが降りてきた。そろそろ店仕舞いかと云う時に、中華店三浦のオーナーが来てくれたが・・・、帰るよと言うと、一杯やろうと言う。ハイボールを付き合いながら商売のことや森羅万象について話を聞いていたら、店仕舞いをした「うまし」のオーナー夫妻が来てくれた。

残念ながら電車の時間も迫ってきた。三人をマスターに託して帰宅したのである。冷たい雨風はまだつづいていた・・・・。

帰宅してメールに気づき、見るとYOSHIOからであった。風邪を引いて40度の熱があり店に顔をだせなかったある。休むことを知らない頑張り屋なので疲れが溜まっているのだろう。ゆっくり休めと、返信した。そして眠りについた。

慣れぬことをするので疲れているのか、今朝も七時半に家人に起こされるまで寝ていた。

それから弁当作りだが、今日はマフィンを買っておいたのでこれでサンドイッチにした。超~簡単なベーコンと茹卵&卵焼きに野菜だけのマフィンサンド弁当である。

以上が、今朝の弁当でした。手抜きもいいところだが・・・・。

 

今日の摘みは、新ジャガ小芋の甘辛煮、ポテトサラダにオカラである。ポテサラは月曜日に作ったものと味付けを少し変えてある。腹持ちのする摘みを欲しがる客は限られているので、量と品数は少なくてよさそうだ。

            

 今夜は何人のお客さがみえるだろうか・・・・。昨夜は十六人だったか?。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人形町の夜は更けて・・・②

2019-04-10 | Weblog

4/10(水) 昨夜でローカーボのカウンターに入って二日目になった。昨日の午後、自宅近くのスーパーや八百屋で買った食材で摘みを少し作った。手抜きもいいところであるが、「タコ&胡瓜の酢物」「ポテトサラダ」「九条ネギの酢味噌和え」「チキンのトマト煮」「ベーコン&アスパラ炒め」である。

18:05分に店に入り、子供たちの夕食づくりをしているマスターと交代した。店には、会社(元の所属先だが)のITO女史が来て待っていた。諸々、聞いてほしいことがあったと言う。話を聞くのはいくらでもできる。店を開ける準備をしながら話を聞いた。

話は聞けるが、最後に云えるのは「答えは貴方の中にある」である。話すことで胸のつかえが下り、考えの整理ができるものだ。八時前になり、私が頼んでいた書類をUSUI女史が届けてくれ、さらに新人の女性スタッフが姿を見せた。女子三人で盛り上がっている中に、AOKI君が私宛の手紙があったと持参した。

                

八時すぎまで静かだった店に常連さんたちが姿を見せだして賑やかになってくる。私が作った拙い摘みを出して食してもらう。会社のメンバーや常連たちが三々五々散り、静かになりつつの店に「高松」のご一行が五人で来てくれ、また賑やかになった次第。

             

それでも来客数はトータルで十五~六人でなかったろうか?。たった五時間半、カウタンーの中でいい加減なハイボールを作るだけの作業だが少々草臥れているのだ。店の常連で友人になったNUMATAちゃんの後に付いて、山歩きして鍛えるしかないな!。

23時30分になり、残っていた客三人をマスターに委ねて帰ることにした。知り合いの三人から「飲んでいこうよ」と誘われたが・・・。未だ三夜残っている。金曜日が「ローカーボ」の歴史  —店の歴史は長くはないが、私の滞在時間は長い— 最後になる。その夜はタクシー帰りになる覚悟だが。

そんなことで、帰宅は25時前、東横線終電の一本前であった。

今日も午後に買い物をして簡単な摘みの三・四品ほど作るつもりだが・・・・。

 

慣れぬことを二晩つづけた所為か、今朝は眠かった。無呼吸症を改善するために着けるマスクなんぞのせいで余計に眠りが浅いように思える。こんなことの例えを、角をためて牛を殺す、と云うのではなかろうか。

家人に起こされてようよう布団から出た。今朝の弁当は「牛のプロコギ風炒め」「棒棒鶏」「ハム&卵」「マカロニ&ベーコンのカルボナーラ風」、最後に鮭を一切れ焼いた。

 

以上が今朝の遊びだが・・・。遊びと云うより修行だった!。とうとう、無理が効かぬ体になったか?。 

 

 

        

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人形町の夜は更けて・・・①

2019-04-09 | Weblog

4/9(火)昼には上がっていた雨が夕方になって降りだした昨日。人形町に着いて歩き始めた頃であった。この街で便利なのは、駅から直ぐに「ちょっぷく」があることもその一つ。トイレに入りたいとき、急な雨で傘が入用のとき、ここに寄れば用を足せるのだ。お金のことは言ったことはないが・・・。

昨日も五時前の仕込み最中の「ちょっぷく」に入り『俺の傘は?』と、ビニール傘を持ちだしたのであった。尤も昨晩の帰りに返したが。

店を開けたばかりの「高松」で金魚湯割りを二杯のみ、それから「ローカーボ」に入った。店を開けて待っていたマスターと簡単に打ち合わせをしてから、カウンターに入った。今日から一週間店をやるぞと・・・、意気込みはしないが。

             

一時間ばかり客の姿がなかったが、最初に来たのは元部下のAOKIだった。『なんだよ、こんなに早く!仕事しろよ!』と云いながらも、ハイボールを作り差し出した。気のいい男なので、マスターも一杯どうぞなんて言いやがる。言葉に甘えて二百円分ばかりのハイボールを頂いた。

そうこうするうちに常連たちが顔を出し始めた。カウンター席は何時の間にや満席になっていた。と言っても、十人も座れないが。楽なのはオーダはハイボール中心で、摘みも乾きものしかない店なのだ。一応、出た杯数は付けるようにしているが、立て込んでくれば付け忘れもあるな・・・。他人様の店なので、代金だけはしっかり回収する。

店は実質、今週で閉まる。今日からは在庫になっているワイン・スパークリングワインを売り、摘みの方も家で何品か作り持参するつもりだ。

てんでばらばらに大きな声が飛び交う大賑わいになった。余りにも煩いYOSHIOとAOKIには、22時になったのを汐に『明日の仕事に差し支えるぞ!』と、退場を促したほどである。今宵の客数は〆て十四人であったか。顔見知りと云うか、お友達ばかりである。

23時にマスターに引き継ぐとしていたが、22:30になってマスターが上から降りてきた。それを汐に私は引き上げることにした。そして「ちよっぷく」に顔をだして一杯だけ飲み帰路に着いた。

零時前に学芸大学駅に着いた。改札前の東急ストアで弁当食材を買って帰宅。やっぱ草臥れていた。たった四時間半の立仕事?ながら・・・。

とはいいながらも、今朝も弁当作りは忘れない。昨夜買って来た「鶏肉」で唐揚げを。そして、残っていた牛小間とチンゲン菜を炒めた。野菜系は小蕪を塩もみした「浅漬け」に「小松菜の煮びたし」最後に、最後に「卵焼き」で締めた。

              

今日は幸いにして、二人分の弁当である。

            

 

午後にはローカーボで供す摘みとして「ポテサラ」「チキンのトマト煮」「九条ネギの酢味噌和え」を準備し、店でオーダーがあれば「ベーコン&アスパラのソテー」を用意したい。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目覚めれば雨が・・・

2019-04-08 | Weblog

4/8(月)何とも云えぬ目覚めであったが、マスク越しに雨だれの音が聞こえてきた。窓辺にあたるポトポトの音であっあ。雨は予期していなかったのに・・・。

マスクを外して電源を切った。人間ドックで「睡眠時無呼吸症候」と診断されて、五反田の病院で解消のために睡眠時に酸素?を吸入する機会「スリープメイト」と云うのを付けるように診断された。それを昨夜から付けて寝るようにしたが、却って睡眠妨害をされているようで何度も目が覚めた。

頭がボーっとしている・・・、がこれは何時ものことか。目覚めて一番先に気になったのは統一地方選のことであった。高知県議会選に高知市内から立候補した「西内たかずみ」君の結果である。大丈夫であろうとは思っていたが・・・。FBを開くと彼の当選御礼が載っていた。

ひと安心をし弁当作りに入った処に携帯の呼び出し音が、西内君からであった。『おめでとう!、これからが本当の始まりだね。連休が明けたら一度帰省する予定なので、その折に一杯やりましょう』と伝えた。

彼は未だ三十七歳。前回は次点に泣き二度目の当選であるが、これから成長していくと期待している。他の世界にも、三十代は元気で生きのいいのが大勢いる。刺激を受けあって共に成長することを願う。その橋渡しをすることができればいいのだが・・・。

さて、今朝の弁当だが、作るのは一つでけである。長女は娘の学校のPTA仕事があり不要となった。とはいいながらも、作る量は変わらない。

メニューは「牛小間煮」「ブリの照り焼き」「俺流ベーコン&エッグ」「豚シャブ肉&チンゲン菜のソテー」となった。弁当に収まりやすいように固形で大きなものは使わない。これが小さな弁当箱には大事なのだ?。

   

 そして、義母用に味噌汁を作って今朝のお遊びはお仕舞いである。

味噌汁の出汁に「スープブロス」と云う、宗田鰹節から採った固形の出汁を使った。高知県は土佐清水市で生産しており、その販売(マーケやWEBであろうか)に協力をしている知人、TAKAHASI君から届いた。昨夜もスープや煮物に使ったが、中々の優れものである。料理研究家のJIN先生にも紹介したいネ・・・。

              

 

昨日の午後、散歩を兼ねて水辺の遊びに出掛けた。暑くも寒くもない頃よい気候の中、入念にストレッチなどをして体調を整てからの出陣であった。気分は爽快、気力充実で臨んだが・・・。

後半戦の七レースから参戦、出足良く二レースを連取した。処が後が続かない・・・、今一つだが、買い目が来ない。最後はレモンハイを飲み、肉団子をほおばりながら気分転換を図ったが、残念な結果に終わった。

何時か春は、勝利の女神は我が頭上に微笑むさ。そんな気がしてならない!。負けて好。勝って好のって気分で帰路に着いたのは良かったが、乗り換えの自由ケ丘駅直前で女神ならぬ睡魔が・・・。急行電車だったので、二子玉川駅まで乗り越した。

戻りのホーム戻りのに上がると、多摩川の先の山の端に夕日が霞んでいた。ここの川辺に遊ぶことはなくなったが、夕映えの川面と霞む夕陽のコントラストが綺麗だった。乗り越しも女神からの招きであったかもしれない。爽やかな気分で帰宅した。

           

かくも優雅なる素浪人であるが、今夕から週末まで「ローカーボ」にてカウンターに入る。転居準備で多忙・お疲れとなるIWASEマスターの代わりに、停車場を求めて喉の渇きと、ひと時の癒しを求める旅人のためにドアを開きます。

         

            

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花見会

2019-04-06 | Weblog

4/6(土) 今日は立会川の水神公園?で、末娘がバレーボールをやっていた時代の親との花見会であった。毎年、ここに住まいがあるKONNO夫妻が声を掛けて開かれている。昨年は所用があって参加できず、二年ぶりに皆さんと顔を合わせた。

京樽で折り詰め寿司を、コンビニでビールとサワー類を買って参加した。風もなく暖かな絶好の花見日和となった。公園の桜の下にビニールシートを広げて酒盛り。梢の桜を小鳥が啄んでいるのかが、舞う花びらとは別にポタリポタリと花弁が落ちてくる。

 

ノンビリとビールを飲み、YMAZAKIさんが宮崎から仕入れてきたと言う「百年の孤独」を頂く。良き休日となった。

              

 

昨日の午後は、監事を仰せつかっているOB会の会計監査を終えてから、事務局との懇談。それが終わって人形町に向かった。USUI老からの誘いだが、「高松」からスタートして「ローカーボ」「セイジュ」「ちょっぷく」と何時ものコースを巡った。YOSHIを呼び、HOYA兄貴が合流して飲みすぎ!。帰宅は零時を過ぎていた。

               

三月末で一旦は店を閉めた「ローカーボ」だが、昨夜までは延長として「令和や」の看板を出しているが・・・。マスターは来週から本格的に転居整理に入る。そろそろ店終いだ。そこで、私が店を一週間ほど開けることにした。閉店セールとは言わぬが、残った酒の売り切りかな?。

自分で店を開く予定なので、それに向けた予行演習にもなるだろう?。常連客が大半なので、少しでも長く開けた方が行き場に困らぬ。短い間ながらもローカーボ難民の対策とも云えよう・・・・。

昨年の五月か、マスターが入院した折に代打でカウンターに入ったので凡そのことはわかるだろう。残り僅かな時間だが、ローカーボで待ってます!。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またしても目黒川を・・・

2019-04-04 | Weblog

4/4(木)今日は何時もより早く六時から台所に入った。ご飯は海と山の出会いをテーマに?「浅利と筍の炊き込み」にした。おかずは「和牛の焼肉」九条ネギを炒めて添える。「ブリの塩焼き」と「ホウレン草&菜花のお浸し」「出汁巻き卵」と「蒲鉾」とした。

           

弁当の準備を終え、五反田の病院に昨日に続いて出掛けた。3月に入った人間ドックの余波で、今日は消化器内科と呼吸器科の受診である。受診する方が何で受診や?と思っているような次第で、気楽なものである。とはいいながら、17日に胆嚢のMRを撮ることになった。

受診が予想以上に早く済んだ。病院を出たのは未だ10:30分である。思いもよらずに時間に余裕ができた、さてどうするか・・・。風もなく陽気もいい、桜並木が続く五反田から目黒川を遡ると中目黒に着く。久しぶりに歩くことにした。

中目黒から下流は川幅が広くなり、両岸に桜が植わっている。残念なのは川面が濁っていることだが・・・。五反田から目黒に近づくとアルコタワーが望める。ここにはクライアントがあり、友人が勤務していた。この季節、会社訪問を済ませた後で川岸の桜を眺めたものだが・・・。久しぶりにのんびりと散歩した。

        

岸辺の桜は満開もあれば、未だ枝先に蕾を付けた樹もある。中目黒から先の光景と違い、この辺りの遊歩道は人も少なく落ち着いている。上流から桜見物の船が降りてきた・・・、橋上から見ていると手を振る人がいる。時間はゆっくりと流れていた。

                

病院を出てから、ゆっくりと歩いて一時間ほどか。目指した中目黒に着いた。久ぶりの散歩と、下流の桜を観た次第。歩きながら、ひさしく会っていない友人を思い出して懐かしんだのである。

                    

中目黒でビールでも飲もうかと掠めたが、思いとどまった。夕刻には前島先生の通夜があるのだ。かくして、今シーズン四度目となる目黒川の桜を愛でることとなった。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三度の目黒川・・・

2019-04-03 | Weblog

4/3(水) 昨夜の帰宅は丁度零時。午後から人形町三丁目の契約予定の店舗に行き、大家さんとの面談だったらしい。何時ものように言いたいこといぃ、ジョークまで!。本契約は今月の下旬までに済ませるつもりだが、その前に最終チェックをすることが諸々ある。さて、どう云うことになるか・・・。

店舗の打ち合わせ後、グッチにてYOSHIOとマッチャン不動産とコーヒーを飲みながら店名をどうするかと話題沸騰した。「オヤジの酒場」「レトロ酒場」「演歌酒場」「昭和な店」なんて言ったら否決された。「三丁目酒場 ありさわ」はどうかなんて案がでたが、どんなものだろうねぇ~?。契約が済んだら考えることにしよう。

そんなバカ話をしてから予約してあった歯科へ。三十分ほどお手入れをしてもらった。そして開店前の「ちょっぷく」に顔を出してホッピーからスタートした。一人酒だが、佐賀からNAKAMURA大将が上京するとのメールあり。それまでマッチャン不動産を呼び出して飲む。そして、月末に閉じたはずのローカーボに行ってみると・・・・。

ドアの前に小さな黒板があり「令和や」と書いてあった。店に入ると「今日開店の令和やです」と、マスターが冗談を。前夜は開けてなかったそうだが、今週は気分次第で開けるとのこと。ならば、来週一週間は僕が開けようかとなった。在庫整理と私の予行演習になるだろう?。

NAKAMURA大将、HOYA兄いにマッチャン、常連のKATOチャンと王子。何時もながらの面々であるが、私の出勤回数はめっきりと少なくなっている。この街に職場も自宅もないからねぇ~。

飲んでいるうちに眠くなった・・・河岸を変えようと「セイジュ」にHOYA兄いが先行した。OK!貸し切り状態と連絡を貰い、遅れてセイジュへ。ママさんがソロソロ退院かと思いきや、再手術で更に延びると連絡があったそうだ。『再起不能じゃないか?』なんて口がさないことを言ったが、チョット心配になるね・・・。

他の客が居ないので、hOYA兄いとその兄貴分にあたるMAMIYAさん、私と三人で歌い放題!最後にマッチャン不動産まで現れた。『銭出せよ!と云うと、これが全部とズボンのポケットから三十円を。三千円でも三百円でもない、三十円だ!』。面白い男もいるものだが、この男に私の物件を委ねてるんだからねぇ~。心配にもなるわさ。

最後の閉めは再び「ちょっぷく」であった。ちょっぷくで隣に居た大年増の姉さんのグダグダを聞き、家路に付いたのである。何とか零時に辿り着くことができた次第。

そして今朝の弁当「鮭まぶしご飯」「ポテサラ」「ちっちゃなヒラメのバターソテー」「ベーコンエッグもどき」と、作った。

             

弁当を作り終えてから病院に行く準備をした。準備といっても大したことはないが。入院ドックした伊豆病院からの紹介状や保健証などを整えて、五反田のNTT東日本病院に向かった。今日の診察は、睡眠時無呼吸症候群の治療についてである。ほっといてもいいが、快適な睡眠を取ったほうがいい。簡単な診察があり、金曜日にもう一度行き、治療の説明を受けることになった。

明日もこの病院に行くが、今度は呼吸器科と消化器内科を受診する。伊豆病院からの紹介状にそう書いてあるのだ。まるで、病院や医療関係者の為に、と云う気がするけど・・・。これも、新しいことを始めるにあたっての儀式かな。

 

昼前に病院を終え、帰宅した。丁度義母が食事を終えたところであった。小腹が空いたので、サラダ食べながらビールを頂き、TVを見ている義母に花見のことを訊いた。近所の公園に行ったそうだが、一人では遠出できない。話をしているうちに、人気の目黒川の桜を見せることを思い立った。

よちよち歩きの年寄りを連れて中目黒へと二駅。電車を降りると人、人、ひとである。平日というのに、人でごった返していた。いたけれど、ここまで来たら桜を見せるしかない。川に向かう山手通りの横断歩道を渡る信号が、青から赤になっても母は渡り切れない歩みであったがが・・・。

 人混みの中をゆっくりゆっくりと・・・、この際だ、歩く人のご迷惑になろうが年寄りだ。勘弁してくんなと腹を括って川沿いを行った。東京の桜は白いね、もう少し桜色ならいいのに、とか。花筏になると川面がきれいですよ、とか言いながら。

          

風は冷たいが、よく晴れた青空の下を歩んだ。今年三度目の目黒川だったが、満開になり花びらが散りはじめ、少しながら筏を組み始めていた。母は相当疲れたようだ、人に酔ったと言う。

                

帰宅後、夕食の準備をした。主夫であるから・・・。献立は「手羽元のトマト煮」「マーボ茄子」「茄子煮」「鶏唐揚げ」「焼餃子(冷凍品)」「九条ネギのぬた」「サラダ」「野菜のスープ」」であった。作ることに意義ありサ!。

 

そんなことで一日を終える。明日は再度病院へ。そして夕刻、府中市において前島七郎先生の通夜である。  

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする